少年 1
少年1
眩しさと暑苦しさで少年は目覚めた。
薄目を開けて見れば、青空が広がっていた。波の緩やかに打ち寄せる音と磯の香りで自分が波打ち際に倒れていることが分かる。
少年は窓から突き落とされたことを憶えていた。
また転生か、それともあの世に来たのか。
前は海。右を見ても左を見ても白浜と松林が延々と続くばかり。
白砂青松か。天国なのか。それとも……。
転生前の少年はごく普通の家庭に育った、ありふれた高校生だった。
だが、本人は自分のことを打算的な卑怯な人間だと嫌っていた。
いつも他人の顔色を伺って自分の有利になるように行動してしまう。卑しい行為だと自覚していながらつい無意識に行動してしまう。そんな自分が嫌でしょうがなかった。そして、家族との間でも薄い空気の膜のようなもので隔てられているような気がしていた。
なぜ転生したのかは今でも分からないし、転生した時のことも覚えていない。
でも、村人に保護されたとき、少年はこれは今までと違う人間になるための自分に与えられた機会なのだと自覚した。
少年は努力した。
顔色を伺う癖は治らなかったが、打算的な行動をとることをなるべく抑えるようにした。素直に保護されたことに感謝して、保護してくれたカーター家や村のために自分のできることはなんでも手伝った。手伝うときは独りよがりにならないよう人の話しをよく聞いた。
おかげで、短期間のうちに農作業も家事の手伝いも人並みになることができ、なによりも他人に信頼されるようになった。
このとき、少年は転生前に自分に欠けていたものがなんであったかを知った。
村の生活は豊かでなかったし、娯楽もない。でも、少年は幸せに感じていた。
渚で呆然としていた少年の耳に後ろの方から子供たちの歌声が聞こえてきた。
内容は寺参りと坊さんの自堕落ぶりについてだ。節回しもなんだか懐かしい。
ひょっとしてここは日本なのか。戻ってきたのか。
いや待て。言葉が分かるのは転生したときも同じだった。今どきガキンチョどもが集まって童謡らしきものを歌うはずがない。
少年は歌の聞こえる方へ歩いていった。
一度死んだ身だ。危険があろうがなかろうが関係ない。
松林の奥まったところで、汚い野良着のようなものを着た10才くらいの子供たちが歌いながら松の根っこを掘り返している。その横で、子守なのだろう、10才にはなっていない小さな女の子が乳飲み子をあやしている。
全部いれて7人か。ここでなにをしているのだろう。それよりも気になるのがほとんどの子供が黒い髪の毛を後ろでくくっていることだ。
不意に歌声が止む。
少年に背を向けて松の根っこを掘り返していた一人の子供が歌うの止め、周りの子供たちが訝しんだからだ。
少年は驚いた。まさか僕に気づいたのか。15メートルは優に離れているし、姿を見られたはずもないのに。
「野盗かと思ったやんけ。脅かすなや」
最初に歌うの止めた男の子が振り返った。顔は汚れて黒光りしているものの、なにやら偉そうだ。そして、黒目がくるりとして利発そうだ。
「兄者、人を呼んでこんでもええんか」「なんか変な人やなあ」
周りの子供たちは何やら怯えている。
「ふん。こんな竹竿野郎にびびってどないするんや。大丈夫や、かなり弱いやっちゃ。それに殺気もなにも感じられへん」
かなり年下の子供に酷い言われようだ。
だが、少年はこれで子供たちが亀でも苛めていたら自分は浦島太郎ではないかとよそ事を考えていた。
少年はふと気になって自分の髪の毛を一本引き抜いてみた。
服装は突き落とされた時のままである。でも、子供たちの反応が異人に対するものでない。
抜いた髪の毛の色はやはり黒髪であった。
最初に出会ったのが子供たちだったのが少年に幸いだった。大人の村人だったら少年は殺されていたかもしれない。
ここは少年の知る戦国時代に似た、殺伐とした世界だった。
子供たちの話しによると、野盗や海賊の密偵として難破船からの漂流者や胡散臭い旅人は殺されることが多いらしい。
少年は子供たちから伊勢エビらしきものを奢ってもらった。
子供たちが自分たちの秘密の穴場から採ってきた伊勢エビらしきものを鍋にぶち込んで味噌と一緒に煮たものだ。
「松の根っこ掘りで楽しみなのはこれだけやからな」
少年に最初に気づいた男の子が言う。
子供たちは菜種油かわりの照明用に松根を採りに来ていた。この伊勢エビらしきものは子供たちの松根採りのときのオヤツなのだ。
子供たちはニコニコしながらかぶりついている。少年も遠慮はしなかった。後で松根採りの手伝いをする約束をしたのだ。美味いのでたらふく食べる。
リーダーらしき男の子は八田という地頭の寄子である宇賀太郎左衛門惟久の長子であるそうな。名は長寿丸という。
少年にとってはどうでもいいことだけれど、名乗りをあげた男の子は得意げだ。
「そっちの名乗りも聞こうやないけ。名は大切やからな」
「小野弘道」
少年は転生前の名前を思わず答えていた。
「小野?もしかして都落ちした公家さんか。自分のこと、僕とか言うし」
「公家ではないよ。先祖はそうだったかもしれないけど。それより君、何才なの?さっきから気になって仕方がないんだけど」
とたん長寿丸が顔を顰める。
「なんでそんなことを聞くんや。まだ元服していないことをあげつらっているんかい」
なぜか長寿丸のコンプレックスを直撃したようだ。




