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私の時代が来た!11

 私の時代が来た!11


 ゲンセンカたちは恐怖と疲れのために麻痺した体を鞭打ってようやく王宮の前に立つ。


「……」


 広場には、倒れ伏した赤毛と黄金色の髪を持つふたりの女性以外誰もいない。

 大穴がいくつも空いているばかりか、石畳が全てめくれ上がり地面がデコボコになっている。隅の方には無茶苦茶に壊された大砲が乱雑に積み上げられていた。

 広場の惨状を見てゲンセンカたちは唖然とするほかなかった。


 そこへ薄汚れた尼頭巾に墨衣を纏った一人の尼がふらりと現れた。

 変わった服装をした尼は武器も持たずに、血だらけの2500を超える軍勢を目の当たりにしても怯える素振りさえない。


「もうし。ゲンセンカ殿。お急ぎのところ誠に恐縮ではございますが、少しばかりこの尼の言葉をお聞き下さりませ」

「……」


 ゲンセンカは戸惑う。尼の顔には敵意らしきものは伺われない。穏やかな表情である。敵ではないようにも見えるが、なぜこのタイミングで声をかけてくるのか?


「ご不信の念はごもっともなれど、急ぎ、どうしても伝えたき儀がござりまして」

「故意に進軍を遅らそうというのなら容赦はできない。ここへ来るまでに多くの血を流しすぎた。それを無駄にすることはできないから」

「確かにいまから王宮に入って姉上様を討ち果たせば一応の決着はつくことでございましょう。

 ですが、それで本当にご施主には後悔の念はないのでございましょうか?」

「何が言いたいの?」

「ご施主の姉上様も、セルマ殿も、大司教殿も、小野殿も、その他の方々も、皆さま、ご自分のことだけを考えて随分と恐ろしいことをなさってこられた。方々はそれぞれやりたいようなさった結果でございますから、どのような結末であってもきっと腑に落ちるものがござりましょう。

 しかし、ご施主は違われたはず。恐ろしいことをなさったのは変わりないとしても、もとはご自分のためではなく、他人へ手を差し伸べたつもりだったことでございましょう。 

 そのような尊いお気持ちからみて姉殺しという結末になってもご施主は本当に満足なのでございますか?」

「いまさら言っても是非もないこと」

「いいや。間に合いまする。ご施主にその気がお有りならば」

「姉上を逃がせ、というのか。それはできない」

「いいえ。そうではござりませぬ。ご施主は一度はおん自らの内に仏性をお感じになられました。わたくしは他者を思いやるというそのお優しいお気持ちに今一度立ち返っていただきたいのでございます」

「言われていることがわからない」

「夢を見ていただきたいのです。ご施主にその気がお有りになるならば、わたくしが夢を見させて進ぜましょう。ご施主のお気持ち次第でその夢の方が現実となり、血まみれの現実の方が夢となることも可能でございます」

「夢?」

「はい。仏の道には法力をもって都合よく現実を変えるということはござりませぬ。自己の内側を変えて外の事情についての受け取り方を不安のなきものにするだけのもの。

 わたくしにできまするのは、ご施主に一時の夢をお見せして解脱の助けをすることのみ。すべてはご施主のお優しいお気持ち次第でございまする。いかがでございましょう?」

「……」


 ゲンセンカはしばらく考えた後、尼の申し出を承諾することにした。

 尼が自分を騙そうとしているとは考えられない。騙す必要がないのだ。面倒くさい申し出をして自分の承諾などとらずとも最初から法力や幻術を使えばいい。

 尼がわざわざ承諾を得ようとしたことにゲンセンカは善意を感じた。

 それにゲンセンカは血なまぐさい現実に嫌気がさしていた。覚悟はしていたものの、現実は想像をはるかに超えていて、これ以上耐えられそうにない。最近になってゲンセンカはポランスキーの最初に言っていたことが腑に落ちた。

だから、ゲンセンカは尼の申し出にすがりつく気になったのだ。


「御仏の力は広大無辺。信じて、お優しいお気持ちのまま御仏の慈悲におすがりなされ」


「おいおい。ちょっと待て」

 ポランスキーが慌てて制止の声をかけるが、静寂尼は無視した。


 パンッ。パンッ。

 静寂尼は2度、手を打った。


 それで世界は変わった。


  *       *         *        *


 とある世界、とある大都会の警察署の一室。


 30すぎの女性が低い柵越しに机の上にファイルを広げながら黒パンをナイフで細かく切っている制服の警察官に向かって盛んに話しかけている。

 机の上には飲みかけのビールのグラスも置かれており、サーベルを腰に吊った警察官のヒゲには泡が少しばかりついていた。この国は名産のビールと軍人や官吏がとても威張っていることで有名である。


 身なりから察せられるように女性はいかがわしいことを生業にしており、しかも営業中の盗癖で有名なこともあって、このままだと予審判事の前に立たされて長期の更生施設送りになりかねない。だから、彼女はそうならないように相手の望む情報を提供して目こぼしをもらおうと必死であった。


「旦那。さっきも言ったように、最初にあいつを見つけたのはこのあたしさ。

 あいつはどぶ川に架かる橋の上で川面を見ながらぼうっと立っていた。目がうつろでさ。最初、自殺しようとしているんじゃないかと思った。

 なりはちょっと変わっていたけど、それでも田舎の坊ちゃんの普段着のように見えなくもなかった。

 懐具合は暖かそうに見えたね。なんてたって、上等な長靴を履いていたし、ベルトには銀のバックルを光らせていたし。

 エルンストもそれに気づいてよせばいいのにあいつにいちゃもんをつけ始めたのさ。

 エルンストは素人の女に猫なで声で近づいて食い物にするコンチクショウだったけれど、おとなしそうなカタギには大声張り上げて金を脅し取るコンチクショウでもあったのさ。

 エルンストが近づくと、一瞬であいつの雰囲気が変わりやがった。それは、離れて見ていたこっちの背中まで寒くなるくらい凄まじい変わりようだった。動物園の檻が突然開いて中から猛獣が飛び出てきたんじゃないかと思うくらいにだよ。

 あいつはエルンストの顔を2、3度、平手でひっぱたくと、襟を掴んで「失せろ!」と言いやがった。

 エルンストは手下を2人も連れている強面だったけど、ブルブル震えちゃってさ。虫の好かない野郎だったからスカッとしたけど、それは見ている分だから言えることで、矛先がこちらへ向かわない限りのことさね。

 ところが、都合の悪いことにあたしはあいつと目が合っちゃった。それで、あいつはあたしの方へツカツカと歩いてきちまったのさ。

 震え上がったね、あたしは。色んな悪いやつらを見てきたけど、あの時のあいつほど怖いのは見たことがなかったから。

 あいつはあたしがエルンスト並にブルブルと震え上がっているのをしばらく眺めたあと、どこか近くに食事ができて喉を潤すことのできる場所はないかと訊いてきた。

 それからは怖くて言いなりの諾々さ。

 あたしはエマ婆さんの地下の店へ連れて行った。

 だって仕方がないだろう。あんなおっかないあいつをまともな軽食堂やカッフェに連れていけないし、それにあたしみたいな女はそういう店は出入り禁止だし。(まともな店だと)給仕が出てきてハエみたいに追い払おうとしやがるのさ。ふん。そういうところじゃ、あたしの持っているマルクは通用しないのさ。同じお金だっていうのにさ。あたしが持っているというだけでお金が汚れるとでも言うのかね。くそいまいましいたらありゃしない!

 ねえ、旦那。しゃべりすぎてあたしは喉が渇いたよ。ちょっとでいいからそこのビールを飲ませてくださいよ?だめ?(けちんぼ!)

 まあ、いいさね。店に入ると、あいつはね……」


 女性の長い話の後、係りの警察官は少しばかり考えてファイルに赤鉛筆で「要監視!」と走り書きを加えた。

 女性の言う『あいつ』とは、もちろんマリアカリアのことである。

 マリアカリアの登場によりこの都市の裏社会の勢力図が一変するにもかかわらず、まだ当時の警察はひとりの不良外国人が都会に紛れ込んだぐらいにしか考えていなかった。


   *      *       *       *


「警部さま。確かに手前どもの店での喧嘩が事件の発端には間違いございませんが、先程から申し上げているようにそもそも喧嘩の原因は手前どもの不手際によるものではございません。

 あの空色の洋服のご婦人のせいなのでございます。

 突然、入店なされて、巾着から高額紙幣ばかりの札束をいくつか取り出すと、手前に向かってポンと投げ出され、『この店にある宝飾品すべて買うわ。それで足りるかしら』とおっしゃられたのです。

 こう見えても手前どもの店はこの都市で1,2を争う高級宝飾店ですので、店頭に並べているものだけでもおいそれと買えるものではございません。はじめはなんの冗談かと笑っていたのですが、手代どもにご婦人の札束を数えさせてみると、なんとほとんど流通していない1万マルク紙幣の札束まであるではありませんか。取り敢えず取引先の銀行から行員を呼んで偽札の鑑定もさせてみましたが、全部本物でして、札束の総額が1120万マルク(邦貨で約100億円)もありました。

 確かにこれだけあれば店内の商品をみなお買い上げになることができます。

 話がこれだけなら店に大のお得意様が新規にできたと喜べるものだったのですが……。

 ご婦人は手前どもが商品を包むのも送り届けるのもお断りになって、店のドアを開けさせたうえ、外でショーウインドウを眺めていた方々に向かってこうおっしゃったのです。

『宝石がお好きでいらっしゃるの?でしたら、好きなものをお取りになって。さあ、遠慮なさらずに。この店の商品はすべてわたくしが買取りましたから、差し上げますわ』

 皆さま、はじめはなんの冗談かと笑っておられましたが、あるご両親に連れられた小さなお嬢様が指差してねだったペンダントが本当に差し出されたのを見てからは……、方々の目が真剣になりまして。次に、ある若いご婦人が遠慮がちに以前から熱心に眺められておられたダイヤの首飾りを所望なさると、これも手渡されて。

 それからはもう大騒ぎになりまして、通行人が店の中へ我先になだれ込んで店の商品を奪い合うやら、殴り合うやら。挙句にショーウインドウを壊して奪い取っていく輩まで出る始末でして。

 さらに騒ぎを聞きつけた野次馬たちまで加わりましてひっちゃかめっちゃか。

 そこへ『すわ。アナーキストの騒乱か!』と憲兵さんたちまでやってきて鎮圧に乗り出し、警棒で殴られた野次馬のひとりが腹いせに投石したおかげで野次馬と憲兵さんたちとが本気で殴り合って、本当の騒乱状態になってしまったのですよ。

 おかげで店の中は滅茶苦茶です。先代からいただいた柱時計までキズモノにされてしまいました。

 まあ、店が荒らされた損害につきましては代金の1120万マルクでおつりが出るくらいですから文句はございませんが、勝手に殴り合いをした人たちへの賠償や市に迷惑をかけたとの店への言いがかりについては御免被りたいと願っているわけでして。はい。

 つまり、騒動の原因はすべてあの空色の服のご婦人であって、手前どもではないのです。

 そこのところをどうかよしなにご配慮願います。

 それはそうと、警部さまの奥様も確かあの事件の折、店内におられたと覚えておりますが、奥様がもし熱心に眺めておられたアメジストの指輪をお持ち帰りになられていらっしゃいましたら、専用の小箱を差し上げたい旨お伝え願えないでしょうか。店が特注で作らした綺麗な小箱でして、せっかくの指輪も。

(警部が咳払いをして、早口で質問をする)

 えっ?ご婦人の様子ですか?

 そうですね。髪は薄い色の金髪です。目は灰色に近い青でしたね。少し釣り目でしたが、眉が緩やかな曲線を描いていて少しばかり目と離れているため目が大きく見えて、逆に穏やかな印象を与える容貌でした。

 それと、今時珍しく髪を真ん中から分けて、縦に大きく巻いた房をいくつも後ろから垂らしておいでになられましたね。かなり時代遅れというか、古風というか、もしかしたら田舎のお嬢様だったのかもしれません。

 でも、趣味は相当に良かったですね。襟に細かなダイヤモンドで囲った小さな飾り時計を付けておいでになられましたから。商売柄わかるのですが、あの手の婦人用の高級時計は高級店で作られる一点ものしかなく、しかも全部、職人を指定したオートクチュールの品でございまして、よほどの方でないと用いられるものではございませんので」


 柵越しに宝飾店の店主から事情聴取がようやく終わって、警部はため息をつく。小使いの少年が贔屓の店からザッハトルテに似た菓子を持ってきたのを目にしてお茶の時間にすることにした。

 件の青い服の婦人は有名菓子職人の店でも同じ騒ぎを起こしており、警部にとり謎の青い服の婦人に関するファイル作りはこれで7件目であった。


「何者なんだ、一体。(ファイルの書き込みを)要注意から厳重注意に書き換えなければ」

 コーヒーを一口含んだ警部は赤鉛筆の書き込みをした。


 青い服のご婦人とは、セルマのことである。セルマは他人の欲望をそのまま叶える精霊である。アフターケアは一切しないので、大抵が望んだ本人にとっても周りの人間にとっても好ましくない事態を引き起こしてしまう。

 彼女はそれを見て密かに楽しむ嫌な精霊でもあった。







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