北へ北へ2
北へ北へ2
「ちょっと、そこの偽装女装子。なんで僕までついて行かなければならないのさ?」
縄でぐるぐる巻きにされた大昔、修道会騎士であった少年がマリアカリアに抗議する。
「わたしは元から女だ。紛らわしい言いがかりはやめろ!
連れていくのはおまえの利用方法がいくらでもあるからだ。狼神にはおまえの謎の秘跡の効果が抜群らしいからな」
マリアカリアの言う通り、狼神とその眷属に対してこの謎の少年は無敵ともいえる存在であった。なにしろ親の仇と恨む人狼娘に好き放題ボコボコにされても蚊が刺したくらいにしか感じないのだ。この少年を本当にボコボコにできるのはマリアカリアくらいなものなのである。
「じゃあ、縄くらい解いてよ。こんなにもきつく縛られてたんじゃ、僕、エコノミー症候群に罹っちゃうよ」
「できるか!おまえを自由にさせとくと、すぐに男の指を舐めに行こうとするではないか。いやらしい!おまえは歩くエロ公害だ!公序良俗のためおまえには自由はないと知れ!」
「ふん。エロいこと、考えているのはお互い様じゃないか。
『ああ。カール。カール。カール!』
カールとあんなことしたり、こんなことしたりと四六時中考えているんだろ!この偽装女装子め!」
「黙れ!歩くエロ公害!
わたしはおまえとは違う。そんなことはちょっとだけしか考えていない!本当だぞ!時々キスしたいなあと思うだけだ!」
なにやら焦った調子でマリアカリアが不毛な反論をする。
「ふーん。なんか力説しているけど、僕にはどうでもいいや。そんなことよりもさあ。カールの弟のフランツとかいう美男子を僕に貸してくれない?そうしたら何でも言うこと聞いちゃうよ?僕」
「大昔の修道会騎士団というのはそこまで乱れていたのか。神の代行人が聞いてあきれるぞ」
「神聖な兄弟愛、同胞愛と言ってほしいね。騎士といっても修道士だからね。妻帯することも財産を私有することも許されず、深酒も賭け事も禁止。それ以外何を楽しみすればいいのさあ?僕たちにとって愛は日々の活力だったんだ。愛なしにあんな仕事、誰ができるというのさ」
謎の少年の言うことは、半分は本当である。修道会騎士団はもともと十字軍遠征の折、創設されたものが多く、法王庁のお墨付きのある極めて宗教色の強い集団であった。布教の名のもとに異教徒の土地を侵略して領地とし改宗した住民を搾取の対象とした。個々の騎士には財産の私有は許されておらず、それゆえ、属する騎士団が大金持ちとなって力を蓄え、さらに侵略を繰り返し、最盛期にはヨーロッパの半分を領地とするまでになった。プロイセンなどもその口である。
「いや。それはちょっと勘弁してもらいたいな」
ここで噂のフランツの登場である。
この男もある意味、最強の存在と言える。この男が前回、一瞬で3人の人狼娘たちを無力化し武林の掌門たる魯雪華まで退けたのは事実であった。フランツには特殊な能力があるのである。
彼がその能力に目覚めたのは、城で小姓勤めをしていた少年の頃である。
幼年の頃からエロについて研究熱心だった彼がある日、いつものようにお城勤めの若い女性たちをこっそり覗き見していたところ、彼女たちが急に顔を赤らめ身を悶え始めたのである。
エロについて異常に敏い彼は自分には見ているだけで人の性的興奮を究極にまで高める特殊能力があることにすぐさま気づいた。
研究熱心だった彼は試行錯誤の末、わずかなうちにこの能力を究極にまで高めることに成功する。
これは異様な能力である。
昆虫や一部の動物とは異なり、退化してしまって人にはフェロモンを発生させる器官がない。人類の内、わずか数パーセントの男女だけがフェロモンを受容する(つまり、感じ取ることができる)器官を維持しているに過ぎない(古来から世界各地で媚薬というものがまことしやかに宣伝されるが、すべてまがい物である。人類は未だ疑似フェロモンの製造にさえ成功していないのである。仮に成功したとしても数パーセントの男女にしか効果がない代物に過ぎず、とても媚薬などといえるものではない)。
これに対して、彼の能力は初見の相手ならほぼ100パーセント効果がある。
彼、曰く、人の性的衝動は本能的なものというよりは個々人の持つ性的妄想によるところが大きい。
ということは……。
前回、公女クリスティーネの逆鱗に触れたのも、彼女が彼の能力の異様さを知っているからであった。
彼の能力は使ってはならない人類のタブーなのだ。それを公女を助けるためとはいえ安易に使用したフランツに対してクリスティーネが目をつり上げて怒ったのも無理のない話であった……。
「公女殿下に能力を使ってはならないと厳命されているから、わたしは行かないよ。エリカ嬢」
フランツが狼神討伐の不参加をサラッと言ってのける。
「あーあ。そうか。そうか。男なんてカールを除いてどいつもこいつも当てにならんな!
もういい。わたしひとりで狼神とやらをぶちのめしてやる!」
マリアカリアは薄情なフランツをにらみつけた。が、彼は肩をすくめるだけである。
彼にとってエロと公女殿下以外、本当はどうでもいいのである。彼には兄の知り合いだとかいうエリカ嬢の粗暴な振る舞いに付き合う義理などない。自分の患者でもないのだから。
* * * *
「あれが狼神の封印されていたという巣か」
港町南部にひろがる丘陵地帯の森の中、マリアカリアが一つの丘を指し示す。
結局、ついて来たのは4人である。カール。三流魔女。ぐるぐる巻きの謎の少年。それと、何の役にも立たない非戦闘員のアルフレードである。ラインハウゼン家の当主は恋敵のルドルフと一緒にいるのが嫌でついて来たのである。
「そうよ。一見、木の茂る丘に見えるけど、それは偽装魔術のせい。この美人で天才で超大魔女のわたしの目はごまかされないわ」
「おまえはいちいちそのセリフを言わないと何もできないのか。聞き飽きたぞ。さっさと術を解け。三流魔女!」
ついてくる人数が少ないせいでイライラしているマリアカリアが噛みつく。
「わたしの力を見てわたしの偉大さを思い知りなさい」
サラ・レアンダーがルーン文字を刻んだ枝を振るうと、目の前の景色が一変した。
「……」
けばい色の、アメリカでよく見かける庭付きの建売住宅がポツンと現れたのだ。おまけに芝生では散水機まで回っていた。
「ま、まあ、趣味は人それぞれよね。他人のお家を馬鹿にするのはよくないことだわ」
「そういう問題か!」
「わたしに言われてもこれ以上のコメントに困るわよ!」
「じゃあ、これ。ハイ」
なじられたサラがむすっとマリアカリアに聖母像から取り出した鍵を差し出した。
「封印は(セルマによって)解かれているんだろ。意味あるのか?鍵なんて」
「確かに封印は解かれていて中からは自由に出入りできるけれど、外の人間は鍵を使わないと中に入れないようにしてあるのよ。あの女らしい嫌がらせね。
あんたもぐずぐず言わずにさっさと鍵を使いなさいよ。せっかくこの美人で天才で超大魔女の……」
「わかった。わかった。以下省略!」
気の短いマリアカリアが早速、家の玄関へ突入しドアのカギ穴へ差し込もうとする。
「待て。エリカ。君は俺の言ったことをよもや忘れていないよな」
「分かってる。カール。『トラップが仕掛けられているかもしれない。心情的には無理強いだが、ここは我慢して冷酷になれ』だろ。トラップの前調べのための犠牲者はすでに選定してある。
おい。ぐるぐる巻き!わたしの前に立て!」
呼ばれた謎の少年が不満を漏らす。
「えっ。僕なの?隣の役に立たないはげのおっさんじゃないの?」
「わ、わたしははげてないし、おっさんでもない!少し前の方が後退しているだけだ!」
たちまち謎の少年とアルフレードが不毛な言い合いをしだす。
謎の少年は男好きだが、それは美男に限るのであった……。
「ああ。うるさいうるさいうるさい!おまえらなあ。もっと真剣になれよ。相手はその昔、騎士団に眠れぬ夜を与え続けたという怪物なんだぞ。なんだ、そのお気楽な態度は!」
マリアカリアが切れそうになるが、ここで慎重なカールの注意が入る。
「おい。エリカ。ドアになにかいっぱい書かれているが、俺にはまったく読めんぞ。あれは何かの呪いか?」
カールの言う通りドアには文字の一杯刻まれたプラスチック製とおぼしき白い板が貼られている。カールには読めないが、なぜかマリアカリアには読めた。
「猛狼注意。訪問販売お断り。宗教勧誘絶対拒絶。深夜の騒音は自粛しろ。病院建設断固反対。煩いから子供はよそで遊べ……」
しかもなぜか日本語で書かれていた……。
「ちょっとちょっと。大尉さん。
なんだか中から品のないいびきが聞こえるわよ」
三流魔女の警告がさらにマリアカリアに混乱を与える。
「なんじゃそりゃ!」




