かくて美女は苦しみと涙のもとに生まれ4
かくて美女は苦しみと涙のもとに生まれ4
「……どうして見習いシスターの格好をしているの?」
エマ・シトリーはうんざりした様子でマリアカリアに質問する。
「諸般の事情を勘案してこの格好が都合がいいと判断したからだ。わたしが」
当然とばかりに無い胸を張ってマリアカリアが返答する。だが、真実はそうではない。
当初、背中についたトンボの羽根にはマリアカリアもほとほと困ったものだった。
なにしろクリスタルガラス並みの強度をもった非常に重く硬い代物であったため、マリアカリアが向きを変えるたびに壁を傷つけ、部屋にある調度品をなぎ倒してしまう。マリアカリアがエマの部屋から出ようとしたり、狭い廊下を渡ろうとすると、今度はトンボの羽根が邪魔して必ずカニのように横歩きしなくてはならない。
挙句にエマの弟アランに見つかって「あっ!でかい妖精さんだ!」と指までさされてしまった……。
恥ずかしいこと、この上ない。
そこで、顔を真っ赤にしたマリアカリアが思いつく。
星のついたスティックまで持っているということは、間違いなく今のわたしは魔法を使える。そうであるならば、エマのためだけに魔法を使う必要はない。自分のために使ったっていいんじゃね……。
マリアカリアがスティックを振って精霊防衛隊の制服姿に戻ろうとしたとき、なぜだかこの前、サン・フランシスコへ来たとき、ネオ・ナチに間違われて嫌な思いをしたことを思い出してしまった。
その結果がこれである。彼女はキリスト教など信じていないというのに。
「貞淑で生真面目で正直なわたしにはピッタリの姿だ。わたしの精神の具現というやつだな、これは」
「……」
どう見ても凶暴で悪辣で身勝手な人物にしか思えない……。
エマは至極まっとうな感想を抱いたが、賢明にも彼女は口にしなかった。生存本能のアラームがけたたましく脳内で響いたからである。
「それはそうと、おまえには友達はいないのか?エマ・シトリー」
マリアカリアが突然、心に痛い質問をする。
「い、いるわよ。今じゃ、声をかけてくれるのはアネッサだけだけど……」
「ふーん。それは重畳。
お前くらいの頃の女の子はみんな、同じ年頃の女友達とたわいもない話をしたり、お揃いのモノを持ち歩くのが大好きだからな。ひとりでもいるなら、軽いイジメくらい安心だな。いや、良かった。良かった」
エマの小さなつぶやき声にマリアカリアがしきりに「良かった良かった」を連発する。
「ちょっと!なによ、その態度!まさか魔法の用はないから帰りますとか言うんじゃないでしょうね」
「当然だろう?ひとりでも友達がいるなら、そいつと話して心のうさを晴らせばいい。それで十分じゃないか?あえて淑女教育をする必要もない」
「そりゃ、アネッサも太ってていじめられていたから同情はしてくれるわ。でも、アネッサには今、恋人がべったり引っ付いていて話しかけることもできないの!」
「はあ?友達に恋人がいたら話しかけることもできないのか?わたしの場合なんか、カールがいても三流魔女だとかがしきりに冷やかしに来てたぞ。少しは空気を読めって怒鳴っていたくらいだ」
「それはアネッサとビリーのアツアツぶりを見ていないから言えるのよ!それにビリーはあなたに劣らないくらい凶暴なの。怖くて話しかけられないわ」
ビリー・パターソンとは、170センチにも満たない小柄で茶色のゆるふわの髪の毛を持つ可愛い顔立ちの少年である。だが、その見かけで騙されると、非常にまずいことになる危険人物でもある。
あるとき、学食でビリーがアネッサとのアツアツぶりを振りまきながら順番待ちの列に並んでいると、アメリカンフットボール選手の上級生がアネッサを押し出して横入りした。ビリーが文句を言っても190センチはある上級生はせせら笑いながら肩をすくめてみせただけ。
この次の瞬間から信じられない展開となる。
まず、ビリーがハイ・キック、ロー・キックを巧みに浴びせかけ、上級生の腕や足を嫌になるくらい痛めつけた。痛みに顔をしかめた上級生も反撃するが、その大ぶりなパンチをビリーは軽々躱して台の上に飛び乗り、今度は上級生の顔を蹴り回した。
三擊。四擊。五擊。
六擊目、とうとうその大柄な上級生は膝を床につけた。顔は腫れあがり、失神寸前である。
ビリーはニヤリとすると、ポケットから狩猟用の大きな折りたたみナイフを取り出した……。チンピラが格好付けのために持っている見栄えだけのバタフライナイフではない。ガチもののナイフであった。
「そこまでよ。ビリー。もう許しておあげなさい」
アネッサの制止が入らなければどんな惨劇が起こったか見当もつかない。
「ふーん。そのビリーとかいうやつ、よく分かっているではないか。それに引き換え、何も分かっていないエマにはやはり淑女教育が必要か。ヤレヤレだな」
軽いため息をつきながらマリアカリアはエマに言う。
「仕方がない。まずは社会見学から始めるか。教育にはまずは現実を知ることが大切だからな」
* * * *
エマがダウンタウンにいることに気づくと、周りはすっかり黒人の集団に囲まれていた。どいつもこいつも危険な雰囲気を漂わせている。
腕には分厚いゴールドの時計。首には分厚いゴールドのジャラジャラしたネックレス。赤とか紫とかピンクの目に痛いふわふわしたベルベットのロングコート、つば広の帽子。指にはゴツイ指輪の数々。
そして、手には麗々しいクロムメッキの大型拳銃。
「悪ガキどもの責任を取れたあ、どういうことだい?シスターの嬢ちゃん」
「クスリや銃を売るのも女を提供するのも構わん。しかし、ガキどもがクスリを欲しがったら自分たちで買いにこさせろ。いくら自己責任とはいえ、自分たちがどれくらい危険なことをしているか認識させる必要があるからな」
「ククク。面白れえことを言うシスターの嬢ちゃんだな。
用はそれで済んだのかい?
用が済んじまったのなら、今度は俺たちの番だな。ちっとは付き合ってもらうぜ。俺たちを集めといてタダで帰れるとか甘い考えを持っているんじゃないだろうな。シスターの嬢ちゃん」
「いや。用はこれからが本番だ。
今日は社会見学に来たんだよ。
ところで、エマ。どこの社会でも人間のクズという連中が集まって自分たちが王様か何かと勘違いしているもんだ。こいつらがその実例というわけさ。勉強になったかな。
別にこいつらが黒人だからクズというわけではない。今のおまえの国の大統領などは違う意見を持っているかもしれないがな。
わたしは三流魔女とは違って人種的な偏見を持たないのだ。
エマ。教えてやろう。クズというやつはな。正当な手段をとらずなんでも安易な方法で手に入れようとしたがる連中のことをいうんだよ。
連中の一番好むやり方が暴力だ。シンプルだからな。法律を守ろうとか倫理的にどうとかという余計なことを考える脳を持ち合わせていないんだ」
「なかなか辛辣な御託を並べるじゃねえか。シスターの姉ちゃん。
そういうのを差別意識というんじゃないのか。
それに、シスターとしては、言っていいことと悪いことがあるんじゃないですかね。神様の前では悪人も善人も関係なく平等のはずだろう。罪人として」
「フン。笑わせる。わたしがおまえたちに『愛』でも説くと思っているのか。
神様というのはな。詰まるところ、人間が自分たちの傲慢さを諌めるために自らが作り出した概念だ。おまえたちのような傲慢さが鼻につく連中はみんな神様の敵ということになる。
今日、わたしが来たのは、おまえたちのようなクズにも神様の有難さが身に染みるよう少しばかりの教育を施すためさ。鉄拳でな」
しばらく描写できないような暴力シーンが続き、やがて静寂と敗北者たちの地面に転がっている光景が訪れた……。
勝者は当然、マリアカリアである。世の不条理に神様もきっと涙していることだろう。
「いったい、これのどこが淑女教育なの?」
ネクラな少女の呟きが微かにダウンタウンの路上で漏らされたのは言うまでもない。




