女の危機7
女の危機7
ナニナニの街から南に15マイルほど離れた山の中では、195センチを優に超える大男が最初に地面に叩きつけた兵士を掴み上げ揺さぶりながら、怒り狂っていた。
大男の名前はヤン・ポランスキー。
事の起こりは、こうである。
ニューヨーク市清掃局に勤める彼が今日も一日の仕事を終え、疲れ果てた自身の体を押し付けるようにしてアパートのドアを開けた途端、まわりの景色が暗転した。そして、気がつけば山の中にいたのだ。
「何がどうなっちまったのやら。夢を見ている?でも、ベットまで行った記憶がねえ。
……とうとう心臓でもやってドアの前でぶっ倒れたか。ふん。俺も年だしな。死んでもおかしくねえか。
どうせ死体は近所の金棒引きのハンガリーの婆か始終酔っ払ってるロシア人が見つけてくれるだろうよ。
葬儀は?そうだな。
ジャンヌかコニー・アイランドのアンナの手を煩わしちまうが、それもどうにかなるだろう。かかる費用の方もオレがビスケットの缶に小金を隠していることをジャンヌがちゃんと知ってるし。
ふむ?気がかりになるようなことは何一つないか。
ポーランドには電報まで打って呼び出す必要のある奴はもう残っちゃいねえしな。寂しい葬儀になるだろうが、俺には似合いだ」
この時点では、ポランスキーはご機嫌とまでは言えないとしても落ち着いたものだった。10年前のソヴィエット・ポーランド戦争の経験者である彼は普通の感覚の持ち主ではない。
しばらく彼が山道を行くと、肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。口の中で唾が湧く。
「まだ朝食兼昼飯を食っていなかったからな。死の直前に見る夢が食事の夢か。アハ。俺らしい」
見ると、前方で古めかしい格好の兵士たちが皮をはいだウサギを焼いている焚き火を囲んで談笑している。
「よう。兵士諸君。
俺。腹が減っているんだ。その痩せこけてみじめったらしいウサギの肉を少しばかり分けてくれないかな」
「おととい来やがれ。ボケナス!」
水筒に口をつけていた兵士が唾と一緒に吐き捨てる。
ポランスキーはこれくらいの仕打ちで切れたりはしない。
10年前、彼自身、よその小隊の兵士が昼飯時に同じことを言ったら空き缶を投げつけていたくらいだから。気持ちがよくわかるのである。
ポランスキーが何か差し出すものはないかとポケットをまさぐると、ハーフ・コイン(50セント銀貨)が2枚出てきた。
「これ、やるよ。代わりにワインも飲ませてくれ」
「チッ。しょうがねえ。だが、ワインはねえぞ。酒場じゃないんだからな。水でも飲んで我慢しとけ」
左端の兵士がブツブツ言いながらウサギの足を切り取ろうとする。
ここまでは問題がなかった。だが。
「おい。待て(肉を取り分けようとした兵士に向かって)。
(ポランスキーに向かって)格好からして、おまえ、ここらへんの農夫じゃないよなあ?」
「ああ」
「連れがあたりに隠れているわけでもないよなあ?」
「ああ」
途端、手前の兵士が槍を掴んで突いてきた。目の右端に立てかけた斧を手にする兵士が映る。
たちまち、ポランスキーには10年前の塹壕戦の記憶がよみがえる。
突いてきた槍を払い、腰の入った左フックをくれてやる。殴られた兵士は口から折られた歯を吹き出しつつ地面に倒れる。
『銃剣では胸より腹を、そして力任せに深くではなく適度に力を抜いて浅く何度も刺す。しかし、それでは相手はなかなか死なないから、熟練者は相手の左脇の肋骨の隙間から心臓を一刺しにする……』
ポランスキーに懐かしい先輩の声が語りかけてくる。
奪った槍でポランスキーは斧を持った兵士の喉を突く。心臓を突かないのは相手のチェインメールが邪魔に思えたからだ。
『銃剣ではどうしても刺した瞬間に隙ができる。熟練者は銃剣よりシャベルで殴れ……』
喉を突かれて目を見張っている兵士を押し倒し、斧を取り上げ、残りの兵士のもとへと突進する。
盾で防ごうとした兵士を蹴り倒し、後ずさった兵士のヘルメット目掛けて斧を突き立てる。
あの時とまったく同じだ……。なにもかも。
ポランスキーの耳にもようやくうめき声が聴こえてくる。周りを見回すと、倒れた兵士以外、皆すでに逃げ去っていた。
だが、腹ばいになりながら必死に逃げようとしている兵士がいる。ポランスキーが最初に打倒した兵士だ。腹から血を流している。ポランスキー自身、気づかぬうちに槍で刺していたらしい。
ポランスキーはツカツカと歩み寄る。そして、兵士の襟首を掴む。
「ウサギ肉、ねだったくらいでなんで殺そうとしてきやがったんだ?ああ?
おまえら、ボルシェヴィキか」
兵士は最後の反撃とばかりに振り返りざまナイフを突き立てようとする。
「おまえら全員、強盗で強姦魔だ。生きている価値はねえ」
ポランスキーはナイフを持った兵士の腕をゆっくりと捻じ曲げ、ナイフの先端を兵士の頬に押し当てる。
「俺はポーランド人だ。ポーランドのために戦ったんだ。くそったれが!」
兵士の顔が穴だらけになり、血がドクドクと噴出している。兵士はもうピクリともしていない……。
「おじさん。なにを怒鳴っているの?」
ポランスキーが視線を下げると、頭を少し傾げた少女がいた。手には血で汚れた剣を持っている。
「ぼーとしていると危ないよ。それに、止めは必ず刺しておかないと。安心して。わたしが代わりにしておいたわ」
「君は誰だ?」
「ゲンセンカ・ナ・コーツ。この兵士たちが探している相手」
我に返ったポランスキーは場違いな少女の登場にしばし言葉を失った。




