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私の時代が来た!9

 私の時代が来た!9


 この時点で、老将軍が使える兵力は、辛うじて将棋倒しに巻き込まれなかった第二大隊の120騎ほどと坂の上の生き残り約400名のみであった。一方、ゲンセンカ側も先行した集団が1000人あまり討ち取られて大打撃を受けており、解放軍全体で小銃を握っているのは僅かに500足らず。解放軍の残り3000の兵士たちはゲンセンカの叱咤のおかげで辛うじて逃げ出さずに踏みとどまっている状態であった。


 月明かりに照らされ、坂を登っていく馬上のゲンセンカの姿が白く浮き上がる。

 まだまだ敵がいるというのにゲンセンカは不退転の決意で馬を進めていく。しかし、石畳には人や馬の死体が乱雑に積み重なっている。突然、馬が何かに足を取られたらしくゲンセンカ諸共、ドッと倒れる。


 この隙を老将軍は見逃さない。

「第二大隊は下馬して突撃せよ。敵との間を開けるな。肉弾戦に持ち込むのじゃ。

 後ろにいる生き残りはわしとともに坂を下って突入しろ!

 ゲンセンカさえ討ち取ればわしらの勝利じゃ!うらああー!」

 老将軍たちは起き上がって将棋倒しで足の踏み場もない坂道へ蹴躓きながらも突入する。


「気圧されるな!逃げるな!

 銃剣を持った者はゲンセンカの周りに方陣を敷いて絶対に守り切れ!

 手榴弾を前方に投げつけろ!」

 旗を掲げたポランスキーが叫びながら倒れたゲンセンカのもとへ駆け寄ろうとする。


 怒号。発砲音。

 暗闇の中、銃口の火が一瞬だけ光る。

 手榴弾の破裂音。


 それら一瞬の光を頼りに、血まみれとなった両者が銃剣や槍の刺突の応酬を繰り返す。



「皆殺しじゃ!容赦するな。向妹!」

 林青蛾と向漣漣はついに剣を抜いて屋根から飛び降り、老将軍たちへ襲いかかる。


 林青蛾は複数の敵を相手取り、得意の体術で煙のように翻弄しながらすべてをなで斬りにしていく。一方、向漣漣は相手にその影のようにして付きまとい、死角からの必殺の一撃で確実に屠っていく。


 結局、彼女たちの働きでシュトラッペン将軍の生き残りの部下たちは分断され、大多数が林青蛾とゲンセンカを守る方陣との間に挟まれ消滅してしまった。

 自身の細剣に多くの敵兵の血を吸わせた向漣漣は老将軍の姿を求めて坂の上の方を目指す。



 坂を少しばかり降りたところで、シュトラッペン将軍は銃弾で穿たれた腹の傷穴を庇いながら民家の壁にもたれかかり、痛みに顔を歪めていた。右手に持つサーベルは力無くダラリと垂れている。

 そばには年若い副官の少尉がひとり、心配そうに控えている。


「ついてないな。腹を撃たれて結局、敵にひと太刀も入れられなかったか。

 残念だが、これも運命。仕方があるまい。

 わしのことは放っておいてよい。君は馬を見つけて王宮へ報告に行きたまえ」

 老将軍が話しかけると、副官の少尉は泣きそうな顔になる。

「なにを迷う?女王陛下に対する報告も重要な仕事じゃぞ。少なくとも老耄の死を見届けるよりもずっと大事なことじゃ。

 それと、ついででよいが、内ポケットに入っている財布をアンナに届けやって欲しい。わしの指輪と印形が入っておる。無いとアンナが困るのでな。

 最後までアンナには迷惑のかけ通しじゃった……。

 少尉。短い間じゃったが、わしは君の友情に感謝しておる。もう、行け!」


 財布を受け取った副官の少尉は泣くのをこらえて後を振り返らずに走り出した。


 しばらくして老将軍の前に向漣漣が姿を現す。

「ふん。待っていてくれたのか。なかなか礼儀ただしいことじゃな。

 (すまぬ。最後まで憎まれ口をきいてしまった。感謝しておる)

 では、やるか。

 わしはディナリス王国王都守備隊旅団長、少将ハンス・デ・シュトラッペン」

「玉女神剣 第37代門主 向漣漣。参る!」


 よろめきながら対峙した老将軍は左手で腹を押さえながら半身になり、右手のサーベルを向漣漣の方へ向けた。

 一瞬の間が空き、それからふたりは交差した。


「爺ちゃん。ごめん」

 向漣漣は小さく呟く。

 倒れた老将軍の胸には深く心臓を突き刺しえぐった痕があった。



 一方、ペールシュトラス墓地の上ではロル少佐たちが坂の上の戦闘をじっと見守っていた。


「いかん。このままでは突破されて、(解放軍に)王宮前まで来られてしまう。

 やむを得まい。誤爆承知で坂を砲撃しろ。

 距離870メートル。

 大砲を旋回させて照準を合わせろ」


 ロル少佐の命令に従い部下たちがラチェット四斤砲を操作しているところへ墓場には似つかわしくない鈴を転がしたような可憐な声が響く。


「おやめなさい。何もいいことは起こりませんわ。やめなければ、わたくしがあなた方をことごとく討ち果たさなければならなくなりますから」


 ロル少佐たちが辺りを見回すと、長い布切れをヒラヒラさせている白い服の美女が立っていた。横に10歳くらいの男の子を連れている。


「ふん。世迷言を言いよるわ。

 貴様。この墓地の幽霊にでも化けてわれらを脅しているつもりか!

 (部下に向かって)おい。構うことはない。坂を砲撃しろ!」


 しゅるるるる。

 白い服の美女が異様な速さで駆け巡りながら、白練りの絹をカメレオンの舌のように伸ばしたり巻き取ったりを繰り返す。


 兵士たちが大砲に点火しようと差し出した導火棹がすべて折れ砕かれて吹き飛んだ。台座にある車軸が折られて数門の大砲が変な方向に傾く。


「もう一度、申しますわ。大砲からお離れなさい。そうすれば見逃します」

「やかましい!」

 ロル少佐が篝火の中の火のついた板切れをサーベルで刺し、直接、大砲に点火しようとする。


「……仕方ありません」


 魯雪華が絹を一閃。さらにもう一閃。


 ベチャッ


 ロル少佐。ロル少佐に倣って篝火から火のついた板を取り出そうとした将校2名。それと組んでいる小銃に手を伸ばそうとした下士官1名が四散した。

 地面で水を入れた風船が破裂したように血と肉片がばらまかれる。


「どうしますか?あなた方は」

 魯雪華が相変わらず可憐な声で残りの30余名の兵士たちに尋ねる。

 ギョッとした兵士たちは魯雪華の醸し出す雰囲気に完全に呑まれてしまった。

 ひとりが踵を返して逃げ出すと、2人、5人、10人と後に続いて逃げ出した。


 兵士のうち残ったのはロル少佐付きの従卒ひとり。初老の男だけであった。


「あなたもお逃げなさい。追いかけたりはしませんよ」

「……」

 初老の男は銃剣(小銃に装着されていない)を構える。


「魯雪華ちゃん。そいつはエルフのスパイだったらしい。いまさら行き場がないんだろう。相手してやれよ」

 10歳の少年がはじめて口を開く。


「そういうことですか。教えてくれてありがとう。コマ君。

(初老の男に向かって)それでは、お相手しなければなりませんわね。

 名乗らせていただきましょう。

 わたくしはしがない江湖のヤクザもの。名を魯雪華と申します」

「もと間諜347号」

 初老の男は短く答える。


 ブウゥッオン。

 何かが駆け抜けていき、もとエルフのスパイの体が真っ二つになった……。




 馬が倒れたとき、左足を挟まれそうになったゲンセンカであったが、なんとか抜け出すことに成功した。

 そのあとは、周りで方陣を組み出した兵士たちに混じって敵兵に向かい必死に剣を振るった。


 突撃してきた敵兵が無言で槍を突き出す。それを腹に受け、くぐもった声を出しながら後ずさる解放軍の兵士。ゲンセンカの右斜め前にいた兵士だ。彼が倒れるのを見届けていない。

 柄付手榴弾が宙を舞う。直後に起こった爆風が顔を叩く。

 そこ、ここで起こる小銃の発砲。血と煤で真っ黒になった誰もの顔が閃光に一瞬、照らし出される。倒れる敵兵と目が合う。


 光。暗闇。光。暗闇。血と硝煙の匂い。


 ゲンセンカは夢の世界にいる気がした。記憶がどれも断続的にしかない。すべてがあやふやだ。


 突然、誰かに肩を叩かれ、我に返る。

 意識が鮮明になり、すぐ後ろからポランスキーに大声で話しかけられているのが分かる。


「大丈夫か?しっかりしろ。

 怪我は?(ポランスキーがゲンセンカの身体をざっと確かめる)怪我はしてないようだな。どこか痛むか?あ?ちゃんと言葉にして返事しろ」

「大丈夫。どこも痛くない。わたしは大丈夫」

 ゲンセンカも怒ったように大声でやり返す。

「それだけでかい声が出せたら大丈夫だ。

 坂の上に敵兵はもういない。王宮は目の前だ。

 ここで気を抜くなよ。旗を立てるんだろ。空元気でもいいから出せ!」

「わかっているわよ!手をどけて。前へ進むの。わたしが先頭に立たなくては」


 過酷な体験をしたのに気丈に振舞わなければならないゲンセンカを見て、ポランスキーはその血でベトベトになり煤で真っ黒になった顔を無性に拭いてやりたくなった。

 だが、出た言葉は。

「おい。聞け。小銃を持っていない兵士は今すぐ落ちている小銃を拾え。血がつていようがどうしようが構わない。弾薬盒も忘れるな!」

 兵士たちへの注意だった……。

 解放軍はさらに300名もの数を減らしていた。



 このように王宮前の坂では両軍の激しい死闘が行われて、しばしば両軍の砲弾が飛来して家々が破壊され死者も大勢出ていたが、付近の住民たちは我先に避難し出すといったパニックを起こさず、異様に静まり返えり沈黙を保っていた。

 坂の両側の民家からは時折、扉を少しだけ開けて角灯を片手に覗き見する連中もいるにはいたが、照らし出された悲惨な光景に驚いてすぐに扉を閉めて厳重に錠を下ろした。

 付近の住民たちも家の外で恐ろしいことが起こっていると承知していたが、家から逃げ出して避難しようにも、外は真っ暗であり、どこへ避難していいのかもわからないのだ。彼らは血に飢えた兵士の侵入や砲撃に遭わないよう祈りながら、ただただ家族で肩を寄せ合って家の中で震えるしかなかった。


 そんな不安におびえている家々の屋根を飛び越えながらゲンセンカたちに追走する形で王宮を目指す存在がいた……。



 


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