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名誉と汚名の狭間10

 名誉と汚名の狭間10


「これで東京を火の海にできる!」


 1980年代の初め、日本に近い半島の小国家の権力者がソ連の最高指導者ユーリー・アンドロポフから中距離弾道ミサイル(スカッド・ミサイルの後期の型)の技術提供を受けた際にこの言葉を叫んだという噂がある。

 この、小さな国家で改良を続けてこられた弾道ミサイルにコバルト爆弾(強化原子爆弾。使用されると、残留放射能が半端でなく不毛の地になるといわれている)などが搭載されて発射されると、東京は本当に火の海となってしまう。

 小さな国家にとって弾道ミサイルの発射は最後に残された切り札であるが、実行すれば確実に小さな国家が世界地図から消えてなくなってしまうという諸刃の剣でもある(この事実を暗黙の前提として小さな国家は過去、何度も全世界に向かって脅しをかけてきた。いわゆる瀬戸際外交というやつである。狙いはむろん日本が泣きつくであろうアメリカとの通商・外交にあった。予想される難民の発生、経済的な負担等国家が崩壊した場合のリスクと大国の資源戦略にかち合わなかったという僥倖から不思議と現在までこの小さな国家は存続している)。

 そのため、実行されるように見えて決して実行されるはずがないとして、東京に向けての弾道ミサイル発射の準備が数日前から急ピッチで半島の付け根で進められていることが報道されていても、日本の国民の間で関心を持ったものは少なかった……。


 小部屋の中、スマホに見入っていたシルヴィアがエスターに声をかける。


「いま、半島の付け根で数日前から準備中だったミサイルの発射実験が止まったとの情報が流れてきた。それから、小国家の首都では司令部で高級軍人の何人もが射殺されて軍は混乱状態にあるとの噂も流れている。

 信じられないことだが、これらはすべて君がやったのか?エスター中尉」

「シルヴィア。こんなことで驚いていちゃ、ダメよ。

 こいつはね。ひとの頭のなかをのぞき見るだけでなく、何にだって変身する力も持っているの。かつては、たったひとりで一晩に反抗する都市国家の住人を皆殺しにしたこともあるのよ。

 もっと酷いことでも朝飯前でしてしまえるおんなだと思っていた方がいいわ」


 ふたりと同じ机を囲むグロリアは7000年前、散々煮え湯を飲まされたエスターに対して嫌悪の情を隠そうとはしない。


「いやいや。それは買いかぶり過ぎよ。わたしがそんな大それたことをするわけないじゃないの。

 それは根も葉もない噂。たんなる噂よ。

 今回も、大尉殿に命ぜられたとおりにちょっとした旅行をしただけよ。大それたことは何一つしていないわ」


 エスターはなに食わぬ顔をして脇に吊っているホルスターからルガー08を抜き出すと、くわえたシガレットに火をつけた。


「フウー。おちびちゃんはよくそんな古い噂を覚えていられるものね。7000年前のことなのに。感心するわ。偉いわね。

 でもね。わたしとしては初見のひとに間違ったイメージを持たれちゃうから黙っていて欲しいんだけれどな。フフフ」


 エスターは目だけがそれと異なる笑顔を貼り付けたまま、ただマリアカリアも愛用しているメラリア産のシガレットをくゆらせる。


 なるほど。


 身内であっても余計な情報は一切漏らさないというエスターの秘密警察の人間らしい態度にシルヴィアは納得する。


「で。君は美女の千里眼からわれわれの行動を覆い隠すことができるというのだな。エスター中尉」

「ええ」

 

 エスターは口にシガレットをくわえたまま、軽く頷いた。


 シルヴィアとグロリアには、手の内を一向に見せない美女の力量を推し量ることができない。

 美女はどうやって何千キロも離れたところにいるひとの意思を自由に操れることができるのだろうか?美女の力を及ぼせる範囲は?規模は?美女の力は人々の意思を操るというものに限られる?美女はこれまでに判明している仕掛け以外に本当に学園に対して何もしていないのであろうか?


 半島の北の国で核兵器搭載の中距離弾道ミサイルが発射されようとしていたのも、パンデミックを起こすためホセ・エミリオに生物兵器が仕込まれていたのも事実である。

 他には本当にないのだろうか?

 例えば太平洋上のどこかから原子力潜水艦に東京へ向けての弾道ミサイルを撃たせるようなことが……。


 数え切れない程もある、もしかしたらという最悪の可能性を思い描いてシルヴィアとグロリアのふたりは暗澹とした気分になってくる。


「愚痴を言っていてもキリがない。われわれは出来る範囲でベストを尽くすだけだ。

 グロリア。おまえの仕事を始めてくれ」


 シルヴィアが最後とばかりに一気に根元近くまで燃やしたセブンスターを灰皿にこすりつけ、口から紫煙を吐き出した。


「もう。シルヴィア。気をつけてよ。タバコの煙がこっちに来ているでしょう!」

「いや。それはすまない。

 でも、精霊であるおまえがいまさら健康に気を使っても意味がないと思うのだが」

「健康じゃなくて、着ているお洋服に臭いが染み付いちゃうと言ってんの。あとでわたしは3歳児(ラプンツェル)を抱くんですからね。気をつけて欲しいと言ってんのよ」


 なにかとブツクサ言いながら、グロリアは与えられた仕事をすべく、死んだ男の乗せられた台の前に立った。嗅ぎなれない鉄錆に似たなにかと生臭さに辟易しながら……。



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