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少年 4

  少年4



 夕餉は、焼き魚、煮しめ、梅干、鯛の切身の入ったすまし汁の一汁三菜が折敷に載り、飯は強飯ではなく普通に白米を炊いたものが出された。

 勿論、静寂尼には別に精進料理が供される。


 久方振りの白米との対面である。小野少年は館の主を目の前に少し緊張しているものの、心は感激でうち震えていた。


 箸を持つ。

 美味い。

 声が出そうになる。


 現代の日本からみれば大したものではないかもしれないが、戦乱と疫病が繰り返して起こるこの世界では力ある武家とはいえ少しばかり贅沢な夕餉の内容であった。

 泉の国の豊かさによるものであろうか。


 ともかく小野少年は舐めんばかりにして平らげた。


 これに対して、貴人に弱いらしい館の主八田左衛門尉是近も小野少年の食べっぷりに感心していた。

 飯椀に左手をそえたのは頂けないが、見れば箸先が3ミリしか濡れていない。とても常人にできるものではない。眼福、眼福なりと。

 これで小野少年が意図しなくとも、館の主の小野少年に対する公家認定は確立してしまうこととなった。


 実は小野少年、何度転生を繰り返そうとも、物を音を立てずに食べることと箸を巧みに使うことには非常にこだわりを持ち続け、もはや彼独自の美意識にまで昇華されていた。

 和食のない他の異世界であっても、箸使いは関係なくなるものの、下流の家庭に生まれない限り、このこだわりは彼自身を上品に見せることに大いに役立った。

 特に食事中での振る舞いは人間性を露呈しやすいものであるからして、彼は老人連中によく感心して見られたものだった。老人はえてして世間でも家庭内でも権力者が多い。上流階級では特にそうだ。本人の自覚はないが、老人たちに可愛がってもらうことで彼は何度も世間の苦労を感じずにすんでいた。

 やはり食事時のエチケットは大切らしい。疎かにしていいものではないようだ。気をつけるべし!気をつけるべし!


 閑話休題。


 夕餉もすみ皆が寛ぎはじめると、静寂尼は、今から語る話しは禅宗の教えにそぐわないので余り重きをおいて欲しくない旨の前置きをし、清凉寺派初代刀宗静心尼と小野左少弁並びに一匹の狐の関わり合いについて静かに語り始めた。

 

 そもそも小野家というのは代々学者を輩出するそこそこの中流貴族であり、今で言う事務方トップの、正四位藏人頭を最高とする官職に就く家柄であった。

 今をさること300年前、小野家の嫡子弘道は幼くして才をしめし、弱冠15にして五位蔵人・左少弁となる。

 彼は和歌管絃についても造詣が深く、風流な若き貴公子として名高かった。


 ところがである。


 ある秋の月夜の晩。

 小野左少弁が屋敷で興にまかせて伝来の秘笛を吹いていると、どこからともなく一個の妖人が現れて彼に一曲聴かせてくれるよう請うた。

 妖人は白い貫頭衣のようなものを着て荒縄で腰を縛っており、まるで蛮人のようだった。長い燃えるような赤い髪を後ろへ垂らし、瞳が金色や銀色のつぶつぶの集合体のようで色が一定しない。肌は雪のように白かった。

 極めて怪しい。

 怪しいのであるが、妖人は紛れも無く女性だった。

 小野左少弁は風流人である。基本的に女性に優しい人種であり、妖人の頼みを聞き入れて秘調の一曲を奏でた。


「フムフム。なかなか味わい深いよな。10か国ほど見て回ったが他とはまるで違う。実に奇妙な音色に調べだわ。いや、愉快愉快」

 妖人は至極満足したようだった。

 しばらく音楽について談義を交わしたのち、妖人は自分のことをリリス・グレンダワーと名乗り、小野左少弁に一つの提案をした。

「今晩一緒に少し遊ばないか。曲のお礼に面白いところへ連れてってやるがどうかな?」

 終業後の、悪いサラリーマンの上司のようなことを言う。

 小野左少弁が少しドギマギしながらも了承すると、妖人はケラケラ笑いながら彼を連れて屋敷から空を飛んだ。


 妖人は京師の南、萱島というところに降り立つと、唇に人差し指をあてながら小野左少弁に目で前を示した。

 彼が目をやると、そこには月明かりに照らされた一匹の巨大な銀狐の背中があった。狐は月に向かって口からなにやら玉のようなものを吐き出し、やがて落ちてきた玉を口で受け止め、また吐き出すということを繰り返している。

 妖人はニヤニヤしながら小野左少弁の耳に囁いた。

「一緒に後ろから脅かしてやろうよ。慌てるさまを見てみたい」

 小野左少弁は元来軽薄なところがあり、15という年の若いことも手伝ってこの悪戯に頷いた。


 二人は狐の後ろへソロリソロリと近づくと、ウワアっと大声をあげた。

「フッヒャーア。ハアッ、ヒイ、フフウ、ヘって?」

 狐の驚くこと驚くこと。目を丸めて奇声を挙げた。毛が総身逆立っている。

 これを見て二人は腹を抱えて笑ってしまった。


 玉は上に向かって吐くから重力に引かれて下に落ちてくるのである。狐は驚いた拍子に横に向けて玉を吐いてしまい、玉はどこかへ飛んでいってしまった。


「あんたら。なにやってくれちゃってるの」

 笑っている二人に向かって狐は烈火の如く怒った。

 玉に見えたのは実は仙丹であった。狐は齢2000年を過ぎた天狐であり、登仙するため500年の歳月をかけて自らの精と気で練りあげた仙丹を月の陰気にあてていたのであった。

「500年の苦労がパーよ。オシャカよ。一体どうしてくれるのよ」


 妖人はとりあえず小野左少弁を連れて逃げた。ビューと逃げた。狐は狐火をいくつも光らせて追いかけてくる。妖人は逃げた。狐は追いかける。逃げる。追いかける。

 何度か繰り返すと、妖人は飽きた。もとより妖人の辞書には謝罪とか反省といった言葉は削除されている。

「なんか飽きた。おウチに帰るわ。あとよろしく」


 妖人はどこかへ去ってしまい、小野左少弁は不乾山清凉寺の前に置き去りにされてしまった。


 すぐに狐がやってきて小野左少弁は捕まってしまった。

 怒り心頭の狐はブルブル震える小野左少弁を殺気だった目で睨みつける。狐は狭量であるが、すぐに殺してしまうほど短慮でもアッサリとした性格でもなかった。

 いやらしくねちねちと苛める性格だった。

 効果的に復讐するには、まずコヤツのことを調べねばならない。

 そこで、狐は神通力を発揮して小野左少弁の個人情報を探った。

 なになに。15で局長クラスのポストに就いた気鋭の官僚だって?エリートかよ、こいつ。そんでもって、私生活では幼馴染の紀定子という中流貴族の姫に愛されていて、ちょっと格上の高辻さんところの美貌で有名な明子という姫を嫁にもらう予定だと。その他、きれいどころの中流貴族の姫君たちともお付き合いがある、とな。むむむ。


「リア充は爆発しろ」

 狐は基本引きこもりだった。多くの方が同意するであろう魂の叫びとともに狐は小野左少弁に呪いをかけた。

 お前なんか、未来永劫愛慾地獄へ落ちてしまえ。


 こうして狐と小野左少弁が騒いでいると、ギギギっと門が開き中から片手に日本刀を持った静心尼が出てきた。当時の世界チャンピオンである。

「夜中に騒いで山寺の静けさを破るのはどちらのお方ですかな?」

 怒りを含んだ静かな声に若干引きながらも狐は静心尼にこれまでのてん末を説明した。


「認められません」

 静心尼が静かな声で告げる。

「お釈迦様は中道を説き、神秘主義を排しておられます。それにウチは密教系ではありません。したがって、人語を操る狐も呪いも認めません」

 存在をまさかの全否定されて、事のてん末についてボク悪くないもんねと安心しきっていた狐、唖然。

 ハア?ボクって存在しないことになってしまうの?チョット、ネエチャン、目が見えている?節穴?もしかして節穴なの?

「さらにさらに。わたくしたちが日夜営々自分たちの内側へ仏性を探求し解脱をはかるために努力しているのに、仙丹飲んで仙人となって輪廻からバイバイしようとするなんて安直すぎて許せません。いや、認められません。一度あなたとはじっくり話し合わなくてはなりませんわね」

「イヤ、ネエチャン。アンタ、さっき僕のこと全否定したじゃん?存在認めてなかったよね?どうして存在してないものとオハナシアイ出来るのよ」

「禅宗では仏性に関わること以外どーうでもいいのです。すべてのことに肯定も否定もいたしません。存在を認識していようがいまいがどうでもいいことなのです。

 すべての人にも外道にも仏性は存在します。

 ということで、ちょーっと、こちらへ来てあなたの仏性について語り合いましょう」

 静心尼は宗教勧誘にわりと熱心な方だった。狐には運がなかった。


 こうして小野左少弁は呪いをかけられたまま屋敷へ帰り、狐は以来存在を否定されながらも清凉寺に居着くことになった。


 かくゆう静寂尼も寺で狐をしばしば見かけたものである。

 たいてい日当たりのいい縁側で白湯茶碗を片手に座っている少しボケた静聴尼の横、丸まった物体がそれであった。しかも、時々大あくびをしておった。

 暇なら座禅しろ、座禅!喝っ。

 これが当時の静寂尼の狐に対する偽らざる心境であった。そして同時に、誰かがいつかはコイツをどうにかしないといけない、でも、それは絶対自分ではないだろうとも思っていた。

 それがわたくし自身で結着をつけなければならないなんて……。一体どうしてこうなったのかしら?



「それゆえ、わたくしは明日、解呪のため小野殿を伴い清凉寺へ帰参しようと考えております」

 静寂尼は師家の静月尼から実は解呪の方法を聞き及んでおり、その甚だ面倒な手順により長旅に出ねばならず、二度と再びこの座の人々と会いまみえることはないと覚悟していた。

 だが、無口で真面目な静寂尼はそのことをもらすことはなかった。禅宗において仏性探求の障害となる余計な感傷は捨てるべきなのだ。

 静寂尼は無表情のまま座の一同に向かい合掌して礼をした。


「今宵はここまでにしとうございまする」

 


 


 

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