女の危機4
女の危機4
いま、小野少年は北部紛争地帯の病院にいる。スーパー・ウーマンこと田中美香に連れ出されてのことである。
もっとも、病院といっても名ばかりのものであり、村の備蓄倉庫の床に薄物を敷いて重傷患者が並べて寝転がらされているだけのものである。
血。吐瀉物。食事に出される水っぽい粥。
それら見えているものの匂いが混じり合い、外からきたものたちの気分を一層重くする。
隙間から入り込む日差しで内部はもうもうとした埃で充満していることが分かる。
およそ病院に求められる衛生状態から限りなく遠い。
「ムッター。ムッター(母さん。母さん)」
腕が欠損している栗毛の少年が熱に浮かされ弱々しく譫言を繰り返している。その傷口に巻かれた包帯は赤く湿っていて重い。
譫言や悲鳴を上げているのはこの少年だけではない。そこかしこから漏れ聴こえてくる。
その中を美香は小野少年を連れて足早に歩く。
「ここには抗生物質も輸血の道具もない。もちろん麻酔も痛み止めもあらへん。傷口を縫うか、再生不能と判断したらのこぎりで腕や足を切り落とすことしかでけへん。連れてこられた患者うち5人に3人は死ぬ」
美香は事も無げに付け加える。
「それでもまだ運のいい方や。連れてこられずに置き去りにされた患者はまあ間違いなく死ぬ」
美香の後を嫌々歩く小野少年はすでに歯を食いしばって顔をしかめ両手で耳を塞いでいる。しかし、そんなことをしても目の前の情景は消えてなくなりはしない。
ようやく目的地についた美香は小野少年にめくったシートの先にあるものを示す。
「戦っている連中についてはまあええわ。そういうこと込みでやっているわけやからな。
許せんのは関係ない人間にも被害が及ぶことや。
よう目を開けてみてみい。
君が最近、自己実現やら公家の矜持や言うて活動した結果がこれや」
小野少年はひざに力が入らず、その場にへたり込んだ。
シートの先は5,6才から10才までの子供の死体で溢れていた。みな一様に上半身が黄色く焼けただれている。
「毒ガスや。エルフ側からの援助物資でガス弾を買いよったアホがおるんや」
意識を失う前、小野少年の頭の中を冷たい美香の声が鳴り響いた。
✽ ✽ ✽ ✽
小野少年が気がつくと、木陰で寝かされており、屈んだ美香に水を含んだタオルで顔を拭いてもらっていた。
「うち。君に偉そうなこと言いすぎたな。ごめん。
大したことでけへんくせに時々無性に他人を攻撃したくなってしまうねん」
美香は力なく笑う。
「うち、な。5年前まで大阪の道修町にある製薬会社で腰掛けでOLしとってん。言うたら親のコネで3年ほどOLして寿退社することになっとったわけや。
それがなあ……」
苦い顔になった美香が続ける。
「夏の週末に友達から神戸の花火大会をクルーザーで飲みながら見いひんかって誘われたんや。そんで、神戸のホテルで一泊してもええな思うて阪神高速を車飛ばしとったら、うちに向かってなんや黒いものが飛んできた。
隕石みたいで隕石ちゃう。あんな飛び方の隕石なんてありえへんから。
ぶつかる思うた次の瞬間、うち、この世界の森の真ん中で立っとった。変な能力を身につけてな。
最初は知らんからまわりにウヨウヨいた巨大昆虫から悲鳴を上げて逃げまくったわ。
でも、じきに気づいた。触っただけで巨大な木がバキバキ音を立てて倒れていくし。空、飛べるしな。
そうこうしているうちにピクシーがやって来て、うちは保護された」
美香は小野少年の顔を見つめる。
「保護された上快適な生活(食料その他日用品はすべて現代日本からの宅配で賄われている)まで保障されている以上、君みたいにエルフ側について力を尽くすいうのが筋なのかもしれへんな。
でも、うちは嫌や」
小野少年の顔がゆがむ。
偉そうなことを言ってごめんと謝ったくせにまだ責めるのか。
心の中が自責の念と反発でごちゃまぜになる。
「美香さんは僕にエルフ側に協力することを一切やめろとでも言いたいんですか?」
「そうして欲しいと思っているのは確かやで。できれば、やけどね。
君の入れ知恵は大変危険や。ピクシーはお遊びで作られた人工知能みたいなところが多分にあって、人間みたいに悪辣な思考はなかなかでけへんからな。エルフ側に集められた異世界人も争いごとを嫌うもんがほとんどやし。
でも、強制はせえへんし、すべきことでもないと思っているよ。
君が決めることや。うちが出来るのは君に実際に行われていることのほんの一部を垣間見せてあげることだけや。あとで現実を知って後悔するのは辛いからな。よう考えて欲しい。
……うちが本当に頼みたいことは別にある」
言葉を切って美香が周りを見回す。
「うちがこういう活動をしだしたのは、戦場に近い村の老人たちが戦死した若者の死体を埋めていたのに出会ったのがきっかけや。老人たちは村を離れては生きていけへん。子や孫たちを逃がして居残っとんねん。(老人たちが)見ず知らずの他人を弔ってんのは村からも大量の徴用兵を出したからやな。他人とは思えんかったんやろう。
気づいたらうちは埋める手伝いをしとった。
それから、出会う度ごとに(老人たちの)手伝いをしているうち、領主の奥さんとも知り合いになってな。いまではこうして病院の手伝いなんかもしているわけや。
でも、役には立ってへん。力だけはあるから怪我人運んだり、集まってくる野犬を追い払ったりしているだけや。
うち、医師ちゃうし、怪我直したりようせえへん。現代日本の薬使おう思うても、こっちのヒトの構造が微妙に違うから使われへん。
はん。ほんま、使えん能力や。
その点、うちの旦那は違う。精神に働きかける力を持ってんねん。不安を取り除いたり、痛みに対する耐性をあげたりできる。
とくにうちの旦那の力は戦災にあった子供らの癒しに大きく役立つねん。
小さい子供というのは不幸をなんでも自分のせいにしがちや。あのとき、ママの言いつけを聞いてたらママは死なんで済んだと思い込んでいたりする。旦那はそういう記憶を消して別の記憶を植え付けることが出来る」
「……」
「……うちが君に頼みたいことはもう分かったやろ。うちの旦那の力は逆のことにも大いに使えんねん。そして、一番大事なことはうちの旦那はヒト族のスパイやいうことや」
小野少年は美香の意識せずに固めた左の拳から血が噴き出すのを見た……。




