それぞれの思惑4
それぞれの思惑4
ドクトル・フランツは、メリメの街に着いてすぐさま公女クリスティーネであるペーラ・アンナの居場所を突き止めたものの、未だに会いに行けないでいる。
彼は探索のためメリメの街にいる元患者(貴族の夫人)を頼ったのだが、これがいけなかった。夫人に新たな患者の診察を懇願されてしまい、やむなくその診療に忙殺されたためである。
「奥様とご主人とは性交行為をなさった経験、つまり、ベットを共になされたことはおありになるのですね?」
服装から見て街の貴族らしい若い夫婦が神妙な顔をしてドクトル・フランツの前で座っている。
「はい。でも、できるだけ優しくアプローチを変えて何度か試したのですが、彼女は苦痛を漏らすだけで」
濃い茶色の髪をした若い夫がすばやく答える。
先ほどの質問に夫人の方はやや顔を赤らめ、フランツの方を見ないようにして一度だけ頷いた。
「それで、ベットを共にすることを御止めになられた、というわけですか?」
「そうです。僕は彼女を苦しめたくない。可哀想でどうしてもできないんです。でも」
若い夫婦の悩みはフランツにとってはよくあるパターンである。彼はため息をついた。
「お悩みはよく分かりますよ。性交には気乗りがしないが、それをしなくては家のために子孫を残せない。ましてや貴族であれば子孫を残すことは崇高な義務。
若い御夫婦が義務と相手を思いやる気持ちとの板挟みになってお悩みになることは非常に多いことですよ」
そう言いながらフランツは立ち上がる。ホテルの椅子は回転式ではないので、フランツはいちいち立って机のところまで行かなくてはならない。机の前まで行くと、フランツはなにやらカルテに書き込みをした。
「かかりつけのお医者様のカルテを拝見させていただきましたが、あなた方御夫婦のどちらにも性交行為に障害となるような肉体的気質的欠陥は見受けられませんでした。
要は、あなた方御夫婦の性交に対するお気持ちの問題ですね。誤解しないでいただきたいのは、これは、あなた方御夫婦だけの特別な問題ではないということです。世間のたいていの方々がここで躓いていらっしゃいます。無知と偏見ゆえに。
幸いなことに、あなた方御夫婦の場合、ご主人が嫌がる奥様に無理強いをしなかったことで奥様にはまだ性交に対する負のイメージがインプットされておりません」
フランツは回って来て若い夫人の前に立つ。
「奥様。左手の甲を差し出してください。そして、わたしの目をじっと見て」
夫人は顔を赤らめ上気させながらおずおずと超絶美形に左手を差し出した。
「そのまま、しっかりとわたしを見続けてください」
こう言いながらフランツは、その形のいい指を触れるか触れないかのギリギリのところでゆっくりと夫人の手の甲に這わせはじめた。
「左手の甲にだけ感覚を集中させてみてください」
まもなく、夫ばかりか超絶美形にも見つめられているという緊張とは別に、妙に体の奥からゾクゾクするような変な感覚が夫人を襲いはじめた。
見る間に顔が異様に紅潮し、唇が震える。それから、決して声をたてまいとしっかり結んでおいた口がなぜだか半開きとなり、艶めかしいため息が立て続けに漏れ出した。彼女の足はすっかり力が抜けて椅子の座り方が微妙に変化する。
すでに腕どころか彼女の体全体がかすかに震えており、腕から上半身にかけて鳥肌が立っている……。
「あぅっ。あ、あ、あっ!」
「ドクトル!」
われに返った夫が叫ぶが、すでにフランツは夫人の手を放し腕を組んで観察していた。
「正常な反応ですね。何の問題もありません。
では、次にご主人。
同じように左手の甲を差し出して、わたしの目を見てください」
いぶかし気に、それでも言われた通り若い夫は左手をフランツに差し出した。
「瞬きされるのは結構ですが、もっと集中してわたしの目を見てください」
フランツが注意すると、若い夫の方も態度を改めて真剣になり始めた。
すると―
「うっ!」
すぐに若い夫の顔が真っ赤になり、その屈強な手足を引き攣らせた。フランツが手を放すと、夫はハアハアと肩で息を切らせた。
「何ですか、これは!」
「ドライオーズガムの初歩です(ちょっとインチキな手を使いましたが)。初心者には少し刺激が強いかもしれませんが、女性のオーズガムのひとつに似たもので、相互理解のため男性のあなたにも体験してもらいました」
フランツはすでに机の前に回ってカルテにさらさらと書き込みをしている。
「ご主人。夜、ベットを共になされたたら、今わたしが実演したように手、腕、肩、うなじ、背中といった具合に奥様の体全体をゆっくりと丁寧にソフト・タッチで愛撫して差し上げてください。
急いではいけませんよ。そうですね。ワン・クール4時間くらいで。
もちろん短い休憩をはさんでも構いません。共に夜食をとられてもアルコールを嗜まれても結構です。諦めずに体全体の隅々まで愛撫して差し上げてください。
それと、何よりも大切なことは、愛撫の最中、お二人で会話をし続けることです。どんな話題でもいいです。会話を途切れさせないことが非常に重要なのです」
「ドクトル。い、いくつか質問が」
「どうぞ」
茶色の髪の毛の若い夫がおずおずとした調子で質問する。
「さっきのでも刺激が強かったのに4時間もしたら妻が淫乱になってしまうのでは?」
「それはありえません。もしも奥様が信頼関係のない男性から触られでもしたら、きっと嫌悪感で一杯になるはずです。強い拒絶反応を示すことでしょう。この愛撫の仕方にはそういう作用(脳へのインプット)もあるのです。
つまり、ですね。奥様が反応を示すのはご主人であるあなただけ、ということです。
淫乱どころかこの世で一番の貞淑な奥様となられるはずですよ。あくまであなたと奥様との間に深い信頼関係がおありであれば、ですが。
序でに申し上げておきますと、愛撫に対してもし奥様の反応が鈍くなられた場合は、愛撫のやり方を少し変えてみてください。たとえば、ちょっとつねってあげるというのも手ですよ。柔らかいブツブツのある突起物で撫でて差しあげるのもいいかもしれませんね。いずれにせよ、奥様の反応を見ながら優しく喜ばせてあげてください」
「なんだかそういうやり方は、教会の教えに反するようにも感じるのですが……」
「不道徳ということですか。大丈夫です。社会の無理解と戦って幾星霜。その点については調べ尽していますよ。
聖書には『汝、姦淫することなかれ』としか書かれていません。また、(聖書以外では)どの教会でもせいぜい婚前交渉の禁止と結婚後の他の異性との交渉の禁止、あと異常な性交のやり方の禁止をしているだけです。夫婦間の事柄で、しかも性交行為に直接関わらないのであれば、何の問題もありません」
「えっ?今の愛撫は性交行為に直接関わらないのですか!」
「何を言っているのですか。単なる準備運動ですよ。しかも、夫婦間で信頼関係を築くためのものでしかありません。
御主人。この信頼関係がしっかり確立したと確認がとれるまでは奥様との性交行為は禁止ですよ」
「ええっ!?」
「愛撫によるオーズガムと性交行為そのものによるオーズガムとは全くの別物で、そのインプットは慎重にしなくては取り返しのつかないことになりかねないからです。後者のオーズガムについて説明するとですね……」
約15分のフランツの説明が終わった頃には、可哀想に若い夫婦はゆでだこのようになって椅子から身じろぎもできない有様となっていた。
「愛撫によって信頼関係がしっかり確立した後、次のステップに移るわけですが、女性がこのステップでオーズガムに達する方法としては大きく分けて2つのやり方があります。
大雑把に言えば、器官内の×××を優しく××する方法と長時間姿勢をほとんど動かさずに××して×××し続けるという方法があります。どちらの方法にも、相手の男性の緊密かつ集中した協力が必須でありまして……」
ドンドンッ
ドアを激しく叩く音と外から男性の慌てた声がする。
「ドクトル。ドクトル。支配人のラザロです。申し訳ありませんが、至急ご同行願えないでしょうか。大通りで少女が馬車にはねられ頭に重傷を負ったようなのです」
フランツは外科の腕でも高名である。
「搬送先の病院はどこですか。すぐに出向きます」
「聖ロカ病院です」
病院に向かうのに道具は不要だと黒鞄に手を伸ばさず、フランツは上着だけを変えた。
「こういう事情なので、今日の面談は終わりです。次の都合のいい日時を手紙ででもお知らせください」
「ドクトル。治療代は?」
「必要ありません。治療というのもおこがましいですし、紹介の××夫人からすでに報酬に代わるものを頂いております。
あなた方はわたしが部屋を出て10分くらい後から出られた方がよろしいでしょう。人目がありますから」
こう言い捨てて足早にフランツは部屋を出た。
廊下に出た彼は左右の部屋のドアをジロリと見たが、何の変化もなかったので肩をすくめてそのまま支配人とともに階下に降りる。
右の部屋では―
「師匠。フランツを捕えなくてもいいのですか?」
「仕方ありません。彼にはお医者様の仕事がありますから。彼を人質に取ることは諦めましょう」
普段は死人のように白い魯雪華がなぜだか顔を赤らめてやや早口気味に弟子を諭した。
左の部屋では、真っ赤になった3人の、お互い顔を見合わすごとに目をそらすという妙な沈黙の後、アルフレードがポツリと呟いた。
「わたしの時は、ドクトルはああいう話をひとつもしなかったぞ。どうなっているんだ?」
誰もその疑問に答える者はいなかった……。




