塔の女 3
前回書いた兵糧丸にこそ普通魚粉を混ぜ、水渇丸には混ぜないそうですね。チューイングガム状の乾燥梅干や甘味成分の中に魚粉が入っていたらチョット嫌ですからね。
何分三国湊は新しもの好きが多くて新機軸の珍品がよく出るところということでご勘弁下さい。制作時に鯵や鰯が大量に余っていたという事情があったらしいと善意の解釈をお願いします。
塔の女3
魔女とはなんだろう?
人によってそのイメージはさまざま。
御伽話しにもよく登場する。
たとえば、人があまり来ない森の奥にお菓子の家を建てるという用意周到ぶりをみせながら子供が暴力的反抗をするかもしれないということを予想できなかった間抜け。あるいは、毎日鏡ばかり見ているナルシストのくせに妙に自信がなく義娘に毒リンゴをわざわざ変装してまでして送り付ける臆病者とか。
魔女は米国のテレビ・ドラマでもよく取り上げられる人気ものでもある。
鼻をうごめかす美人の奥さんとか、ハイスクールでチア・リーダーしているお転婆娘とか。
「奥さまの名前はサマンサ。そして、旦那様の名前はダーリン。
ごく普通の二人は、ごく普通の恋をして、ごく普通の結婚をしました。
でも、ただひとつ違っていたのは……。奥さまは魔女だったのです」
とぼけたナレーションが妙に懐かしい。
日本でもおなじみか。
なぜだか分からないけど、美少女が翼のついたタクトを振って大人の女性に変身するヤツ。マセた女の子の背伸び願望か。でも、あれは魔法少女だよな。魔女ではないのか。
では、妖艶な美貌で男を次々と虜にして破滅させていく大人の美女か。いいや。これは魔性の女というヤツだ。違う。女性週刊誌のネタにすぎない。
ウーンと、そうだ。居た、居た。
結果的は苛められっ子の助けとなることもあるが、基本、人間の愚かさを嘲笑うために呪いをかけまくる美女。これだ。
根暗でクールでシックな美女。
日本ではこれがキー・ワードのはず。
小野少年も根暗な美女をイメージしていたが、大きく外されてしまった。
『オーイ。塔の魔女様。いらっしゃるかね。モーティマー様からの伝言持ってきたよ。それとお客人をお連れしたよ。東方の偉い聖人様のところの完全な信者様だよ』
バードルフが塔へ向かって大声をあげる。
『ハイ、ハーイ。いらっしゃーい。すぐ扉開けるわね。バードルフさんもご苦労さまです。』
三階建ての二階部分から声がした。
やがて開いた扉の向こうに立っていたのは、明るい感じのする青い目をした少女だった。顔にソバカスがいっぱいある。
整った顔立ちをしているのに勿体ないと小野少年は思ったとか思わなかったとか。
服装もみすぼらしい。農婦のそれである。頭には農婦のよく被る白い頭巾がのっている。くたびれた青いワンピースに汚れた白い前掛け。足には木靴。当然靴下など履いていない。素足である。
だが、小野少年以外この姿に怪しむ者はいない。静寂尼にしても貧しい戦乱の世界から来ている。農村の女性の姿に奇異を感じない。
『あら。バードルフさん達は森から来んだ。ずいぶん急いでたんですね』
『そうだよ。なんせ村が正教の奴らに襲われてモーティマー様が捕まっちまってな、魔女様に急いで伝言届けに来んだ。何も持たずに慌てて飛び出してきたから森で狼たちに襲われて危なかったんだ。そしたら、このセイジャク様が来て助けてくれたんだよ』
あとの4人も頷いている。
『すぐ逃げろ。もう完全な信者は君一人だけだ。生き残りの信者に洗礼を施してやってくれ。と、これがモーティマー様からの伝言だよ。魔女様はどうするかね?食料持って森ん中へ入るのが一番だと思うけども』
『そっか。たしかに伝言受け取りました。バードルフさん達、わざわざ伝えに来てくれてありがとうございます。でも、わたしは逃げないよ。逃げられない。モーティマー様に悪いけど、ここに天文台があるからね。バードルフさん達に洗礼だけはする。準備するから待ってて』
コトリ派というのは200年前に正教から異端認定された少数分派であった。
当時、正教から派遣された聖職者のあまりに酷い堕落ぶりに憤慨した地方の村や町が彼らを追放したのがキッカケであった。
追放されると地方からのお布施の集金ができない。神様商売があがったりとなる正教の法王庁側は憤激し異端認定したものの、法王自身は討伐のための軍隊を持っていない。地方の封建領主を動かそうにも、領主たちは自分たちの金の卵(税金)を産む住民を討伐してまで殺すはずもない。100年ほどコトリ派は黙認され続けた。
すると、この100年ほどの間でコトリ派はその独自の宗教観を発展させ、完全な信者たちを中心にして結束を固め村や町で神聖政治をしはじめた。
コトリ派では商売は厳禁だ。町はすぐさま農村に転落した。そして、なにせ嫌々メシを食う連中なので最低限の自給量さえあればよく、農村の食料生産量は激減した。足りなければご近所で譲り合う。それでも足りなければ断食する。飢えて死にそうな人がいれば洗礼をして天国へ行けるように見送る。
凄まじい原始的な共産主義体制なのだが、信者はみんなニコニコ顔である。苦しければ苦しいほど清められて天国へ行けるのだから。
誓いも禁止なので、信者たちは領主へ忠誠を誓わない。当然税金も納めなくなる。お金は汚いし、そもそも貨幣流通経済が成り立っていない。物納するほど余裕もない。
ことここに至ってようやく領主たちはどないかしないといかんと思いはじめ、100年前の異端認定を引っ張り出して討伐に乗り出した。
討伐するといっても、住民を殲滅するのではなく指導者である完全な信者をとらえるだけだ。代わりに法王庁から派遣された聖職者と首をすげ替える。残した金の卵たちを自分たちに都合良く洗脳してもらわなければいけないから。そして、とらえた完全な信者は法王庁に引き渡す。あとのことは知らん。法王庁が異端審問しようと宗教裁判にかけようと火あぶりにしようとどうぞご自由に、というわけである。
で、その後50年くらいは領主たちの思惑通りにことが運び、コトリ派は激減してわずかに辺境とか辺鄙な寒村に残るのみとなってしまった。
ところがイレギュラーが起こる。
東方から騎馬民族が押し寄せてきたのだ。
もっとも、彼らは国家という概念をもっておらず、部族単位で動く。彼らが国として領土拡張のための侵略戦争をすることはなかった。
代わりに馬と武器をこよなく愛する彼らは、部族単位で街を侵略したり領主たちに雇われて戦争に参加したりして大いに殺人と略奪を楽しみかつ稼いだ。
このお騒がせ集団のおかげで領主たちはコトリ派討伐どころでなくなってしまった。国々は騒乱状態だっだ。小国は力を落とし大国に併合されていく。大国は大国で色んな理由を付けて侵略戦争を続ける。
こんな騒乱の世相のなかコトリ派は誰からも構われることがなくなり、ひっそりと平穏を過ごせるようになった。コガンたちですら貧しいコトリ派を略奪しても旨味がないので放置した。
放置したはずであったのだが……。
『最近、大国の間で領土の線引きがうまくいくようになって落ち着いてきたの。戦争がなくなって領主たちはコトリ派に構う余裕がでてきたし、失業状態のコガンも完全な信者に賞金がかかっているのでコズカイ稼ぎに討伐に加わるようになって今の状態よ。今やこの地方では完全な信者はわたし一人。ここにも追っ付け領主の役人かコガンたちがやってくる。
わたしとしては面倒なことになる前にセイジャク様たちには逃げて欲しいんだけどね』
捕まるかもしれないというのに塔の魔女は一同にハーブ茶を振舞ったりして随分とのんびりしている。
扉のところでお互いに名乗り合ってからずっとこの調子である。魔女の名前はケイト・ホツパーというらしい。
『塔の魔女様はなんで逃げようとしないの。捕まって殺されるかもしれないんでしょう。ぜんぜん慌てないし。やっぱり宗教上の理由?それとも追手ぐらいなら魔法で返り討ちにできるから?』
のんびりとした雰囲気と年の近さも相まって小野少年は怖いはずの魔女に気安く質問をする。
『へーえ。その口振りからすると東方では魔法を使うことのできる魔女がいるんだ。チョット会ってみたかったかも。コトリ派ではそんな魔女は許されないな。ここでの魔女は技術職を意味するの。ウチは叔母姪伝いに天文観測の本業と星占いの副業を代々受け継いでるのよ。完全な信者は結婚できず子供へ伝えられないからね。そして、塔は天文台を意味するの。だから、わたしは塔の魔女。わかったかな?でも、塔の魔女もわたし限りでお仕舞い。わたしには姪がいないもの。
それから、逃げない理由は、ウーンとそうねえ、職業意識というヤツかな。最後は職場で死にましたってチョット格好よくないかしら?』
塔の魔女は笑った。
その笑いは戦乱の世に生きている静寂尼にはおなじみのものだった。
なにを思ったのか、それから塔の魔女は一同を三階の天文観測室へと案内してくれた。
遠くから崩れていると見えたのは観測するために建物に開けられた口だった。口には木枠が複雑にはめ込まれていて、木枠には糸が張り巡らされていた。室内の中央には手回しで回転する木製の巨大な六分儀みたいなものが備え付けられてあった。
『建物の上部は軽く出来ているから足こぎで回転する仕組みなの。どう?驚いた?原則公開しないから珍しいと思うんだけど、どうだったかしら』
塔の魔女は微笑む。
小野少年にはその微笑みが痛々しく感じられる。どうにかならないのか。
『わたしが慌てない理由はあれかもね』
満足気に室内を見回していた塔の魔女が三階の口から塔の裏手前方500メートルくらいのところを指し示す。そこには地肌を剥き出しにした谷が荒々しく稲妻状に走っていた。谷の向こう側へ行くには間に架けられた吊り橋を渡るほかない。その一本きりしかない吊り橋は風で心細気に揺れている。大人ひとり通るのがやっとというくらいの巾しかないうえ、ところどころ踏み板を欠いている。
『修理を怠けていたのがこんな時に役立つなんて人生って皮肉ね』
塔の魔女はまた微笑んだ。
魔女の言うとおり塔へやってくるには魔女の森を通るか、それとも迂回して吊り橋を渡るしか方法はない。
魔女の決意を聞いて、5人の男たちは追手がやってくれば吊り橋のたもとで戦い、死にかけたころを見計らって魔女に洗礼を受けるという段取りを決めた。
魔女は魔女で5人が死んだ後、自殺を許されていないから追手に突撃して討死する覚悟でいる。
彼らは特別勇ましい訳でも凛々しいわけでもない。戦乱の世に生きる人たちはだいたいこんな感じである。珍しいことではない。
「どうやら50騎ばかりの追手の方々がみえられるようですよね」
沈黙を守っていた静寂尼が口を開く。静寂尼は内息を巡らして周辺を探っていたのだ。
それを小野少年伝いに聞いた塔の魔女が微笑む。
『忙しくなりそうね。でも丁度良かった。どうやって時間潰そうか悩む必要がなくなったから』
『小野殿。わたくしについていらして下さい。わたくしは異世界語がわかりませぬから。それと、塔の魔女殿へお話ししたき儀がございますから今少し猶予を頂きたいとお伝えくださいませ』
静寂尼は3本の刀を抱えて吊り橋の方へと歩いていく。その後ろ姿にはなんの気負いも感じられない。
やがて誰の耳にも馬蹄の音が聞こえるようになり、谷の向こう側の丘に騎馬の集団が姿を現した。




