少年 3
少年3
小野少年は長寿丸を持て余した。とにかく愚痴とボヤきが多い。少年は長寿丸のことを内心でボヤきの一寸法師と名付けることで溜飲を下げた。
人の悪いことに長寿丸はこれをわざとしているのであり、初見の人間に対して4尺しかない自身の背の低さをネタにすることは彼の基本であった。
「今日初めて出会ったのに僕が君が14であること知るわけないでしょう。それに僕が君を馬鹿にする理由もないし。人を無闇に馬鹿にする趣味もないし。そんなことして僕がどんな得をするというわけ?見知らぬ、しかもかなり物騒な土地でわけもなく人の機嫌を悪くする愚か者でもないよ、僕は。そんなことで殺されたらたまらないからね」
「それは殺されるおそれがあるから内心では思っていても言わへんちゅうことか。やっぱり馬鹿にしてるやんけ」
「なんでそうなるかな。君のことは知らないと言っているでしょうに。まったくつまらないことをぐじぐじと気にしすぎる。背なんて時期が来ればあっという間に伸びる」
「つまらない?人事や思って勝手なこと言いくさる。それに、わしのことを知らん奴がなんでそう言い切れる。口から出まかせ言うなや」
「僕の知ってる沢村君は中学卒業するまでクラスで前から数えて2番目の小ささだったけど、高校1年の冬に会ったときは僕よりもずっとデカくなっていたよ。アッと。これではわからないな。つまり、数えで16才の知り合いがたった1年で周りの誰よりも大きくなっていたということ。出まかせではないよ。これ、実体験だから」
「そんなこと知らん。わしの知らん人間のこと言われても、ハイそうですかと納得出来るかい」
「……」
松根掘りを終えたのち、男の子たちと少年はグダグダな会話をしつつ移動した。長寿丸が自分のお師匠様である静寂尼に少年を会わせると言うのである。
ようやく八田氏の館の前まで来ると、背負うた赤子に乳をふくませにだろう途中で姿を消していた女の子がやってきた。
「今日も利光はんやってきて、静寂尼様にどつかれたそうや」
「アホやな、あの人も。ちゅうことはお師匠さん、まだお館に居るんやな」
確認をすると、長寿丸はヒゲも生えていないのに顎を撫でて思案した。
「わしら、この格好では用人の井田様にも寄子頭の土井様にも目通りできん。そこで、苑様に小野殿を預かってもらい、夕餉の席でお屋形様に対面できるよう計らってもらおうと思う。なに、心配せんでええで。お屋形様は権威とか古いもんが大好きや、喜んで会ってくださるやろ」
長寿丸は小野少年を公家認定しているらしく、小野少年の内心などお構いなくそう言うと、一団を連れて空堀を回って裏門から台所、長屋を駆け抜け、瓦ののっている座敷の前まで走り込んだ。
「苑様、お師匠様。珍しい客人を連れてきましたでえ。お屋形様への取次ぎを頼んます」
橘の樹の陰から出した長寿丸の声は大きくて少々耳障りであった。
長寿丸から静寂尼が天下一の達人と聞かされた小野少年はこの後の展開を考えて少しヒヤリとした。尼僧とはいえ武人。もし公家でないと勘違いが解けたなら、叩きのめされたり手打ちになってしまうのではないか。現に利光という侍が叩きのめされているし……。
少年は勝手な長寿丸を少々恨めしく思った。
しかし、少年の心配は杞憂に終わった。
静寂尼も禅宗の尼僧である。少年への対応は非常に丁寧なものであった。
禅宗の尼僧にとり、殿上人であれ物乞いであれ内に仏性を抱いた人に変わりなし。浮世の身分で態度を変えることなどない。少年が公家あろうがなかろうがどうでもいいことだったのだ。
ハプニングといえば、苑が少年をひと目見て、顔を真っ赤にして奥へ小袖に着替えに走り、着替えた後も屏風の陰から出ようとしなかったことくらいだった。こちらは、小野少年が見目麗しい若い男だということによる。身分とはあまり関係がない。
対面後そう時も経たないうちに、知らず知らず少年は言葉遣いは丁寧なものの全くの無表情で短い言葉しか発しない尼僧に心を開いていた。
少年にとり真剣に自分の話しを聞いてくれる大人に出会うのは久しぶりであり、ましてや異世界から渡ってきたばかりで心細かったのだ。
高いところから突き落とされて異世界から渡ってきたことをポロリとこぼすと、後は口から勝手に溢れ出た。
異世界での辛い生活のこと。虐めや自分の人間性。前世の記憶があり、荻原草太として生きていたこと。さらにあやふやながらもそれ以前の転生の記憶があり、幾度となく転生と異世界渡りを繰り返していること。そして、長寿丸に名を尋ねられて転生前の名前だけを思い出して咄嗟に告げてしまったこと等など。
日が落ちたころ、ようやく少年は語り終えた。少年の顔には涙の痕がある。苑も屏風の陰で泣いていた。
「こんな荒唐無稽な話しは信じてもらえないでしょうね。でも、僕は頭のおかしい人じゃないですよ。これも信じてもらえないかもしれませんが」
少年の自嘲気味な声に対して静寂尼は無表情なまま静かに言葉を発した。
「奇特なことではありまする。が、信じるに足りるお話しと承りまする」
眼前に起こることすら夢幻と扱い善悪すら超越しすべてを釈尊の視点から眺める尼僧にとって話しが嘘であろうと眞であろうと本来どうでもいいことである。それに、輪廻の苦しみは当たり前。すべての人がそうなのだ。特段に悲しいこととも思えないはず。
が、長年の艱難辛苦に喘いだ少年の目を見てつい静寂尼は労りの言葉をかけたくなった。静寂尼なりの精一杯の優しさである。
そのような少年に対する感情とは別に、静寂尼は別の思いを抱かざるを得なかった。
なんという奇縁か。この自分が小野弘道という不乾山清凉寺縁起に出てくる名前を聞いてしまったのだ。だが、何も考えてはならぬ。釈迦なら眼前の少年に手を差しのべるはず。なんの躊躇もあってはならない。
静寂尼は少年を伴い彼の身を守りながら気の遠くなるような旅にでなければならないことを悟った。
この時、静寂尼は己の身命をなげうつ決心をした。この決心は旅の最後まで変わることはない。
他方、常識人である苑はまず少年の服装をみて少年の話しがまことであると信じた。
近頃は利光殿のように異装を好む者が多いけれど、こんな服装は考えられないわ。布の色も織り方も見かけることのできるものではないし。近くの三国湊で見かける南蛮人たちにも大食人たちにも少年と同じ服装をしている者はいなかったはず。やはり別の世界から渡ってきた人としか考えられない。
苑はさらに少年の話しに出てくる異世界の生活について驚嘆する。汽車だって?自動車だって?そんな鉄の塊が動くの?少年のその前にいた世界はもっと凄まじい。飛行機や携帯電話の話しにはとてもついていけるものではなかった。
ところで、苑は少年の話しを驚きつつも信じたが、いくつかの奇異な点に気づいた。
少年が死んだりして転生あるいは異世界に渡るのは何時でも17か18のときであること。それには必ず2人の、それも多くは同じ年頃の女がかかわっていること。
気づいた苑は同じ女として女たちの動機が嫉妬だと看破した。
この3人は愛憎の地獄にいる。
転生と異世界渡りを永遠にくりかえしながら女たちは愛情と嫉妬の狭間で狂い、少年はそれらに気づかずにいつもいつも悲劇的な最後を遂げて流転する。
なんと憐れな。
誰にも救いがない。
この推測をしたがゆえに苑は少年の話しに涙したのである。
そして、まったく悲劇的なことだが、この苑の推測は正鵠を射たものだった。
夕闇の中、それぞれ物思いに耽る3人の耳に渡り廊下から夕餉のしたくが出来たことを知らせる女童の足音が聞こえてくる。




