名誉と汚名の狭間3
名誉と汚名の狭間3
「クハハハハハハハ。かかってこい、か。可笑しいことを言う。
まだ、わからんのか。
俺は周囲の水分を自由自在に扱える水魔法の達人。そして、俺はそこのジジイのように死合など選んでおらん。
つまりだな。俺はもう合格しているのだ。
見てみろ。自分の長靴を。水滴がついているのが分かるだろう。それは俺がつけてやったのだ」
巨人がマリアカリアに向かってぴしりと太い指を一本突きつけ、爆笑する。
「フン。まだだ。まだ合格とは言えんな」
「なにォ。負け惜しみも大概にしろ。俺の合格は明々白々ではないか」
憤慨する巨人に向かってマリアカリアがニヤリとする。
「この長靴は、な。専用の高級クリームで毎朝ピカピカに磨き上げられているのだ(ナカムラ少年のお仕事である)。つまり、油脂でコーティングされていて、お前の水滴は直接長靴には届いておらんのだ。だから、まだお前は合格とはいえん」
マリアカリアのあまりの言葉に巨人の指がビリビリと震える。
「屁理屈を言うな。さっさと、俺を外の世界へと連れて行け。でないと」
「でないと、なんだ?」
「貴様から水分を奪ってミイラにしてやる。これから冬になるのに乾燥肌では辛いんだぞ。後悔するより前に俺を自由にしろ」
「フン。時化た恫喝だな。だから、お前はダメなんだ。
お前は毎年、保湿成分の配合度合いを変えて新製品です、と売り出す化粧品メーカーか(最初から上げとけよ。買い換える度ごとに騙された感が強くて、心のダメージがすごいんだぞ。あれは)。
本物の悪党とは、な。
暴力だけではなく、言葉を交わすだけで相手の精神力を根こそぎ奪っていくものなのだ。
相手の、『それないわー』という言辞に対して倍くらいの『それないわー』という返しができなくてどうするんだ。この三流悪党めが。
大体、お前は一休頓智というものを知らんのか。
屏風に描かれた虎を退治して見せろという問いかけに、ニコリとして『退治しますから、将軍様。屏風から虎を追い出してくださいね』と返したあの逸話を。
ああいうのこそ、本物の悪党の返しというのだ」
都合が悪くなったら思いつきのマシンガン・トークで誤魔化しをする女。
巨人はとんでもない存在を相手にしていることに気がついて額から汗を垂らした。
「じ、自分で決めたルールだろう。守れよ」
「何を言っている。
ルールとは常に強者によって破られ、作り替えられるもの。
わたしが強者である以上、わたしがルールだ。
化粧品メーカーみたいなやつにどうこう言われる筋合いはない!」
「ふぉふぉふぉふぉ。話はついた様ですな。
では、今度はわしの相手をしてもらえますかな。久しぶりに血が激っておりましてな。もう待ちきれないばかりですじゃに。
まさか、わしとの死合もご破算にするつもりではありますまいのう」
「化粧品メーカーの次は、バトル・ジャンキーか。
なんなんだ、ここは。悪党の巣窟と聞いたが、ひとりとして悪党らしい悪党がいないではないか。
わたしが欲しいのは、いるだけでひとに精神的なダメージを与える本物の悪党だけなのだ(ここにナカムラ少年がいたら「そんなのは大尉殿以外に人類では存在しない」との指摘があっただろうが、惜しいことに彼はいない)。
つまらん。
気が変わった。(テストは)もうやめだ。
昼食を摂りにわたしは帰る!」
「つれないことを言いなさるな。先の短い老人に期待を持たせておきながら裏切るとは、後生がよくありませんぞ」
「そういうことは厚生労働省の役人に向かって言え。
タイム・リミットだ。
バトル・ジャンキー老人の相手をするよりもわたしには昼食の方が大事なのだ。
そんなに戦いたければ、ピコピコとストリート・ファイター系のビデオ・ゲームでもしておけ!大昔の、な」
マリアカリアが捨て台詞を言った途端、巨人が両手を広げてマリアカリアから魔法で水分を吸収し始め、同時に老人が銀灰色の突風となって襲いかかり、一瞬、マリアカリアの体と交錯した。
「やったか?」「あれは相手の死角をつないで渡る究極奥義、死点滅殺。今まで楓翔子さまのあの技を破った者はいないぞ!」
周りの囚人たちが固唾を呑む中、しばらくして老人の口からポタリと白いものが落ちた。
「やはり入れ歯か。入れ歯洗浄剤だけはきちんと使っているように見えるな」
「くっ。技を破られたとはいえ、まだ負けたわけ……。
うっ。こ、これは」
「百会という経絡を突き、お前の記憶力を一部奪った。
今日からお前は自分が何回ご飯を食べたか分からなくなる。
『ナミさんや。わしのご飯はまだかいな?』などというセリフを口にするようになる前にはやくホーム・ヘルパーを雇うことだな。負け犬が」
マリアカリアの残酷無比な宣言に老人は倒れるようにして床に膝をつき、やがて嗚咽を漏らし始めた。まわりの囚人たちには暗い沈黙が覆いかぶさり、陰陰滅滅の風情である。
「な、なぜなんだ。なぜ貴様から水分を吸い取れん?」
一方の巨人は青い顔をしてとめどなく汗を滴らせている。
「教えておいてやろう。
わたしは魔道士ではないが、3つの特別な力がある。
ひとつ目はどんな危険をも事前に察知した上乗り越えられるという『ご都合主義』。二つ目はいい気になっている妄想過多の妄想を奪い去って打ち砕く『妄想の付与奪取』。そして、三つ目が(最近知ったのだが)物語の誤字脱字、好ましくない表現の修正削除をして自分に不都合なことを無かったことにするという『過去を変える力』。
この3つの力を最大限活用して常日頃からアンチ・エイジングに勤しんでいるわたしに死角などない!
このプリプリのお肌からお前ごとき三流悪党が水分を奪うことなど初めから無理なことなのだ。格の違いを思い知るがいい!
あっ!
エリザベス伍長、時間は大丈夫かね?」
「はい。ビストロ『ピッコロ・カプリチョース』の予約の時間まであと1分30秒もあります」
「うむ。よろしい。
では、急ぐぞ。シルヴィア。
あの店のイカ墨パスタがわたしを待っている。
小汚い囚人連中などのために昼食の時間に遅れてしまうということはあってはならないことだからな」
こうして囚人たちの恐怖は去った。ひとのこころに深い爪痕を残して……。
「なんなの、あいつら!何しに来たの!」
最初からマリアカリアが昼食の時間を気にして煽っていたことを知った囚人たちの嘆きが木霊したのはいうまでもない。
世の中には、極悪人たちでも泣き寝入りすることがあるらしい。




