女の危機2
女の危機2
「だから。卵かけご飯を貪り食っていないで僕の話を聞いてよ!」
小野少年が「夫婦円満のコツは相互理解が前提です」という当たり前のことを呪いのせいでした体験を交えながら必死になって説得しているのに元野球選手は涼しい顔で箸を動かしている。
「聞いてる。でも、めんどくさい。話を聞くだけで胸が詰まる」
恋愛は小野少年にとってはトラウマとも言うべき事柄なので本当は語りたくない。なのに、男の反応は薄い。
「あら。お客さんやったの?」
そこへ早朝にも関わらず厚化粧をした若い女性が寝室から降りてきた。なぜか明らかに日本人なのに金髪のカツラとカラーコンタクトをしている。
「あっ。どうも。ピクシーさんのところでお世話になっている小野弘道です。よろしくお願いします」
ツッコミ待ちかもしれないが、とりあえず小野少年は(金髪のカツラとカラーコンタクトについて)スルーする。小野少年は面倒なことについては異常に勘が働くのだ。
相手はスルーされてもさほど気にする様子もなく、会話を続ける。
「ふーん。いい感じの男の子やんか。まっ。うちのダーリンには劣るけれどね」
これは惚気ではない。「こんなに愛しているのに、相手が冷たい」という夫に対する間接攻撃開始の狼煙である。経験が小野少年に即時撤退の勧告を強硬にするが、ここで引き下がってはミッション・コンプリートにならないので必死に踏みとどまる。
「あの、ですね。今回、お伺いさせていただいているのは、夫婦円満についてのアドバイスについて……」
「そんなん、要らんわ。うちがこんなに愛しているんやから、あとはこのひとがうちだけを見つめてくれたらそれでええのよ」
「えーと。ということはご主人が浮気を!?」
「このひと。ときどきこの世界へとやってくる長い白髪の女に色目使われて、ぽーとしとんねん。うち、腹が立って腹が立って。思わず壺で殴ってしもた」
「いや。ご主人がぼーとしているのはいつものことでは?それに壺で殴るとは危険すぎる」
「あのね。うち。こう見えてもスーパー・ウーマンなんよ。スーパーを経営していんやないんよ。素手で殴ったら相手が粉微塵になるから配慮しているんよ」
女性はひと吹きで10トントラックを横転させ、目から出る熱線で銀行の地下金庫の厚い鋼鉄の扉をも焼き切ることのできる本当のスーパー・ウーマンであった。金髪のカツラとカラーコンタクトも彼女なりに世間のイメージに配慮したものである(成功しているかどうかは別として)。
ヘタれである小野少年はもう逃げ腰であったが、それでも女性の発した一言が気にかかった。
「あの。さっき、こぼした長い白髪の女というのはもしかしてリリス・グレンダウアー?」
「うん?ちゃうよ。リリスを敬愛しすぎて頭がおかしくなっとるセルマ言う女やよ。白髪もリリスの真似して染めたそうやで。前は赤毛やったみたいや。リリスの方はセルマが鬱陶しくて……。
うっ。そんな話している場合やない。うちが問題にしてんのは、そんな変な女に見つめられてこころ奪われそうになったこのひとのことやで……」
驚愕の事実に小野少年はスーパー・ウーマンのこぼす愚痴をもう聞いてはいなかった。
やっぱり、今回の誘拐にはあいつが噛んでいるのか!
✽ ✽ ✽ ✽
荒野を黒いベールを被った少女が笑いながら太った灰色のウサギを追いかける。その様子を離れたところにいる農婦の格好をした少女がじっと眺めている。
「おまえ。大人しく捕まってわたしに頬ずりをさせる。なぜ言うことを聞かない。太っているからといって食べたりはしない」
待てと言われて大人しく捕まるものはそうはいない。必死に逃げるウサギを黒いベールの少女は荒野を縦横に追い掛け回す。
だが、この長い競争も唐突に終わりを告げる。
黒いベールの少女がようやく後ろ足に手の届くまで追い詰めたとき、ウサギは突然、横っ飛びをして藪の中へと逃れてしまったのだ。
「しまった」
追いかけていた少女は照れ隠しのため舌を出して見せているようである(ベールのせいでおよそにしか分からないが)。
その様子に眺めていた少女もニコリとする。
嘲笑っているのではない。幼年の頃、お転婆で名を馳せていた少女にもウサギを追い掛け回して逃げられた経験が何回もあるのだ。
「ようやく笑った」
黒いベールの少女が眺めていた少女に声をかける。
「うん。ありがとう。なんか落ち着いた」
百姓女然とした少女の名前はゲンセンカ・ナ・コーツ。侯爵令嬢でありながら最近とみに生命の危険にさらされ続けている不幸な少女である。
つい最近まで神輿がわりに担ぎ上げようとした叔父にその居城の地下牢で監禁されており、形勢の不利を悟って手のひら返しをしようとした叔父にあわや狼の餌にされるところを正体不明の女剣士たちに救い出されたばかりであった。
ウサギを追い掛け回した黒いベールの少女は向蓮蓮。マリアカリアと親交のある玉女神剣チームのメンバーである。
向蓮蓮は少女に同情を禁じ得なかった。天才剣士として幼い頃から同門に純生培養された向には、自身の意図とはかかわりなく周りに翻弄されることの辛さが痛いほど分かるのである。
だから、どうしても少女を笑わせたかった。
向は剣の達人。ウサギを取り逃がしたのも当然わざとである。
「でも、どうしてここまで親切にしてくれるの?」
「わたしはゲンセンカのことが好き。力の限り守ってあげる。(理由としては)それで十分」
「いや、そう言ってくれるのは嬉しいのだけれど。でも、なにかほかに理由がありそうな……」
「それで十分」
「……」
向も内心では仙人からの課題だからと教えてあげたいが、なぜだか先輩掌門である林青蛾にきつく教えてはならないと言い含められていた。
「あとひとつ。教えて欲しいことがあるのだけれども」
「なに?」
「どうしてベールをいつも被っているの?食事の時にも被っているのはなんで?」
「……」
「気に障った?ごめんなさい。でも、姉弟子さんたちはベールをしてないのでつい気になってしまって。
いや。今の質問は忘れて。宗教上の理由だとかお顔に見られたくない傷とかがあったらだれでもそんなこと聞かれたくはないわね。わたしって、昔からデリカシーが無くて」
「……理由はよくわからない。同門の師姉たちに同門以外の人と会うときや山から外へ出るときは必ず着用するように言われたから」
「エエッ!なにそれ?」
表向きの理由は女性の貞淑さの強調であった。世の男どもがいつ若き掌門の顔ばせを盗み見て懸想するとも限らないというのである。
しかし、実際は。
向の顔が醜かったわけではない。目はくりんとして、ツンとした小さな鼻も可愛らしい。だが、余りにも童顔であった。
武林はとても体面を気にするところでもある。
向の師姉たちはよその武林江湖の士たちにおたくの掌門さんはとても可愛らしいですね、などと絶対に舐めた口をきかせたくなかったのだ。強面で通っている武林の剣術の流派のトップが可愛らしいでは堪らない。そこで、掌門の世間知らずをいいことにベールで隠し通すという極めて異常な手段を取ることになった……。
向蓮蓮は未だに本当の理由を知らない。
だが、この場合、知らない方が本人には幸福だろう。世の中には知らずにいていいことがとても一杯あるのである。




