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女の危機9

 女の危機9


 ポランスキーは兵士たちからウサギ肉を奪って以降、しばらくゲンセンカたちと行動を共にすることにした。その後も兵士たちの集団に出くわしたが、向蓮蓮が前へ出て対処したためにどうということにもならなかった。

 今は、兵士たちの返り血で服が人前に出られなくなったポランスキーは川で洗濯し、ついでに泳いでいる。


「お前らはどうして人を殺すのに躊躇をしないんだ?

 女の子だろう。お前ら。

 慣れているというか。まったく信じられん」

「あら。おじさん。わたしは人を殺したのは今日が初めてよ」


 水辺に座って草を千切っているゲンセンカが答えた。異性と交流したことのない向蓮蓮は男の裸を見るのを恥ずかしがってここにはいない。


「まあ、狩りはよくしたから獲物の血を見慣れているとはいえるかも。そこらあたりは普通の貴族の娘とは違うのかな」

「……そんな問題か。狩りの獲物と人間とは違うだろうが」


 うまく意思が通じないポランスキーは苛立ち、声を少し荒げた。


「はん。それなら、おじさんはわたしが上品そうにじっと草叢なんかで隠れておびえながら奴らに殺されるのを待て、とでも言いたいの?そんなのまっぴらだわ。

 狩りの獲物だって狩る側と死闘するのよ。殺し殺される関係は狩りの獲物と何の違いもないわ」


 沸点の低いゲンセンカはとうとう癇癪を起した。


「おじさんも周りの連中みたいに『頭が高い。頭を下げろ』『女の子なら部屋にこもって大人しくしていろ』と言うのね。

 がみがみ、がみがみ。

 そうやってわたしを馬鹿にして蔑み、嫌っているがいいわ!

 構いやしない。わたしだってわたし以外のみんなを嫌ってやるわ!」


 そう言ってゲンセンカは川の水を蹴ってポランスキーに引っ掛ける。


「……ガキの扱いは俺にはわからん。くそっ!」


 川の中で立ち上がったポランスキーも手で水をすくってゲンセンカにぶっかけた。


「俺みたいになっちゃ、お終いだと言っているんだよ。俺は異常なんだ。10年前の戦争のせいで狂っているんだよ。わかったか!」


 銃創の痕が残る裸体をさらしながらポランスキーも怒鳴る。


 しばらくポランスキーとゲンセンカは無言でにらみ合った。


 自身が意固地で身勝手な人間だったため、ポランスキーにはゲンセンカがねじくれてわがままで人から浮いていた少女であることがよくわかる。他人からの愛情が欲しくて欲しくてたまらない少女であることもよくわかる。

 しかし、ポランスキーは紙の上では饒舌だが、面と向かって他人にその思いつくやさしい言葉をかけられない性格だったので、ゲンセンカを上手く扱えない。


 対岸の木にとまったアオサギが無言の二人をじっと見ている。

 風が出てきたらしく、川面が波打ち始めた。

 やがて岸辺の背の高い水草の密集したあたりからカサリと何かの音がする……。


   *   *       *       *


 ゲンセンカ・ナ・コーツはストロー・ブロンドという黄色い金髪の持ち主である。眉の色も当然薄いが、手入れをしていないため青い大きな目と相まってややきつい印象をひとに与える。しかし、小顔であり、すらりとした身体つきととても均整がとれていて将来、美人になることを強く思わせる。


 タイツ姿の彼女は今、シャツの上から鋲のついた皮鎧を着こもうとしている。農婦姿から少年の従士に変装するためである。

 長かった髪の毛はすでに自分自身で切り払っていた。


「着慣れているでしょう?驚いた?おじさん。

 わたしはね。小さい時から館を抜け出しては森番のところか許可を得ている猟師(密猟者ではないという意味)のところへ行ってたの。男の子の服を着てね。そこで罠の仕掛け方を習ったり、猟の掟なんかを教わった。

 領地には禁猟区も多いのだけれど、山国だから少しくらい獣を獲ったところで誰も目くじらをたてない。だから、ウサギ程度なら10のときから自分で罠を仕掛けて獲っていた。ちゃんと血抜きも解体も自分でしてたのよ」


 向蓮蓮の出現もあってやや機嫌を直したゲンセンカが少し自分のことを話し始める。


「普通、侯爵令嬢が館を抜け出したら周りの大人たちが騒ぐだろう。咎められなかったのか?」

「わたしは普通のお嬢さんではないの。家では嫌われて放置されていたのよ。

 森番や猟師たちは家の手伝いもせず遊んでいるわたしをどこかの裕福な家の子とみてそう邪険にはしなかった。けど、逆にそれほど関心も持たれなかった。彼らは大体、無口で不愛想で知能もそう高くはないから、仕事の邪魔をされない限り傍にいてもわたしを自由にさせてくれていたのよ」


 これは異常なことである。

 高位貴族の子弟の養育などというものは生まれた時から乳母などに丸投げであり、両親が子供に親しく接して愛情を注ぐことなどまずない。しかし、その代わり、子供特に令嬢などには乳母はもちろん家庭教師役のお付きの婦人などがべったり四六時中張り付いていて目を光らせているのがふつうである。令嬢の抜け出しなど、もしものことがあったときはお付きの人間の責任問題であり、絶対に許されるものではないはずである。

 それにもかかわらず、ゲンセンカは常時抜け出しており、それについて咎められたこともないという。


「わたしの乳母は寄子の男爵夫人だったの。乳母になったことでわが子と引き離されたうえ、わたしには授乳時にひどく噛む癖があった。だから彼女はわたしのことをひどく毛嫌いした。それに次女であるわたしの乳母になったことで彼女にはなんのメリットも生まなかった。当然でしょう。他家に嫁に出されることが確定しているわたしに付いていても他家で肩身の狭い思いをする将来しか描けないからね。

 同じ理由で6歳の時に家庭教師役になった別の男爵令嬢にもわたしは嫌われた。ヒステリー気質であった彼女はすでにオールド・ミスであったことを棚に上げて婚期の遅れるのをすべてわたしのせいにした。そのうえ、いくら刺繍やハープを教えても一向に上達しないわたしをひどく恨んだ。何を教えてもすぐ上達する姉と比較して上達しないのは家庭教師役の教え方がまずいのではないかと勘繰られたから。

 そういうわけで、わたしは誰からも見放され放置されてたのよ。

 母上は時折わたしをお茶に呼ぶこともあったけど、一事が万事気まぐれなひとだから、わたしがいなければいないで済ませた。

 だから、誰も騒がなかった。

 おじさん。理解できた?」


 やや間が空く。


「剣はどこで習ったんだ?令嬢が剣技を習うなど異常だろうが」


 やがてポランスキーがゲンセンカの発達した両太腿と左のふくらはぎを見て次の疑問を口にする(ポランスキーはフェンシングで鍛えると太腿やヒラメ筋が異常に発達することを知っていた)。


「嫁に行っても幸福になれるとは到底思えなかったわたしは剣技を身につけて世に出ることを夢見たの。12歳の時、剣技を習うことの許可を父上に申し出たところ、たまたま機嫌のよかった父上はそれを許した。それで許可を盾にわたしは父上の護衛騎士のところへ行って夢中で習った。それだけのこと」

 

 あっけらかんと答えるゲンセンカにポランスキーは唸るほかない。


 ゲンセンカが幼年期を男の子同然に過ごしたことはその後、彼女に様々な影響を与えた。

 剣の才能があった彼女は正式に習いだすとメキメキと上達し、上の年代の男の子でも彼女には勝てなかった。彼女は知らなかったが、彼女の才能は評判となり、多くの貴族の子弟たちのやっかみを受けてしばしば彼らと衝突する原因となった。しかし、衝突したため多くの男の子とも知り合いになり、彼女の熱烈なファンもうまれた。従弟のダイ子爵もこのとき彼女との取っ組み合いの喧嘩に負けて弟分になったため、今でも彼女のことを粘り強く支持しているのである。

 いいことだけではない。彼女の男勝りの剣才をおそれたがため、神輿代わりに彼女を担いだ叔父は普通の令嬢なら一般の部屋にでも監禁するところを谷底に飢えたオオカミのいる特殊な地下牢に彼女を押し込めた。他の貴族女性とは交流がなかったため、姉のエンセンカと暫定女侯爵の地位を争ったとき、姉に大きく水をあけられる結果となった。そして、姉からの刺客には念を入れてセルマ修道士を送られるという目にも遭った(林青蛾が予防した)。



「で。これからどうするんだ?お前たちは」

「向ちゃんの義姉たちと落ち合う場所に向かうつもり。逃げた兵士たちは向ちゃんが一兵残らず始末してくれたから、(連絡はいかず)追手はもう来ない。これからは楽な旅ができるはずだわ。

 おじさんも一緒に来ない?異世界人というのは何らかの特殊な能力を持っていると言われているから、一緒に来てくれるならわたしも心強い。どう?」


「どう?」と言われてもポランスキーはすぐには答えられない。

 少女について回るということはこの先、人殺しをしてまわらくてはいけないことを意味する。ポランスキーにとってあまり気の進むことではない。

 といって、少女を見捨てることもジャンヌ・ダルクとのこともあってポランスキーにはできない。彼には少女がこのままだとダメになっていく確信があった。


「ついて行ってもいい。だが、気の進まない人殺しはしない。それでもいいのなら俺を連れていけ。

 それから食い扶持は自分で稼ぎ出す。面倒をかけるつもりはない。特殊な能力があるとは自分では思えないが、たいていのことなら俺はできる。だから、仕事には困らないはずだ」


 異世界へ来たことをようやく納得したポランスキーは元の世界へ戻れるかどうかは今のところ不明だが、しばらくの間、ゲンセンカという奇妙な少女を保護しながらとともに生き残るという選択をした。


 仙人たちがどういう意図で彼をおくりこんだのか、ポランスキーはまだ知らない……。



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