情けは人の為ならず10
情けは人の為ならず10
「なんて恐ろしいところなんだ。ネバーランドというところは」
代官ホウカ男爵の役宅でマリアカリアが呻く。
警備隊長ブルクタフトの案内で代官ホウカ男爵との会見に成功したマリアカリアたちは軽くこの世界の説明を受けたあと、なぜだかご機嫌となった代官から秘蔵のコレクションを見せられてそれを読むことを強要されたのだ。
ネバーランドとかいうところでピクシーによって攫われてきた人間たちの書いた本を読まされて、マリアカリアたちはわが目を疑うことになった。
「どうですか。僕のネバーランドで収集した同人誌たちは。忌憚無き感想をお願いします」
二十歳を超えたばかりにみえる若き代官がニコニコ顔で自慢の収集品の感想をマリアカリアたちに求めてくる。
しかし、サブカルチャーというものにあまり接点のないマリアカリアたちの心境は複雑である。感想を求められても、目を宙にさまよわせるしかない。
「是非、お願いします」
この手のコレクターというのは自慢がしたくてたまらず、他人の迷惑など考えもしない。空気を読むということをせず、他人にコレクションを見せるばかりか常に感想までをも求めてくる。
「……わたしに感想を求めることはやめておいた方がいい。とてもシビアだからな」
「わたしはこの手の本に関しては恥ずかしながら馴染みがなくて、まったくの素人。感想などとてもとても」
マリアカリアとエスターがこもごも辞退の意を示すが、代官はしつこい。
「辛口の感想でもなんでもOKですよ。それを聞いて怒るようなことはしませんよ。僕はそんなに狭量じゃないですから。安心してくださいよ。ハハハハ」
「いや。そんなことを言うやつに限って少しでも辛いことを言われると自分の価値観を否定されたと勘違いして喚き倒すからなあ。代官の言葉は全然信用できん」「感想を述べる資格がありませんので、辞退させてください」
マリアカリアたちは手を振って辞意を繰り返す。
しかしー
「いや。大丈夫ですよ。どんな感想でも意味がありますし、それに怒りよりむしろ有難味を感じます。だって、この世界では読み手が少ないですから。大半の人間に長い文章を読むという習慣もなければ耐性もないんです。ましてや他人の妄想に付き合うことに慣れていないんですよ。それに比べて、あなたたちは現に僕の収集品を読み通した。もう読み通した時点で同好の士なんです。仲間に対して怒りや軽蔑をぶつけるようなことはしませんて」
「……」
疑わしそうに口をへの字にして黙り込んでしまうマリアカリアたちに対して代官はニコリと笑って確約する。
「本当です。なんなら同人誌の神様に誓ってもいいですよ」
「本当の本当に?
もし代官が怒ったらわたしはどうしたらいい?ブルクタフトとの約束でわたしは君に手を振り上げることができないんだぞ」
マリアカリアは苦笑いをするが、代官は懸念を払拭するようににこやかに笑う。
「コレクターの矜持にかけて絶対に怒りませんよ。もし怒ったとしてもあなた方に危害を加えるような真似はしません。信用できないのなら誓約書でもなんでも書きましょう」
誓約書云々と言い出した時点で、すでに信用性0なんだが。
マリアカリアは少しの間、思案する。
ここで代官を怒らしてもエスター中尉の能力で自分たちの欲しい情報はすでに手に入れている。失うものなど何もないのであれば、多少、権力者との摩擦があってもいいか……。
エスターが不安そうに見つめる中、とうとうマリアカリアが口を開いた。
「代官がそこまで言うのなら、この本などは」
マリアカリアは読破した一冊の本をおもむろに示した。
危険を察知したエスターが阻止をしようとするが、一旦発動したマリアカリアの説教は止まらない。
「たとえばこの本。ホラーとかファンタジーとか銘打っておきながら、血とかモンスターとかの象徴的な記号を書いているだけで恐怖だとか不条理さだとかいうものがちっとも伝わってこない。
一言で言えば、つまらない。なんだかわざわざ小難しく書かれた言葉だけが上滑りしているというふうに見えてしまう。
恐怖というのはそんなものなのか?
一杯血が出たり、醜悪な怪物が迫ってきたりしたら、恐怖?
肉塊や贓物が山積みにされていても、精肉工場や食肉の解体現場に行けばありふれた光景じゃないか。そんな記号よりもっと内面的な何かを描かなくてはいけないんじゃないのか。
ホラー本の体裁をとっている以上、年長者が10かそこらのガキ相手にキャンプファイアーで怖い話をしているのとはわけが違うだろう。かなり物足りなく感じてしまう。
少なくともわたしに恐怖を感じさせるには、作品の中にわたし自身の中の大切なものを奪う理不尽かつ無力さを痛感させる圧倒的な何か、が描かれていないと無理だと思う。
それに、この作品にはスプラッターなものとあまり宗教というものを真剣に考えたことがない人間の偏見しか描かれていない。これでは、あまりにも読む人間を馬鹿にしていて不快ささえ感じてしまう」
マリアカリアの突然の暴言に、まだ笑みは絶やしていないものの、代官の顔が引きつった。
「ああ、そうだ。こっちのファンタジーなどは、わたしに言わせれば現実を知らないただのガキの妄想だな。
魔術による『大爆発』で城壁が崩れて1万もの兵士が死ぬ?
主人公が『うらああぁぁ』とか言いながらサムライソードで千人切る?
まるで意味がわからない。
いや。わたしは実行不可能だとかそんな指摘をしているのではないよ。
これは書き手が暴力を描いているシーンのはずだよな。
暴力にしてはきれいすぎると思わないか。まるでシューティングゲームで高得点取った時のような書きブリで、負の感情を爆発させて他人の人間性を毀損しているおぞましさがまるでない。
おかしいだろう?工エ?
暴力とはそんなものではない。
振るいはじめる時の熱病のような陶酔感と人としては超えてはいけないことを超えてしまう不快な予感とが複雑に入り混じった感覚。
終わった時の虚しさ、虚脱感、罪悪感。
達成して得られる爽快感などどこにもないはずだ。そこにあるのは(やった本人の上げた)人間としての悲鳴しかない。
それなのにこの作品はどうだ?
無理やり相手を悪人に仕立て上げ、取ってつけたような安っぽい正義感で高ぶった主人公が暴力の根源的な負の側面に故意に目をそらして結果を達成した爽快感だけを強調する?
これではまるで高得点をたたき出したネットゲームの記録をインターネット上で公開しているのとなんら変わらないではないか。
同じゲームにはまりこんでいるガキにしか共感できないものを見せられても、わたしには感動しようがない」
代官のこめかみに太い青筋が立った。手が震えている。
「こっちの作品の人を殺したあとの感情の希薄さはなんだ?
殺人とは単なる作業なのか?その後すぐに幼女とかケモノミミとか大きなオッパイに抱きつかれて赤面してしまうほど軽いものなのか?
わたしに言わせれば、殺人というのは意思を持ち一個の価値観を抱いて社会であがいている存在を死体という無機質な物へと変える行為だ。それなのに、もしかしたら生き残った自分よりも価値のあった存在を毀損滅失してしまったのではないかという疑念、後悔、恐れといったものをどうして主人公は感じないのだ?
たしかに医師や軍人あるいは殺人を生業としている者などは職業柄、相手を人と見ずに物と見るように訓練されている。
だが、作品にある感情の希薄さはそんな無理やり鈍麻された感覚とも異なる、もっと無機質なものだ。
わたしにはこの主人公が記号的な事象に定型的な反応を示すようにインプットされた殺人ロボットのように見えて仕方がない。殺人後の可愛いものに対するペロペロ表現と相まって、実に不気味だ」「世界の外の神?暗黒神?人間を真似て作られた人形とそれを動かす脳の入った容器?海底深く復活を目論むなにかと半魚人と化してしまったもと人間の眷属?
すべては孤独な男が世間の片隅で練り上げた妄想だろう?そんなもののどこに怖がる要素があるんだ。恐怖というものは他者の心理を研究してはじめて発見できるものではないのか。作者の境遇には胸を打たれるものがあっても、作品自体についてはわたしには何が面白いのか皆目わからない」
なにやらギリギリという歯ぎしりらしき音がしたかと思うと、爆発的な怒声が響き渡る。とうとう予想通りマリアカリアの暴言が代官を怒らせてしまった。
にこやかだった顔を歪まし代官がマリアカリアに向かって指を突きつける。
「おまえのサイトを荒らしてやる!絶対に許さない。ネット仲間に呼びかけて総攻撃だ!」「おまえの作品の評価に1をつけてやる!悪口を言いふらして閲覧件数を下げてやる!」
「ハイハイ。どうぞ、ご勝手に。(わたしはサイトを立ち上げていないし、Web小説も書いていないのに)それができるならばな」
口の端から泡を飛ばして激高する代官に対して、こうなることを予期していたマリアカリアはそっぽを向いて聞き流した。
しかし、これはマリアカリアが全面的に悪い。そもそも同人誌というものは、仲間内でしか通じない様式美を持ち、一定のルールの範囲内で楽しむお遊びなのだ。同人誌の様式美あるいはルールの範囲外にある事柄を指摘してそれが欠けていると言って批判することは、お魚屋さんに対してバナナを売っていないと非難することと同じことである。
エスターもサラもその中にいる美女もそのことが分かっているので、「ああ。…やっちゃった」との感で一杯である。
早く帰りたいのに。また大尉殿が余計なことを……。
今回も、エスターはジト目でマリアカリアを見つめてため息をつく。




