情けは人の為ならず1
情けは人の為ならず1
サラ・レアンダーがふとわれにかえると、重く冷たい霧にさらされながらひとり森の中にいることに気づく。
夜なのだろう。鬱蒼と茂る黒々とした森の木々の影と灰色の霧以外なにも視界に映らない。
身につけているのは、覚えのあるカトッソーとカーディガン・ボレロ。それと、ミニのフレアスカート。
衣服を手探りして手足が自由であることがわかり、少しだけ安心する。
でも、それだけ。
スマートフォンもカードも財布も、そして護身用に肌身離さず身につけているはずのワルサーp38もない。いつもは手元に有るはずのものが何ひとつとしてない。
そして、なにもわからない。どうしてこんなところにひとりでいるのかさえも見当がつかない。
ここはどこ?マリン・ヘッドランズの近くにある森の中?
さっきまで自分が何をしていたかの記憶がまるでない。交通事故?でも、車どころかまわりには道すらない。状況がおかしすぎる……。
不安でいっぱいになったサラはとりあえず行動を起こすことにする。
「おーい。誰かいない?わたしは市内の建築設計事務所に勤めている設計士でサラ・レアンダーというの。誰かいたら返事して。ヘルプ・ミー。プリーズ!」
声が出るのを確かめてからサラは大声で助けを求めた。
だが、しばらく耳をすましていても誰からの返事も来ない。
ダメだ。どうしよう?!
サラは途轍もなく不安になる。
街の灯りを求めてこの場から抜け出なければならないとは思うものの、懐中電灯どころかライターひとつ持たない自分が夜の森の中を移動するなんて無理。救助を期待して朝まで待つしかない……。
夜の森は静まり返り、物音ひとつしない。
やがてサラはひたすら夜明けを待つことに決めた。
✽ ✽ ✽ ✽
ようやくあたりが白み始めた。
コトコトコト、コトコトコト
森の小鳥は早起きである。アオガラ(キツツキ)が古いオーク(楢木)をつついて虫を捕食しているのが見える。
サラは喜んだ。
朝が来た!これで救助される。救助されなくても、救助を求めて行動できる。
気温の下がった森の中、まんじりと眠りもせず、身動き一つせずにひたすら待った甲斐があるというものだわ。
サラが辺りを見渡して、ここはオーク(楢木。落葉樹)の森林で、人が通った形跡すらないことに気づく。
道理で叫んでも反応がなかったわけね。仕方がない。自分から動くしかないか。
立木の影から東のおおよその方向を割り出したサラは落ち葉の中から落ちていた枝を拾い上げて杖がわりにし、人里を求めてだいぶ薄くなった霧の中を移動することにする。
移動してしばらくすると、サラは奇妙なことに気づく。
広葉樹の落ち葉を踏みしめながらの移動であるが、自分の足音以外にもガサガサいう音が聞こえるのである。
「誰?だれかいるの?」
サラの問いかけに答えは返ってこない。相手も止まったらしく、耳を澄ませても相変わらずアオガラが立てるコトコトコトという音しか聞こえてこない。
本能的に危機を感じ取ったサラはあわてて回れ右をして藪の中へと必死に逃げ出した。
しかし、無駄だった。
横から急に出てきた黒い長靴に足を引っ掛けられて、サラは地面に顔から突っ込む。
顔を打ち、四つん這いになったサラは地面に人の影がさしていることに気づいた。
「逃げる必要はない。で。おまえの名前はなんだ?」
サラが振り返ってみると、空色のケピ帽を被り双眸を冷たく光らせた女の子が立っていた。
「いやよ。人の足を引っ掛けて転ばすような奴には教えないわ」
「フン。それではおまえの墓石になんと刻めばよいかわからんではないか。名無しでもいいというわけか?臆病者めが」
✽ ✽ ✽ ✽
「絶対とは言わないが、わたしの予想ではここはサンフランシスコではないな」
「だったら、ここはどこなのよ」
「知らん」
同行することになったのはいいのだが、サラはこの奇妙な女の子があまりにも口をきかないことにほとほと困りはてた。
何を聞いても『知らん』あるいは『お前が知る必要はない』としか答えてくれない。
おまけに、わたしの足を引っ掛けて転ばしたくせに謝りもしなかった!
名乗りだけはあげてくれたおかげで、女の子がネオ・ナチでもフランス外人部隊の仮装をしているのでもないことだけは知れたけど、メラリア王国なんて国そもそもあったのかしら?それに、大尉だって。せいぜい17歳くらいにしか見えないのに。
名前がボスコーノというくらいだからイタリア系なの?
ぜんっぜん、わからない。
とにかく威張ってて目つきが悪い。年下のくせになんか感じ悪いし。生意気というより獰猛な狼と一緒にいるみたいな気がするし。
なんなの。この子は!
考えれば考えるほど、腹が立ってくるじゃないの!
それでも、大人であることを自認しているサラは少しだけ考え直す。
でも、まあ、さっきも飲み水に使える小川を見つけてくれたし、熊なんかが出てきたとしてもひと睨みで追い払ってくれそうで、便利で頼もしいといっちゃそうなんだけどさ。
とにかくどうやって付き合っていけばよくわからないから、ほとほと困るわ。
どこか適当に捨てる場所はないかしら。
おーい。どこかに赤ちゃんロッカーならぬ悪ガキロッカーはないの?おーい。
大人でも考え直すのはほんの少しだけらしい。相手がマリアカリアであれば仕方がないといえば仕方がないのだけれども。
✽ ✽ ✽ ✽
「おい。おもしろいものが見れそうだぞ。
わたしには既視感のある風景だが、サラにとっては初めてのものだろう。楽しむがいい」
考えごとをしていたサラに捨てられそうになっている女軍人が楽しそうに声をかける。
サラが指し示された方を見ると、森から外れ少し開いたところに洞窟があり、洞窟の入口には古風な造りの革鎧みたいなものを着た男が二人倒れていた。
「あれは、ファンタジー名物、ゲームで脳がイカレタ少年による山賊の住処への襲撃だろうな。今頃、洞窟の中は血だらけで、恨みのこもった顔の山賊たちの死体でいっぱいに違いない。
是非とも大人としてはガキに注意してやらなければなるまい。アハハハハ」
女軍人の嘲りを含む笑い声にサラは背筋が寒くなった……。




