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少年 6

  少年6



 扉を抜けてみる。


 すると、そこは楢やブナの小さな森や白樺の林、赤黒く濁った沼、枯れ木の突き出た湿地などがゴチャゴチャと複雑に入り組んだ場所だった。

 空は雲が覆っており、陽の光が弱い。そのうえ霧が出ていて陰気で湿っぽい。気味の悪い鳴き声やらも聞こえてくる。


 小野少年は辺りの景色に顔を歪めた。

 何度も転生・異世界渡りをした彼としてもこんなに陰惨な雰囲気の場所に来たことはなかった。


「嫌な気がする。なにか出るかもしれない。静寂尼様。いったん戻りましょう」

「なりませぬ」


 静寂尼は懐から狐からもらった札を取り出すと、二人の出てきた空間の歪みに貼り付けた。


「な、なにをなされたのですか?」

「封印です。この扉は二度と使えませぬ」

 静寂尼は小野少年に静かに事情を説明しはじめた。


 300年前、妖人リリスと小野左少弁によって驚かされたはずみで狐の口から飛び出た仙丹は、そのコントロールを離れ、彗星のごとく無茶苦茶に飛び回った。

 そして、仙丹は物凄い勢いで異世界との次元の壁に衝突し、壁に穴を開け、破片をまき散らし、飛び去り、そうしてまた幾多の別の異世界との壁にぶち当たっては穴を開けまくって飛び去った。

 仙丹は衝突する毎に砕け撒き散り、後に残されたその欠片はそのまま異世界同士を繋ぐ空間の歪みとなり、異世界へ渡る扉となった。


 今こうして静寂尼が扉を封印したのは、解呪への不退転の決意を示すとともに解呪を成し遂げるうえで必要不可欠なことだからである。


 静寂尼が師家の静月尼から聞かされた、狐が小野左少弁にかけた呪いは極めて巧妙でかつ残酷なものだった。

 表面的には、小野左少弁は美人2人に囲まれキャハハウフフの生活を満喫できそうで、巻き込まれた2人の女性の方だけがよほど辛いようにもみえる。

 しかし、そんなことを狐が許すハズもない。ちゃんと小野左少弁の方が苦しくなるように設定されていた。

 実際、彼女たちが小野左少弁に恋着してもその衝動を直線的に彼にぶつけることができるのであって、少なくとも多少のモヤモヤは発散できるようになっている。

 それに平均的な人間が特定の人物に恋愛感情を抱き続けることのできるであろう3年以内に必ず転生するよう仕組まれているので、彼女たちは衝動が消えた後に訪れるであろう虚しさを知ることもなければ、恋心が消えてから生ずる別れた男に対する執着心が湧くこともない。

 これに対して、小野左少弁は好きでもない女性たちにストーカーらしく始終付き纏われ、全然嬉しくない彼女たちからの衝動を常に受け止め続けなければならない。

 ある意味、それは地獄である。実際、何度も殺されている。

 そればかりか、彼女たちによって常に他の異性からの干渉は阻まれ、彼に孤独を感じさせるようになっていて、彼のこころはまだ見ぬ誰かと心を通わせ愛し合いたいとの渇望に苛まれ続けるよう仕向けられていた。

 しかも、悲惨なことにこの渇望は決して充たされないように設定されているのであって、充たされない渇望ははけ口のないまま彼の心の中に澱として300年もの間溜まり続けている。

 溜まり続けた感情が爆発したとき、どうなるかは誰にも分からない。が、ずいぶんと悲惨な結果となって、狐の「リア充は爆発しろ」の呪いが成就することだけは間違いなかった。


 静寂尼が狐の寺に居着いた事情を初めて聴いたとき、狐を改心させて呪いを撤回させれば済むだけの話しではないかと単純に考えたものだった。

 しかし、師家の静月尼からそのようなものではないと教えられた。

 かけられた呪いはいわば放たれた矢と同じであって、いったんかけてしまった以上、狐が引っ込めようと思っても解けるようなものではない。

 それに、もともとこの地獄は結果を予見できずに無自覚に女誑しをし続けていた小野左少弁の性根に原因があるのであって、狐は単に呪いをかけるというキッカケを提供したにすぎない。小野左少弁がしっかりとした精神の持ち主であったならば、狐がいくら足掻いたところで呪いにはかからなかったはずなのだ。

 それゆえ、小野左少弁自身が原因を自覚しそれを取り除かない限り、彼も二人の女性もこの地獄から抜け出すことができない。


 いままでは美人2人が常にピッタリと寄り添っていたので、小野左少弁には原因を自覚したり取り除いたりするチャンスすら与えられていなかった。

 ところが、仏の慈悲か神の加護かは知らないけれども、今回だけは幸いにして一時的に彼女たちから離れて小野左少弁はさらなる異世界へと渡ってこれた。

 今、静寂尼が仙丹の欠片でできた異世界への扉を封印すれば、かなりの時間を稼ぐことができ、解呪のチャンスをも広げることができるのだ。

 扉をくぐってもとの世界に帰ることは自ら解呪のチャンスを潰すことにほかならない。


「小野殿。こころしてお励みなさい」

 静寂尼はそう厳かに話しを締めくくった。

 自身の性質を指摘され、小野少年の顔が引き攣ったのは言うまでもない。



「しっかし、どうしたものやら。静寂尼様。霧は出てるわ周りに障害物が多いわと、どこへどう進めばよいやら皆目見当すらつきませんよ」

 退路を断たれてやけっぱちになった小野少年は若干静寂尼に八つ当たり気味だ。しかし、いつも無表情な静寂尼が怖くてそんなには強く出られない。小野少年は基本ヘタレでもあるのだ。


「まずは集中してみましょう」

 静寂尼は小野少年に丹田に意識を集中させ深く息を吐く呼吸法を教えた。それができるようになると、吐く息のめぐる順に身体の個所に意識を集中するよう指導した。いわゆる内息の初歩を伝授したものだった。

 伝授が終わると、静寂尼自身も内息を巡らし、息を吐き出す鼻に意識を集中していった。

 すると、どんどん静寂尼の認識できる範囲が広がりだし、かつ鋭敏なものとなっていく。

 最終的には遠く離れたところにある沼に針が落ちても感じられるくらいになった。


「周りに3つ、畜生の群れが。それと人が5人、固まっていますね。人のいるところへ行きましょう」

 静寂尼は見てきたようなことを言い出す。

 小野少年は呆れながらも先導する静寂尼に付いていく。にわかには信じられないが、放置されると大変困ったことになるのでついて行かざるを得ない。



 倒木やら岩やら根っこやらが散らばりデコボコと高低差のある森の中を早歩きで踏破していく静寂尼はハッキリ言って異常である。

 重い荷物はすべて静寂尼に背負ってもらっているものの、小野少年は追いつくことだけでもひと苦労だ。ゼイゼイと肩で息をしながらも必死になってついていく。


「5人が畜生の群れに囲まれて襲われています。助けに走りますよ。小野殿はわたくしにピタリと付いてきなさい。離れてはいけませんよ」

 は、走れない。逝っちゃうよ。逝っちゃう。こ、この尼さん。僕の心臓を爆発させる気か。

 ハーヒー。フーヒー。

 小野少年、心臓バクバク。顔面蒼白。耳鳴りキーン状態である。

 でも、静寂尼が怖いので罵ることもできず、フラフラになりながらもついて行く。


 一方、狼たち。

 馬鹿な人間どもを発見した偵察からの報告を受け、早速殲滅作戦を開始。

 すぐさま一個分隊18匹を展開し半包囲を完成させた。

 あとは仕上げだけ。

 やったね、今日のお昼ご飯はご馳走だね。美味しくイタダキマショウ。

 と、喜んだのもつかぬ間だった。

 軍人(狼)としては絶対言ってはならない言葉だけれど、想定外の出来事。まさか人外が藪の中から飛び出してくるとは。

 半包囲が逆に挟撃にあい、瞬き3回するうちに狼たちは全滅してしまった。



「小野殿。小野殿はわたくしの言うことが聞けないというのですか。道草をして獣に襲われても知りませんよ」

 しばらくしてフラフラになりながらもようやく追いついた小野少年に対して静寂尼は冷たく言い放つ。

「ハヒュー、ヒヒュー。ハアーヒイー、フウーヒュー。ハアヒイ、ゼハー。ゴ、ゴホンゴホン……」

 小野少年、完全に参ったらしく、上体を折り曲げて両手を膝につき顔を真っ赤にして荒い息をしている。まったく喋ることができない。


「小野殿。ここは危険な世界なようですよ。思春期だとはわかりますが、そういう理由で道草をしていらしては命がいくつあっても足りませんよ。今度からは真面目に追いついて来てくださいね」

「……追いつけるか。アンタ、爆走してたじゃん。オリンピックの短距離の選手ですか、アンタは。一般人になに要求しているんですか。ちっとは自分が異常であることを自覚してください。お願いしますよ、まったく。

 それと、あなた様がなに想像したかは口に出しては言えませんけど、そういう理由で道草する人、前の世界どころかどの異世界探してもゼッタイいませんから。ありえませんから」

 静寂尼の言動が余りに理不尽過ぎたのか、ヘタレの小野少年もキレてしまった。

 温厚で卑屈かつ人の顔色を見るのがうまい小野少年が異世界遍歴300年のなかでキレたことは片手の指で数える程しかない。それを知り合って3日目でキレさせたというのであるから大したものである。御仏の教えは偉大なりというべきか。


 小野少年はお狐さまの口調が移ってしまった、キャラ被るじゃんとか、まだ騒いでいる。


「あのう。お取り込み中、大変申し訳ないんですが。この倒れている狼たち、痙攣しているもののまだ生きていますよね。どうします?なんでしたらオレたちがサクッと殺しときますが」

 呆然として立っていた5人のうち、リーダーがようやく我にかえり二人に話しかけてきた。


 生憎、異世界語だったため静寂尼には何を話しかけられているのかがサッパリだった。


 

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