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刺客6

 刺客6


 親の愛情をほとんど受けなかった子供というのはどんな人間に成長するのであろうか。愛情を受けなかったことは本当に成長に何らかの悪影響を及ぼすのであろうか。

 これらについては、よくわからない。よくわかっていない。



「人を恋することにどんな意味があるの?」

 突然、親の愛情を受けたとほとんど感じていないルイス・マンフィールドが大魔女である美女に問いかけた。


「あ、あ、あ、あ。今のルイスの質問は地雷。

 その質問は何事にも無関心なはずのルイスが私に関心を持ち始めたっていうことよね。そういうの、絶対ダメ。拒否するわ。

 私は他人に服従を要求するけど、依存は絶対許さないからね。

 面倒だから。

 経験的に知っているのよね。ルイスみたいなスイッチ入っちゃうと特定の他人に依存したがる感情の起伏の激しいひとたちのことを。

 振り回されて非常に疲れる。だからパス」


 美女は写真(椅子に縛られ恐怖の表情を浮かべた人たちが写ったもの)を整理していた手を止めて、しつこいくらいに『絶対』を連発する。


「あの。全然答えになってないけど」

「あのね。昔、ルイスみたいなルーター派の牧師と結婚したことあるのよ、私。

 そいつときたら最初はなんでも受け入れたわ。すべてのことに無関心だったから。私が大魔女で真性のサディストであると告白してもね。そいつ、別に驚きもしなかった。

 でもね。ある時期を過ぎるとスイッチが入っちゃってしつこく私に粘着し出して、勝手に自分の理想像を描いては勝手に失望してね。最後には私を火炙りにしようとまでしたわ。

 二度とゴメンだわ。ああいう疲れる経験。不毛だし。

 ルイス。

 今の関係を壊すようなことは二度と言い出さないで頂戴。でないと、ふたりとも困ったことになっちゃうから。君もあいつみたいに生きながらくいを口から生やしたくないでしょう。ね」


「僕をそんなイカレタ牧師と一緒にして欲しくない。僕はただ純粋に意味を聞いているだけだよ。恋することって必要なの?恋してなんか役に立つの?そういうことを聞きたいだけなんだ」

「はあ、そこからなの?つくづく面倒だわね。

 あのね。人間とはね。種の保存という本能からの衝動だけでは生きていけない、つくづくやっかいな生き物なのよ。『自分は一体何ものか?』『生きている意味は?』とかを常に考えていてその回答を獲得しないと、不安でたまらなくなるの(アイデンティティの確立というやつが必要なのね)。そのくせ、不完全で、異性的な要素が付け加わらないとなかなか人格の完成ができない。男なら感情。女なら論理性という具合にね。

 モラトリアムのある人間はその時期を異性と交流して自分の中に欠けている異性的な部分を発見して親から独立して完成された人間になるための準備に費やすの、本当は。

 だから、恋愛とは」

「完成された人間になるために必要な動機付け、ですか。それも若いうちだけの」

「そういうこと。理論的にはね。

 恋愛感情とは、特定の異性のもつアイデンティティに憧れそれとの融合を目指す感情と定義できるはず。

 でもねえ。実際は複雑なのよね。年取ってからのは恋愛ではないとはいえないし。逆に年が若くて不完全性が半端でないと、(異性に)求めるものもそれなりのものにしかならないし。顔とか身長とか本能的なものしか欲しがらないのよね」

「……それって、もしかして遠まわしの自慢ですか。若い僕が貴女に惹かれていて、その原因はご自分が美人だからという」

「いやねえ。私はそんな決まりきったことなんて自慢しないわよ。

 それにルイスのは恋愛じゃない。ただただ親代わりに支配してもらいたいという依存願望。だから私は拒否っているのよ」

「……」


 ルイスは美女が今度はひたすらターゲットの油断しきった顔の盗撮写真に『NEXT』と書き込んでいくのを黙って見続けた。


  ◆◇◆◇◆   ◆◇◆◇◆   ◆◇◆◇◆   ◆◇◆◇◆


「オー、ノー。だめ!なんなの!ジーザス!」


 突然、コンピューターグラフィックと格闘していた女が立ち上がり、手のひらを開いて絶叫しだした。

 同じ部屋で建物の構造計算をしている同僚の男の身体がビクッと震える。


 男からは女の頭がアルミのパーティション越しに見えた。


 あー。やれやれ。またミスしたのか。


 男は首を振る。


 いつものことだが、あの声だけは慣れんなあ。


 男は小心者で女が叫び声を上げるたびに心臓を鷲掴みにされた気分になるのだ。

 しかし、それでも男に不満はない。

 以前の同僚たちに比べると格段にましだったから。


 ナオミといったっけ。あいつはひどかったなあ。へんなプライドばかり高くて。顧客のニーズにあわないから止めてくれと頼んでも頑として曲げない。おかげで契約を取り損なったことをなじられても『それって、私の責任ですか』と逆ギレする始末。

 給料もらってんだからそれなりのことをしろよ、ってんだ。今からグチ言ってもしょうがないけど。ひどかったなあ。

 ついでに首を切られたミゼッタという女もひどかったなあ。自己顕示欲が強くてひとから賞賛されないと気がすまない。おまけに支配欲も強くてどんな細かいことでも自分が知っていないと機嫌が猛烈に悪くなる。

 たまらんかったな。あいつらには。あいつらのおかげで事務所の人間関係が悪化する一方で仕事にまで影響が出たし。

 あの連中に比べればサラの叫び声なんて問題じゃない。


 実際、この同僚の男だけではなくサラ・レアンダーに対する事務所内での評価はかなり高い。

 サラの説得力のあるプレゼンテーションには顧客たちも満足していた。


 男は手を休めてサラがミスった時のいつもの癖でコーヒーをがぶ飲みしにいく後ろ姿を眺める。


 自分を含めて事務所のみんなはサラのプライベートなことをなにひとつ知らない。サラがどんな所に住んでいるのか。家で犬なんかのペットを飼っているのか飼っていないのか。どんな音楽の趣味をしているか。週末どんな過ごし方をしているのかなどは誰も何も知りはしない。

 でも、サラは仕事がかなりできるし、事務所内の人間関係に波風を立てたこともない。そのうえ、第一、愛嬌があって美人だし。


 既婚者である男はそう考えて、自分たちがサラのプライベートなことは何一つ知らなくたって問題ないと結論づけた。


 男は後に既婚者であってサラに恋愛感情を抱かなったことを大いに感謝することになる。


 

 サラ・レアンダー。

 女性。23歳。

 ドイツ系アメリカ人であり、曾祖母にスエーデン人の美女の大魔女をもつ。サンフランシスコ市在住。建築設計事務所勤務。


 彼女は幼児期にアルコール中毒の父親から虐待を受けていた……。



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