北へ北へ5
北へ北へ5
軟剣というのは、ノコギリの刃のように薄く、ゆらゆらと揺れてよく曲がる。そうであるから、初見の剣士などではその軌道を予測できずに思わぬ一撃を受けてしまう。いわゆる癖のある武器である。
軟剣では相手の武器を受け止めるというような防御は一切取れない。が、相手も軟剣の一撃を受け流すなどという防御が取れない。受け止めた瞬間、刃が曲がって襲いかかってくるからである。
軟剣はただですら攻撃特化の相手しづらい武器であるが、魯雪華の軟剣は高度な陰の気を煉り込んで作られたものであり、自在に刃が伸び縮みする恐るべきものである。魯雪華ほどの達人がこの剣を扱えば刃が千変万化し、相手が剣の名人達人といえども防ぎきれずに倒されてしまう。
しかしー
「ムぅっ!」
魯雪華の噛みしめた口元から血が垂れている。すでに彼女は竹杖でさんざ打たれて満身創痍である。
「なかなか見事な剣法とお見受けいたしまする。
したが、そのように殺気立てられておられると、相手に太刀筋を見切られてしまうというもの」
ピシリッ!
また、静寂尼の容赦のない一撃が決まる。
「ううっ。おおいた。あきた……」
ピシリッ! ピシリッ!!
静寂尼はつまらないダジャレが嫌いであった。
「わたくしにも武林がどのようなところなのかおおよその見当がつきまする。
とはいえ、重んぜられる『侠』の一字も薄ら寒い建前にすぎぬというもの。そのようなもののために命のやり取りをするのは虚しくはございませんか。魯雪華殿」
「わたくしはそこで産まれそこで育ちました。もとより世間様から目を背けられる日陰者の集まり。斬った張ったで消える命のはかなさはお互い重々承知の上のこと。鴻毛よりも軽い命を『侠』の一文字にかけるのも本懐というものでございます。
外道の度し難き愚かしさとお笑いくださいまし。静寂さま」
「迷える衆生を救うのが仏に仕える者の本分というもの。
ならば、わたくしも不動明王に成り代わりご施主の煩悩を打ち砕いてご覧にいれましょう」
再び竹杖の鋭い一撃が見舞われる。
「ぎゃあっ」「ぎぃっ」「ぎゅっ」「げっ」「ごぉっ」
「ほれ」「これ」「そら」「どした」「もひとつ」
無表情の静寂尼がなぜか楽しげに見えた……。
* * * *
「大尉さん。なんか男の人があんたに会いに来たわよ」
いつものように自称超大魔女が壁をすり抜けて寛いでいるマリアカリアの邪魔をする。
静寂尼に言われてマリアカリアたちはまだ北の港町にいたのだ。
「男?」
マリアカリアの眉が寄る。彼女の男の知り合いは、カール憲兵少佐を除けばほとんどが犯罪者である。そんな連中が遠い北のメリメにいるとは考え難い。連中が彼女を訪ねる理由も思い浮かばない。
「刺客……ではないよな?」
「さあ、どうかしらね。本人はあんたの恋人だと宣ってたわよ。意外とモテるようね。大尉さん」
嫌味に顔を顰めるものの、マリアカリアには男が何者かについてとんと見当がつかない。
それにこの世界で恋人と呼べる存在はカールしかいない。
「まあ、会ってみれば誰だかわかるわけだが……。
よし、会うか。ふざけた奴であれば殴ればそれでいいわけだし」
というわけでマリアカリア式の納得をし、ホテルのロビーへ降りていざ男に会うことになったのだが……。
「よお!久しぶり。大尉のネエチャン!」
「お、おまえは水魔法の大男!?なんでここにいる?監獄島から脱獄でもしてきたのか?」
「いやあ、それが」
昔のプロレスラー上田馬之助みたいな金髪の巨漢が頭を掻いた。
「あんたの部下の、エリザベスとエスターだったけな、そんな名前のやつらが来てよお。前に俺があんたとの勝負に勝ってたと言ってだなあ。俺を自由にしてくれたというわけよ。
俺は諦めていたんだがな。なかなか義理堅いことで感謝してるぜ。
金までくれるというんで、なんか悪いと思ってな。狼神退治の手助けをしようと、はるばるやって来たんだが……」
「もう、その話は済んだ。こちらにはおまえに用はないからどことなりと行ってくれ」
「つれねえよなあ。せっかく会いにやって来たというのによお。俺はグスタボと違っておまえさんのこと、気に入ってたんだぜ」
「悪いが、わたしにも選択権というものがあ……」
途中まで言いかけたがマリアカリアの声は自称超大魔女によって遮られる。
「ちょっと。ちょっと。大尉さん。なにもったいないことを言っちゃってんのさ!?
どこの世界にあんたみたいな女を好きになってくれる男がいるというの?千にも万にも一つのチャンスなのよ。これは!」
「わたしにはもう付き合っている恋人がいるんだ。恋人は一人で十分。カールと余計な軋轢を生むようなことはしたくない」
「カール憲兵少佐のは一時の気の迷いよ。すぐに勘違いに気づくわ」
「おい!」




