この世は楽し5
クリスマス前後に投稿するお話ではないんですが、話を進める上で投稿せざるを得ないわけでして……。お許し下さい。
この世は楽し5
夜。
サンフランシスコ市郊外にあるブラッズのたまり場のひとつに一台のセダンが止まり、中からひとりの白人の女が出てきて車に背をもたせかけながら髪をすき始めた。
「なんなんだ。あのおんなは?」
いかにも襲ってくれと言わんばかりの様子にセットの幹部は疑念を抱く。
「ヤクでも欲しいのか。それとも(殺人の)仕事の依頼かも知れないぜ」
仲間が疑問に答えをくれるが、幹部はそれでも納得がいかない。
ここは白人にとって非常に危険な場所。護衛も連れずにおんなひとりで来れる場所ではない。
釣りであることはたしかなんだが、なんの釣りなのかがわからない。
こんなに考えても、しっくりいく答えが閃かん。クソッ。
ああ、イライラするぜ。
面倒になった幹部は襲撃のため伏せられた人間がいないかもう一度仲間に確かめさせた上で、ついに決断した。
「問答無用で殺してしまえ」
指令を受けて凶悪なブラッズの面々がおんなの前にゾロゾロと現れた。ほとんどがオートマチックの拳銃を腹のところに差している。
「なあ。楽しんでからでもいいんじゃないか?」
中にはにやつた奴もいるが、ほとんどが黒人特有の無表情さを保っている。
これが10代の凶悪なストリート・ギャングの本質である。
彼らにはひとが金の詰まった貯金箱か現金自動支払機かにしか見えていない。彼らにとって仲間以外は人間ではない。だから、仲間以外の人間を殺すことになんの躊躇もない。
おんなを取り囲んだ彼らは一斉に銃を抜いて突きつけた(彼らは射撃の正確さを無視して大抵は片手で銃を横たえてねらいをつける。どうもその方がカッコイイと思い込んでいるらしい)。
そんな彼らを一瞥しておんなはニヤリと笑い、爪に真っ赤なマニュキュアを塗った細指で自らの服を引き破ってみせた。
肉体の誘いではない。
おんなの体中には大量の信管付きのプラスチック爆弾が巻きつけられてあったのだ。
爆弾を見たブラッズの面々は慌てた。
中には起爆される前におんなを射殺しようと冷静に発砲した者もいたが、すべては無駄だった。なぜなら、おんなはもともと死体であったから。
「アウフ・ビーダー・ゼ-ヘン。
さよなら、クズども。
ベルリン・オリンピックでマイン・フューラーに恥をかかせて以来、わたしって本当に黒人が嫌いなのよね」
現場から1キロほど離れた地点の車中で美女がつぶやくと同時におんな(もとナオミというサラに射殺された死体)は爆散し、ついでに液体燃料とガスボンベが積み込まれていたおんなの乗ってきたセダンも引火炎上し大爆発を起こした。
爆発の威力は凄まじかった。
局地的な大地震と竜巻が同時にやってきたようなものだった。
激しい振動が美女とサラの乗っている車にまで届く。発生した強烈な風圧と熱風は半径200メートル内の家々を吹き飛ばし、人も犬もなにもかもを全て燃やし尽くした。1キロ先の家の窓ガラスさえ割れた。
「ワオォ!局地版ハンブルクの夜の業火ね(1943年7月27日のハンブルク爆撃を指す。火災旋風が起こったため市内では風速7,80メートルの突風が吹き荒れ、室外の温度が800度にまで達してアスファルトが燃え上がった。この日の爆撃だけで死者4万人、31万5千戸の家が焼け落ちた)。ジョン・ブル達もこんな気持ちだったわけね。やるじゃない。チャーチル」
嬉しそうに揺れる車中で美女が叫ぶ。
「あんた!なんということをするの!あの女を埋めると言ったじゃない!私は爆弾テロをして欲しいと頼んでないのよ!」
「いいじゃない。結果的にはあの女の死体は瓦礫の下に埋もれたんだから。もうどんな優秀な検視官が来ても、死体から線状痕や他殺の証拠なんて見つからないわよ。これで貴女の殺人の立証は不可能。ミッション・コンプリートね」
サラの怒りにも美女はどこ吹く風の様子である。
「関係ない人がいっぱい死んじゃったじゃないの!あんた。狂ってるわ!」
「そう。確かにわたしは狂っている。でも、死体に拳銃を突きつけた黒人のチンピラ達も殺人に快感を覚える貴女も狂ってることを忘れてはないかしら。
中途半端に正気帰って人を非難することはおやめなさいね。みっともないから」
美女はサラを冷笑する。
「ひとつ、いいことを教えてあげるわ。長いあいだ生きてきたわたしだから言えることかもしれないけど、世の中の大抵の人はね。本当は狂ってるのよ。その証拠に戦争中、どれだけ多くの人たちが残虐なことをして大量殺人を犯すことやら。彼らはね。平和な時は何の問題もないごくごく普通の人たちなのよ。病棟に収容されている精神異常者でも何でもない。
つまり、人間なんていうのは平和なときにはする必要がないから正気のふりをしているけど、いったん戦争とかの異常な状態になったらほとんどがとんでもないことをやらかすものなのよ。
貴女も狂っているしわたしも狂っている。でも、それは世間一般にごくありふれたこと。
わたしや貴女と世間一般の人たちとの間になんの差異もないわ」
「する必要のないのになんでテロなんてするのよ。どんなに言い繕っても、あんたは狂っている!」
「だから?狂っているからなんなの?わたしから言わせれば、平和なときは仮面をかぶって正常な人のふりをしていることの方が薄気味悪いわ。戦争中もそうでない時も関係ないでしょう?
彼らは社会的な制裁を恐れて功利的に振舞っているけど、(社会的なリスク覚悟で)功利的な振る舞いをする必要のないわたしにはなんの関係もない話しよ。そんなもの」
美女はケラケラと笑った。
「フフフ。でも、わたしもね。実は必要のないことはしない主義よ。子供じゃないんだから、そんなの当たり前でしょ。
特別に教えておいてあげるけど、これはね。餌なのよ。これからわたしを狩りに来るものたちへの。フフフフ」
美女は再びニヤリと笑った。
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サンフランシスコ市のあるカリフォルニア州にはシリコンバレーの所在地であることとギャング発祥の地ナンバーワンであること以外にも古くから有名なものがある。
スタインベックやO.ヘンリーの小説にも出てくるフォルサムとサン・クエンティンの2大州刑務所がそれである。
そのうちのひとつ、サン・クエンティン州刑務所で今日、事件が起こる。それも前代未聞のものが。
午前12時すぎ。
プロレスラーを思わせる巨大な体を持つ、全身刺し傷だらけのメキシカンの囚人がレベル3のプロテクター(防刃防弾ベスト)を着込んだ武装刑務官7名によってようやくひとり用の檻にねじ込まれた頃、囚人の厨房係りたちは囚人たちの昼食の準備に大わらわだった。
囚人たちにとって今日は特別の日である。昼食にステーキが出る日なのだ。
日本の刑務所では考えられないことだが、アメリカの囚人たちは週に1度以上ステーキを食わないとストレスが極度に溜まって暴動を起こしかねない状況になる。それゆえ、アメリカでは刑務所でもステーキが振舞われている。
配膳係は白人至上主義者のプリズン・ギャング、アーリアン・ブラザーフッドのメンバーでいまは固められているが、ひところみたいに黒人やメキシカンに対して配膳のサービスをしないということはなくなっている。
嫌々ながらでも黒人やチカーノの集団にもステーキは配られる。
「せいぜい神様に感謝して食いな。サボテン野郎!」
白い前掛けと帽子を身につけた配膳係りが嫌味を言いながらマッシュ・ポテトとともにステーキを並んだ囚人たちのトレイに盛り付けていく。
それから数十分後。
ステーキの昼食に満足した囚人たちはそれぞれの場所で悶え苦しみ出す。
バーベルの置いてあるグランドの隅で。図書室で。廊下で。洗濯室で。
彼らは一様に胃の辺りをかきむしりつつ顔をうっ血させ、口から泡を吹き出し、白目を剥き、そして最後には体中を痙攣させて息絶えた。
上記のアーリアン・ブラザーフッドのメンバーも対立するブラック・ゲリラ・ファミリー(政治集団ブラック・パンサーの流れを汲む黒人のプリズン・ギャング)の連中も、そしてチカーノのプリズン・ギャングの集団も例外ではなかった。
この毒による無差別集団殺人により州刑務所に収容されていた凶悪犯罪者3814人が実にあっけなくこの世を去った(彼らは市民感情からすれば10回は死刑にしてやりたいと願われるような極悪人ばかりだったはずなのだが……)。
例外は喧嘩で改造されたドライバーで刺されて興奮したためひとり用の檻にぶち込まれ、ステーキのおあずけを食らったメキシカンただひとりだけだった。
プリズン・ギャングには大抵入会の条件として人殺しが課せられ死ぬまで抜けることが許されないという鉄の掟があるが、普段の強面ぶりを含めてこの無差別殺人には何の防御にもならなかった。
もちろん、このニュースに全米いや世界中が震撼することになる。
誰でもする食事をしたため殺しても死なないような連中があっけなく一度に大量に死んでしまった。だれが何のためにどんな方法を使ったのか皆目わからない。この死の大鎌がいつ誰に対して向けられるのかも皆目わからない。犯罪者だけが狙われるのか、男だけが狙われるのか、大人だけが狙われるのか、特定の人種だけが狙われるのか、それすらも見当がつかない。
それゆえ、ニュースを知った全世界の人間が恐怖した。
美女とホセ・エミリオを除いて。




