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王女、受難1

 王女、受難1


 俗にいう犯罪大通りを丸い黒メガネをかけバイオリンケースを背負った女がひとり、コツコツと前を杖で確かめながら歩いている。


 やがて女は地下酒場の戸口まで到達すると、その歩みを止めた。


「フ。ここは犯罪大通りと呼ばれる場所だ。盲人のふりをしたところで誰も同情はしないし警戒を緩めたりもしないものだぞ。殺し屋」


 女に嘲りの声がかけられた後、酒場の扉がゆるゆると開く。

 中から普段いる酒場の用心棒(ドアマン)に代わりマリアカリアが現れた。


「どなたか存じませんが、悪い御冗談を。

 わたくしは遠い異国から参った目の不自由な、ただのバイオリン弾きでございます。お揶揄いはご遠慮してくださいませ」

「殺し屋というのは依頼者からの情報を鵜呑みにはしない。必ず自分で確かめる。だが、自分のテリトリィ以外でそれするには限界がある。誰かに協力を求めなければならない。

 わたしが想像をめぐらした限り、ここしか思い浮かばなかった。

 そして、網を張っていたらおまえがやって来た。

 さあ。口上はいいから中へ入れ。殺し屋。

 酒場は貸し切りにしているから遠慮することはないぞ。中で大いに話し合おうじゃないか。主に肉体言語でな」


 そう言うと、女を誘うようにマリアカリアが戸口のわきへ退く。


「では、遠慮なく」


 女はマリアカリアの言葉に一切、動揺を見せずに口角の片側をつり上げた。



 女がマリアカリアの横を通り階段を下りた。そして、ダンスもできるホールに立ったが、どちらともまだなにも仕掛けない。


「あら。なぜ始めないのですか?先ほどは勇ましいことをおっしゃられていたのに。

 まさか口だけのお方ということではないのでしょうね」

「さっきおまえ、笑っただろう。その意味を考えていた」


 マリアカリアは日常生活の面においては往々にして感情に任せて突っ走る傾向のある女性である。

 ただし、戦いにおいては極めて慎重になる。意外かもしれないが、その場合、彼女は勝利をもぎ取るため澄んだ頭を異常に働かせて冷静な計算をする。

 その彼女が殺し屋の笑みを見て妙な引っ掛かりを覚えていた。


 女は殺し屋である。標的に待ち伏せされてなぜ笑う?

 殺し屋は腕比べに精を出す武芸者ではない。相手が強かろうが弱かろうが殺しさえすればよい。

 プロが相手を侮って笑うことはないし、相手に対して虚勢を張る必要もない。

 考えられるのは挑発。あるいは何かの隠蔽。

 しかも、罠が仕掛けられているかもしれないのに女は素直に酒場に入った。これもおかしい。


 ……そうか!


 マリアカリアが何かに気づいたとき、状況に変化があった。

 地下酒場には出入り口が二か所ある。もう一つは格子がはめられたカウンターの奥にある。そこで何かが盛大に落ちて派手な音をたてた。

 同時に銃声が続けて響く。


「困りましたわね。一筋縄ではいかないとは思っておりましたが、こうやすやすと躱されてしまっては」


 マリアカリアの横50センチのところには天井から吊り下げられていた古い時代の巨大な燭台が落ちて床にめり込んでいた。音で注意を引いた瞬間、マリアカリア目がけて落としたものだが、その時には既にマリアカリアは右に一歩ずれていた。

 他方、マリアカリアの放った弾丸2発は目に見えない力で捉えられ、女の目の前で宙に浮かんで回転を続けている。


「新大陸でもこういうふうに注意をそらし、その奇妙な手品を使って事故死に見せかけていたというわけか。案外つまらないものだな。

 そして、短期間で52人もの人間を始末できたのも同じような手品が使える仲間が4人、いや5人はいたということか」

「なかなか勘がおよろしいこと。是非、この場で死んで頂かなければなりませんわね」

「わたしをなめるなよ。殺し屋風情が!」


 男装のマリアカリアが腰に吊った細剣をすらりと抜くと同時に、隅に片づけられていた椅子やテーブルが宙に浮かびマリアカリアに襲い掛かってくる。

 

 床を蹴る。躱す。宙で身体をひねる。躱す。両手で着地する。躱す。背面で宙がえりする。躱す……。


「あなたこそサーカスの軽業師みたいですわね。見物は楽しいですけども、そろそろお時間ですので終わりに致しましょう」


 女が手を叩く。

 マリアカリアを襲っていた椅子やテーブルが宙の一点に集まりマリアカリアともども爆散する……。


 否。

 椅子やテーブルは粉々に砕け散ったが、宙にいたマリアカリアがあり得ない軌道を描き、あり得ないスピードで細剣を構えて女に肉薄する。


 目を剥く女に向かって肉眼で捉えきれない小の突き、小の突き、大の突きの連続。

 相手の調子を崩すフェイントの次は得意の大技が放たれた。

 細剣が女の右肩を強打すると、先端がぐにゃりと曲がって女の背中を抉り背骨を破壊する。


 それだけでは終わらない。

 マリアカリアの右膝が女の顎に決まり、後ろに吹っ飛ばす。

 右手で素早く再び大型のシングルアクションの回転式拳銃を構えると、女の顔面に向かって1発、2発、3発。


 最初の突きだけで通常の人間なら即死である。

 しかし、女は起き上がって来たばかりか、マリアカリアに与えられた傷がすでに塞がりつつある。しかも、筋肉が膨張し骨格まで変化を見せ始めている。


「オマエ、ホントウニニンゲンカ?シショウイガイデワタシヲキズツケタモノハイナカッタ」


 女は声帯も変わり口調も変わった声で驚く。


「ふん。こちらとしては化け物に化け物呼ばわりされることこそ心外だな」


 女が通りを歩いていた時から違和感のあったマリアカリアには女の変化について特に驚きはない。

 

「ケイイヲシメシテワタシノスガオヲサラシテヤル。ミルガイイ」


 女は黒い鋼爪のある変化した指で掛けている黒メガネを撥ね飛ばした。

 体と違って顔の変化はあまりない。しかし、目が異様である。白目にあたる部分が青白く透きとおり瞳が黒い。まるでシベリアンハスキーのような目である。


「……」

「……平凡な顔だな。

 でも、それがどうした?わたしはてっきり顔から何か飛び出してくるのかと期待していたのだが」

「……ナンデワタシノミリョウガキカナイノダ?」

「知るか!きっと平凡すぎる顔だからだろうさ。

 そんなことよりも続きをしよう。わたしは手早く済ませたいんだ。おまえの仲間に強襲されているはずのよそが心配になってきたからな。それに、おまえに付き合うのはもう飽きた」


 マリアカリアは相手の返事も待たずに仕掛けていく。


 ハイキック。ハイキック。回し蹴り。裏拳のように反動を利用したハイキックの返し。またハイキック。さらにハイキック……。


 女がその毛むくじゃらな手についた鋼爪で突きを放ってくるが、それらをすべて躱してマリアカリアは目にも止まらぬ怒涛の蹴りを決めていく。


「タフな女だな。これだけ脳を揺らしてやっているのになぜ倒れない。しつこいぞ!犬コロめ」


 タフなはずである。

 マリアカリアが相手にしているのはヴェアヴォルフ、つまり人狼だった。しかも、目で分かるように(通常の狼の目は透きとおった琥珀色で瞳が黒い)かなり特殊な人狼だった。


  *      *       *      *


 同じ頃、マリアカリアと戦っていたのとそっくりな女が公館へ侵入していた。ただし、黒メガネを外している。

 女は出会う人間に片っ端から魅了を掛けながら次々と部屋の扉を開けていく。


 女が探しているのはペーラ・アンナ。

 依頼者は女に最も惨たらしく殺すよう注文を付けていた。


 今朝、留守中の襲撃を慮ってマリアカリアは警戒厳重な公館で守ってもらうべく憲兵少佐にペーラ・アンナを預けたのだが、女にとってそれは何の障害にもなっていない。


 女は次の取手に手をかけて回す。

 だが、誰もいない。また空振り。


「ああ。これでは時間に遅れますね。この公館、広くて部屋が多すぎるというわけでもないのに」


 このたびは女。否、女たちは標的5名の同時殺害を目論んでいた。

 マリアカリアと戦った女が笑みを見せたのも、動物的な勘で逃げるかもしれないマリアカリアをわざと挑発して引き留めて同じ時刻に酒場で確実に殺すためであった。

 にもかかわらず、公館へ来た女はペーラ・アンナを未だに見つけられない。ペーラ・アンナの匂いの痕跡を辿っているのに扉を開けたどの部屋にもペーラ・アンナがいないのだ。

 女は極度にイラついていた。


 この焦燥が女の命取りとなる。

 人狼としての勘がアラームを鳴らしたにもかかわらず、女は次の部屋の扉を開けてしまった。


 そこには青い服を着た色素の薄いブロンドの美女が1人、机の上に座り、足をブラブラさせていた。


「初めまして。オオカミちゃん。

 あなたにはとーっても悪いお知らせがあります。

 ここにはあなたに食べられる赤頭巾ちゃんもおばあさんもいません。そして、代わりにあなたにお仕置きをしちゃう猟師さんだけがいます。

 つまり、あなたはここで死んじゃうわけね。悲しいね。

 では、フェアメヒトニス(遺言)があればどうぞ」

「あなたは誰?ペーラ・アンナさんはどこなの?」

「遺言でなくて最後の言葉でいいわけなのですね。わかりました。

 じゃあ。心残りもなくなったみたいだし、チュース(さようならの意。アウフ・ヴィーダーゼーヘンより軽めの挨拶)」


 圧縮され小さな毛だまりになりながら消えていく人狼に対してセルマが悪戯っぽく付け加える。


「あなたの最後の言葉はお知り合いにきっと伝えてあげるわね。

 もしも覚えていたら、だけれどもね。

 あまりにつまらない言葉だったので、(忘れてしまわない)自信はないけど」


 この時すでに憲兵少佐とペーラ・アンナ(中身は記憶を失った公女クリスティーネ)はセルマによって北のリーフラントへ飛ばされていた。

 セルマがもっと楽しく弄べるようにするためだけに……。


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