花も嵐も3
花も嵐も3
ふたりは直ぐにマリアカリアに追いついた。
アリステッドの黒騎士への挑戦。
それは、地面から生えた禍々しい鎖に絡め取られた黒騎士が体の末端からジリジリと焼かれて身を悶えさせ痛みに絶叫をあげるという残酷極まりないショーとなるはずだった。
だが、現実にはそうはならずに本人にとっても残念極まりない試合内容となってしまった。
つまり、アリステッドという魔女はこれまでの人生で幾度となく敵に負けているにも拘らず(最近ではリリスや『猪女』ことマリアカリアに完敗している)、心のどこかで自分は世界で最高と信じているためライバルというものを認めていなかったのだ。
結局、黒騎士の中身は空っぽで、彼女はただの鎧を熱で溶かしたにすぎない。
例の女性の声も心なしか残念そうに合格を伝えたのみだった。
エスターの挑戦も然り。こちらは本物の無敗の殺し屋であり、いままでのミッションで失敗したことがない。効率よくミッションを完遂できなかったことなど、今回のマリアカリアの下についてものが初めてであった。だから、エスターにとってもライバルというようなものは存在しない。
彼女の試合内容は、ドラム缶のように中身空っぽの鎧を(体を変化させて作った)極太の無数の針で貫いただけであっさりと終わった。
『つまらないわね。今度は楽しませてくれるのかしら』
『死の橋』という看板を前に凶悪な3女性のひとり、アリステッドがぼやく。
看板の向こうには目もくらむほど深い渓谷が穿たれ、一本の頼りない吊り橋が架かっていて谷の強風に煽られている。
目の白く濁った怪しげな老人が出てきた。
「ここが『死の橋』じゃ。この橋を渡りたければ3つの質問に……」
老人が言い終わる前に矢継ぎ早に質問が飛ぶ。「本当に日本の国会で安保法制は9月に成立するのか?」「柴崎コウの実年齢は?」「米国ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』第5部でジョン・スノウは本当に死んじゃうの?」
「なんじゃ、その質問は。わしに答えられるわけ無いじゃろうが」
老人の怒りに対して例の女性の声が冷たく響く。
‘不合格です’
途端、老人は悲鳴を上げながら谷底へと落ちていった。
「ギャーあ〜あ〜」
「ちょろいものだな」
マリアカリアたちがしたり顔で肯き合う。
だが、老人がバンジージャンプの要領で戻ってきた。見れば老人の片方の足首と橋の支柱とがゴム製の縄でつながっている。
「かつて同じことをしよった奴がおったのじゃ。わしがそう何度も同じ手に引っかかると思うておったか。カカカカ」
カンニングというのはどこの世界でも二度目は通じないものらしい。
「チッ!」
マリアカリアたちが盛大に舌打ちをする。
「真面目にしろよ。最初の挑戦者は誰じゃ?」
『じゃあ、わたしから』
今回はアリステッドが前に出た。
「第一問。水から氷になるとき体積はどうなる?」
『約10パーセント増大するわ』
「第二問。二次式X2乗+2XY=1が表す座標平面上の図形として適切なものは?」
『双曲線よ』
「第三問。TCAサイクルと酸化的リン酸化によるATP合成は、真核細胞内のミトコンドリア内膜のほか、どこで見られる現象か?」
『原核細胞です』
「全問正解。うむ。見事じゃ。通ってよし」
老人がアリステッドに感心する。同時に例の女性の声が合格を伝える。
アリステッドはドヤ顔をしているが、なんのことはない。自前のパソコンを操作してでの回答である。この試験場には持ち込みを禁止する規則はないのでカンニングとはならない。
次に、エスターが前に出る。
「第一問。卵白に水を加えて撹拌すると白濁するが、さらに何を加えると白濁が消えるか?」
「塩です」
「第二問。生体触媒の至適温度は動物の酵素では35度から50度。では、植物の酵素では?」
「40度から60度です」
「第三問。プロパンには何種類の存在状態の水素原子が存在するか?」
「2種類です」
「見事じゃ。君も全問正解じゃ。通過してよし」
同時に例の女性の声も厳かに合格の祝福を伝える。人の頭の中を覗き見することができるエスターに死角などない。
「今回の挑戦者は皆、実に優秀じゃな。出だしはおかしかったが、素晴らしい挑戦だった。これで今回の挑戦も終わるのかというのは少し残念な気もするが……。
これ。お前は何をしている?」
満足そうな老人が橋のたもとで落書きをしているマリアカリアを見つけて顔色が一変する。
「見ての通り落書きをしているのだが」
「はあ?!何しにお前はここへ来たんじゃ?」
「すべてをぶっ壊しに来た」
「だ、誰じゃ?お前は」
「わたしはマリアカリア・ボスコーノ。メラリア王国国家義勇軍大尉だ!
わたしには簡単な質問をしろ。でないとその身がどうなるか、判るな?」
マリアカリアが左手にナックルをはめた時点で例の女性の声が響く。
‘合格です。認めたくありませんが……’
「ふん。作戦勝ちと言ってもらおう。カウントされなかった場合のことも考えて保険(脅迫)をかけているわたしの周到さを好きなだけ褒め讃えていいぞ。
名も無きモブの老人よ」
「こ、このぅ。お前は絶対にロクな死に方はせんぞ。断言しておいてやる!」
罵詈雑言を浴びせかけようとする老人の肩にわざとぶち当たりながらマリアカリアは悠々と吊り橋を渡っていく……。
* * * *
リタという地区の責任者は19歳になるうら若き女性である。しかし、顔に傷がある。
彼女は北部の農民の娘で、1年半前、例によって戦災で暮らしていけなくなった家のためコーツ領の鉱山に飯炊き女として売られてきた。鉱山の飯炊き女というのはただの炊事係りではない。過酷な労働にさらされていない監督など精力の余っている連中のための処理をすることも込みの仕事である。契約書には書かれていないが、そういう暗黙の了解が慣習として成立していた。
だが、リタは当然のように自分を慰みものにしようとする連中に激しく抵抗した。彼女にとって好きでもない男連中に契約書にも書かれていないことを強要されるのは真っ平御免だったのだ。
しかし、結果は……。
貞操を守り抜けたのは良かったが、腹を立てた男連中にぶちのめされた。そればかりか嗜虐心のある連中から代わりに暴力をふるって憂さ晴らしをする対象へと切り替えられた。
それからは地獄である。ほぼ毎晩毎晩、彼女は男連中に打擲され続けた。
彼女の顔に傷があるのはそういう理由からである。
ある日、彼女は地獄から解放された。ゲンセンカたちが鉱山を制圧したおかげである。
そして、彼女は暴力に耐え貞操を守り抜いた頑張りを多くの女性たちから評価されてリーダーに選ばれた。だから、彼女は本来的に弱いもの、小さきものたちの代表者なのだ。彼女自身、非常に心優しい。今回の少年の処刑は彼女を顔の傷以上に深く傷つけるものだった。
その彼女のもとへ旅の男がやってきた。彼女は男と何を話したのか覚えていない。しかしそれから、彼女はマタという少女がとてつもなく愛おしくなった。まるで少女の母のように。同時に夫までできた。もと子爵でドニという男である。それからジベという森番の青年(同い年)にも息子としての愛情が沸く。確かジベには40を超えた痩せた母親がいたはずだが、そんなことはどうでもよくなった。
とにかく。
マタとジベ。この子達はわたしの娘であり息子だ。
妊娠もしたことがない彼女はなぜだかそういうふうに強く思い込んだ。
その夜。リタが地区の責任者をしている街では恐ろしいことが起こった。
ウオオオオおう。うおおおう。ウオオオ~ん。
突然、街で一番高い鐘楼のうえから山犬に似た遠吠えが響き渡ると、一斉に家々から住民が四つん這いになりながら這い出てきて街なかを駆け回り始めた。男も女も老人も子供もみんな。目を獣のようにギラギラさせながら。
それから、彼らはお互い、街のいたるところで手足を使わず噛み合いを行い相手の喉笛に噛み付いた。
「わたしの父さんと母さん。そして兄ちゃんを返して。それから、周囲の人達はわたしたちのことをもう構わないで欲しい。勝手に獣のようにお互いで殺し合いでもしておけばいいから」
少女の願いを旅の男が実現した結果である。
少女は不幸はみんな外から舞い込むものだと思っていた。周りさえ自分の家族にちょっかいを出しさえしなければ幸せの状態でいつまでもいられると信じていたのだ。
男は頷き、昼の間、街中の家々をしらみつぶしに訪ねてまわった。男の目を見た住民はみんな術をかけられた……。




