王女、受難3
王女、受難3
妻の不貞について悩める夫アルフレードは今日もまた射撃場にて激しく拳銃を撃つ。
会社事業のことなどすでに彼の頭から消えており、彼の行動原理は今や嫉妬の一念で支えられている。
「虚仮にしやがって。あの野郎!」
アルフレードは的に想像でルドルフがにこやかに笑っている姿を思い描き、憎悪を込めて拳銃をぶっ放す。
不倫や浮気で悩むたいていの男女が不倫の夫や妻を恨むのではなくなぜだかその相手を激しく憎む例にもれず、アルフレードもまたルドルフに対する憎しみの情に囚われていた。
アルフレードのこの不毛な活動をいさめる人間がいないわけではない。
忠実な部下のグスタフがうるさくアルフレードのもとに来て「こうなっては仕方がありません。いつまでも修復困難な奥様の不貞に悩むよりきっぱりと別れてけりをつけるべきです。なに。アルフレード様ほどの地位と身分のあるお方であれば、いくらでも代わりの、もっと貞淑で美しい女性を見つけられるはずですよ」と忠告と激励を繰り返す。
頼みの綱であった主治医のフランツも今では自身の恋人との関係の悪化から憔悴しきっており、「関係を清算する他ないのでは」と言葉少なに語るのみ。
そんなこんなでアルフレードも心の中では修復が不可能であることをはっきりと認識しており、時折、離婚の二文字が頭の中でちらつくが、やはりマルガレーテに対する未練を断ち切れないでいる。
そして、そうこう悩んでいるうちにまたぞろルドルフに対する憎しみが鎌首をもたげてアルフレードは激しい衝動に囚われてしまう。
ああ。不毛だ。けれど、あいつに対する憎しみが抑えきれない。
だから、アルフレードは拳銃でも撃ってないと気が狂いそうになる。
だから、今日も彼は射撃場のレンジの中に立つ。
所定の位置から片目をつぶり最新式の自動拳銃を構える。撃つ。
カッキ―ン
甲高い排莢の音が響く。
しかし、弾は的をかすりもしない。大きく外れて着弾した。
「……」
アルフレードは黙って5歩前進する。
カッキ―ン
また大きく外れる。
再びアルフレードは5歩前進する。
カッキ―ン
また外れる。
5歩前進する。
……。
「また当たらない。くそっ!馬鹿にしやがって」
外すたびに想像の中のルドルフが舌を出して笑っているように彼には感じられ、唇がブルブルと震えてしまう。
彼は結局、今日も的の前、50センチのところまで来てしまった。彼は非常に射撃が下手だったのだ。
「アハハハ。あなた、なにをしているのかな?的に当てるのだったら発砲するよりその拳銃自体を投げつけた方が早いんじゃないの?」
はるか後方から悩める男に対して若い女性の声がかけられる。
「なんだ?君は。見物ならどこかよそでやってくれ。わたしは忙しいんだ!」
アルフレードがむっとして振り向くと、その時代の人間には考えられないほど短いフレアスカートを穿いた若い女性が立っていた。
「ふーん。7.62ミリのモーゼル自動拳銃か。懐かしいわね。
ちょっとあなた、こっちへ来てその拳銃をわたしに触らせなさい。そうしたら、後でうまく撃てるように指導してあげてもいいわよ」
「懐かしい?こいつは最新式だぞ」
ムカッと来たが、色々悩める男アルフレードは指導してくれるという女の言葉を信じて所定の位置に戻り、拳銃を女に手渡した。
「素直でいい子ね。あなた」
言いざま、若い女は片手で的に向かって拳銃を撃った。
1発目こそ中央の黒点の5センチ下に当たったが、2発目以降は全弾、黒点を射抜く。
「ほう。偉そうなことを言うだけはあるな」
「そんなの、当然よ。わたしは天才でなにをやらしてもうまいもの。
このモーゼル自動拳銃というのはね。バランスが悪くて発射時の反動で銃身が上に激しく飛び上がる悪い癖があるの。だから、的の20センチ下を狙って撃つのがコツなのよ。
さあ。あなたもやってみて。
ちなみに、素人が拳銃を片手で撃つなんて100年早いわ。あなたも格好つけはやめておとなしく両手で撃ちなさいな。どんな銃でも射撃の上達は正しい姿勢の維持と反動の抜き方を体で覚えることで決まるの。覚えておきなさい」
カッキ―ン
言われるままアルフレードの撃った弾が初めて的に当たる。
「当たった。当たったぞ!」
「はいはい。喜ばない。修正しながらドンドン撃つ。練習あるのみよ」
カッキ―ン
「また当たった」
カッキ―ン カッキ―ン
アルフレードはもう夢中で的を射抜き続けた……。
1時間後、アルフレードが気まずそうに若い女性に声を掛ける。
「貴女の親切には感謝しているが、その……。どうしても気になるんだ」
「うん?なにが」
「なんでそんな破廉恥な格好をしているのですか?わたしはそんな短いスカートを穿いた女性など見たことがない」
「ああ。納得。この時代の人にはこの格好、目に毒ね。
じゃあ。これでどうかしら」
若い女性の姿が一瞬でボンネットを被った裾を引きずる貴婦人の姿に変化した。
「な、なに!なんだ、君は。なんなんだ、一体、君は?」
「懐かしさで気分がいいから、一度だけ質問に答えてあげるわ。
わたしは美人で天才の大魔女よ。サラ・レアンダーと呼んで頂戴な。遠い別の世界からはるばるとおっかない尼さんに頼まれて協定を破った馬鹿な女を懲らしめに来たの」
目を瞬かせるアルフレードに対して自称大魔女が言葉を続ける。
「納得したところで、ひとつ頼まれてほしいことがあるのよ。アルフレード・フォン・ラインハウゼン男爵さま。
わたしはねえ。仕事の段取りとして気が進まないけど、どうしても記憶を失ったかなり扱いにくい男女に取り入るため手土産代わりにあなたの身体を差し出さなくてはならないの。
当然、ここは協力してもらえるわね。
おとなしく拘束されなさいな。アルフレード男爵さま」
勝手なことをポンポンと言い募る自称大魔女は目を細めてアルフレードに一歩近づいた……。
* * * *
襲撃があってから6時間後、プスタ平原から来た男たちはルドルフを連れてとある洗濯工場の前に立った。マリアカリアから呼び出しを受けたからある。
プスタ平原から来た男たちは警察とひと悶着遭ったものの、すぐ公館に駆けつけることができたのに対して、マリアカリアの方は戦った相手を気絶させて適切な場所に監禁するのに手間取ってしまい、結局、公館へは駆けつけることができなかったのだ。
すっかり夜になった洗濯工場には人っ子1人おらず、辺りは森閑としている。
言われた通り、4人の男たちは巨大な洗い場のある一階の作業場の中を巻き取られたホースを跨ぎつつ奥へと進み、なんとか上へと続く階段を見つけ出してそれを上る。
踊り場では、若い女が待っていた。
作業時間は終了したはずだが、奇妙なことにその若い女は黒いゴム引きの上っ張りを身に着け、同じく黒いゴムの手袋をしている。
「こっちよ」
それだけ言うと、若い女は男たちを最上階まで案内する。
最上階には、一階では落とせない特殊な汚れを落とす特別な作業場があった。
その特別の作業場にある階段をさらに上り切ったところに何の変哲もない木の扉がある。
「さあ。入って。中でエリカ・リューネブルガーさんがお待ちかねよ。とっても不機嫌な顔をしてね」
中に入って部屋の様子を見た男たちは揃って目を見張り、後ずさった。
後ろの扉の前で腕を組んだ若い女がそんな男たちを見て笑い声を立てる。
部屋の中は、天井から幾本もの鋼鉄の鎖がぶら下がり、床にはXの形をした磔台や2枚の板で首と手首を閉じる拘束具、頭を押し込んで苦しめるための水槽など各種の拷問の道具が所狭しと並べられていた。もちろん壁には人をひどく痛めつけるために特別に考案された形状の鞭や青白く輝く凶悪な刃物がズラリと飾られている。
「なんだ。この部屋は!」
しばらくしてようやくペーラ・アンナの父である大佐がうめき声を上げた。
「驚くのも無理はない。
初めてここへ来たときはわたしでも嫌な気分になったものだ」
部屋の片隅で薬莢を万力で挟み作業をしているマリアカリアが手を休めもせず、男たちに事も無げに言う。
「ここは昔、わたしが叩き潰した犯罪組織が拷問部屋兼掃除場として使用していたところさ。つまり、組織に反抗する人間を面白半分に痛めつけ、後で面倒が起きないよう綺麗に死体の処理までしていた場所だよ。
今まで言わなかったが、大佐が看破したようにわたしは後ろ暗いところのある女でね。カールと付き合いだすようになるまでわたしは裏の社会では少しばかり名の売れた悪党だった。
だから、こういう場所をいくつか自由に使えるんだよ」
ようやく完成した薬莢をしばらく眺めた後、マリアカリアはそれを拳銃に弾込めした。そして、そばの黒い暗幕を取り払い、中を男たちに見せる。
「さて。諸君をこの薄気味悪い場所に呼んだ理由をぼつぼつ説明しようか。
まずは紹介から。
右の天井から逆さ吊りになっている女は今日、わたしと戦って捕まえた殺し屋の一人であり、もう一人の縛られて転がっている小太りの男は殺し屋を差し向けた真の黒幕であるマルガレーテ男爵夫人の夫、アルフレードだよ。
本当はカールの弟のフランツと黒幕のマルガレーテも連れてきたかったんだがね。時間がなくて無理だった。
ここまでで質問はあるかな?」
マリアカリアの冷たい視線と周りの雰囲気にルドルフなどはすっかり震えあがってしまったが、ペーラ・アンナの父である大佐は違った。
「2つほどある。
エリカ嬢が言うように黒幕がマルガレーテであるのは間違いないが、なぜエリカ嬢はそれを知っているのだ?今から思えば標的にエリカ嬢の名前が挙がっていたことも不思議だったが、エリカ嬢にはマルガレーテとの間になにか隠された確執でもあるのか?
個人的な恨みを晴らすのは勝手だが、こんなところにまで呼び出して我々に残酷ショウを見せようとするのは筋が通らないぞ」
「困ったな。だいぶ誤解があるようだ。だが、なにから説明していいものやら……」
マリアカリアはそう言うと、手に持っていた拳銃を机の上に置き、代わりに細剣を引き抜いた。周りに緊張が走る。
「最初に言っておこう。わたしは残酷なことが嫌いだ。暴力も振るうが、必要以上に人を痛めつけたりはしない。そんなことを喜ぶ性癖も持たないのでね。
もっとも、諸君の後ろにいる女は違うけれども。そうだな。サラ・レアンダー」
マリアカリアに名指しされた黒い上っ張りの女はニコリとする。
「これは残酷な見世物ではない。ひとつの実験だ。諸君はよく見てこれから戦うべき相手のことを認識して欲しい」
手に細剣を持ってマリアカリアは逆さ吊りの女に近づいていく。女は異様な目を晒さないように目隠しをされており、また、マリアカリアに辱めを与える気はないので男物のズボンを穿かされている。
突然、無表情のマリアカリアが逆さ吊りの女の首を細剣で刺す。
男たちは一瞬、顔をゆがめるが、マリアカリアが刺した細剣を引き抜いた後の女の変化を見て自分の目を疑った。
女の体からは血が流れないし、刺した痕もすっと消えてなくなってしまった。もちろん女は刃物で刺されたのに痛がりもしない。
「こういうわけだ。こいつは人間ではないのだ。したがって、通常の武器では歯が立たず、こいつを傷つけることさえできない。
わたしたちが残りの3匹と戦うには特別な武器が必要だということをだいたいお分かりいただけたかな」
「殺しが失敗したうえ黒幕が誰であるか分かった以上、本当に殺し屋たちと戦う必要が我々にあるのか?やつらの契約は破棄されたとみていいのでないのか?
それに、先ほど公館で公女殿下の口から一切の事情を聞けたのだが、我々が今しなくてはいけないことは青い服の仙女とかいうふざけた奴に北のリーフラントとやらへ連れていかれたわたしの娘と君の大切なカール憲兵少佐を連れ戻しに行くことではないのかね?」
大佐が顔をしかめて言い募る。
「当然、二人は無事に連れ戻さねばならない。しかし、難儀なことにその北のリーフラントというのはこの殺し屋たちにとって因縁浅からぬ場所であって、連れ戻しに行けば高確率でやつらと殺し合いをすることになるらしい。その辺の事情はわたしにはよくわからない。詳しいことはそこにいるサラ・レアンダーに聞いてくれ。自称大魔女だとかいう、その女にな。
いずれにしろ、わたしたちは一度は殺し屋たちの襲撃を撃退して奴らの仕事を失敗に追い込んだんだ。プライドを傷つけられ、そのうえ仲間1人を人質に取られた奴らはわたしたちが北へ行こうが居残ろうが必ず襲いかかってくる。戦える準備をしておかないと臍を噛むのは目に見えている」
マリアカリアは先ほど特別な銃弾を込めた拳銃を置いた机の上に、刃の部分に銀メッキをしたサーベル、銀の粉末の入った容器、銀の短剣などを次々に置いていく。
「黒幕がマルガレーテであることは戦っている最中に気づいた。
穴ぼこだらけの相手方の情報しか伝えられていないのにわたしたちの情報はすべて相手側に筒抜けになっている。首都に住む人間でわたしとペーラ・アンナとの仲を知っている者などごくわずかしかいない。標的にわたしの名前が挙げられていることもさりながら、戦った相手がわたしの気質まで知っていたことにも驚かされた。すべてがおかしかった。
分からないのも当然だった。わたしは最初、身近にいるはずのスパイと黒幕とを切り離して考えていたからだ。黒幕とされた公爵夫人にわたしまで殺す理由があるとはどうしても考えられない。そもそも親帝国分子である公爵夫人では下手を打てば帝国との関係を揺るがしかねない過激な手段をとる動機が非常に弱い。方や、スパイの方を辿っていくと、標的とされた人間やわたしの身近にいる者たちにスパイである可能性はあっても強い動機が見当たらない。少なくとも意図的な情報の漏えいはしていないことになる。そこで、わたしは躓いていたのだ。
だが、スパイと黒幕を同一人物と考えると話は簡単だった。
動機は嫉妬。ペーラ・アンナの保護者の一人であり、ペーラ・アンナとルドルフをくっつける手助けをしそうなわたしまでをマルガレーテは邪魔者として憎んだというわけだ。公爵夫人を唆して絵を描き、殺しの真の依頼者として公爵夫人の意図とは別にわたしまでをも標的とし、殺し屋たちには詳細な情報を贈る一方、わたしたちには親切な顔をして殺し屋の正体が人外のものであるなどといった重要な情報を抜かして送り付けていた。
ふん。大した奴だよ。マルガレーテという女は。危うくこちらは全滅するところだった。
まあ、ペーラ・アンナからルドルフとマルガレーテとの関係を聞いていたのに、うかつにもそれをなかなか思い出さなかったわたしのミスでもあるわけだが」
最後にマリアカリアは狩猟用の大口径のライフル銃を机の上に置いた。
「大佐。こんな説明で十分かな?
黒幕が誰であるかなど分かったところで、青い服の女が介入した時点でそんな話題はもう過去のもの。わたしたちを取り巻く現在の問題を解決するのに何の役にも立たない。
もっと重要な説明をしようか。
公女殿下から聞いているであろうが、青い服の女は極めて怪しい術を使う人外のものであって、わたしたちは青い服の女と殺し屋たちという難敵と二正面で争わなければならない。
そこで、まず殺し屋の正体である人狼の弱点について分析してこれを突く戦い方をマスターする必要がある。
ああ。そういえば諸君らはまだ人狼というものを見たことがなかったな。
サラ・レアンダー。ここへ来て、この逆さ吊りの女を刺激して獣化させてくれ。
先に諸君らに断っておくが、女を逆さ吊りにしているのはことさらに痛めつけるためではない。こうしないと危険なのだ。人狼は鎖で縛ってもやすやすと引き千切るし、鉄格子や壁などで囲ってもいとも簡単に蹴破ってしまう。拘束するには逆さ吊りにするほか方法がないのだ」
ウキウキした様子で真正のサディストが銀で出来た刃物を持って目隠しをされた女に近づいていった。
「こんばんわ。かわいいワンちゃん。
さあ。一緒に楽しい時間を過ごしましょ」
「ギャア!」
サラ・レアンダーが刃物の背で女の鼻の頭から目隠しの上、さらに頭頂部までなぞると、銀を当てられた女の肌の部分に焼け焦げたような痕がつき、今まで一言もしゃべらなかった女の口から悲鳴が洩れた。
「いいわね。その声。目隠しされているから、余計、怖いんでしょ。ワンちゃん」
今度は女の頬に刃を当てようとするサラに向かってマリアカリアの叱責が飛ぶ。
「もういい。やめろ。サディストめ。誰もおまえにSMショウをしてくれと頼んではいない」
「あら。残念ね。
でも、仰せに従いますわ。マリアカリア大尉殿」
黒い鋼爪が飛び出し全身が毛むくじゃらとなった女の肢体を眺めながらしぶしぶとサラ・レアンダーが後ろに退く。
「……その名でわたしのことを呼ぶのもやめろ。わたしはまだ過去を思い出してはいない」




