この世は楽し2
この世は楽し2
ルイスの家にホセ・エルミオ・ノドスという男がやってきた。
名前の通りのスパニッシュである。
後ろに撫で付けた黒髪と浅黒い肌を持つ。服装は群青色のシャツに黒っぽい赤のネクタイを締め、光沢のある銀灰色の背広を着ていた。
彼は美女が自分の道具となるシリアルキラーとすべく慎重に選び出し、招いた怪物だった。
シリアルキラーは大抵が自己愛の塊である。
彼らは妄想の世界の住人であり、妄想の中では非常に偉い特別な存在であるからとても傲岸である。他人の痛みや権利などは知ったことではない。
彼らは妄想の中にいる万能の自分と現実世界の無力な自分とのギャップに猛烈ないらだちを覚えている。
彼らは知っている。本当は自分が無価値な存在であることを。
それゆえ、彼らは生き延びるために必死に妄想の中の自分にすがりつく。そうして現実の自分を少しでも妄想の中の自分に近づけるため、悲鳴を上げながら他者を攻撃する。攻撃して他者を見下す。見下して優越感に浸る。そして自分を慰める。
こういう心理構造はごく普通の人たちにも見られる。
精神異常者とはされていない普通のオフィス・レディ(一部からは会社のトラブル・メーカーと思われている可能性はあるが)が職場で業績を上げた同僚に対して異常に嫉妬し、本人の目の前で「あんなの、たいしたことないわね」とイヤミを言ってみせたり、意味不明な嫌がらせを繰り返したりする。彼女の妄想の中では業績を上げて賞賛されるべきはできるOLの自分であるはずなのに、なんであんたがひとから褒められているのよ!というわけである。
彼女は攻撃して他者を見下す存在に引きずり下ろし自分を慰めようとする。これは自己愛の強い者の、ごく普通の防衛反応である。彼女は治療を要する精神異常者とはみなされない。
彼女とシリアルキラーとの違いは他者への攻撃が殺人まで発展するかどうかの点に尽きる。
シリアルキラーは最初からシリアルキラーではない。
過去に他者への攻撃が度を越して殺人にまで及んでしまったとき、非常な快感を覚え、それが忘れられずに病みつきになって繰り返すのである。
アメリカの有名なシリアルキラーはこう言った。
「女を痛めつけじわじわと苦しめながら殺した時には、頭のてっぺんまで(快感で)しびれたぜ!」
別のシリアルキラーはこうも言った。
「オレが殺人をするのは、君たちが食事をするのと一緒だ。オレは殺人をしないと生きてはいけない」
ごく普通の人と思われている人がシリアルキラーに転落する可能性は意外に大きい。
さて。
美女が招いたホセ・エルミオは他の大抵のシリアルキラーとは異なり、自己愛のかたまりではなく、他者が苦しみながら死ぬのを見ても快感を覚えるような人間でもなかった。
彼はシリアルキラーとしては変わり者である。
彼は毒物の愛好者であり、過程ではなく愛する毒物の使用の結果だけを知りたがった。
美女の意図にぴったり合う人物である。
サディストである美女は道具であるシリアルキラーが自分より先に快感に浸るのが我慢できない。美女は例の写真を送りつけた先の様子をその自前のパソコンを使って観察しており、相手が少しでも(椅子に縛り付けられ恐怖の表情をした人物の写っている)写真を見て興奮した様子を見せたら躊躇なく心臓発作を起こさせ抹殺していた。
それゆえ、ホセ・エミリオは(美女のひ孫にあたるサラ・レアンダー以外の)抹殺を免れた唯一の人物であった。
ホセ・エミリオを玄関で出迎え、礼儀正しく居間のソファーにまで案内したのは粋なジャケットを羽織ったルイスだった。ルイスは美女が自宅にシリアルキラーを招くことについても何らの不満を漏らさず、いつものように無関心な素振りを見せた。怪物がやってきても彼にとっては一客人に過ぎないのだ。
招待されたホセ・エミリオはマティーニをつくって接待するルイスと室内の置物に対して一応笑顔を見せて感心してみせたが、内心では見知らぬ人に不可思議な招待を受けたことに対する不審の念で一杯だった。
居間の黒檀のテーブルに大量のポピーが生けられた豪奢な青い磁器の花瓶が置かれているのも、彼には気になっていた。
やがて真っ赤なボールドレスを着た美女が居間の戸口に現れた。
美女は大きなアメジストの指輪をはめた右手を引きずるようにテーブルに這わせながら近づいてきて、そして、こう言った。
「こんばんわ。ホセ・エミリオ・ノドスさん。
私は大魔女。今は理由があって名乗れないの。ごめんなさいね。
そして、こちらにいる少年はルイス・マンフィールド。宗教的な部分を抜いたペンシルバニア・アーミッシュの生活に憧れる純朴少年よ。現代のユナ・ボマーかもしれないけど。
彼は薬草について非常な興味を抱いているから、あなたと気が合うんじゃないかしら。毒殺魔さん」
「ハハハ。ご冗談ばっかり。セニョーラ。
それより僕は以前あなたにお会いしたことがありましたか?招待される覚えがまるでないのですが」
「ないわね。直接会ったことは。
でも、私はあなたのことをなんでも知ってるわ。
気を楽にして頂戴。私はあなたを殺したりはしないわ。だって、気に入ったんだもの。送りつけられた写真を見ても気にもとめずにゴミ箱へ投げ込むところなんて最高よ」
「あれはあんたの仕業か!」
「そう。
自己愛の強いシリアルキラーは大変打たれ弱い。反撃を許さない攻撃をされるとたちまち怯えてしまうわ。
でも、あなたはちがう。『NEXT』と書かれた自身の写真を見ても眉一つ動かさなかった。
たいへん結構。あなたは私の望む人材だわ。
私と契約してくれないかしら。契約してくれたら私があなたを史上稀な毒殺魔にしてあげるわ」
その後、ホセ・エミリオは美女としばらく会話してみて美女が彼の過去をすっかり知っていることを認識した。
彼がサンノゼ(カルフォルニア州の都市。サンホセ)で生まれ育ったこと。8歳の頃、祖母が薬の誤用で死亡したことに異様な興味を示したこと。10歳の頃、毒餌をまいて大量の動物を殺害したこと。実験と称して栽培していたジギタリスの葉を近所の少年たちに食べさせたこと(幸い少量だったので目と体調を悪くさせた程度で事件にならなかった)。16歳の頃、アルバイト先の店主に抽出したアルカロイド入のコーヒーを飲ませて殺害したことなどなど。
「僕は今の生活(ホセ・エミリオは信託銀行の真面目な行員として通っていた)に不満はない。たしかに毒物についても興味はあるが、生活を壊すような真似はしたくない。毒殺犯として名を売ることにも興味がない」
ホセ・エミリオは美女に最後の抵抗をした。
「あら。ますます結構よ。
私が手を貸せば、人知れず絶対に捕まることなくあなたは毒殺を楽しめるわよ」
この日から、ホセ・エミリオ・ノドスは美女の忠実な道具となった……。




