情けは人の為ならず7
情けは人の為ならず7
「ガハハハ。おい。モル(酒場の亭主)。オレとこちらのお嬢さんにとりあえずエールを2杯だ。
おっ。鼻を真っ赤に腫らしてやがる。どっかでぶつけたか。みっともねえツラしやがって。ハッハハハ。
(床に倒れている5人を見て)なんだァ。情けない。昼日中にもう酔っ払ったのか。オレが真面目にお仕事しているっていうのによう。しょうがねえ、阿呆どもだ。
いやいや。お嬢さんが気にする必要はねえよ。あんなやつら、床でおネンネで充分だ。それよりさあ、お嬢さんのこと、聞かせてくれよ。
おい。モル。もたもたせずにエール、もってこい」
扉を開けて、羽のついた帽子を被った赤ら顔の大男がサラ・レアンダーを連れて中へ入ってきて盛んに喋りだす。
大男の突き出た太鼓腹に巻きつけられた帯にぶち込まれた銀鞘の短刀が嫌に目立つ。
エスターがマリアカリアに耳打ちをする。
「男の名前はブルクタフト。代官ホウカ男爵に付けられた領地なしの勲爵士で、街の警備隊長をやっています。もっとも、大食漢のうえ騒ぐのが大好きなオヤジで仕事には熱心でありません。年中金欠状態のため、ちょくちょく強盗騎士の副業を営むお茶目な面もあります。自分たちに富をもたらす隊商を襲ったりはしませんが、少しばかりなら他国の巡礼がこの世から消えても差し支えないとお気楽に考えている男なのです。山賊たちと同じ思考の持ち主ですね。
どうしようもない悪党ですが、基本的に女性は優しく扱われるべきだとの信条の持ち主であり、疲れきった様子で街道の坂道をしぶしぶ登るサラを見かけて保護するつもりで馬に乗せてここまで連れてきております。サラに乱暴する意図はありません。半ば善意からの行動といえましょう。
なお、この酒場は警備隊のたまり場兼ねぐらで、夜になるといかがわしい女たちがやってきて深夜まで騒ぎます」
「警備隊長が強盗のうえ風俗紊乱か。世も末だな。
左側の男たちはなんだ?」
「暫定当主エンセンカの手のもので、妹のゲンセンカをこれするため街に逗留中の騎士たちですね」
エスターは右手で自分の首を刎ねる真似をする。
「荒事が得意そうには見えないが」
「どこの世界でも下っ端は生き難いのです」
「世知辛いな」
「世知辛いです」
「あんたたち、あたしをおいてけぼりにしてお酒飲んでいたんだ。なんて不人情な奴ら。
はあ。疲れて、お腹が空きすぎてもう死にそう。
なんか食べさせて。
(もとの世界に)帰ったらちゃんと(お金を)返すから。ねえお願い」
汗まみれになったサラが懇願する。
「自分の金でなにを飲もうが勝手だ。
だが、まあいい。わたしもそこまで意地悪ではない。奢ってやろう。
おい。オヤジ。
そこの小娘に果物とパン、それに羊の串焼肉でもくれてやれ。マスタードをたっぷりと添えてな」
マリアカリアは金貨を一枚仕切り板の上へ転がした。
「へー。サラちゃんの連れは気前がいいな。男物の着物を着ているところは変わっているが、どうしてふたりとも美人じゃないか。
あれ。(マリアカリアたちが飲んでいる酒を指して)それ、アニス入りのリキュールじゃねえかよ。しかもかなり寝かしたやつ。オレがどんなに頼んでもモルの奴が舐めさせてもくれなかった代物じゃねえか。
あっ。オレ、ここの街で警備隊長やっているブルクタフトっていうもんだ。
初見で厚かましいが、根が酒飲みでどうしても我慢できねえ。ちょこっとでいいから、その酒、飲ましてくれねえか」
「……オヤジ。樽ごと持っていって注いでやれ。残り全部飲ませてやっても構わない」
無表情ながら、最近とんと言われていなかった言葉をかけられたのでマリアカリアは上機嫌である。
他方、ブルクタフトの方も酒を飲むのに忙しく、酒場の亭主が盛んに耳打ちするのを聞いていない。
「(ゴクゴクゴク)効くねえ。喉がヒリヒリすらあ。だが、飲みやすい。
あんだって、なんか言ったか?」
「だから、あの女どもはやばいって。これ以上、近づいちゃ、いけねえ」
「(ゴクゴク)ヒュー。美味いねえ。たまらねえ。たしかにこの酒はやばいなあ。
んで、酒奢ってくれるいいひとがなんだって?」
「いや。もういい。隊長さんも床に転がれ」
✽ ✽ ✽ ✽
州都イロヤにある女侯爵の居城の一室では16歳の少女エンセンカが各地から届けられた書状の山に埋もれながら腹心の部下の報告を聞いていた。
「王都のゾルテ商会も叔父上の息のかかった商店の手形の割引を拒否するのね。これで叔父上はどこからも資金を集められなくなったわ。あのひとも、もうおしまいね。
ゲンセンカを担ぎ上げようとした生意気な従兄弟の方はどう?言われた通りに彼の領地管理人を抱き込みましたか?あっそう。よろしい。
あとはわが妹だけね。お馬鹿な娘、大人しくしていればいいものを……」
女侯爵は姿かたちこそ虫も殺せぬような色白のほっそりとした深窓の令嬢であるが、その実、山国ディナリス史上有名な梟雄たちに引けを取らないほどの非情さと悪賢さと野心を隠し持った毒婦であった。
彼女の外観に騙されて甘く見た4,5人の有力な親族たちは破滅させられていてもういない。ようやく彼女の本性に気づいた残りの親族たちも猫をかぶって着々と駒を進めていた彼女の前ではもはや何もできないでいる。すでに退路を絶たれ、ただ蹂躙されるのを待つばかり。
世間では女侯爵の地位は未だ不安定だと囁かれているが、彼女からしてみれば事は9割がた終わっている。
金の力で王都の有力貴族たちの支持をも集めた彼女の目はもはや女侯爵の地位などではなく、もっと上へと向けられていた。
「だからこそ、きちんと火種の始末はしておかなくてはね」
女侯爵は一つ違いの妹の死の報せを今か今かとその居城で待ち続けている……。




