私の時代が来た!5
私の時代が来た!5
羊の腸のようにうねる、埃っぽい山道を途轍もなく長い荷車の行列がだらだらと進んでいく。
荷車を引くラバやロバのうるさい喘ぎ声。照りつける太陽。風がなぜだかそよとも吹かない。
しかし、埃まみれ汗まみれになった輜重兵や人夫たちは乾いた喉を潤すため片手で水筒を握っても目だけは神経質そうに動かしてあたりを警戒している。
そう。彼らは知っていた。秋も半ばになり、夏から秋の入り口まで牧草の刈り取りや麦の収穫に追われていた農民たちがゲンセンカの解放軍に戻ってきてその活動を再び活発化させ始めたことを。
彼らの悪い予感が当たる。
先頭を行く護衛の騎兵隊が峠に到達した瞬間、突如、地中から轟音と噴煙が吹き上がり辺り一帯の兵士と馬をなぎ倒した。
地雷が爆ぜるのを合図に、崖上、乾いた岩の陰、地面に掘られた蛸壺などから農民たちが一斉に姿を現し荷車の隊列に向かって小銃を撃ちかける。
悲鳴。怒号。
銃弾が額に当たり頭半分がなくなって仰け反り倒れる兵士。恐怖に駆られわけのわからないわめき声を上げながらかえって銃弾の雨の中へ飛び込んでしまった兵士。荷馬車の下に潜り込み震えながらお祈りの文句をつぶやく人夫。
傷を負ったラバが暴走して道を外れ、荷車ごと転落していく。
血と硝煙の中の、死の舞踏。一方的な虐殺が始まった。
……。
やがて銃声が止む。
死体や血にまみれた荷車の間から生き残った兵士たちや人夫が武器を捨てて手を挙げはじめると、「勝ったぞ!」と歓声を上げながら農民たちが山道の荷車に殺到する。
金のない解放軍では武器、弾薬、食料のいずれもが十分とは言えない。補うためにはエンセンカ側から奪い取るしかないのだ。
* * * *
輸送部隊に対する襲撃が時折起こるとはいえ、戦況は今のところエンセンカ側に有利に動いていた。
エンセンカは力づくで奪い返した街や城塞都市に新たに防御陣地を築き、また幹線道路に監視所を建てるなどしていわゆる点と線の確保に努めていた。
エンセンカは妹の解放軍の強さもその弱点も熟知している。解放軍は士気や組織力は高いが、エンセンカの軍に比べて圧倒的に近代兵器による武装化が進んでおらず殊に大砲の数が足りていない。解放軍も強力な迫撃砲を200ほど所持しているが、迫撃砲には貫徹力がないという重大な欠点があった。つまり、厚い石造りの掩蔽壕にはほとんど無力であり、迫撃砲では制圧砲撃は出来ても攻城戦そのものには何の役にも立たないのである。
そこで、エンセンカは重要拠点に近代的な防御を施して解放軍に絶対に攻め落とされないようにし、それでも攻めてきた解放軍に対してはよそから強力な正規軍を機動的に動かして背後から痛打を浴びせるという戦術を採用した。
このエンセンカの戦術は非常に効果的であり、解放軍は攻めれば攻めるほど死傷者を出して兵力を削り取られていき、逆にエンセンカ側は兵力を温存でき士気も高まった。
結局、解放軍は攻めあぐね、幹線道路を時折通る輸送部隊に対してゲリラ戦を仕掛けるほか打つ手がなくなり、戦線は全般的に膠着状態に陥っている。
しかも、エンセンカは待っている。
山国ディナリスでは耕地面積が少なく、足りない食料を他国から購っている。解放軍側の農民たちが秋の収穫を十分行い得たとしてもそれだけでは長期戦をするには到底足りない。エンセンカは既に重要拠点に十分な物資を備蓄していた。あとは解放軍がやせ細るのを待てばいい。さらに、冬が近づいている。冬は雪と冷たい風のせいで山道は閉ざされ、エンセンカの軍も解放軍も動けなくなる。そして、何よりも重大なのは、ある日を境に虫たちの襲撃が完全に停止し、この世界から巨大昆虫の姿が消え失せたことである。
「春になれば同盟関係にあるムンケ公が大軍を率いてこちらへと向かってくる。そうなれば、ゲンセンカたちはハエ叩きで潰されるように死ぬしかなくなる……。
たとえムンケ公がわたくしを裏切ったとしても、(ムンケ公の敵に回る)妹が死ぬ運命にあることだけは変わりがないわ。本当に楽しみね」
王都でエンセンカは暗い笑みを浮かべながらカタストロフィーのはじまりを待っていた……。
* * * *
「……なぜ、そんなに妹を憎むんだ?」
この日で4回目の謁見を許されたことになる異世界人のもと野球選手が苦々しい気持ちから思わず問うてしまった。
エンセンカが妹との和解をすればこの世界から戦火が消えるというのに、彼女は頑なにそれをしようとしないのだ。
問いかけに対してエンセンカは口を歪める。
「あなたには関係ないこと」
にべもない。
だが、すぐに思い返したらしく悪い笑みを浮かべて付け加えた。
「でも、そうね。死ぬ覚悟がおありになるならお話して差し上げてもよくってよ。
他の皆さんはどうかしら?わたくしが外に漏れることを嫌って聞いた方々を殺すかもしれないけど、それでも聞きたいというのであれば喜んでお話致しますわ。どう?」
敏いゴジム伯爵は一礼してさっと扉の外へ出てしまったが、ルメイともと野球選手はなんの行動も取れずに後に残ってしまった。
エンセンカはそんなふたりを軽蔑した眼差しで見つつクツクツと笑い出す。
「相変わらず鈍臭いこと。では、おふたりに覚悟がお有りになると判断してお話しましょうか。
……わたくしはね。6歳になるまで普通の子供だったの。妹に対して特別な感情を抱いたこともなかったわ。
ところが、(6歳の)誕生日の翌日、突然、自分が転生者であることに気づいたの。それも、300年ほど、何回も何回も転生してきた記憶が一気に全て蘇ってきたのよ。
非常に怖かったわ……。どれもこれも辛い記憶ばかり。6歳の女の子には酷な記憶ばかりだった。わたくしはパニックに陥り寝込んでしまった。
その記憶というのはね。生きては死に生きては死にの繰り返し。どの転生にも必ずある男の子と今、わたくしの妹をしている女とが絡むの。しかも、妹をしている女とはその男の子を巡って恋敵の関係にあるのよ。
男の子にかけられた呪いのせいでわたくしはいつも妹をしている女とはいがみ合うことになるの。わたくしたちふたりはお互いが憎くて憎くてしようがない。
ハッ。前々回の転生ではわたくしは彼女にいじめられっぱなしだったわ。都立高校のトイレで殴られてハサミで髪の毛を切られそうになったこともあった……。
しかも、癪なことにわたくしたちがこんなにも辛い暗闘をしているというのに、結局、男の子は決してどちらにも傾かない。わたくしたちふたりの努力に関係なく、ただフラフラとふたりの間を行ったり来たりして終わってしまうの。
……男の子がどちらかと恋愛を成就しさえすれば呪いの解けることの予想はついているの。でも、絶対に男の子は恋愛を成就させることができない。そういう呪いなのよ」
あまりの話のおぞましさに聞いているふたりがゴクリと唾を飲み込む。
「それからね。いつもだいたい17歳の頃にあることを思いついてしまうの。
もしかしたら男の子が死にさえすればわたくしたちふたりは呪いから解放されて2度と転生しないで済むのではないのかと」
エンセンカが同情を求めるかのように悲しい顔をする。
「苦しいのよ。無意味に憎しみ合い、それが永々と続くのかと思うと。
だから、いつもその誘惑に負けてわたくしはあの女が男の子を殺すよう謀をめぐらし、結局、男の子を死なしてしまうの。男の子が死んだ時点でまた次の転生が始まるとも知らないで……」
エンセンカは働き詰めの老人のようなとても疲れた表情を見せた。
「今回の転生はとても不思議なの。
いつもは自分が転生者であることに気づくのが15歳頃。なのに6歳で全てに気づいてしまった。しかも、最初から男の子を殺しても何の解決にもならないことまで知っていた。
これは転機になる!わたくしはそう確信したわ。
そこで、じっくりと考えてみたの。どうやれば呪いが解けるのかということを。
理想的な呪いのエンドが男の子によるわたくしたちふたりのどちらかの選択であるとすれば、男の子の選択肢そのものがなくなった場合、どうなるのかしら?男の子を殺しても解決にならなかったのは生前の男の子に選択肢がまだ残っていたからではないのかしら?あの女を殺して男の子の選択肢をわたくしひとりに限定してみてはどうかしら?それでも足りなければ、男の子の生きている間にわたくしも死ねば呪いが解けるということにならないかしら?
だって、生きている男の子には選択肢が完全になくなってしまうんですもの。きっと変わったことが起こるはずだわ」
エンセンカは長扇子を左手に持ち替えてそろそろと右手をあげはじめた。
「で、今はそれを試しているというわけ。何事も考えついただけではなんの解決にもなりはしませんから。実践してみせなきゃ。ね。
お分かり?そういうわけで、わたくしは別にあの女を憎んで殺そうとしているだけではないの。300年間のいらだちをぶつけているのは確かだけれども、決してそれだけの理由からしているのではないの。必要だからしているのよ。これからあなた方に対してするのと同じ理由で……」
「ま、待て!俺たちを殺してなんになる!」
「ですから、さっきから申し上げているではありませんか。必要だから殺す。ただそれだけのことですわよ。
お気づきにならない?わたくしと妹の戦争が個人的な動機により起こされたものと外へ漏れた場合、どうなりますか?きっと恐怖で押さえつけられている味方の中にも反発を抱く者が出てくるはず。それはとても都合の悪いことですわ。今までどおり勝手に勘違いした大義を信じてわたくしの言うがまま働いてくれないと、わたくしが困りますもの。
わたくしとあの女は図らずもこの世界の歴史を何百年も先へと進めてしまいました。わたくしは持たせる必要のない特権を享受して偉そうにしている領主、貴族といったゴミを撲滅してやりました。おかげで国には中央集権というモデルができましたわ。それに対して、あの女は貧しい人間に人権だとか個人だとかいう概念を吹き込みました。つまり、わたくしとあの女はこの戦争を意味のあるものにしてしまったわけなの。
ですから、大義を勝手に信じて戦争に夢中になっている連中に水を差す可能性を極力排除する必要がわたくしにはありますの。お分かりになりました?」
ついにエンセンカは右手の指を鳴らしてガードに殺害の指示を出した。
魅了の能力をもつエンセンカにも魅了されているガードたちにももと野球選手の術は効かない。
絶体絶命と思われたその瞬間。
「なに勝手にうちの大事な旦那に手を出そうとしてるんや。アホ女が!」
天井を突き破って謁見の間に降り立ったスーパーウーマンが通常の人間には見えないスピードで迫るガードたちに息を吹きかけ壁へと吹き飛ばした。
「巨大昆虫退治がようやく終わって家へ帰ってみたら、旦那おれへん。うちはじっくり説教かましたろと思とったんやけどな。
またフラフラ出かけたんかと探してみたら、これや。殺されかけてるやないの。何考えてるの、アンタは!」
「エエッ!?オレが怒られるの?」
スーパーウーマンこと田中美香はエンセンカのことなど歯牙にもかけず自分の旦那を睨みつけた。
嫁の目からは実際、熱線が発射されることもあるので、さっきまで絶体絶命の危機に陥っていたことも忘れてもと野球選手はできればこちらを睨まないでくださいと痛切に願った。マジでこの嫁さんは怖い存在であった……。




