かくて美女は苦しみと涙のもとに生まれ6
かくて美女は苦しみと涙のもとに生まれ6
「おまえの武器はなんだ?エマ。
おまえは暴力を否定する。わたしと同じ武器を選べない。
では、身を守る武器として何を選ぶ?先の先まで見通す頭脳か?それとも人の心を抉る言葉か?」
「……」
夕食後、どこかへ行ってきたマリアカリアの突然の質問にエマが目を白黒させる。
マリアカリアの作った夕食は意外なことにどれも美味しく、久しぶりにシトリー家の和やかな団欒が戻ったことに感謝していたというのに。
マリアカリアの行動はエマにとってすべて理解を超えている……。
「お伽話に出てくるチェネレントラの武器は優しさだった。彼女だけは物乞いのふりをした学者に自分のコーヒーとパンを与えた。従僕に扮した王子は誰からもぞんざいに扱われたが、彼女だけはお客様として遇した。彼女を虐めていた義父や義姉たちには復讐ではなく、許しを与えてその手を取った。
これはある意味、強力な武器だ。実際、周りの人間はみんな感動して彼女の前でひれ伏したものだ。周りの人間すべてが彼女の人格に触れ、感動し、人間の生活にとって一番大切なのは金でも権力でも贅沢でもなく互いに認め合うことだということが解ったからな。
だがな。エマ。この武器は強力だが、誰に対しても効果があるとは限らない。相手を選ぶんだ。
早い話、わたしがさっきぶちのめした悪党どもなんかには丸っきり効きはしない。奴らにとって人からの愛情なんて犬の糞ほどにも価値はない。奴らは人よりも一等贅沢がしたくてたまらないんだ。それを叶えてくれる金のことしか奴らの頭にはない」
「なんでそんな話をするの?」
「現状況でエマがこの武器を選んだ場合、効果があるのはおまえが虐められるきっかけを作ったとかいう金持ちの娘だけだからだ。
目先のことだけしか見えていないおまえには解らないだろうがな。今、おまえは質の悪い連中に囲まれていいように利用されているのさ。そんな連中にその武器はまったく意味がない。やつらは人間らしい幸せなど求めていないからな。相手が獣なら獣用の武器が必要なのだ」
エマは黙って唇を噛んだ。マリアカリアの言っていることがまったく理解できない。
あの傲慢なスー・リチャードソンが愛情を求めている?わたしが彼女以外の人間に利用されている?それじゃ、わたしが虐められることで誰かが得しているとでも言うの?そんなのありえない!
「信じる信じないはおまえの勝手だ。だが、これは真実さ。
わたしはこういうことには慣れている。身近にいながらこっそりと人を陥れる絵図を描いて悦に入っている連中など腐るほど見飽きているんだ。
最初、おまえの虐められる話を聞いた時には興味をまったく惹かれなかった。ごくありふれたつまらない話だったからな。
フン。弱い連中が自分たちより立場の弱い人間をいじめて一時的に不安を拭う……。大昔からどこの社会でも有り続けていることさ。人間社会がある限り、未来永劫なくなりはしない。わたしはそれを肯定するつもりはないが、そういうものなのさ。
だが、おまえの口からビリーとかいうガキの話が出てきたとき、わたしがなぜおまえの前に出現したのかという理由が分かった。本当にセルマの底意地の悪さがにじみ出ている」
「セルマって誰?」
「青い服を着た女さ。頭の悪い人間たちに甘い不幸を振りまいて喜ぶどうしようもない女。
おまえが虐められるように仕向けた本当に悪い奴はその青い服の女に会い、願いを叶えてもらったのさ。自分が不幸になるのも知らずにな」
「……」
「そんなことよりおまえはどんな武器を選ぶのだ?
節穴眼のおまえには自分が不幸な原因が分かりはしまい。いや、自分が不幸なのかどうかも分かってはいまい。
よくよく考えることだ。
セルマとセルマに頼った本当に悪い奴への対処はわたしに任せておけ。これはわたしが強要されたゲームだからな。
おまえはおまえで、シンデレラ並みの幸せを手に入れる算段でもしろ。そのための武器を手にすることが淑女になるための第2ステップだ」
「わたしは。わたしは……!」
* * * *
翌朝、マリアカリアは家の前でエマを真っ赤なイタリア車、アルファ・ロメオのジュリエッタ ヴェローチェに乗せた。
「この車、どうしたの?」
「昨日痛めつけた連中が突然、神の愛に目覚めて寄進したのさ。もちろん、連中はセンスが悪いからわたしがこの車を指定したんだがな。いい車だろう?リムジンなんてもらってもわたしが困るからな」
「……ああ、そうですか。じゃなくて、それって、もしかしなくても強請じゃないの!」
「人聞きの悪い。神の愛について知る教育代とでも言ってもらいたいね。
連中、随分と金が余っているようでね。性懲りもなくわたしに対する仕返しに凄腕の殺し屋を雇う相談をしていたもんだから、そんな無駄金を使うくらいなら懺悔の印に寄進したほうがいいと少しばかり説教したんだよ。夕食後にな。
まっ、そんな話はどうでもいい。エマ。おまえは学校へ行く前にわたしと一緒にこれから少し寄り道をしてもらうぞ」
「ど、どこへ?またダウンタウンじゃないでしょうね?もう暴力沙汰はいやよ!」
「金持ちのお嬢さんの家へさ。昨夜のおまえの話しっぷりからまだまだおまえは現実を知る必要があると痛感してね。親切にも節穴眼のおまえに少しばかり種明かしをしてやろうと思ったのさ。淑女教育の第一ステップの補講というわけだ」
「そんな親切はいらないわ。わたしはスーなんかに会いたくない!」
「まあ、そう言うな。彼女と話し合ってみれば意外とウマが合うかも知れないぞ。エマ。
彼女、おまえと同じくおそろしく察しが悪いし。不幸を不幸と感じていない点なんかそっくりだし。第一、おまえ同様、被害者だしな。同病相憐むというやつだよ。ハハハ。
というわけで、おまえには拒否権はない」
そう言い放つと、マリアカリアはアクセルを踏み込んだ。
* * * *
その頃、スー・リチャードソンは震える手で化粧用とは別のパウダーを入れていたコンパクトを開けてみてうなだれていた。
「あれがなくては困るわ。どうしよう!」
彼女は最近、様子が変わった。感情の起伏が激しく、ちょっとしたことにイライラして他人に八つ当たりをした。顔色もめっきり青白くなり、もはや以前のように健康的なセレブの女の子という雰囲気はない。
「とにかく学校へ行って……、ビリーにお金を渡して……」
朝食も摂らずにヨロヨロと青いコルベットに乗ろうとする娘の様子のおかしさにスーの母親は気づきもしない。朝っぱらからビジネスの電話で忙しいのだ。
「スー。今日は早く帰ってきてね。お出かけするから」
スマホを少し離して娘の背中へ一言かけただけだった。




