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赤毛の男 5

       赤毛の男 5



 私たちは未だにアイリーンを殺人未遂の容疑で告訴することができなかった。

 シルヴィアもローラもアイリーンとの関係について何も漏らさないのだ。


 今夜も私はエリザベス伍長を連れて保安局の殺風景な廊下を通り、敬礼をして廊下を曲がる。

 それから、暗い電灯に照らされたB棟307号室の前で私は微かなため息をもらし、中へ入る。


 アン少尉と敬礼をし合う。


 部屋の中央に置かれている椅子にシルヴィアが前屈みになって座っている。

 トイレと食事以外、48時間以上この姿勢のままだ。

 異世界人は条約と国内法で保護されているもののこの世界の人とは認められておらず、当然人権というものがない。

 法律上は拷問しても何の問題もない。


「少しは堪えたか。睡眠不足は肌に悪いらしいぞ、シルヴィア・ローウェル」

 私はわざと神経に触る口調でシルヴィアに語りかけ、ついでに椅子の足を蹴り付ける。

「……」

 シルヴィアが私を睨みつける。まだまだ元気そうだ。訓練を積み実戦経験も豊富な軍人くずれというわけか、厄介な。


「時間はたっぷりとある。そのまま椅子に座り続けていていいぞ、シルヴィア・ローウェル。ただし、眠ることはできないがな。眠ろうとしたら水をぶっかける」

「フン。警告までつけてくれてファシストのくせに随分と優しいじゃないか。 どうして殴る蹴るの拷問をしないのかな、地黒おんなさん。文明人でも気取っているつもりかい。似合わないからやめてもらいたいわね、鳥肌が立つ」

 ファシストとはあちらの世界でいう全体主義者のことらしい。やはりどこの世界でも同じようなことを考えつくみたいだ。

 弱者を力で従わせるのが全体主義者の本質だとするならば、『前で転んだ奴を踏みつけろ』というのは人類共通の性なのかもしれない。


「なんだ、しゃべれるではないか。無知なイワンだから言葉に不自由しているのかと思ったぞ。

 一つ言っておこう。

 チェーカやKGBじゃあるまいし、殴って歯を折ったりギザギザのついたおっかない金具で痛めつけるのをここでは尋問とは言わない。

 私はお前たちとは違う」


 以前に私は黒目黒髪の異世界人で軍オタとか呼ばれている奴にあちらの世界の近現代史の講義を受けたことがあるのだ。

 もっとも、講義といっても大半は戦車や飛行機を使った戦闘の妄想であり、ずいぶんと私の忍耐力が試される代物だった。

 この軍オタの話から私にはシルヴィア・ローウェルがあちらのソヴィエト・ロシアという国の軍人であるという予想がついていた。


「ファシストの癖に偉そうね。あーあ、よりにもよってファシストが大きな顔をしているなんて、こちらの世界は最悪だわ。あちらの世界じゃ、私の祖父の世代に撲滅してやったというのに」

「いくつか間違いを訂正するべき頃合いではないかな。

 まず、たしかに全体主義の教育を受けたが、私を含めダークエルフは全体主義者ではない。人種の性格上、ダークエルフには全体主義は根付かないのだよ。

 お前が何を基準に全体主義かそうでないかを区別しているのかは知らないが、私から言わせれば『すべての権力は労働者階級に』とか『共産党一党独裁』なんて個人の意思を圧殺する全体主義の標語そのものではないか。

 全体主義かそうでないかは個々人の意思をどれだけ尊重するかにかかっている。

 お前こそあちらの全体主義国家からやってきた全体主義者じゃないのか。

 何といってもお前たちの狂った理想のために私の命など圧殺しても構わないと考えているのだからな。

 個人の意思や思想なんてどうでもいいんだろ、イワン君」

「保安局や秘密警察をつくって弾圧しているのはどこのどいつなんでしょうか。本当に白々しいことを言うわね。

 それに私はイワンではないわ。だって国は捨てたもの」

「ついでに名も軍歴も捨てたか、もとなんとかスカヤ君。

 で、なんとかスカヤ君はもとの世界で虐められたから、今度はこちらの世界で勝手気ままに生きようとした訳だ。

 こちらにもとから住んでる人間の迷惑は考えないのか」

「迷惑を受けるのはあなたたち権力を握っているダニだけよ。他の人たちは権力者の檻から解放されるわ。私たちが国家という一部の人間にだけ都合のいい道具を壊してやる」

「へーえ。無政府主義者か。

 でも、前提が大きく間違ってませんかね。

 異世界人も含めてここの住民は皆がみんな理性的で他人に暴力をふるって何かを強制したりしない立派な人間ばかりでない。政府や法律が無くなったりすると、途端に隣人同士で相争う万人闘争状態になってしまうぞ」


 それこそがシルヴィアやアイリーン・パーシヴァルの望みなんだろう。


 もとの世界の惨めな自分と決別してこちらの世界で力を思う存分に振るえるヒーローになるつもり、か。ひどい妄想だ。

 しかし、こちらの世界でヒーローになるには精霊と結びつかなくてはならない。

 そうすると、アイリーン・パーシヴァルは精霊との結びつきを嫌う改革派などではなく、積極的に精霊を利用しようとするレジスタンスとかいう異世界人の派閥に属することになる。


 アイリーンは本当にそれほど愚かなのだろうか。

 彼女がレナードにオギワラ少年を墜落死させた理由も気になる。



「理想を持てない矮小な人と話し合いなんかしたくはないわ。どこか行ってくれないかな」

 シルヴィアはハエでも追い払うように手を払った。


「狂った理想という妄想など理解したくもない」

 シルヴィアも妄想にしがみつきたくなるほど酷い世界に住んでいたのか。いや、言い訳を許してはならない。シルヴィアも宣誓して軍人になった以上覚悟をしていたはずだ。


「話題を変えよう。お前の転生の経緯と送り手について語ってもらおうか、なんとかスカヤ君」



 その後、シルヴィアが半覚半睡状態で語ったのはおぞましい戦場での狂気についての話しだった。


 行けども続く砂と岩だらけの山地。北部の乾燥した大地。砂埃。質の悪い水。下痢。


 銃を手にとり撃ってくる10才くらいの少数民族の少年。待ち伏せ。銃撃。車列の破壊。半包囲。仲間の負傷。ヘリコプターによる救援。ゲリラの携帯型ミサイルによる撃墜。散乱する死体。装甲車の残骸。黒こげた死体。夜間、どこからともなく降り注ぐ砲弾。後ろからの狙撃。


 仲間以外誰も信じられない。その仲間も徐々に数を減らしてくる。そして、孤立しシルヴィアたちは狂気に冒されていく。

 死体になりたくないシルヴィアたちは村を制圧し男なら子供でも老人でも射殺する。村を焼き払う。ステップ地方の乏しい水源に毒物を混入する。子供が拾いやすいように鳩やリスの形をした粘土細工にみせかけた対人地雷を撒く。毒ガスを使用する。

 殺す。殺す。殺す。


 もう嫌だ。逃げたい。シルヴィアは負傷し兵員輸送車で後送される途中で気を失った。


「私は気がつくと湖のほとりの湿った土のうえに寝転がっていたわ。ふんわりとした雲の浮かんだ青い空。

 しばらくすると、逆光で顔はよく見えなかったけど、小さな男の子が近づいてきて私の歌を歌った。男の子は私のこれまで生きてきた時間を物悲しい調べにのせて歌うの。

 歌い終わると、男の子は私に誰も嫌なことを無理強いしない世界があるから行きなさいと言って湖を指し示した。だから私は湖に入っていった。

 次に、気がつくと、こちらの世界の森の中にいた。生まれ変わったと思えたから、私はこれまでの人生と名前を捨てた。

 なのに、マリアカリア大尉殿、あなたのおかげで触りたくもない銃を再び取ることになった。こちらの世界で自由になろうとすると精霊との結びつきが必要だわ。精霊と親しくなることはそんなに悪いことなの。なんで邪魔をするの」

「別に精霊の力なんて借りなくても自由に生きられるだろう。お前が何をしたいのか私には理解できない。

 一つ言っておくが、私は精霊たちに頼まれて仕事をしているだけだ。精霊たち自身がお前たちとの交流を拒んでいる。私が邪魔をしている訳ではない」

「嘘よ。私たちと親しくしたい精霊がいることをどう説明するつもりかしら。あなたが騙して精霊たちを縛っているだけだわ」

「そう思っているなら、なぜ精霊たちのところへ話し合いにいかなかったんだ。銃など取ったところで何の解決にもならない。愚かすぎる」

「話したわ。あなたが縛っているせいでコッソリとだけども。自分で縛っておいて話し合いに行けなんて、とんだ偽善者よね。マリアカリア大尉殿」


 シルヴィアに親しい精霊とはローラだけではないということか。送り手の様子もいつもの異世界人の場合とまるで違う。


 どうなっている。




 翌日の昼下がり。異世界人の若者が例の虐めのあった学校の校長を刃物で刺すという事件が起こる。





 サブタイトルが赤毛の男なのにアンドレアスが一向に出てきません。羊頭狗肉。申し訳ありません。

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