情けは人の為ならず5
情けは人の為ならず5
山賊の住処から丘陵地帯を越え街道に出てから1時間も歩くと、山間の街ナニナニが見えてくる。
街の中央は谷川によって分断されており、その深い渓谷には石づくりの巨大なアーチ状の橋が架かっている。
「疲れたァ。喉カラカラだし、お腹ペコペコだし。まだ街まであんなにあるし。もう倒れそう」
「サラよ。そういう時こそ中の美女に助けてもらえ。
わたしも定時に食事が摂れないとイライラしてしまうが、それだけだ。食べなくても飲まなくてもわたしは死にはしないし、活動が鈍るものでもない。不完全ながら精霊だからな。完全な精霊であるエスターなどはなおさらだ。
3人のうち食べ物や飲み物が必要なのはサラだけだ。それらがないと君は死んでしまう。君が死ねば中の美女も困ったことになるはずなのだから、是非とも美女に表に現れて魔術を使うよう懇願してみろ。
では、われわれは先に行く。健闘を祈るぞ。サラ・レアンダー」
そう言い捨てると、マリアカリアとエスターはスタスタと谷川沿いの街道を登っていく。
谷川に沿って蛇行している街道はたんなる山道ではなく、石が取り除けられ踏み固められて整備された道路であり、隊商の轍の跡がくっきりと残っている。
「ちょっとー。置いてかないでよー。鬼!ひとでなし!」
うしろからサラの悲痛な叫び声が聞こえてくるが、ふたりは無視する。
「どうだ。中の美女は動揺しているか?」
「いいえ。さすがにこちらの狙いを見透かして息を潜めております」
「フン。無駄に抵抗しよって。
じゃあ、サラにはこちらの食事を見せびらかしつつ3日ほど絶食を強いてみるか」
「それはさすがに鬼畜すぎます。大尉殿」
美女に聞こえることを前提にふたりは声高なひそひそ話をする。
魔女の力が人外のものとはいえ、本来、精霊などに勝てるほど強力なものではない。この理は美女ほどの大魔女であろうとそうは変わらないものである。だからこそ、美女は風水を徹底的に調べて地相的にもっとも強力な魔法陣を張れる場所すなわちルイス・マンスフィールドの家を選択し鉄壁の恒久要塞陣地を構築してそこに篭っていたのである。この要塞陣地に篭っていさえすれば、イギリスの魔女たちが何百人来ようとあるいはマルグリット級の精霊が束になってかかってこようと、美女は安全であり、得意の千里眼とアウトレンジ魔術で無敵を誇れたのである。しかし、またしても美女の傲慢さから要塞内にリリスを引き入れてしまったがため、リリスによって美女は要塞を追われ裸同然に異世界へと送られてしまった。本来ならこれで詰のはずなのであるが、マリアカリアの変な拘りのおかげで美女はサラ・レアンダーの体の中に身を潜め必死に防御を展開してようやく首の皮一枚残しているという状態を保っているのである。にもかかわらず、余裕のない美女が表に出てサラのために魔術を展開などすれば、たちまちエスターによって防御を突破されて真名まで突き止められ、美女はジ・エンドとなってしまう。
マリアカリアとしてはなんとしても美女を表に引き出したい。一方、美女の側ではいつまでもサラの体の中で引き篭っていたい。
以上の共通認識があるため、上記のようなマリアカリアの安い挑発と美女のガン無視というせせこましい神経戦が絶え間なく続けられているのが現状である。
街道を下って向こうから粗末な百姓馬車が来るのが見える。
マリアカリアたちが街道に出てから初めて出会う人間であるが、御者をしているのはいかにも百姓然とした薄汚れたつば広帽の壮年の男で、特に変わった様子はない。男の方もチラリとマリアカリアたちを見るが、珍しいはずのマリアカリアたちの服装を見てもとくに驚いた様子もない。
「今の男、われわれを見てもとくに驚いた様子がなかったな。エスター中尉」
「近くに有名な修道院があり、遠い他国からちょくちょく巡礼が訪れるようで、土地のものは変わった服装の旅人には慣れているようです。それに、あの男特有の考えかもしれませんが、『自分の土地でじっとしていればいいものを、旅行するなんて相当もの好きな連中じゃろうて。変わっとるわい』と強く思っているので、こちらは軽く変人として片付けられて男のさしたる興味を惹かなかったみたいであります」
「ふーん。変人ねえ。当たらずとも遠からずといったところだな。精霊と魔女に乗っ取られかけている女連れではな」
「ところで、大尉殿。山賊たちの記憶からすると、最近、われわれ以外に別の世界から渡ってきた強力な存在がいるそうですよ」
「その強力な存在に遭遇すればあるいは帰還の糸口が見つかるかもしれないということか。なるほど。
その存在が山賊程度の口にのぼるほどのものであるとすると、きっとこの世界の権力者たちの警戒の対象であって、そいつに関する情報は権力者たちが集めて握っているとみてよいな。
よし。あまり気がすすまないが、権力者に接触してみるか。
では、エスター中尉。ナニナニの街の権力者およびその者の立ち位置などをざっくり説明してくれたまえ」
「ナニナニの街は山国ディナリスに属するコーツ侯爵が支配する交易の中継都市であります。
コーツ侯爵領は大半が山地でありますが、大小5つの銀山、3つの岩塩坑に恵まれ、銀、塩、木材を輸出していてかなり豊かな土地柄であって、そのため領主も交易ルートの維持を重視しており、ナニナニの街にもホウカ男爵なる代官を置いております。
もともとコーツ侯爵領は内陸国である山国ディナリスの中でもさらに内陸にあり、他国との国境にも接しておらず、外敵関係にあるといえるほどのものが存在しません。また、領主が交易を重視していることもあって、他の貴族との間でこれといった領地争いもなく、至って平穏な関係にあります。そのため、コーツ侯爵領では領主以下が平和ボケをしており、大した武力による備えもない状態にあります。
ただし、豊かな土地柄だけに侯爵領の相続を巡った暗闘が頻繁にあり……」
エスターの言うとおり、コーツ侯爵家では激烈な相続争いがよく行われ、そのため親族同士が仇敵関係にまで発展していることが多い。特に、2年前、当主が不審な事故死を遂げてから、誰もが足の引っ張り合いをしてなかなか当主の座が決まらず、暫定的にその長女である16歳のエンセンカ・ナ・コーツが女侯爵として立てられ、誰もが未だ当主の座を虎視眈々と狙っているという不安定な状態のまま、今日に至っている。
「ふーん。それで代官のホウカ男爵はどの勢力に属しているんだ?」
「いや。そこまでの情報は山賊たちの記憶にはなかったであります。ホウカ男爵自体、複雑なしがらみのある人物で特にこれといった勢力と強固に関係を結んでいる様子が伺われません。おそらく」
「柔軟に構え、機をみて自己にもっとも有利な勢力と結びつこうとする風見鶏か。田舎国の中の田舎貴族の、そのまたさらに下に仕える小物の話だからな。小さすぎてあくびが出そうになる。
そのほかなにか気になる情報はあったか?エスター中尉」
「暫定当主エンセンカのすぐ下の妹ゲンセンカが修道院に入る前の逗留先としてナニナニの街を選び、こちらへと向かっているとのことぐらいでしょうか」
「この街に何かあるかもしれない、か。
まっ。いずれにしろ街に入ってから情報収集に努めるしかないな。
今後ともよろしくたのむぞ。エスター中尉」
「はっ。お任せ下さい。大尉殿」
ようやく街の入口にまでたどり着く。入口は巨大な岩をくりぬいて門柱代わりにした門であるが、戦乱に巻き込まれたことがないせいか、門は開きっぱなしの状態で有り、門番すらいない。
今日は市の日でもないらしく、通りは閑散としており、時折、砂埃の混じったつむじ風が駆けていく。
「まずは酒場だな」
山賊たちの記憶によれば、この世界には冒険者組合のようなものはないらしく、当然、冒険者ギルドの事務所というものも街にはない。そこで、ナカムラ少年から一応RPGの手ほどきを受けていたマリアカリアはゲームにならい、情報収集の場として酒場を選択した。
樽の看板のあげられた建物の樫の木でできたドアを開けて中に入り、マリアカリアは仕切りの向こう側にいるオヤジに声をかける。
「おい。亭主。われわれは当地を初めて訪れた旅の者だが、少し話を聞かせてくれないか」
「話だと。ここは酒場だ。酒を注文しろ、酒を。ヤギの乳は置いてないからな。酒も飲めねえ若造には似つかわしくない場所だ。回れ右して帰んな」
久しぶりに男の子扱いされたマリアカリアが爆発するまであと5秒……。




