情けは人の為ならず11
情けは人の為ならず11
その夜。
ナニナニの街の西側、代官の役宅を中心としたお屋敷町では不思議なことがいろいろと起こった。
たとえば、陽気で若い女性にちょっかいをかけることだけを一生の仕事と心得ている洒落男がいつものように女性を口説いている最中に、突然、天を仰いで胸を掻き毟ると、「おお。僕の胸から歯車の回る音がする!」とつぶやき、そのまま息を止めた。
あるいは、普段から働き者で評判の屋敷の下女が遅い夕食後の仲間との団欒の中、突然、笑ったままがくりと首を垂れ、息を止めた。
あるいは、無口で仕事熱心な橋の衛兵が歩哨中、立ったまま目を見開いて、息を止めた。
あるいは、商家の番頭がその日のシメの帳面づけのためペンをとった瞬間、そのまま固まって、息を止めた。などなど。
彼ら彼女らの周りの人達はあまりの突然の事態に驚き怪しんで、騒いだ。
心臓の発作か。いや。中風かもしれん。そうではなく毒殺だ。
だが、死んだかと思われた当の本人たちが不意にのろのろと動き出して、周りの人達はさらに驚かされることになる。
やがて、周りの人達の心配や制止をよそに息を止めたはずの彼ら彼女たちは皆、一様に黙りこくり、人形のように無表情なまま、それぞれの場所を立ち去った。それから、彼ら彼女たちはマリアカリアたちの泊まっている文官の私邸を目指して静かな行進を始めた……。
✽ ✽ ✽ ✽
その頃、文官の私邸の客間では、マリアカリアはエスターとシガレットを吸いながら寛いでいた。
客間はそれなりに豪奢であり、中世ヨーロッパもどきの世界であるはずなのに、なぜかテーブルには黒い釉薬をかけられた大きな高価な磁器の花瓶が飾られている。
「どうだ。ホウカ男爵と会ったのは大正解だっただろう?エスター中尉」
そのホウカ男爵から怒鳴りつけられ役宅から追い出されたはずのマリアカリアが右の指を振り回してその挟んだシガレットの灰をポロポロ落としながら散々だった会見をまるで手柄のように自慢する。
マリアカリア本人に言わせれば、これは主人公なら避けては通れないイベントだったのだそうだ。怒られることも必要なことであり、決して気ままな寄り道ではないのだそうである。
だが、早く帰りたいエスターはマリアカリアの自慢気な様子を少々うざったく感じてしまう。
「自分としましては、さっさとサラ・レアンダーごと美女を抹殺してケリを付け、(帰り道の探索のため)虫たちの楽園を目指した方が良いと今でも考えております。大尉殿」
「チッチッチッ。性急だな。エスター中尉」
マリアカリアが侮蔑の目で舌打ちをする。
「君は他人の頭の中をのぞき見すぎて自分の頭で考えるということを忘れてしまったのかね。
君自身がマルグリットによってここへ送り込まれた理由を含め、今回の一連の出来事に関してはなにかと謎が多い。少なくともわたしにはそう思える」
大きく紫煙を吐くと、マリアカリアは灰皿代わりに茶碗の受け皿に吸殻をこすりつけた。
「わたしが一番、腑に落ちないのは、何故リリスがわざわざわたしを美女と一緒にこの世界のこの場所へ送り込んだのか、ということだよ。
リリスにとってわたしや美女が厄介な存在であるならば、(精霊や魔女という普通のやり方では死ににくそうな相手だとしても)別々に摂氏3000度の噴火口の中とか水圧がとてつもなくかかる深海底に沈めるなど、いくらでもやりようがあったはずだ。
だが、リリスはそれをしなかった。
なぜだ?
なぜ、別々でなくわたしを美女と組ませて回りくどい別の世界への島流しなどにしたのだ?それと、どうしてこの世界でなければならなかったのだ?
つまり、なにかやつには狙いがあるはずなのだ。それがわたしには解らない。
やつの狙いがなんであるかを知るためには、やはりやつの描いた筋道に従ってイベントをこなしていくほかはない。
われわれではやつの頭の中まで読むことはできないからな」
そこまで言うと、マリアカリアは不敵な笑みを浮かべた。
「もっとも、考えることはできる。リリスの狙いがなんであるかということやそれをまったく意味のないものにしてしまえる方法とかをな。
われわれにも灰色の脳細胞はあるのだ。大いに活用しようじゃないか。エスター中尉」
そう言いながらマリアカリアはちらりと後ろを振り返る。
「だが、その前に、わたしは風呂に入って一汗流してこよう。
うん?どうした。不満か?
続きは仕切りなおしてからのほうがいい」
革張りの椅子から立ち上がり、客間からあてがわれた部屋へと立ち去りながらマリアカリアが付け加える。
「フン。
最前から隣の部屋の納戸で聞き耳を立てている小間使いがいるのにわざわざ聞かせてやる義理はないからな。
それに、秘密保持のためエスター中尉が小間使いの口封じするのを見たくはないしな」
隣の部屋からドスンバタンと音がする。
殺る気満々だったエスターは少々呆れ顔である。
「いま、風呂に入るのですか。
すぐさま代官に襲撃されるとは考えないのですか。無用心すぎますよ。大尉殿。
(実際、襲撃にあったとしても)大尉殿なら余裕でしょうけれども」
「おやおや。そんなに怒っていたのかい。あの代官?」
「いいえ。
あの代官。怒ったのではなく、大尉殿の推察通り、怒ってみせていたのですが。
ただ、同人誌を見せた結果があれだったものなので、随分と戸惑ってわれわれが敵かどうかの判断を迷っていましたね。
今頃、代官も(一存では決められずに)本来の主人にお伺いを立てていることでしょうから即襲撃とはならないと思います。
まあ、大尉殿が入浴するくらいの時間はあるでしょう」
「フン。やはり代官が秘蔵の同人誌を見せたのはテストだったか。
わたしはてっきり、あえて怒らせることを言えば探りを入れに来たわけではないと納得してもらえると踏んでいたのだが。
結局、やぶヘビだったのか」
「当たり障りのないことだけを言えばよかったんですよ。
代官の本当の主人は現代日本のサブカルチャーで送り込まれてくる異世界人の大半を手懐けているようですから」
「でも、まあいい。
エスター中尉がいる以上、われわれはイベントに出会う必要はあっても、うまくこなしていく必要はないのだ。何の問題もない。
軍人らしく物事なんでも強行突破だ。邪魔するものは踏み潰していけばいいさ」
交渉の方法として脅迫しか知らないマリアカリアにとって腹芸など出来やしない。本人にもよくわかっていることなので、とくに失敗を悔しがる様子もない。
✽ ✽ ✽ ✽
話題の代官であるホウカ男爵というのは、実はヒトではない。ドワーフである。
あまりにも若いせいか、比較的ヒトに近い容貌をしているため、その主人であるピクシーに間諜として選ばれて山国ディナリスへ送り込まれてきたのである。
彼は種族的属性をごまかすための日課である5度目のひげそりを終えてから、秘密の小部屋に閉じこもり、通信機器のスイッチを入れた。部屋中に3Dの映像が広がる。
「こちら、531号。定時報告です。
本日、代官役宅にて、別の世界から送り込まれてきたと思しきダークエルフの少女1名、ヒトの若い女性のなりをした正体不明の者1名および現代の若いアメリカ人女性1名と接見し例のテストを施してみたところ……」
代官のドワーフが本当の主人であるピクシーに詳細な定時報告を入れたところ、反応がいまひとつ芳しくない。
時たま送り込まれてくる別の世界の連中が特殊な能力を持っていて、代官の手下であるブルクタフトらの手に余るということはそんなに珍しいことではない。そして、テストの対象者が同人誌をなんのかのと馬鹿にしていても、彼の主人が日本のサブカルチャーの布教をすべく喜び勇んで駆けつけてくれば大抵がうまくいく。
まあ。(マリアカリアの脱線ぶりがひどくて)今回は少々特殊だったのだが。
それでも、彼の記憶では事件や事故が起こったことなど今まで皆無だった。だから、今回もいつもと同様に処理されるだろうと半ば予想をつけていたのだが、彼の主人の様子がなんだかいつもとは違う。
やはり、最近、侵入者が立て続いたせいか?
温厚な彼の主人が気の立った様子で報告を聞いているさまをチラ見して彼はそう思った。
やがて、最後まで代官の定時報告を聞いたピクシーは普段はしない沈痛な面持ちで決断を下した。
「今回の異世界人たちは例の手を使って殺処分してちょうだい。迅速によ。
わたしもこんなことは頼みたくないのだけれども、今のこの時期に聖遺物のあるところに現れた時点でどう見てもその異世界人たちは危険だわね。
後で後悔しないためにも必ず実行して頂戴。躊躇はしないでね。これは命令よ」
この世界の守護者はマリアカリアたちを排除することに決めた。世界はますます暴力の応酬で彩られていくことになる。
✽ ✽ ✽ ✽
この剣と魔法の世界には当然ながら電灯などない。
文官の私邸でも夜の照明は獣脂臭いロウソクの灯りだけが頼りである。
湯から上がり、濡れた体にバスロープを巻きつけただけのマリアカリアはそのロウソクの灯りさえも吹き消して部屋を暗くした。そのうえ、バルコンの鎧戸まで閉めて月明かりさえ入れない。これで、部屋は完全な暗闇となった。
それから、マリアカリアは天蓋付きのベットのそばにある小机の上に愛用の拳銃を2丁、それとベレッタ用のマガジンが2個を置いた。
精霊となってからは夜目が利くうえ、独自の勘が働く。だから、マリアカリアの準備はこれで整ったことになる。
やがて、何者かたちが塀を乗り越えて屋敷に侵入を開始した。
「フン。深夜、湯上りのレディをアポイントなしで訪問するのはエチケット違反だと気づかないのか。非常識な!」
言いざま、マリアカリアは右手にとった拳銃で鎧戸越しに中庭からバルコンへと飛びついた襲撃者の頭部を正確に撃ち抜いた。
だが、襲撃者はものともせずに鎧戸をぶち破り、そのままの勢いでマリアカリアに肉薄してパンチを振るう。
ズボッ
マリアカリアが顔を反らして避けたパンチが漆喰の壁にめり込む。
「そういう壁ドンは少しも嬉しくないぞ。相手が女のなりをした怪物だということも含めてな」
ぶち破れた鎧戸から月明かりが差し込み、襲撃者の姿が青白く浮かび上がる。
エプロンをつけた金髪の年の若い下女だった。
だが、その愛らしいはずの顔つきは無表情であり、極めて不気味である。マリアカリアの軽口にもなんの反応も示さず、その青い目にはなにも映っていない。
華奢な腕から再びパンチが繰り出される。
ストレート。左フック。アッパー。
半身になり避けたマリアカリアの顔に砕け散った壁の破片が降り注ぐ。
「9ミリのパラべラム弾はお気に召さなかったようだな。
では、マルグリット特製の弾丸をくれてやろうか」
マリアカリアは至近距離から相手の胸部に躊躇いもなく左手の拳銃弾を叩き込む。
キシッ
回路とともに胸部を大きく破壊された若い女の姿をした存在は腕を振り上げたまま静止した。
「魔導人形か。舐められたものだな。
回路を破壊しない限り作動し続ける仕様のようだが、正確に撃ち抜ける人間にとってはただの木偶人形だ。つまらない。
鬱陶しいことにこういうのがあと7体も侵入しているわけだが、2体をそのままサラの部屋に向かわすとして、残りは一階で掃討か。
血が出なくて面白みに欠ける人形相手に殺し屋エスター中尉はどれほど頑張りを見せてくれるのやら。
ヤレヤレだ。
まったく。シガレットが欲しいぞ」
それから、深夜の屋敷で銃声、物の壊れる音、そしてマリアカリアの怒声が交錯した。
「まだ着替えも終わっていないのに襲って来るとはどういう了見だ!
女のプライバシーと名誉を侵そうとするものには容赦はしないぞ!」
濡れたバスロープのうえからホルスターを吊ったマリアカリアが廊下を怒鳴りながら走りながら左手のUSP拳銃をガンガンぶっぱなす。




