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愛の牢獄6

 愛の牢獄6


「またひとつ、鍛え上げられた剣が消えた……、か。

 しかし、『正義の味方』という奴はどうしてどいつもこいつも生命力だけは強いんだろう?12.7ミリの機関銃弾が命中してもなぜ死なない?体に風穴一つ空いていないのはどういう訳なんだ?」


 マリアカリアが居酒屋風の建物の戸口でズタボロのようになって倒れている自称『正義の味方』に冷ややかな一瞥をくれた。


「これで1万飛んで325人目か。タフさだけあってもこう弱くては何の役にも立たないな、『正義の味方』とやらは。

 どうやらこのやり方ではダメみたいだぞ。大尉。別の方法の検討を勧める。

 これではまるで弱い者いじめだ」


 重機関銃の銃把を握りながらシルヴィアが非難の声をあげる。


「あのね。シルヴィア君。

 このやり方を強硬に勧めたのは君だったということを忘れていませんか。

 昔見たクロサワ映画では、こんな風に腕の立つ侍の勧誘をしていた、とか言って」


 マリアカリアが苛立たしげに紫煙を吐き出す。


「君が観たのは『七人の侍』だったっけ。

 わたしは観たことがないが、所詮、映画だ。常識的に考えて、そんなもの、現実で通用するわけがないだろうが。

 ついつい勢いに流されて君の提案を聞き入れたが、結果はこれだ。成果0とはな。

 くだらん。まったく、くだらん。

 君は自分のバカバカしい妄想に他人を無理やりつきあわせ、ひとの貴重な時間と労力を奪ったことについて少し反省したまえ」


 疲れているうえ、最近、マリアカリアになにかと自身の日本趣味について揶揄されているシルヴィアも今回ばかりは引き下がらない。ナカムラ少年ではあるまいし、彼女は別段、マリアカリアの暴力が怖くはない。


「それは責任転換ではないか、大尉。

 現実とは常に理想を裏切るようにできているんだ。わたしがいくら強硬に勧めたとしても、現実を予想し、常に最適な選択をするというのが指揮官の務めだろうが。

 えっ。違うのか?

 それに、自分のくだらない妄想に他人を巻き込むのは大尉の十八番だ。わたしばかりを非難するな!」


 仲間であり部下であるはずのシルヴィアの反乱にマリアカリアも顔を真っ赤にして激昂する。


 こうして、もと職業軍人だったふたりが喧嘩をはじめた。学園の危機が迫っているというのに実に真剣味の欠けることである。

 まっ。昔から職業軍人などというものは大なり小なりこんなものである。

 それにしても、昔は、直感と自分の妄想、それとその場のノリに従った行動をする職業軍人がいかに多かったことか(お疑いの方がおられたら「作戦の神様 辻政信」「悲運の将軍 石原莞爾」などをググられることをお勧めする)。


 そんなことはともかく、彼女たちの思いつきの結果、犠牲になった別の世界の『正義の味方』たちこそ哀れである。

 今も戸口のところに倒れ伏しているひとりが喧嘩しているふたりを恨みがましく睨みつけながらエリザベス伍長に絆創膏を額に貼ってもらっている。


「なんなの、あのふたり。許さないんだから」

「まあまあ。お気持ちは分かりますけど、世の中は弱者にとても厳しいということでお諦めくださいね」

「あんたもなんなの!通りすがりの百姓娘だとか言ってわたしを騙したくせに。訴えてやる!」

「しいっ!聞こえちゃいますよ、あのふたりに。

 わたしは優しいですけど、あのふたりは違いますから。負け犬の遠吠えなどを聞いた日にはどれだけあのふたりが暗い笑いを見せることか。弱いくせに強がってみせちゃう人を見かけると、たぶん嗜虐心をくすぐられるんでしょうね。気を付けましょうね」


 エリザベス伍長は聖母のような慈愛の笑みを見せているが、彼女も長いことマリアカリアたちと付き合ったせいで、ふたりをダシにして暗に恫喝(「訴訟沙汰なんかにするとどうなるか、後がわかりませんよ」)するという高等テクニックまで身につけるほど悪擦れしてしまっていた。


「……親切そうな顔をしながら心にグサリとくる言葉を吐くあんたが一番怖いわ。なんなの、あんた方は!」

 

 世の中では、『正義の味方』が泣き寝入りすることもあるらしい。


  ✽        ✽         ✽          ✽


「最近はマリアカリアのおかげですっかり存在感がなくなってしまったわね。

実にいい気味だわ。生徒会長さん」

「……」


 転校してきたばかりのドン・カルロの腕を引っ張りながらマリアン嬢が憎々し気に嫌味を言う。


 嫉妬の感情は人間を複雑にする。


 マリアン嬢が好きでもないドン・カルロの腕を引っ張って見せびらかしつつ、本当は好きな生徒会長を口撃している……。


 物語の中では影の薄い生徒会長であるが、実は妙な転校生たちがやってくる前には乙女ゲームの攻略対象らしくちゃんとモテていたりしたものなのである。アメリカからやって来たマリアン嬢にしたところでも、夏姫さえやって来なければ、もしかしたら今頃、悪役令嬢役などをきっちりとこなしていたりしたかもしれない。


「用がないなら道を開けてくれないかな。ミス・マリアン」


 ブスッとした生徒会長が邪険に通路を塞ぐふたりを退かせようとする。


「用はあるわよ。

 マリアカリアの言っていた業者の立ち入りは認められたんでしょうね?

 またあんたが校長が怖くて握りつぶしたとかでは許されないわよ。人命がかかっているんですからね。

 ちゃんとした返事を聞かせてもらいたいものだわね。どうなのかしら」

「……防虫業者の施工の許可は降りた。

 ただし、学園からはお金は出ない。やりたければ勝手にやれ、ということに決まった」

「顔からは想像つかないけど、あの校長、とてつもなくセコいわね。まあ、その方が施工に口を出されずに都合がいいけど」

「言っておくが、仮に防虫業者に蜘蛛の入り込む余地のない鉄壁の施工をしてもらったとしても、それが問題解決にはまったくなっていないことを忘れてもらっては困るな。

 なぜ襲撃があるのを承知で仮装舞踏会などを開かなくてはいけないんだ?

 やめて生徒全員の自宅待機でやり過ごした方が絶対安全だろう。

 何考えているんだ、あいつ(マリアカリア)は」

「レディに向かってあいつ、はないんじゃないの?一応は伯爵令嬢よ、彼女は」

「はん。令嬢扱いどころか、あんなのを女性扱いする人間がいたら見てみたいものだよ。あいつはそんな扱いを受けられる人間じゃない」

「おやおや」


 友達であるはずのマリアカリアがコキ落とされていてもマリアン嬢はどことなく楽しそうである。


 ダシに使われたうえ傍でそんなやりとりを無理やり聞かされているドン・カルロ(かなり若返ったうえ、この世界の住人には弟に似て美形だと扱われている)も複雑である。


 ドン・カルロも他からいろいろと聞かされており、マリアン嬢が生徒会長にゾッコンなのも(気づいていないのはマリアカリアくらいなものである)、また、彼女が心底、マリアカリアの親友というわけでもないことをも知っていた。

 マリアン嬢にとり、自分の本命と常にいがみ合っているマリアカリアは恋愛のライバルとはならない、安心していられる存在である。常にその一挙手一挙足に気を付けておかなければいけない存在ではない。

 気を抜いて感情をさらけ出しても決して不利にはならない存在。

 まさに安全パイ。

 彼女にとりマリアカリアなどその程度のものにすぎない。本当の彼女の敵は齢10にして実の兄を狂愛に陥れ、いま現に生徒会長を手玉にとっている夏姫という毒婦であり、敵(夏姫)の敵であるマリアカリアは自分の味方である、という位置づけなのである。



 嫉妬。打算。暗闘。


 ドン・カルロは思う。


 フン。これが女性のする恋愛のやり方というやつなのだ。

 オレはベアトリスと王女の弟を巡る暗闘をつぶさに傍で見ていて十分に見知っている。

 女性という生き物はその表面とは裏腹に本当にどす黒い感情を抱けるものなのだ。それが、たとえどんな女性であろうとも、な。

 そして、男という馬鹿な生き物はその女性の嘘の表面にいつも騙されてしまうものなのだ。

 もっとも、オレとしたところで、そんなに偉そうなことも言えないがな。

 弟に対する嫉妬の感情を抱かなければそういうことに気づくこともなかったかもしれないからな。


 だがな。マリアン嬢よ。

 恋愛は椅子取りゲームじゃないんだぜ。つぶしあいをしたところで結局のところ、本当の勝利者にはなれやしない。

 恋愛に落ちるやつらは、傍がつぶしにかかろうが、なにをしようが、好き合うものは好き合うものなのだ。かえってそういう邪魔こそが連中の恋愛を燃え上がらせるスパイスにさえなってしまうものなのだ。

 恋愛で本当の勝利者になれるのは、蹴落とし合いに頑張ったものではない。そんなこととは無関係に、恋愛に落ちるべくして落ちる、そういう運命にある者だけが勝利者となるものなのだ。

 そうじゃない人間がいくら相手に執着したところで、恋人たちにとってはお邪魔虫でしかありえない。無駄な努力をいくらしたところで結局は邪険に扱われるのがオチさ。報われないことだ。早めにやめておくがいい。


 報われない、か。……オレがいい例さ。くだらん。

 思い出したくもないことを思い出さしてくれるぜ。マリアン嬢よ。



  ✽        ✽         ✽         ✽



 ドン・カルロはかつて前の世界にいたとき、ある日の夕暮れどき、城の白い回廊で石造りのベンチにひとり座って涙を流している王女の姿を垣間見て自身の密かな想いを諦めていた。


 あの時、王女がそのこころのうちでベアトリスに対する友情とフランチェスコを巡る嫉妬の感情とのせめぎ合いに悩み、苦しんでいたのをドン・カルロも知っていた。

 しかし、弟の性格とベアトリスの愛らしさも分かっていたから、どこか、王女の弟への恋ごころも気まぐれに終わるだろうと安心しきっていたのだ。


 ところが、王女の涙を見た瞬間、敏い彼は自分の安心がすべて間違いであると覚ってしまった。


 覚らぬはずもない。

 王女の幼年の頃からその護衛の任につき、以来、彼はずっと王女に寄り添い見守ってきたのだ。その彼が知らぬ間に、あの明るくひとに優しかった王女が実はすっかりひとが変わってしまっていたのだ。

 王女は本来、嫉妬の感情で涙を流すひとではなかったはずなのだ。もっと清らかで誰にでも心を開いてくれる、愛くるしい存在だったはずなのだ。

 それなのに。


 恋愛というもののせいで王女はすっかり毒々しいなにかに豹変してしまっていた。


 これが恋愛というものの力なのか。なんて残酷な。そして、なんてもの悲しくつらいものなのだ。


 ドン・カルロはこのとき、恋愛というもの本質を知り、自身には縁遠いものであることを思い知らされた。

 

 つまり。

 恋愛に囚われたひとたちは、その感情にすっかり狂ってしまっていて、あくまで想いひとを独占しなければその飢えに似た感情が決して癒されはしないのだ。そのためには、欲も得もない。理性的な判断ができずに、ただひたすら求め続けてしまう。そのせいで自身が不幸になろうが破滅しようが殺されようが、ちっとも構いはしない。

 そして、自身をこのように残酷に扱える以上、他人にはもっと残酷な仕打ちができるようになる。恋愛に囚われた人間にとってその想いひと以外の人間は無価値であり、単なる邪魔者に過ぎない。路傍の石ころ以下の存在でしかない。彼らにとり、この世界に自分とその想いひとだけがいさえすればそれでいいのだ。それ以外のひとたちなど、邪険に扱っても無視しても決して心が痛まない。恋愛に一度囚われた人間たちが想いひと以外のひとに優しくしたり、受け入れたりすることなどは決してありえないことなのだ。


 たとえどんなに想っていようとも、な。

 (想いひとに)選ばれなかったというだけの理由でそういう扱いを受ける破目になるのだ。

 オレは王女からそんな仕打ちをうけるのは耐えられない。



 こうしてドン・カルロは一度も告げることなく王女に対する密かな想いを捨てた(もっとも、思慕の情を捨てたとはいえ、彼は一度こころを寄せた相手に誠心誠意尽くすという覚悟を変えるつもりはなかった)。


 それから程なくして、王女の恋敵であった侍女のベアトリスが死ぬ。


 それまでドン・カルロは護衛の騎士として王女に対する暗殺の企てはすべて影で防いでいた(役立たずの弟と異なりドン・カルロは非常に有能だった)。しかし、その彼でも王女の侍女についてまでは手がまわらなかったのだ。


 その彼が侍女の死に王女の破滅を予感してしまう。


 そして、実際、その後の展開はドン・カルロの予感通りとなった。

 ベアトリスという障害のなくなった王女と弟は急速に関係を深め、ついには行き着くところまで行き着いてしまう。

 王女は王政の改革について訴え続けていたが、その頃には、もうすでに王女は孤立化しており、王族内の反王女派のため政治的に追い詰められていた。どちらも子孫に当たるためそれまでは中立を保っていた女神にしても、もう王女を庇いきれない情勢にあった。


 そこへスキャンダルである。

 王女とフランチェスコ以外の誰からも望まれなかったラプンツェルの誕生は女神に決断を強いた。

 王政に対する人々の不満も高まっていたこともあり、女神は数百年に一度繰り返してきた壮大な茶番、魔王誕生と勇者の討伐の儀式を執り行うことにした。罰として恋人たちの記憶をすっかり奪い去り、片や魔王として、片や勇者を召喚する女神兼召喚された勇者としてお互いに殺し合いをさせる、という……。


 そして、ドン・カルロが最後まで守り通そうとしたが、女神によって生まれたばかりのラプンツェルまでもがどこかへと連れ去られてしまった。


 まさに王女の破滅だった。破滅となるはずだった。


 ところが、どこからともなく大尉と呼ばれる凶暴な女とその仲間が突然、世界に紛れ込んできて……。


 結局、マリアカリアという大どんでん返しのため、今や、ドン・カルロのいた世界はすっかり様変わりしてしまった。


 壮大な茶番のためすっかり力を使い果たした女神はマリアカリアのためにいい様にあしらわれて、最後には借金奴隷にまで身を沈めた。また、王女を葬り去り勝利に酔いしれたはずの王族たちにしたところで、マリアカリアのもたらした消費社会という激変についていけず、すべて没落してしまった。

 なにせ消費には金がかかる。金が王の権威や女神の神格さえもすべて吹き飛ばしてしまった。

 そして、あの世界で金の生る木となるのは、へーパイストスの欲しがっている希土類の鉱山と魔物の生息する土地だけしかない。そんなところを領地にしているのは王族たちに疎まれて辺境の荒蕪地へと追い払われたかつての下級貴族たちだけだった。それまで虐げられてきた彼らが王族たちにいい感情を抱いているはずもなく、王族たちが今更、彼らの領地を取り上げようとしても一致団結してそれを拒んだ。そればかりか、彼らは金に物を言わせて異なる世界の大量殺戮兵器を大量に買い込み、王政打倒までも目論見さえしていた。

 ドン・カルロは彼ら反王政のレジスタンスのリーダーとして祭り上げられており、実に金回りが良い。


 (金持ちになることは)別に望んだことではないがな。

 マリアカリアか。マリアカリアめ。実に迷惑千万なやつだ。

 嫌われ者ほど世に憚る、のいい例だ。


 ドン・カルロはマリアン嬢と生徒会長のやりとりを苦々しく聞きながらも、心の片隅のどこかでそんなことを考えていた。


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