少年 5
少年5
翌朝早朝、静寂尼は2本の太刀をゴザで巻いてくくりつけた箱笈を背負い、小野少年を伴って八田荘を後にした。
見送りは苑と長寿丸のみ。
静寂尼は笠に黒墨染の衣、白脚絆とわらじで身をかためた。手には錫杖の代わりに仕込み杖を持つ。小野少年は同じく笠に浅葱色の肩衣、本人は嫌がったものの京反りの打刀を腰に差している。
静寂尼は旅の資金として銀5貫(約3200万円相当)を自ら背負い、小野少年には銀2貫(約1280万円相当)を持たせている。
二人の行き先は、まず八田荘から街道を10キロほど北上したところにある三国湊である。
この町は有数の海外貿易港であり、町衆による自治都市でもある。
東西約2キロ、南北約1キロの小さな町。全国の富の約3割りを独占しており、その金の力は大名といえども無視出来ない。
周囲に堀をめぐらし鉄砲櫓をくみ、旅武士・悪党どもを雇い入れ、外からの干渉を拒否する。
町中での争いは当然御法度。敵同士でも町ではにこやかに交際するしかない。商売の町だけあって盗みもスりも物乞いすら禁止。禁を破った者は簀巻きにされ深夜の海に沈むことになる。
南口から入った二人は中央を走る大小路を西に折れ、鍛治屋町、薬種町、油屋町を横目で見ながら港へ向かう。
途中の港近くの船問屋で淀まで上がる三十石船の桝席を買い、割符を貰う。
ここで静寂尼は小野少年から銀2貫を返してもらい、代わりにさし銭1貫文(約8万円相当)を渡す。
「京師は荒れ果てて、これから先では旅に入用な品は手にはいりませぬ。長旅となります。必要な品をお買いなさい」
静寂尼は小野少年と別れて、懇意の土倉へ向かう。土倉とは現代のサラ金と質屋と総合商社を合わせたような商売である。
立派な店構えの入口を潜ると、そこは長土間であり、その左手横の板敷では手代たちが大勢の客に対応している。
静寂尼が板敷に顔を向けると、奥から若い手代を制止して中年の目尻に刀傷のある男が出てきた。
「これは静寂尼様。ようお越しでおます。して、どのようなご用らっか」
「良き打刀を求めとうございます。それと、さし銭を銀に両替をお願いいたします」
「それはええ時にお越しで。隣国でひと戦終わったばかりでして、質流れの品やら落ち武者狩りの品がドっと入って来よりましてな。値が下がってま。負け戦で落ちていかれた方々には気の毒さんでっしゃろけど。えーっと、こちらへご案内」
男は若い手代に静寂尼のさし銭を銀に両替しておくように命じて、鍵を持って蔵へと案内する。
蔵には紙縒りのついた打刀に太刀がズラリと並び、その紙縒りには質入れ主と金額が書かれており朱入れがしてあった。朱入れは質流れの証しである。
「達人は物を選ばずと言いまっさかい、流行りの備の国とか火の国の品とかどないでっか。それとも有名どころの多い山の国の品にしまっか。最近の大名小名さん達は相の国の品をえらいお気に入りだそうでっけど。どておます?」
静寂尼は一本一本丁寧に鞘から抜いて刀身を調べていく。
山の国の品に気を惹かれたが、高価過ぎて静寂尼の手に余る。結局、大のたれの美しい相の国の品を購うことになった。
価は銀1貫20匁(約770万円相当)。
次いで、男は静寂尼にとある打刀の鑑定を依頼した。
「似せた作でしょう。ただ作刀はよろしいです。本阿弥に見せるべきでしたね」
「アッチャー。大損ですがな」
男は自分の手で額を叩いた。本阿弥の鑑定料は高い。ケチった男は本物の写しを掴まされたのだ。ただ男も海千山千である以上、怪しげな品は随分と叩いているはずなので言うほど損はしていない。
男は飽きもせず一本の打刀を取り出してくる。
「これは洒落の一品だす。抜いたら血を見ないとすまない妖刀だそうでっせ」
静寂尼は躊躇なく抜いてみせる。
「刀身が曲がってます」
曲がってるから抜くと鞘に戻しづらい。でも、抜き身のまま持って出歩くこともできない。そんなことをしたら血の気の多い侍と喧嘩になってしまう。喧嘩するとどちらかの血を見ることになる。それでつけられたあだ名らしい。
「どうでっか。洒落たお土産としてタダで差し上げまっせ」
静寂尼も負けてはいなかった。
清凉寺は刀傷の霊薬で有名な寺であり、その霊薬はなかなか入手できるものではない。静寂尼はそれを二瓶取り出した。
護送する役目の多い男は土民や野伏の襲撃にあえば自ら槍をとって商品を守ることになるので、霊薬が口から手が出るほど欲しい。
そこを突いて静寂尼は高く売りつけた。
「うわー。後生ですから堪忍したってください。商売あがったりや」
結局、先の鑑定料こみで銀3貫20匁に決まり、静寂尼の資金は銀10貫以上に増えた。
その後は何ということもなく、静寂尼は南蛮人や大食人らでごった返す港付近をすり抜けて小野少年と落合い、三十石船に乗り込み、淀まで河を遡る。淀からは川舟に乗り換え、巨の池を経由してさらに川をさかのぼって洛中に至る。
京師はすっかり寂れていて、因縁をつけてくる京童の姿すらない。
さらに洛中を通り抜けて北へと進み、山脈にぶち当たったところを東へと山道を辿っていくと、霊山不乾山に着く。
途中、何箇所かの難所もあるが、そこで野伏・山賎の類が何十人襲ってこようと静寂尼がいる限り小野少年に傷のつく心配は無い。
実際、二人は清凉寺に無事着いた。
旅慣れていない小野少年の疲れを癒すため、その日は静寂尼が師家である静月尼に挨拶したほかは何もせず就寝することとなった。
さて、翌日。
関係各所に挨拶回りを済ませて、昼前ようやく静寂尼と小野少年は静聴尼と狐のところまでやってきた。
見ると、一人と一匹は日当たりのよい縁側で気持ちよく眠っている。
耳の遠い静聴尼に普通の挨拶をしても聞こえないと判断した静寂尼は剣気を少しばかり飛ばしてみる。
と、齢80の老尼が座った体勢からいきなり愛刀を鞘走らせながら文字通り飛び跳ねて切りかかってくる。
横薙ぎ。袈裟懸け。切上げ。逆袈裟懸けと見せかけての篭手打ち。面打ち。
白い光が乱れ飛ぶ。一刹那の攻防。
互いに裂帛の気合のもと、渾身の一撃を加え合う。相掛けか。
静寂尼の頭頂一寸のところには静聴尼の愛刀の刃あり。静聴尼の喉元一毫のところには静寂尼の刀の切先あり。
「善哉善哉」
両者は静かに刀を納める。合掌し礼をし合う。
「光芒一閃。汝、頓悟成し得たるや」
静寂尼は首をゆっくり横にふる。
「そうか。焦るべからず。焦れば執着を産み、執着は目を曇らせる。焦らずたゆまずが一番の近道也。のう、静月よ」
「……静寂です」
気が済んだととばかり、老尼はまた舟を漕ぎ出した。
小野少年は顔を引き攣らせているが、ここ清凉寺では日常茶飯事のことである。
一方、狐は丸まってスースー寝息を立てている。九尾も皆だらしなく床に広がっている。今の白刃のやり取りも狐にとっては目を覚ますほどのものでもないらしい。
しかし、これについては対策がある。
静寂尼、無表情のまま声をあげる。
「アレ。あんなところに仙丹が」
「へっ。ドコドコ」
狐は飛び起きて辺りを見回す。
「なんでえ。嘘ばっか。寝よ寝よ。一休み一休み。慌てなーい慌てない」
「寝ていただいては困ります。起きてやるべきことをしてください」
狐は前足に顎をのせた状態で片目だけあけて言う。
「なんだい、静寂か。名前通り静かにしてくれや。オレ、大変大変疲れているの。寝ないと体調崩すの。一日20時間ほど睡眠とる必要があるの」
「それは寝疲れているだけでしょう。過度な睡眠はかえって身体に負担となります。いい機会です。前々から思っていたことを今日こそハッキリクッキリ言わせてもらいます」
「おお、どうしたい。無口な静寂ちゃんがいきんじゃって。やっぱあれ。人外とはいえ、性差には勝てないってヤツかな。相談ごとがあるならオレじゃなくて、そこのオネエサマに相談してくれや。オレ狐だし。わかんないし」
「わたくしは別段変わりません。それより、そんなに暇なら座禅してください。座禅して悟って解脱して、とっとと寺から出てってください。それができないなら托鉢でも田畑の手入れでも掃除でもなんでもやって働いて下さい。遠い異国ならいざ知らず、ここ本朝では僧も尼僧も労働を禁じられておりませんよ」
「オレ托鉢できないよ。したら檀家がビックリするぜ。田畑の手入れも何もこの手足でどうやれと?それにオレ、坊主じゃないし。オレ狐。キ・ツ・ネだよ、そこのところよろしく」
「でしたら座禅してください。悟ってください。そして引き篭らないで外へ出てってください」
基本引きこもりの狐は大あくびをして面倒くさそうに前足で耳のうしろを掻く。
「あのね。こうやってウツラウツラと舟漕いでると、オレが舟漕いでるのか、それとも漕いでる舟がオレなのか訳わかんなくなっちゃって寝ちゃうのよ。コレってつまり世界とこん然一体となって空の状態になるわけだから、オレ、寝ながら悟りの境地に至っているわけ。間違っても悪いキノコ食べたせいじゃないからね。オレ、天才だから座禅しなくても悟り開けちゃうのよ。だからもう少し寝かしといてくれ」
「それは野狐禅というもの。自分さえ悟れば、いいえ、昼寝できればいいなんて自分に執着して目が曇っている証拠です。喝っ!我執を捨てずして何が悟りですか。衆生救済の利他の心を持ちなさい。すべての人や外道に同情を抱きましょう。そうすることで次のステップに到達できるのです。さあ、起きて座禅しなさい。ザ・ゼ・ン」
「それを言うならオレにも同情してくれよ。仙狐にもなれず、この寺に閉じ込められて300年。オレ、それほど悪い子だったっけ?先は長いんだからもうちょっとくらい寝ててもいいじゃん、あと5年くらい。それとあと、オレ野狐でなくて天狐だからよろしく」
狐はそう言うと、また目をつぶった。
「狐殿は相当迷っておられるようですね。そういう狐殿に公題をお出ししましょう」
と言うがいなや、静寂尼は仕込み杖からスラリと白刃を抜いた。
「什麼生。存在を認められない狐を斬っても殺生とはこれ如何に?」
「説破。われ思う、故に我あり。第一、切られりゃオレが痛い。殺生になるのは決まっているだろうが。オレ、電光影裏春風を斬るなんてゼッテエ言わないから。命惜しいから。生きているから。動物虐待反対。やめて頂戴」
狐はおもわず目を見開いて突きつけられた刀の切先を右足でスススっと横へずらす。静寂尼はまた切先を突きつける。狐は横へずらす。これの繰り返し。
狐は獣の癖に重度の先端恐怖症であった。
「言っとくけど、オレ狐だから。足短いから。座禅できないよ」
「じゃあいいです。その代わり、この少年の解呪のため仙丹の欠片の最初の道を示してください」
「心頭滅却すれば後ろ足の関節外して座禅は……。って、もう突っ込み終わりかよ。先程までの刀振り回しまでのあれは一体何?何だったの?まあいいけど。大変心残りだけども、いいことにするわ」
不承不承という体で狐は術を行使して言った。
「ああ、そこの歪んだところが扉だから。オレ神様でもなんでもないから、異世界渡る人にチートつけられないから。トラックも持ってないし。そこのところよろしく」
小野少年の異世界渡りが再び決定する。今度は人間最強の剣客連れ。はてさてどうなることか誰も予測できない。




