女の危機6
女の危機6
「ファイト!」「集中!」「気合を入れろ!」「あと10プードはいける!」
周囲の励ましを支えに入団2年目の若い男が息を吐き気合いを入れ直して重い鉄の塊を持ち上げる。
「ウルルッハーあああ!」
ガコンッ。
頭上一杯に持ち上げられていた鉄の塊が一気に落とされて床に転がる。
持ち上げた男が真っ赤にした顔で荒い息をし肩を大きく上下させる。
ここは大学のウエイトリフティング部ではない。マリアカリアたちのいるナニナニの街から47マイルほど北上したところにある巨大な湖に浮かぶセルマ修道院本山の修練室である。
男はもちろんセルマ修道会の僧兵で、修練に励んでいるのである。修練内容は、150プード(1プードは約16.38キログラム)もある鉄の塊を念動力だけで持ち上げるというものであった。
セルマ修道会の名物といえば、修道士の手による彩色されたセルマの木像と聖人たちの言葉を綴った写本。そして、前出の男のような異能の僧兵である。
セルマ修道会の歴史は古い。7000年前、無名の女性によってエルフからヒト族が解放されたとき、無名の女性のコアな信奉者たちが集まって一団を形作ったのが始まりである。無名の女性が超絶兵器をくれたセルマを神と崇めたことから、その集団もいつしかセルマを信仰する宗教団体となってこの世界に根付いた。
もともとがイブの周りに集った戦士の集まりであり、その一人ひとりがエルフが奴隷を効率的に働かせるために人体改造した一種のサイボーグであった。解放時にエルフからサイボーグ化の技術を強奪したため、その技術により現在においても修道会は異能の僧兵集団を維持している。何のための維持かといえば、それは当然、リリスの妹分を自認するセルマがした、追放された世界へ攻め込む軍隊の組織化の要求に応えるためである。つまり、セルマ修道会とはマリアカリアやマルグリットたち精霊の潜在的な敵勢力なのである。
「昨日のガールズ・バーのネーチャンはよかったな。おい」
「おまえ。ああいうのが趣味なの?ないわー」
「エエッ!そんなこと言う!?ヨシノちゃんはいい娘だよ。やさしいし」
「騙されている。騙されている。あの娘の身の上話なんて100パーセント嘘。チップやるごとに当社比10パーセント増し増しで話を盛るし」
「知ってて騙されてあげるのも男の優しさなのです。オレのオアシスを汚い口で勝手に壊さないでくれる!」
「アホやー。アホがおるー」
修練室には真面目に練習に励む若手ばかりでなく、すさんでだらけ切った古年兵たちもだべっている。
「おい。コマ。今夜、おフロ行こうぜ。おフロ」
隅で雑談している古年兵のひとりが寝っ転がっているコマに声をかける。
「……金がねえ」
「なんで?山の国の女侯爵のところへお使いに行ってボーナス出たんだろ。もう使っちまったのか?」
「帰りにアクシデントに遭って金使ったら、必要経費として認められなかった。全部自腹。くっそ。シンのやつめ。全部、あいつのせいだ」
「ハハ。お気の毒様。それにしても時化てやがんな。折角おごってもらおうと思っていたのに」
「おい。シンの奴はどうした?最近見かけないが」
別の古年兵が声をかける。
「たぶん……」
「くたばったか」
コマは寝そべったまま、ひとつ頷き、それっきり黙った。セルマ修道士たちは日常的に傭兵まがいの仕事をしているので、仲間の死は別に珍しいことではないのだ。
「あーあ。結構強い奴だったのにな。オレとしては借金の棒引きになってよいのだけどさあ。なんていうか」
「おまえ。あんな陰気なやつから金借りてたの?」
「弱み握ってたからな。あいつの趣味は変わっててなあ……」
ここでは仲間の死など、お天気の変わり程度にしか話題にならない。翌日にはきれいに忘れ去られる。
古年兵のひとりが鼻歌を歌っている横では、支給品の斧の手入れを怠った新兵が今日も別の古年兵に制裁のビンタを受けている……。
「スメルナ!(気をつけ!)」
突然の修練長の来訪に練習している若手もだべっていた古年兵たちも一斉に姿勢を正す。
「ああ。楽に楽に。キヒヒヒ。別段、用事はない。鳩の糞で汚れている正門付近の壁の清掃に2、3人、使役に出せ。キヒヒヒ。
それと、コマ。大司教様がお呼びだぞ。キヒヒヒ」
それだけ言うと、修練長は去った。修練室中、安堵の溜息が漏れる。修練長は一見、猫背で始終不気味な笑顔を貼り付けただけの男だが、その実、極めて危険な男であるということは言うまでもない。
「コマ。何をやったんだ?エエ?」
「……」
仲間のこころのこもらない応援にコマは無言で肩をすくめてみせた。
✽ ✽ ✽ ✽
『♪君もナチ。僕もナチ。あなたもナチ。私もナチ。みんなニッコリ。ナチ・ナチ・ナチ・ナチ・パーティ。
僕たち、ちょっと本気で蹴飛ばせば、世界中がビビっちゃう。
偉大な僕らに敬礼しろ!優秀民族のお通りだ!
ハイル・ヒトラー!ハイル・ヒトラー!
レッツ・ジョイン・アス。ウエルカム。
君もラブリー・ナチ・パーティに参加して、いけてるSSになっちゃおう!』
マリアカリアたちはまだナニナニの街を出ていない。ようやく手に入れた馬車(アリステッドとサラが馬に乗れないとダダをこねたため)のうえでアリステッドが暇つぶしにコマーシャル・ソングを作っている。
「やめろ。バカ。周りにいるわたしたちまで低脳視されてしまうだろうが」
『あら。猪女が自由にしていいと言ったのよ。だから、わたしは自由にする。お構いなく』
「くっ。そんなに暇なら……。
ああ、そうだ。アリステッドよ。貴様。代官の役宅を燃やしてこい。警備隊長との約束で代官の身には指一本触れられないとしても、建物の破壊までは約束の外だ。
存分にしてくるがいい。やはり(襲撃に対する)お礼参りはしておかないとな」
『いいわよ』
アリステッドが馬車から飛び降り、往来で薪を売ってる商人のところへ行く。
『おじさん。薪、頂戴』
「いらっしゃい。お嬢さん。いかほどご入り用で?」
『うーん。代官の役宅を燃やすから10束もあればいいのじゃないかな。あっ。お代はそこの猪女に支払ってもらって』
「……」
唖然としている商人に向かってマリアカリアが慌てて弁解する。
「あー。ご亭主。そのおんな、ちょっとコレなんだ。ジョークと現実の区別がつかないんだ。勘弁してやってくれ」
「遊ぶんならよそでやってくれ。商売の邪魔だから!」
頭の横でくるくる回すマリアカリアの手を見ながら商人が吐き捨てる。
「(大魔女なんだろ。魔術使えよ、魔術)」『(はん。なんでわたしが猪女の命令を聞かなくちゃならないのさ)』「(放火、好きだろ。おまえら。なんと言っても自分たちの国会議事堂だって燃やすぐらいだし。それも他人に罪をなすりつけて)」
ぐずぐずとその場に居残って小声で喧嘩を始めたふたりに対し青筋を立てた商人が商売用の太い薪を握り締めるのを見て、ふたりは割と本気で逃げ出した……。




