名誉と汚名の狭間12
名誉と汚名の狭間12
「大尉殿。やはり追ってきてますよ」
バックミラー越しに巨大なタンクローリーが猛スピードで迫っているのが判る。
「振り切れ。エリザベス伍長。だが、その前に、取り敢えず車をマセラティのクワトロポルテに変えてくれ。日本車ではやはり気分が出ない」
「了解です。大尉殿。あちら様にも巡航速度300キロのカーチェイスをご堪能いただきましょう」
「色は黒だぞ。エリザベス伍長」
「もちろんです。大尉殿」
車体の色と形状を変えながらマリアカリアたちは深夜のサンフランシスコを爆走する。
「ヒャッホー。アハハハハ」
エリザベス伍長はハンドルを握ると人格が変わるタイプらしく非常にハイの状態である。
マリアカリアたちを乗せたクワトロポルテはそのままパシフィック・コースト・ハイウェイに入る。
「大尉殿。敵も形状をスポーツカーに変えて追ってきてますよ。ロードスターとメルセデスです」
エリザベス伍長がサイドミラーを見て告げる。間髪入れずに、横に座っているアン少尉もマリアカリアに警告を発する。
「大尉殿。挟撃です。前方に敵3つ出現しました。接敵まであと10秒。9。8。7。6……」
「フン。暇つぶしには丁度いい。
(前方の敵を)このまま跳ね飛ばしてやれ。エリザベス伍長。
アン少尉は例のやつで衝突予定面を覆え」
前方の、液体金属でできているかのように見えるオートバイの形をしたなにかを見ながらマリアカリアは不敵な笑みを浮かべた。
「……3。2。1。0」
ツルリン
摩擦係数を限りなく0にすることができるアン少尉のおかげでさほどの衝撃を感じることもなく、前方にあった3つの液体金属の塊を大きく跳ね飛ばすことに成功する。
「3つのうち2つはガードレールを越えて海に落ち、ロスト。1つは後方のロードスターと衝突し、メルセデスを巻き込んで横転しました。大尉殿」
「つまらんな。噛みごたえがまったくない」
アン少尉の報告にマリアカリアは片眉をあげる。
グロリアたちの準備が整うまでこの鬼ごっこを続けなければならないことを思い、マリアカリアは少々うんざりする。
マリアカリアはグロリアたちにセイズ魔術の性質を利用してホセ・エミリオの死体に残された情報をつかい、美女の情報を逆探知することを事前に命じていた。
セイズ魔術とは北欧神話にも出てくる、北方人種に古代から継承されてきた固有の魔術である。武器や道具にルーン文字を刻んで神秘の力を引き出してみせたり、魂を変形させて狼や渡りカラスと同化して野山を駆け巡ったり大空を自由に羽ばたいてみせたりと、独自の色を見せる魔術である。使い手はボルボとよばれる巫女にかぎられ、美女もその系統に属する人間とみて間違いがない。
グロリアたちが逆探知に成功して美女の情報に干渉できさえすれば、美女は完全に無力化できる。
頼むぞ。グロリア。そして、エスター。
サイドミラー越しに後方で横転していた液体金属の塊たちが再び追走しだしたのを見てマリアカリアは心の中で強く念じた。
✽ ✽ ✽ ✽
「あっ。失敗しちゃった!シルヴィア。あんたが余計なこと聞いてくるから気が散ったちゃじゃない。どうしてくれるのよ」
「知ったことか。おまえがへたすぎるのがいけない」
机の上でバラバラに散らばったカードを集めながらグロリアはシルヴィアに食ってかかる。
これで賭けでトランプの塔を建てることを競い合っていた4人のうちふたりが脱落した。あとはエスターと異常に手先の器用なホセ・エミリオの一騎打ちである。ふたりは11段目まで完成させており、最終段の2枚を重ね合わせるだけである。
「こら。息吹きかけんなや。ちびっ子」
「生き返らせてやったのに、わたしを抜くなんて許せない。(塔を)壊してやる!」
グロリアたちは怠けてただ遊んでいるわけではない。
死体に残っていた情報を解析して逆探知には成功したが、キーとなる美女の真名を知らないため未だに美女本体には干渉できずにいたのだ。
美女の真名を知らされるまでグロリアたちには打つ手立てがなく、美女の無力化にはだれかが美女の真名を探り出してくる必要がある。
そのだれかとは一体だれを指すのか……。
✽ ✽ ✽ ✽
「自称美女君。わたしは暇だ。暇つぶしに前々から疑問に感じていることを質問して良いかな?」
リリスは両足を拘束している魔法陣を無理やり床ごと引っペがしてソファーに座り、ブランデー入りのグラスを片手に寛いでいる。
「立場が判っているというふうにはとても見えないわね。精霊さん。
まっ。それでも、イギリスの雌豚どもが重い腰を上げるまではわたしも暇だから付き合ってあげてもいいわよ。ただし、気に入った質問以外は答えるつもりはないけれどね。
それで、なに?なにが聞きたいの」
「イギリスの魔女どもをやっつけるのにどうしてこんなに手間をかけるのか、ということ。そこのところがどうしても腑に落ちない。わたしとしてははやく依頼した仕事に取り掛かってもらいたいのだ。
自称美女君なら、こんなに騒ぎをデカくしないでもひとり残らず残酷なお仕置きできたはずだろう。何を企んでいるんだい?」
「ああ。そのこと。簡単よ、その説明は。
わたしは1944年の再現をしたいのよ。ハンガリーでマルガリータ作戦が行われたちょうどその頃、わたしは彼女たちのうちでもっとも生意気な連中をおびき出して皆殺しにした。彼女たちの死に際に自分たちの無力さを思い知らせることを目的としてね。実際、悔しそうな目をしながらバタバタと彼女たちは死んでいった。
だけれど、わたしは彼女たちに見せつけるために用意した実験には失敗してしまった……。
つまり、わたしの論文を盗み見ていた彼女たちは相打ちを狙い、自分たちの命と引き換えに魔法陣を書き換えてわたしをメダルの中に閉じ込めたのよ。油断していたわたしが悪いのだけれども、盗み見られた論文のせいで一本とられるなんて屈辱だわ。
だからこそ、今度こそ実験を完璧にやり遂げて彼女たちに人が有機体の身体を捨てて進化するところを拝ましてやりたいのよ。アーリア人が神になるところをその目に焼き付けさせたいの。
でも、あのとき、彼女たちのうちもっとも腕の立つ連中を皆殺しにしちゃったから、彼女たちは復活したわたしにまともに抵抗することもできない。怯えた彼女たちを立ち上がらせるには追い詰めて追い詰めて追い詰め抜くしかないのよ。どうせ彼女たちはこの世界の権力者たちと裏で繋がっているから、わたしが派手な騒ぎを起こせば、権力者たちがせっついて怯えた彼女たちでもわたしに向き合うしかなくなるというわけ。
怯えた小鹿ちゃんたちがなけなしの勇気を振り絞って立ち向かってきたところを圧倒的な力で無慈悲に蹂躙して絶望のどん底に叩き落とす。
ゾクゾクしてくるじゃない。わたしは彼女たちが絶望に打ちひしがれてすべてを諦め切ったときにする、あの目をはやく見てみたいの。想像しただけで堪らないわ」
「人の分際で神を創り出す、か。
君は実に傲岸で鼻持ちならないな。そして、異常だ。
君ほど嫌悪の情を抱かせる人間も珍しい。
だが、非常に愉快だ。もしかしたらわたしは君のことが好きになってしまったのかもしれない。君を殺すのはマリアカリアなんかじゃなくて是非わたしにさせてくれたまえ。自称美女君」
「あら。大きく出たものね。このわたしを殺すですって。知性も何もなく、進化すらできずに人真似で生きたつもりになっている、たかが精霊の分際で。
でも、その無礼を今回だけは特別に許してあげるわ。実験を成功させてイギリスの雌豚どもの泣き顔を見るためにはまだまだあなたの力が必要ですからね。精霊さん」
「許してもらう必要なんてないさ。だって」
リリスは指を鳴らす。
「自称美女君にはこれからマリアカリアと一緒に旅立ってもらうから」
サラ・レアンダーの身体を持つ美女とマリアカリアは唐突に稲妻に打たれ、同時にこの世界から姿を消した……。
「きっと、この美女の真名探しの旅は君たちを愉快にさせてくれると思うよ。わたしは暇だが」
ブランデーを口に含むと、リリスはそう呟いた。




