刺客3
刺客3
「とうとう壊してやった。さあ。これで私のことが嫌いになったでしょう。もう自由にしてちょうだい」
大きな天蓋付きのベットのそば、髪を振り乱した白い寝間着姿の美少女が壁に叩きつけて壊した陶製のカエルのおもちゃの破片を踏みしめながら持ち主だった少年の顔を睨んだ。
美少女は大貴族である父親に溺愛されて育てられ、父親の言うことにはなんでも従ってきた、今までは。しかし、今、彼女はすべてのものに反旗を翻したのだ。
「結婚はしない。誰が寝室にまで母親に子供の頃もらったおもちゃを後生大事に持ち込むマザコン野郎と結婚するものですか。式を挙げたからってなに?父上のメンツがなんだって言うの?私はもう誰にも依存しないわ。自立した女になるの!」
「あのう」
「うるさい!あんたの顔を見るのも嫌!触られると考えただけで虫酸が走るわ!近寄ってくるな、バカ!」
美少女が手をむちゃくちゃに振り回すのも構わず少年は近づいていって白いハンカチを握らせた。
「足から血が出てるよ」
興奮して肩で息をしていた彼女もようやく相手の少年の変化に気がついた。
少年からさっきまでの無気力な雰囲気が消えている。死んだ魚のような眼が生き生きとして発光体の様に輝いている。
やだー。よく見るとイケメンじゃない。母親と気持ちの悪い会話をしているとこしか見てなかったから気付かなかったけど、結構鍛えた身体をしているわね。これでマザコンじゃなかったなら……。
「君に壊されて遅まきながら気がついた。このまま母に依存していてはいけないって。いや。前々から気がついていたんだけど、変化が怖くて一歩も先へ進むことができなかったんだ。でも、もう違う」
エッ。脱マザコン宣言?じゃあ、私は茨の自立した女コースではなく、イケメン夫との甘い甘い婚姻生活コースを進めちゃうわけなの?いや、どうしよー!
「やっと母に代わる理想の女性を見つけられました。僕は貴女に一生ついていきます!」
あー。やっぱ、自立一択よね。荷物まとめよーっと。
― グリム童話「カエルの王様」マリアカリア改訂版より ―
美女はそのまま誰に断ることもなくマンフィールド家に居ついてしまった。
今も勝手にサイドボードからブランデーを取り出して居間で寛いでいる。
マンフィールド家の一人息子に暴力を振るうこともない。ルイスがおとなしい性格で、美女の要求を何一つ拒まなかったことが一番大きな原因ではあるが。
ナチの制服姿もあれっきりである。美女は普通に現代のセレブの女性と同じような格好をしている。その証拠に、危険を犯せば彼女の胸元にはシャネルのペンダントが輝いていることを確認できる。確認後の生存の保障がないので、ルイスはまだ確認していないし、する予定もない。
このようにルイスと美女との間には至って平穏な関係が築かれている。
ルイスも学校があるので美女を四六時中観察できるわけではないが、いくつかの変化に嫌でも気づかされた。
美女が朝から忙しそうに喪服姿で出かけるたび、その数日後、必ず美女の持ち物が増えるからである。こないだなどはBMWが届けられていた。
「そこのおバカな少年。こっちへいらっしゃい。そして私の肩を揉みなさいな」
居間のソファーの陰から美女の声がする。
「今夜は気分がいいから、揉んでくれたら一つだけ質問を許してあげるわ。ひとつだけよ。ウフフフフ。あー可笑しい」
十数分間のマッサージのあと、ルイスは質問した。
「なんでうちに来たの?」
ルイスは美女の名前や素性よりも美女がやって来たことについて深い疑念を持った。
家は面白くないことで有名だ。なんでこのひとはやって来たんだろう。
両親は人を呼んでパーティを開いたことなんて一度もない(そのくせ仕事がらみのパーティには揃って笑顔を貼り付けて頻繁に出席していた)。息子の誕生日パーティすら開いたことがなかった。プレゼントは豪華であったが、それだけだった。
ルイス自身も内向的で、頻繁にパーティを開く学校の連中とは距離を置いていた。
ヒラリー・クリントンが不法移民を家政婦として安くこき使っていたことを批判される以前は、家でも両親以外の人がいたらしいが、ルイスの記憶にはなかった。彼は物心ついてからずっとひとりっきりであった。
「つまらない質問をするのね、坊やは。いいのよ、別に遠慮しなくても。たとえばマルキ・ド・サドと会ってどんな感想を抱いたか、とか。アドルフ・ヒトラーの性癖はどんなのだったのか、というのでも。うん?興味ないの?」
「ありません」
ルイスは大抵の人が興味を持つことに興味を持たないことで有名だった。男の子なら一度はやったことがある(大抵はハマる)、ストリート・ファイターとかバトル・フィールドとかのビデオ・ゲームにも何の関心も抱かなかった。
また、ホワイト・アングロサクソン・プロテスタントの子弟しかいない学校に通っているおかげでひどいいじめにあったこともないが、たとえクラスの女の子にバカにされようともルイスは自動小銃を持って登校するほどイカレてもいなかったし、他人に関心もなかった。そして、特筆すべきことに本人だけは自分のことを至って正常な人間だと思い込んでいた。
「ふーん。私は好きよ、(何事にも無関心な)そういう子。私のすることの邪魔しないところが一番好き。
いいわ。答えてあげましょう、その質問。
マイン・フューラー(我らが総統閣下)は約束はしても何一つ守らないことで有名だけども、私は守るわ。だって私は大魔女だから。
あっ。『大』魔女よ。そこのところは間違えないでね。ただの魔女とは大きく違うから。
私がこの家へ来た理由は、私が完全に復活するのに都合が良かったから。
私はもともとスエーデンにいたの。ヴァイキングと呼ばれた連中がチェインメイルを着て丸盾と斧を持って暴れるズッと以前からその地にいたわけ。そして、そこには精霊とか呼ばれる連中がまだ活動していたの。連中の面白いところはね。好奇心が薄れて自らの力を使うことが少なくなると、非常に強いストレスを溜めるのね。使い切ることができない力は彼らにとって苦痛の種。だからそれを体から切り離す。この切り離された力の塊は知識さえあれば人間でも利用できる。利用する知識を持つものを魔女とか魔道士とかと呼ぶ。力の塊はルネサンスの頃に小生意気なイタリアの魔導師たちが賢者の石とか呼んだおかげでその名称が定着したわ。ネーミングセンス、ゼロね。私は嫌い。その呼び方。
ここまではいいわよね。うん?イメージしにくい?そう。じゃあ、後でイギリスの中年女が書いたハリーなんとかと賢者の石とかいうファンタジー読んどきなさい。めちゃくちゃだけど、イメージだけなら合ってるわ。
私が大魔女と呼ばれた理由はね。受け継いだ知識の他に新たな利用方法を開発発見したからなの。それが不老不死。偉大な発見よ。鉛を金にかえるなんてものは利用方法としては邪道。そんなもの、原子炉があれば現代の科学でもできちゃうことじゃない。原子のまわりを回っている電子をぶっ飛ばせばいいんだものね。……(美女はこのあとあちこち話を飛ばしながら20分は話し続けた)」
「要するに、貴女の言う意図を持った地球外存在が異世界から持ち込んだ賢者の石を使って大英帝国王立魔女協会の手でメダルに封じ込められていた貴女を救い出したが、救い出された貴女の身体が70年以上も前のポンコツで具合が悪いので貴女は自身の子孫の肉体を乗っ取ろうと計画しており、その計画達成のためこの家が大変都合がいい。そういうことですか?」
オカルト系とんでもWEBとかの内容としか思えないルイスは美女の話を手早くまとめてみせた。
「まあ、そんなとこね。大体合ってるわ。坊やが話を信じる信じないは別にどうでもいいけど、私が大魔女であることだけは認識しといてちょうだいな。これって、名誉の問題だから」
信じられるか。そんなトンデモ話。最初に美女がナチの制服姿で現れたところなんかB級ホラー映画そのものじゃん。でも、誰が一体僕をかつごうなどと思いついたんだろう?
ルイスはそんなことをこの時は考えており、美女の次の言葉に大した注意を払わなかった。
「あっ。それから大魔女であるとともに私が真性のサディストということも頭に入れといて欲しいの。でないと、これからこの家で行われることに坊やがいちいち驚く羽目になるから。一般にはサディストというのは相手を肉体的精神的に痛めつける行為によって性的快感を得る倒錯者を言うけど、私に言わせればそんなものは半端ものに過ぎないわ。なんでいちいち行為をしないと性的快感を得られないの?豊かな想像力さえあれば行為なしに自分の頭の中だけで十分快感は得られるわ。マルキ・ド・サドなんて未熟者に過ぎない。彼の『ソドム百二十日』なんてカスカスだわ。想像力が足りなすぎる。真のサディストというのはね。そういう残酷な行為をするひとをプロデュースするひとのことをいうのよ。その豊かな想像力を使って類まれなシリアルキラーをこの世に現出せしめるひとのことをいうのよ。わかってくれる?坊や」
美女はそう言うと、ニタリと笑ってグラスのブランデーを呷った。
グリム童話「カエルの王様」は非常に評判の悪い話だそうです(後日譚の「鉄のハインリッヒ」は別として)。
王女が約束を無視する腹黒で、カエルのストーカーぶりが気持ち悪く、王様が強圧的すぎるところなどなど。
一番の不人気は王女が同衾をねだるカエルに激怒して壁にぶつけて抹殺を図るシーン。童話に出てくる女性特に王女は他者に対して優しくなくてはならないという常識をあっさり覆すこの物語の王女の攻撃的な態度が特に受け入れられないとか。
いや、でも。封建時代ならいざ知らず、反発(怒りを持って)して親から自立するのは男の子でも女の子でも大して変わらないと思うのですが。
女の子はやっちゃまずいんですかね。今でも。
アメリカのハートフル映画なんか最後は抱擁で終わりますが、前半部分は怒りとか無視とかを結構丹念に描いていたと思うんですけど(リーリー・ソビエスキー主演映画参照)。




