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花も嵐も4

 花も嵐も4


 コーツ女侯爵ことエンセンカは追い詰められていた。

 解放軍の手から逃れて王都へ逃げ込めたのはいいが、それまでに溜め込んだ財産も集めた私兵も、そして女侯爵としての名誉さえも今まさに失われようとしていた。

 わずか数週間ほど前までは飛ぶ鳥を落とすほどの権勢を誇っていたというのに……。


「女侯爵。貴公、これからどうするつもりなのかな?」


 王宮の一室で有力貴族たちの刺すような非難の目が集まる中、エンセンカは切れ者でかつ意地悪で有名な宰相スコイから詰問を受けていた。


「これはもはや一貴族の領地内の問題では済まされんことですぞ。百姓一揆などではない。革命騒ぎだよ。女侯爵。

 現に周辺領地でも賤民どもの不穏な動きが確認されている。

 一体、どのような責任を取るつもりなのですかな?女侯爵」


 エンセンカの顔が歪む。ここには冷徹な権力者しかいない。彼女はその儚な気な美貌で媚びて見せたところで誰ひとりとして同情してくれるものがいないことを知っていた。


「……兵を集めて鎮圧し、わが妹の首を見せしめのために刈り取るほかないと存じます。もとより鎮圧軍の先頭にはわたくしが立ち、国王陛下への忠誠を示す覚悟でございますわ」


 エンセンカの言葉を聞くと、周りの貴族たちは苦り切った。

 これはもう国家の問題になっているわけだから鎮圧軍を結成するともなれば彼らも協力しなければならない。軍を起こしてなにか彼らも得するのであれば喜んで協力したであろうが、この場合たとえ鎮圧したところで得るものは何もない。それどころか要らぬ出血と散財を強いられることになる。


 白けた空気が漂う中、窓のほうを向いて冷たい横顔を見せていた国王がこちらを向いて発言する。


「それは下策だな。まず鎮圧できる見込みがない。こちらとあちらとでは士気がまるで違うのだよ。エンセンカ・ナ・コーツ嬢。

 彼らの要求は至極当然なことなのだ。人間らしい生活がしたい。真っ当に働いていることを正当に評価されたい。これらは誰もが共感する要求なのだ。言い換えるならば、彼らには正義がある。今現在に限って言えば。

 われわれ為政者は民衆にこういう要求を抱かせないように実に繊細にかつ洗練された方法で常に支配しているものなのだ。優しげな仮面を被って民衆を怒らせないように気を配りつつ彼らから極限まで搾り取る。それが正しい為政者のあり方なのだ。

 それを君は恥知らずにも極限を超えて彼らから搾り取った。若くて経験がないための過ちとは言え、為政者としては失格としか言い様がない」


 国王は冷たく言い放つ。これはもう数週間前までのエンセンカに対する接し方とは似ても似つかない。


「責任を取り給え。エンセンカ・ナ・コーツ嬢」

「……」


「責任の取り方も分からないか」

 エンセンカの顔を見据えていた国王が芝居がかったふりでため息をつく。

「では、為政者の先達として教示してやろう。

 君に一切の責任を負ってもらってわれわれは解放軍とやらと和解する。つまり、君には死んでもらおうと思う。

 しかし、若い身空で公開処刑は可哀想だな。

 うむ。そう。自死が一番いい。

 せめてもの温情として苦しまないで済むよう即効性の毒薬を後で届けさせよう。使うがいい」

「……」


 国王が話はすべて終わったと席を立とうとしたその時、エンセンカが笑いはじめた。始めはクツクツとした自嘲じみた笑いからやがて大きな哄笑となった。


「アハハハ。ああ、可笑しい。わたくしがあの妹のご機嫌取りのために犠牲になれ、ですって。アハハハ。

 あんな粗野でわたくしの爪の垢ほどにも価値のない人間に媚びへつらうためにわたくしに死ねとおっしゃられるのですね。国王陛下。冗談にもなりはしませんわよ、そんなことは。ハハハ」


 エンセンカの豹変ぶりに国王は席を立とうとした姿勢のまま固まった。


「みなさまはわたくしに全ての責任があると睨んでいらっしゃいますが、本当にそうなのかしら。お金というものは集まっているところへさらに集まってくるものなのですよ。わたくしはお金というものの本質を正しく認識して忠実に実行しただけ。わたくしを非難なさりたいのなら、まずお金というものを経済というものを否定してくださらなければお話になりませんわ。

 それと、国王陛下。

 前々から陛下のなさりようを見ていてとんだ甘ちゃんだと存じてましたが、これほどのものとは思ってもみませんでしたわ。一旦、貧乏人と金持ちとが戦争を始めた場合、相手を倒しきるまで終わらないものですわよ。それを和解だなんて。オホホホ。オツムの代わりに水でも入ってらっしゃるのかしら。

 陛下のような甘ちゃんが為政者でいる限り、世の中から『出世のチャンスは全ての人に平等に与えられている』とか『意思と能力がある限りどんな境遇からも抜け出せる』とかと夢想する輩が消えてなくなりはしないのですわ。

 世の中は最初から不平等に作られています。

 これは真理ですわ。誤魔化さずに貧乏人にはこのことをしっかりと認識して諦めてもらうほうがお互い幸せになれるとどうしてお分かりにならないのですか?」


 エンセンカが周囲の視線に怯えていた擬態をかなぐり捨て今、本性を現す。今度はエンセンカが自信たっぷりに室内の人々に向かって冷たい視線を投げかける。


「ふ、不敬だぞ。女侯爵」


 少し気圧されながら宰相のスコイが叱責する。


「オホホホ。また叱られてしまいましたわね。宰相様。

 でも」

 儚げな様子でエンセンカは周りを見回す。

「叱るという行為は立場が上の人が下の者にする行為ですわね。でしたら、上の方々がいなくなってしまえばわたくしはもう叱られずに済む、ということですわね。

 わたくし、怖がりなもので叱られるのは耐え難いんですの。とくに怖いオジサマ方からのは。

 よろしくって。わたくしのために皆様、消えてくださらない?」


 エンセンカが右の指を鳴らすと、たちまち視界が朱に染まった。誰も彼も悲鳴を上げる暇もなく物言わぬ死体となって床に転がる。

 用心深いエンセンカが万が一を予想して隠れた護衛を連れてこないはずはないのである。


「さてと。脳なしどもがいなくなってスッキリしたところで平和ボケで弛緩しきったこの国に喝を入れてやりましょうか。死ぬ前にゲンセンカには姉の実力というものを嫌というほど知ってもらわないといけないしね」


 エンセンカは死体を跨いで玉座に座ると、外に待たせている忠実な部下たちに王都要所を抑えるための下知を飛ばし始める。隠れた護衛の働きのおかげでこの時にはもう王宮内で近衛の兵はひとりも生存してはいなかった。


  *        *        *         *


「……茶の一杯も出さずにすまぬな。何分ここは生者の住む場所ではないからな。そういう気の利いたものはないのだ」

「わたくしは仏に仕える身。ご施主の存念には及びませぬ。お構いなく」


 地上が騒乱できな臭くなっている頃、忘れ去られた古代エルフの地下都市の片隅で剣仙静寂は管に繋がれた骸骨と静かに相対していた。後ろにはもちろんジークフリートたち3人が控えている。


 あの時、静寂尼は小野少年のあとを追うよりも釈尊の教えに従い人命救助の方を優先して形無き剣を振るって空飛ぶ百足たちを追い払ったのだ。おかげでジークフリートたちは生きながらえることができた(もっとも電撃の巻き添えを食らって体中からブスブスと焦げた煙を立てる破目には陥ったが)。


 その後、地上から地下都市に至る通路を発見した静寂尼たちは進化した巨大ゴキブリや巨大蜘蛛の集団に遭遇しながらも無人で奇妙な静けさに満ちた地下都市までたどり着いた。


 驚いたことに、そこには一体の喋ることのできる骸骨がおり、今こうして静寂尼と清談している。


「……(わずかばかり地上の今現在の様子を聞いただけで)人の世というのはなんとも嫌なものだな。いつでも争いごとばかりじゃ。どうして静かに暮らすことができないのじゃろうな」

「執着する心があるからでございましょう」

「……そうじゃな。そのとおりじゃな。わしのエルフとしても短い生の終わりの頃もそうじゃった。どいつもこいつも地上の全てを再び支配しようと執着しておった。挙句にあのざまじゃ。狡猾な異世界の精霊に隙を突かれてゾンビ・ウイルスを撒き散らされお互いに共食いとなってほとんど絶滅してしもうた。

 当時、わしの属していた一派はな。そういう俗世を嫌ろうて他の連中から離れて暮らしていたのじゃ。そのため、ゾンビ・ウイルスからは逃れられたのだが、何しろ長い年月じゃ、少しは子孫を残す努力はしたんだが、今ではひとり残らずこの世から消えてしもうた。

 ああ。虚しいのう」


 骸骨から嘆きのため息がこぼれ、辺りは陰陰滅滅の風情となる。


「見ればわかるようにわしの肉体はとうの昔に朽ち滅びておる。わしは当時の技術で魔導人形にわしの記憶を記録させて仮初の生を盗んでおるに過ぎん。

 情けないことに、これも執着心のなせることじゃ。当時の仲間たちはどうしても諦めきれんかったのじゃ。使命を託されてわしは渋々ながら承諾した。

 その使命というのは……」



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