それぞれの思惑3
それぞれの思惑3
ルドルフとアルフレードは実際には誘拐されたのだが、騒ぎが大きくなることを嫌ったマリアカリアが二人にかつてリーフラントで使われていたという上部リヴォニア語の学術調査に参加するのだという嘘の手紙やらを書かせて、無理やり事を収めさせた。
老公爵夫人は当初、ルドルフが自分の目の届かないところへ行ってしまったというのでカンカンに怒ったが、産業界のリーダーであるアルフレードが学術調査の肝いりで、しかも同行までしていると聞いて渋々認めることにした。
女との駆け落ちなどではなく、学術調査なら(たとえ得体のしれない言語であっても)まだ外聞がいいというわけである。ルドルフが公女クリスティーネと結ばれるにふさわしい教養の持ち主であることをアピールするのにも都合がいい。
そういうわけで、最初、着の身着のままでお金の持ち合わせもなかったルドルフのところへも、従僕のヨハンや老公爵夫人からお金や身の回りの品が送られてきて、ようやくそれなりの体面を保てる状態となった。
これで、ルドルフは幸いにもマルガレーテの夫であるアルフレードと並んで冷たいマリアカリアの視線を浴びながら食事をするという苦行からも解放された(アルフレードとは顔を合わせればたちまち口論となるし、食事中の騒ぎを嫌うマリアカリアからは神経を病みそうになるほどのキツイ言葉を浴びせかけられ、彼はろくろく食事がのどを通らなかった)。
今、ひとりで下町に近いカフェで食事を摂り終えたばかりのルドルフは、ぼんやりとコーヒー茶碗を片手にマルガレーテに非難の手紙を書いたことを後悔していた。
彼女が殺そうとしたペーラ・アンナは彼の大好きな幼馴染であり、その父親のシャンドールや友人たちも彼にとっては大切な人たちである。だから、怒りはした。
しかし、世の中にある何よりも彼を欲したマルガレーテのさみしい瞳を思い出すにつけ、彼は彼女を憎み切れないし切り捨てることもできない。
今、ここに彼女がいるならば堪らず抱きしめたくなる自分がいることを彼は知っていた。
「何をため息ついているのかしら。世間知らずのお坊ちゃん?」
いつの間にか、ルドルフのことをさも面白そうに眺める自称大魔女と不機嫌な顔のアルフレードが立っていた。ルドルフはマリアカリアに次いでこの自称大魔女が嫌いである。
「世間ではねえ、君よりも苦い大変な思いをしている人はたくさんいるのよ。自分だけがこの世の不幸をすべて引き受けたみたいな深刻な顔をしなさんなっていうの」
横に立つアルフレードが我慢ならんとばかりにルドルフに向かって言葉を叩きつける。
「こいつさえいなければ彼女は不幸にならなくて済んだ。
彼女に恋い焦がれてもいい。しかし、なんで彼女のことを真剣に受け入れてしまったんだ!?
おまえが行きずりの女にするように彼女を捨てていたら、今頃、彼女は破滅しなくて済んだのに。おまえのような小僧にとって美人と一夜を共にすることは勲章なんだろう?なんでそこで満足できなかったんだ?」
「あなたは彼女の夫でもあるにもかかわらず、何一つ、彼女のことを理解していなかった。残念ながら彼女と恋ができたのは、あの時点では僕だけだった。それまで誰もが彼女のことをちやほやしたが、誰一人として彼女のことを理解しようとしていなかった。彼女はこころの内でさびしくて泣いていたんだ」
「彼女に手を差し伸べたのはおまえだけだというのか!思い上がるなよ!わたしがどんなにか彼女のことを想っていたか!」
カフェの真ん中でルドルフとアルフレードがにらみ合いをする。幸い、時間が遅く、二人の会話に聞き耳を立てているような人間はいない。
「まっ。結局、アルフレードさんは彼女の褒めるところを間違え、ルドルフ君は的を得たというところではないかしら。
美人さんの彼女は男たちに盛んに自分が美人であることや洗練された女であることをアピールしていたみたいだけれど、それは彼女が力を得るためにやむなくしていたことであって、そんなところを褒められても彼女のこころには響かなかったというわけ」
サラ・レアンダーが片方の眉をつり上げながら言葉を続ける。
「演じていたのよ、彼女は。力のある男たちにとって都合のいい女を。
美しくて貞淑で教養があり、どこへ出しても恥ずかしくない若い奥さん。
その形でアルフレードさんは彼女を受け入れてしまったから、彼女は当然、アルフレードさんのことを憎んでいる。意識せずにね。
彼女、たぶん子供のころ、友達と思いっきり遊んだ経験なんかなかったのではないかな。つまり、自分をさらけ出し、何でも言い合える友達がいなかった。そして、そのまま大きくなった。
彼女、頭がいいから、寂しさを紛らわすため自分から表面的な付き合いを求めて集団にすり寄ることもしない(そんな付き合いでは寂しさは紛れないものだし、集団に気を使って意にそぐわない行動を強制されたりなんかしてかえってストレスをため込むものだしね)。
彼女みたいな人間にとって、他人は敵か軽蔑の対象でしかない。警戒したり批判しなければいけない対象に近くに寄られて誉めそやされても、気分のいいものではないのよ。
そんな他人に対してピリピリしている彼女の前に子供っぽいところをたぶんに残したルドルフ君がやって来て遊びましょうと手を差し出した。ルドルフ君は子供の頃に戻って子供のように遊びましょうと彼女に言ったのよ。
彼女にとって警戒しなくても批判しなくてもいい、初めての他人の出現。寂しさを癒してくれる初めての異性。
彼女がルドルフ君にゾッコンになったのは、当然すぎる結果よね」
「何を言っている!わたしは彼女の夫だぞ!非難されるべきはこいつであって、わたしではないはずだ。わたしはこんな詰まらないボンクラと不倫をした妻を許して受け入れるとさえ言っているのだぞ!彼女が感謝してわたしのもとへ戻ってくるのは当然じゃないのか!」
自称大魔女はやれやれとばかりに肩をすくめてみせた。
「先天的にモテない男って本当にいるのよね。あなたはやっぱり射撃の腕ばかりでなく、女性の扱い方についても一から修行した方がよさそうね。
まあ、そのうちおいおい、この恋愛経験豊富な天才にして超美人の大魔女様が手取り足取り教えてあげるわ。特別料金でね。
そんなことよりも、おふたりさん、お仕事よ。わたしについて来て頂戴な」
「質問があるんですが」
急かす自称大魔女にルドルフが発言する。
「なんだって僕たちを連れまわすんですか?僕たちは軍人ではない。力も弱いし武器の取り扱いに慣れているわけでもない。メリットがないはずだ」
いまさらとばかりに自称大魔女がため息をつく。
「君たちは誰からも命を取られる心配がないの。殺し屋たちの標的にもなっていないし、セルマと敵対しているわけでもない。どこへ行ってもなにをしても妨害されない。大尉さんにとって使い勝手のいいカードというわけ。ただ、人質に取られる可能性だけはあるから、わたしが付いているというわけ。お分かり?」
「そもそもなんで僕たちがエリカ嬢のために働かなくてはならないんですか?彼女は僕たちを誘拐したんですよ。理不尽だ」
「事をややこしくしたのはマルガレーテよね。マルガレーテのせいでセルマは過激な行動をとるようになった。マルガレーテの愛人やら夫であるあなた方がそれなりの責任を取るのは当然ではなくって?」
「……」
自称大魔女は不満顔のふたりを連れて、まずは旧教教会へと向かった。




