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女の危機8

 女の危機8


「ブラザー・コマ。お待ちなさい」


 コマが大司教の呼び出しを受けてのろのろと廊下を歩いていると、後ろから声がかかった。


「大司教猊下……」

 コマは驚いた。2名のガードも引き連れながら全く気配を感じさせなかったこともさる事ながら、大司教の服装が麗々しいいつものものとは異なり一般の修道士が着る粗末なローブだったからである。


「あの。猊下は使節団との会談のため謁見の間の控え室におられたのでは」

「ああ。それね。

 君はわたしの能力(予知)のことを知っているよね。

 このところ、『破壊』と『愚か者』と『死』のカードばかり出ちゃってさ。身の危険を感じているんだよね。そういうわけで、控えの間には枢機卿のセル君に行ってもらった。

 彼、喜んでたね。次期大司教に選ばれるとでも勘違いしたらしい」


 ニコニコと大司教が最近のぼせあがっている枢機卿を身代わりにしたことを語る。


「まあ、そういうわけでブラザー・コマ。これからわたしと執務室でお茶でも飲みながらゆっくりとお話をしましょう」


 すでに中年の域にさしかかっているはずの大司教はいまなお美しい。粗末なローブを着ていても年を全く感じさせない神々しさに満ち溢れている。若い頃、その美貌で修道会内にいた一定数の男色家たちを虜にして権力の階段を上ったことだけのことはある。

 しかし、コマは男色家でないので、この一見、優しげな美男に腕を組まれても感激などはしない。逆に、その正体をよく知っているだけに嫌な予感しかせず、顔をこわばらせた。

 大司教は予知の能力だけではない、なにか大変な能力を保持している怪物なのだ。


「そうそう。君の働きには感謝してますよ。ブラザー・コマ。ご苦労様です。

 でも、あれだけでは『聖遺物』は駆動できないのです。どうしても今はエルフ側にいるある人物に来てもらわなければなりません。そこで、君に北部紛争地帯へ出張ってもらってその人物との接触を……」


 大司教は執務室に至るまでの間、コマに向かって盛んに話しかけた。コマの警戒心はマックスになる。彼は人を殺す前の大司教が非常に愛想がよくなることを知っていたからである。


「さあ、着きましたよ」

 執務室の扉のまえで大司教はコマにニッコリと笑いかける。

「おや。でも、中に誰か知らない人がいるようですが」


 ガード二人が大司教の前へ出て防御を固める。コマも臨戦態勢にはいる。


 扉を開けると、そこには白い衣装を身にまとったたおやかな風情の女人がひとり佇んでおり、こちらへ向かって深々とお辞儀をする。

 大司教たちが中へ入ると、誰も触れていないのに扉が静かに閉じられ鍵が掛かった。


「わたくしは武林で渡世をしております魯雪華というやくざもの。

 こちら様には故あって頂戴したき儀のものがございまして推参いたしました。なにとぞご無礼をお許しくださいませ」


 大司教がおんなのかたわらに置かれているものを指して言う。

「欲しい物のひとつがその黒い皮鞄というわけですか。でも、それだけではないでしょう?」

「ご明察、恐れ入ります。できればあなた様方のお命もついでに貰い受けとうございます」

「ハハハ。なかなか強欲なひとですね。あなたは。

 あなたのようなひとを世間でなんと言うか知ってますか?」

「はて?」

「泥棒猫。というのです。

 ここには汚いニャンコなど不要です。ガードたち。たたき出しておあげなさい」

「にゃん?」

 魯雪華は鳴き真似をしながらも頭を傾げた。 

 しかし、大司教の間違った言葉の使用にツッコミを入れるものなどここにはいない。たちまち戦闘が開始される。


 ガードというのは保護対象の安全確保を至上命令とするものである。大司教のガードたちもまたマニュアル通りの行動をとる、つまり、あらゆる攻撃に対する耐性を究極にまで上げたひとりが自身を盾にして時間を稼ぎ、もうひとりがその間に大司教を安全な場所へと転移させ、その安全確認後に襲撃者の殲滅をはかるはずであった。

 しかし、驚いたことにガードたちは初手から魯雪華を攻撃した。


 ガードたちは紫炎を纏った残像を跡にしながら極めて高速に魯雪華の前後左右に展開して、立ち現れては消えを繰り返し、彼女に向かって鋭い剣撃を見舞う。


 唸りを上げ、紫の炎の剣が床を削り取る。剣が弧を描き、飾られている調度品もろとも壁が両断される。積まれている書類が紙吹雪のように細切れとなって舞う。

 目がくらみそうになるほどの紫色の乱舞が展開される。


 ガードたちより力量の劣るコマも何もしなかったわけではない。必死になって掌から力を連発する。


 だが、対する魯雪華はまったくの余裕。剣戟の音が一切しない。

 避け、躱し、いなす。


 彼女に対する怒涛のような攻撃が一切、無効なのである。


 トンッ。


 宙に舞った魯雪華が一反の白練りの絹を大きくなびかせる。


「相手の力量を見極め、初手から攻撃に出たのは正しい選択だったと言えましょう。

 しかしながら、これは殺し合いなのです。残念ながら試合のように相手の健闘を讃えてお開きとするわけにはまいりません。

 お二方。お気の毒ですが、ここでお別れでございます」


 魯雪華が優雅に回転しながら絹を持つ手を振るうと、紫の乱舞だった部屋の景色がたちまちモノトーンに変わる。


 ふわりと緩慢な動きしか見せない絹がなぜか神速に動き回るガードたちに触れて、絡む。

 と。直後、ガードたちは動きを止め、口から赤いものを吐いてドッと床に倒れた。

 倒れた彼らはピクリともしない。即死である。


「経絡に沿ってなにか奇妙なものを埋め込んでいらっしゃいますね。

 でも、それは悪手」

 床に舞い降りた魯雪華が穏やかな表情で残りのふたりに告げる。

「わたくしのような内功の使い手からすれば、経絡を刺激して埋め込んだもの諸共相手の体を容易く破壊できてしまいます。

 あなた方も埋め込んでおりますね。

 最後に何か言い残すことはございませんか?ここで出会ったのもなにかの縁。名にかけて残された方々にしっかりと伝えて差し上げましょう」


 魯雪華の言葉に何も答えず、大司教とコマは滑るようにして突っ込んでいった。肉弾戦に勝負を賭けたのである。


「残念ですが、それもまた悪手。

 わたくしの故郷ではあなた方程度の剣士や拳法使いなどゴロゴロしておりまして、あしらえなければ流派の掌門など務まりませんの。

 言い残すことがお有りに見えそうもございませんので、そろそろ仕上げと参りましょうか」


 白練りの絹は魯雪華の陰の気を纏っており、それ自体、鈍器のように重く、名刀のように鋭い。

 再び絹がふわりと振るわれる。

 直後、一閃された大司教とコマの体は床に四散する。


 撒き散らされた血潮で床も壁も真っ赤に染まった。

 その鉄錆に似た臭いの充満する中を白い美女がひとり手を合わせる……。



 トントン。

 遠慮がちに扉が叩かれる音がする。


「大司教猊下。お客様にコーヒーをお持ちしたいと思いますが、砂糖をお付けしてよろしいでしょうか?」

 扉の外から大司教の秘書嬢シシーの声がする。


「……ありがとうございます。残念ですが、わたくし、すぐにお暇しなくてはならないのでコーヒーのご供応は遠慮しておきますわ」


     ✽       ✽       ✽       ✽


 5分後、シシー嬢が扉をこじ開けて執務室に入ってくる。

 彼女は床の血の跡を見ても動じない。


「大司教猊下。お亡くなりになったのはこれで何度目なのですか?」

「13度目かな?うち12回は内部での権力闘争によるものだった。外部勢力にやられたのは今回が初めてだな。

 それよりシシー。聞いてくれないかな。

 あのおんな、ひどいんだよ。切り飛ばした僕の首を蹴飛ばしたんだよ。大司教たる僕をなんだと思っているんだか」

 ローブは血にまみれているが、体に傷一つ無い大司教がシシー嬢に不満を漏らす。


「同情は申し上げませんわ。大司教猊下。

 だって猊下は内の人にも外の人にもそれ以上のひどいことをおやりになっていますもの。

 『人のふり見て我がふり直せ』ですわ」

「つれないねえ。もとはもっと優しい子だったのに」

「ひとは環境に順応する生き物と申しますわ。猊下。

 それより手塩にかけてこられたガードの方々がいなくなっちゃいましたね。もったいないこと」

「心配はいらないよ。ちゃんと記録を取っているから。また適当な誰かに埋込みさえすれば、彼ら以上のガードなんかすぐに出来る。ここには代わりなどごまんといるんだからさあ、ちっとも惜しくなんかないよ。

 それに盗られたものにはトレーサーが仕込んである。すべては計画通りさ。損をする要素など今のところ何もない。

 どうせ(盗まれたものは)ゲンセンカのもとへ行くんだろうけど、これであいつらを一網打尽にできる。たとえ冷酷なビッチの(エンセンカ)との約束でも約束は約束だからね。宗教家としては約束はきっちりと守らなきゃ」

「どうせ取立ての方もきっちりとなさるおつもりなんでしょう?」

「当たり前です」


 大司教とシシー嬢が身も蓋もないことをしゃべっていると、手足のちぎれたコマの体がピクリと動いた。

「おやおやおや。これは驚きだ。コマ君、まだ生きてるよ。

 彼、知りすぎてるからここで始末しようと思ってたんだけど、どうしようかな」


 すでに虫の息であるコマにはなんの声も聞こえない。もし聞こえていたのなら彼は何と思ったであろうか……。


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