それぞれの思惑1
それぞれの思惑1
ここは、とある異世界にある凶悪犯罪者ばかりを集めた収容所。絶海の孤島にあり、一般社会から隔絶した環境にある。
昼食時。
彼ら囚人は、中央にある大きな食堂に集められ、だいたい3つのグループに分かれて食事を摂る。
「……」
一番大きなグループにいる、なにやら威厳のある一人の老人が何か言いたげに周りの囚人たちのトレイを眺めている。
「おまえたちは弟子のくせに冷たいのう。自分たちは山盛りのご飯を貪りながら、師匠であるわしには空の皿か!温厚なわしでもちいーとばかし、考えを改めねばならぬかのう」
老人の発言に周りの人間の表情が暗くなる。中にはため息をつくまでの者もいる。
「……師匠。
師匠は先ほど、2人前も平らげて、ごちそうさまをしたばかりですよ。左手の甲にちゃんとマークしましたよね」
「むっ。誰がこんなマークを!」
「師匠がご自分でお書きになりました」
「むっ!むむむむ!わしは覚えとらんぞ」
「御労しい。これもすべて、あの憎い女大尉のせい。
弟子一同、仇を返せるならどんな苦労も厭いませぬが、何分、われらは死ぬまでここから出られません。悲しいことですが」
年嵩の弟子の一人が一同に変わって心情を吐露すると、一斉にため息が漏れだす。
「ふむふむ。そうか。そうであったな。すべてはあの女のせい……。
ところで、わしのごはんはまだ?」
「師匠!」
別のグループでは、長い顎髭を生やした痩身の男が筋肉質だが背の低いひげもじゃの男に声をかけた。
「兄い。そろそろ洗浄のお時間ですぜ」
「おお。そうかい。じゃあ、悪いが頼むぜ。兄弟」
ひげもじゃの男は頭に巻いたバンダナをむしり取ると、痩身の男が施術しやすいように額をそっちの方へと向けた。
痩身の男は無言で手から紫外線や高周波を出してひげもじゃの男の額に開けられた風穴を洗浄しだした。
「苦労、掛けるなあ。兄弟。でも、洗浄しないと俺の頭腐っちまうからなあ」
「それは言いっこなしですぜ。兄い」
「くそっ!あの女、憎んでも憎み切れねえ!」
これが、好むと好まざるとを問わずここに死ぬまで居続けなければならない、そんな彼ら囚人の退屈にも繰り返される平凡な日常の一風景である。
残る、もうひとつのグループでは相も変わらず静かな食事風景が繰り返されている。
ここのリーダーである水魔法の達人の巨漢にはリーダーであることの自覚がない。だから、彼は何一つ他に命じたことはない。
ただ、彼は静かな食事だけは望んだ。
それゆえ、もし、このグループの構成員で、この巨漢の傍で食事を摂りたいことを望むならば、静かに食事をすることが守らなければならない暗黙の鉄則となっていた。
ところが―
「何者だ!」
金髪の巨漢が突如、自ら課した掟を破った。
巨漢の鋭い誰何とともに、巨漢の背後でいくつもの水竜巻と氷片の乱舞が起こる。
巨漢は、姿からは想像しがたいが、かなり神経質な男で常に周りの気配を探っている。その背後に突然現れた、何の感情も感じられない不気味な気配がふたつ。
巨漢は自らの鉄則を破ってまでして迅速に対処したつもりであった。が……。
「さすがね、と言いたいところだけど。少しばかり反応が鈍いわ。
それに技の切れも鋭いとは言えないかも。
あなた。一流とはとても言えないわ。せいぜい二流に毛の生えたところだわね」
「……」
巨漢の背後には、皮のコートを羽織ったスーツ姿の若い女性と制服姿の赤毛の少女が静かに立っていた。
「誰だ、おまえ?」
「わたしはエスター・ガラハト。
マリアカリア大尉殿の部下の一人よ。見知りおいて頂戴な。色男さん」
エスターはニタニタと妙に愛想がいい。よくない傾向である。
「エスターさん。抑えてくださいよね。今回のお仕事には殺しは含まれてませんから。
挑発はなしです。
ラブ・アンド・ピース。ラブ・アンド・ピース」
「判っているわよ。エリザベスちゃん。
わたしはこれでもできるビジネス・ウーマンなのよ。公私の境はきっちりとつけているわ。どこかの地方自治体のえらいさんとは違って」
「それならいいですけど……」
「でも、どこの世界でも馬鹿は身の程をわきまえない」
「!」
突然、床が波打ち、その奔流に幾人もの囚人の魔法使いたちが乗って二人に襲い掛かってきた。同時に、床や天井を蹴り、拳法使いの弟子たちも必殺の技をもって空から降ってくる。
「へっ。今日は俺のラッキー・デイみたいだな。あの女がいないというのは少しばかり残念だが、それでも関係者を殺せるなんてよ。少しは溜飲が下がるというもんだぜ」
ドワーフの狂える大量殺人者グスタボが即席で作った無数のクレイ・ゴーレムに突撃を命じる。
大小さまざまの火球が雨あられとエリザベス伍長らに降り注ぐ。
拳や蹴りから放たれた無数の斬撃が蛇がうねるような軌道を描き、襲いかかる。
壁や床から巨大な土塊が産み出されて宙に浮き、それが独楽のように回転して突進してくる。
「わたしがツー・ステップですべてに始末をつけます!エスターさん」
「いいわよ。エリザベスちゃん。後で評価してあげる」
エリザベスが左の踵を床に打ち付けて、足を前後に開き、右腕を鞭を振り回すかのように回転させた。
「ワン・ステップ!」
水魔法の達人がムッと唸り、エスターが目を細めてニヤリとする。彼らには見えない何かが感じられたのだ。
ドッドドドー。
エスターの腕の動きに合わせて、田舎の踏切を超特急が横切るようにして高い石の壁が螺旋を描くように建ち並んで、すべてをなぎ倒し、撥ね飛ばし、挟み込んで、押し潰す。
同時に、壁や天井から突出した石柱が宙にいる者たちにぶち当たって血反吐を吐かせた。
「ケッ。油断したぜ。攻防一体型の見事な土魔法じゃねえか。赤毛のお嬢ちゃん。
でもよ。土魔法なら俺の方が一日の長があるぜ!」
グスタボが足を大きく開いた構えから力を込めた両掌を突き出す。
すると、グスタボの前にある床が赤く熱せられて捲りあがり、溶岩の大きな波となってうねりを上げてすべてを巻き込みながらエリザベスたちを覆う螺旋の壁にぶち当たる。
「愚かな。じゃが、折角のチャンス。有効に使わせてもらうぞ。グスタボ!」
鶴のように痩せこけた老人が小さくそう呟くと、気を使って足元の空気の塊を高速回転させて華麗に宙を飛ぶ。
「ツー・ステップ!」
エリザベス伍長が今度は右の踵を床に打ち付ける。
その瞬間、慣性の法則や落下の法則などこの世のすべての決まりが無視された。
世界は黒白のみに色付けされ、青白い波紋がエリザベス伍長の足元から広がり出し、世界のすべてのものへと拡散し侵食していく。
その停止した黒白の世界を唯一、動くものがいる。
オレンジ色の波紋を自らの身に纏った老人が投擲された槍の穂先となってエリザベス伍長へ突っ込んでいった。
エリザベス伍長の右拳と老人の右拳とが音のない世界で激しくぶつかり合い、すべてのものを燃え上がらせた。
「4点ね」
キリング・マスターのエスターが冷たく評価した。
「もちろんロシア式に5点満点評価ですよね。エスターさん?」
「馬鹿ね。100点満点に決まってるでしょう。エリザベスちゃん。
昭和の時代の少年マンガ的展開は一部の妄想過多を除いて嫌われるのよ。
今は背の低いゴスロリの美少女がおもちゃみたくカタナを振り回してどばっと血をまき散らせるのが流行りなの
流血とエロカワ。
それに戦闘なんて話のツマ程度の比重しかないわ。物語で重要なのは少年と少女の切ない会話。それですべてが決まるのよ。
エリザベスちゃん。悪いけど、あなたのは会話はないし、アフォリズムの決め台詞もない。物語的にはヒロイン失格ね」
「……エスターさんがそれ、言っちゃうんですか。エスターさんなんて、ただの頭のおかしいキリングマシーンじゃないですか。今までまともなセリフなんてなかったし」
「あら。馬鹿ね。
わたしの場合は、ここぞというところで封印された過去が明らかにされる後発型のヒロインなのよ。ギャップを狙っているの。だから、いまは翳のある女、ミステリアス・ウーマンを演じているわけ。
この業界、頭を使わないと生き残れないのよ。わかった?」
「……この前もそうだったが、おまえら、一体何しに来ているわけ?遊びにならよそへ行けよ!」
水魔法の達人が美女たちの会話に心底嫌そうに顔を顰めた。
* * * *
「愛。愛。愛。愛。
自分自身、愛も恋もしたことがなく、男女の関係についてもよくわかってない尼僧が『愛を知れ』ですって!
おぼこの尼僧が何を言っているのやら。とんと呆れてしまうわよ」
「確かに、修行の身であるわたくしには男女の関係など分かりかねる事柄でございます。
したが、先ほどから申しておりますように愛も恋も行きつくところは自らを許し相手を認めて共に手を取り合うことに他なりませぬ。
是、即ち仏性の現れ。
狭い範囲ではございますが、お互い、あるがままの相手の存在を認め、また、こだわりを捨ててあるがままの自身を受け容れて憂をなくする。このことこそ、御仏の教えにかなうものなのでございます。
釈尊は説かれました。人が精神的に苦しいと感じるのは、苦しみが現実にあるからではない。受け取り方の問題である。そして、本来、執着すべきでない自己の在り様に執着することこそがすべての精神的な苦しみの原因である。そうであるならば、一切の自己愛を捨て去ってしまえば、苦しみなど消えるはずだ、と。
愛し合う関係というのは、自身でこう在りたいとか、こう在るべきだと思い描いている姿を互いに相手に認めさせることではございません。執着を捨て、お互いがあるがままの姿を認め合い許し合うことこそが、真の『愛』なのでございます。
醜かろうが美しかろうが、卑しかろうが高貴だろうが、関係はございません。理想の姿ではないからといって、どこにも自らを恥じる必要はないのでございます」
「アハハハ。なんと青臭いことを言うの。ご立派すぎて反吐が出るわ。
わたしはあんたなんかよりずっと長いこと人間というものを見続けてきたけど、そんな愛し合う関係を築いた人間なんてひとりもいなかったわ。
もともと人間なんて、どうしようもなく愚かで残忍で強欲で、絶望的に無意味な存在なのよ。せいぜいわたしのような、とっくの昔に人間をやめた存在から弄られて自らの詰まらなさ、浅ましさを思い知らされるくらいしか価値がない存在なのよ。
ふん。そんな存在が真の『愛』を実践できる、ですって?傲慢だわ。傲慢すぎる主張だわ。
人間の愛なんてね。取り合いっこして、どれだけ特定の相手の関心を独り占めできるかという競争なのよ。そして、それを自慢して優越感に浸る。それだけのこと。何の意味もないものなのよ」
「そうお感じになるのは、セルマ殿が今まで『愛』というものについて真剣にお考えになられたことがなかったせいでございましょう。また、『人』という存在についても」
「何を言うの。わたしほど、人間を観察し続けた存在など、この世に居なくてよ。馬鹿にしないでちょうだい」
「……」
静寂尼は視線を上に向け、嘆息する。
「セルマ殿は先ほど、『人間なんて、どうしようもなく愚かで残忍で強欲』とおっしゃられました。
これは、本来、人間はそういう存在ではないという理想を御こころの内に描かれておられる証左。
そのようなこだわりの目では、どんなに長い間、見つめられたとしても、人の真実の在り様などお分かりにはなりますまい」
静寂尼の全否定で苛立ったセルマが顔を歪めて皮肉を言う。
「へえー。なら、あんたには人間の真実の在り様がすべて見えているというわけね。後学のため、是非ともその真実とやらをお教え願いたいものだわ」
「わたくしにはすべてを見通すなどという大それたことはできませぬ。
我執を捨て、ただ在りのままに見て、感じる。そういう当たり前のことをしているだけでございます」
「詰まらない答えね!」
ふんッと、セルマは鼻で笑った。
「それ以外でセルマ殿と違うことがあるとするならば……」
「とするならば?」
短い沈黙を挟み、静寂尼が淡々と告げる。
「それは、『すべての人は内に必ず仏性を秘めている』と信じていることではないでしょうか」
「オプティミスト!」




