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刺客2

 刺客2


「……以上、被告人には国家機密へのスパイと敵国通牒の容疑がかけられているわけだが、何か申し開きをすることがあるか?」

「前にも申し上げましたが、わたくしには全く身に覚えのないことでございます。それよりも弁護人を付けて下さることを要求します」

 豪奢な身なりをした女がそう言うと、彼女を囲んでいる制服姿の男たちが一様に笑い、その笑い声が地下室の中を反響する。

 わずかに聞こえていた遠くの砲声も笑い声のために途絶えた。


「フ。被告人はなにか勘違いをしているようだな。確かに、一般の裁判ならその要求は正当だろう。だが、これは軍事法廷でしかもスパイ事件だ。伝統的に弁護人なしの秘密、即決が原則なのだよ。お嬢ちゃん」

 厳格で知られる法務中将の主席裁判官がメガネを拭きながら女に告げた。


「そんな。では、申請した証人はどうなっているのですか。彼女が何もかも知っています。彼女に質問させてください」

「それも認められんな。彼女には証人としての能力がない。それに今頃、優性遺伝子保護のための行政処分がなされているだろうよ。あらゆる意味で彼女をここへ呼び出すことは不可能だ。諦め給え」

 必死に懇願する女に向かって今度はやりすぎで有名な黒の制服を着たSS少佐の陪席裁判官が答えた。


 女の申請など土台無理な話しなのだ。切られた馬の首と会話できると称したり、暖炉に向かって語りかける精神異常者が軍事法廷に出てきてなにが喋れるというのだ。しかも村でお情けでがちょう番をして暮らしていたというではないか。そんな人間は世界に冠たる優秀なドイツ民族には無価値で不要な存在なのだ。早期に世の中から退場させるのが社会の利益にかなうというものだ。

 このような感想を抱いた検察役のSS少佐は黙したままあきれた様に片方の眉を吊り上げてみせた。


「ほかには無いのかね、言いたいことは?」

 再び主席裁判官が女を促した。

「ああ。なんでこうなるの。王女が憎たらしくて水汲みを拒否したうえ、頭の弱いのにつけいって王女になり変わっただけじゃない。身分詐称とか忠実義務違反に問われるならいざ知らず、なんでスパイなのよ?なんで敵国通牒なのよ?」

「そんなことは我々にとってどうでもいいことなのだよ。問題なのは君がスラブ人であり、そのくせ国家中枢のすぐそばにいた。それが問題なのだ。

 サボタージュ?ブルジョワジー的な贅沢な振る舞い?そんなことは君の祖国では問題になっても、フン、我々には関係がない」

 SS少佐の陪席裁判官が少し興奮気味に怒鳴った。


「……」

 女はすべてを悟り沈黙するしかなかった。


「君。早く済ませてしまおう。ここは蒸し暑い」

 主席裁判官は鉄十字章のついた首元に左の指を突っ込みながら陪席裁判官に囁く。


 遠くで響いている砲声が再び地下室でも聞こえるようになった……。


     ―国家社会主義革命についての一考察「がちょう番の王女様」マリアカリア・ボスコーノ改訂版より―



 高校生であるルイス・マンフィールドが自分の頭上に硬いものの重みを感じたのは、深夜に自宅の温水プールに入って寛いでいるときであった。

 同時に、艶のある女の声が背後からして彼は震え慄いた。

 ここはサン・フランシスコ郊外にある高級住宅地の一角であり、荒れた1980年代でも不審者を寄せ付けなかったことで有名な場所。招待もなしに外部の者が深夜に存在することなど不可能なはずだった。


「ねえ。そこの青臭い坊や。わたくしに上等なハバナ産の葉巻とブランデーを持ってきてくれないかしら。スキットルに入っていたお酒がだいぶ古くなって飲めなくなっちゃったから」

 

 彼が恐る恐る首を回してみると、黒の制服に身を固めたブロンドの美女がプールのヘリに座ってその履いている革の長靴の踵を彼の頭に載せているのがわかった。


「あのう。家をお間違えになったのでは。うちではその手のパーティは絶対しませんし。第一、父(外科医)は病院近くのホテルで寝泊まりしてますし、母(食品業界をヘッドハンティングされて会社社長として渡り歩いているキャリア・ウーマン)も商談でアジアへ飛んでますから」


 SMパーティのゲストに間違われた美女はひとつため息をついた後、しつけのため踵に力を込めて少年を一旦プールの底へ沈めた。


「青臭い上におバカな少年。その貧弱な身体を早く拭いてわたくしの要求を満たしなさいな。迅速にね。でないと、使えない奴と判断するわよ」


 美女には大戦中フランスでUボート基地建設やパンツァー・ファウスト(使い捨ての対戦車無反動砲)製造に強制収容されたユダヤ人を酷使した経験があった。当時と同様、現在も美女の使えない奴との判断は判断された側の死を意味した。


   ◆◇◆◇◆   ◆◇◆◇◆   ◆◇◆◇◆   ◆◇◆◇◆ 


「……やんちゃして東海王(竜王)に勘当された俺様が東シナ海の底で謹慎していたらサンゴ密猟の底引き網に引っ掛けられてさあ。『目撃者は消せ』の定石どおり時化を起こして漁船の抹殺を図ろうとしたんだが、数が多すぎてなあ。やっちゃって東海王にまた怒られるのは嫌だし、どうしようか困ってたんだわ。そしたらリリスが観音様みたいに現れてよ、俺様に『肉体労働で協力してくれるなら現在の苦難を解消してやろう』とか言うじゃん。俺様もその時はいい話だと思っちゃって承諾したんだわ。そしたら馬になれ、だろ。リリスのやったことといえば、日本の巡視船引っ張ってきただけじゃん。俺様、切れたんだわ。そしたら、覇王が出てきてボッコボコ。なんで奴は素手で竜を殴れんだよ。常識外だろ、そんなこと。人間やめちゃってるじゃん。挙句に奴はこう言いやがった。『馬ならこれくらい元気がある方がいい』

 で、それ以来、俺様は嫌々ここで馬やらされてんの」

 ステーキの載った皿の前で人化した竜が両手に持ったフォークとナイフを振り回しながら、これで3度目になる自身の苦労話を披露した。

 もとより情報としての価値はなく、マリアカリアは腕を組んで顔をしかめている。食事のとり方が汚らしいのもマリアカリアを大いに不愉快にさせている原因だったが、見込み違いを証明されているようで馬の存在自体が彼女の情報将校としての矜持を大きく揺さぶっていた。


「オイ。竜馬よ。なんの価値もない話を大昔の壊れたレコードのように繰り返しても、食事を恵んで下さる方に苦痛を与えるだけだぞ」

「そう言う関羽はなんでここにいて食ってんだよ。厚かましすぎるんじゃありませんかね。昔むかし、義の漢と言われた貧乏人」

「食べている内容を見てものを言え。俺の食べているのは冨田先生のご好意による賄い料理だ。マリアカリア殿の施しとは違う」

「けっ。テーブル・ジョークのひとつも言えねくせに偉そうにするんじゃねえよ。それに賄いとはいえ、それ、フランス料理だろ。箸使ってんじゃねえよ。ナイフ、フォークも使えない野蛮人めが」

「竜馬よ。いま、戦前生まれの日本中の田舎のお年寄り全員を敵に回した自覚はあるか。厚生労働省の役人以外でそんな品性のない真似ができるのはたぶんお前だけだぞ。

 フ。俺も熱くなりすぎたな。馬相手に大声を出すなんてとんだ失態だ。マリアカリア殿、冨田先生。失礼を詫びる」

 関雲長はふたりに拳を合わせてみせた。


 数十分後。関雲長は再びふたりに拳を合わせて礼をしてみせた。

「『衣食足りて礼節を知る』の言葉が身にしみる。久しぶりにまともな食事が摂れて心の方も余裕が出来たようだ。冨田先生、感謝する。

 礼といってはなんだが、ひとつ情報を提供しよう。

 リリス殿がマリアカリア殿への刺客として一人の魔女をサンフランシスコというところで復活させたそうだ。かなり冷酷な奴で、魔女協会が70年前に封じ込めていたんだが……」

「関羽。利敵行為だぞ」

 竜馬が喚くが、関雲長は動じない。

「士は己を知る者に尽くすという。

 俺とお主はリリス殿にすでに戦力外通告をされた身の上。それに俺は仙人たちから出された課題遂行に尽力して恩は返している。礼をするのになんの障りがあろうか」


 マリアカリアは関雲長の話を聞き、天井を仰いだ。

 鬱陶しい。実に鬱陶しい。わたしは自分の強さを見せびらかすために暴力を振るう目的と手段が逆転したアンポンタンではないのだ。必要があってはじめて嫌々ながら暴力を振るう正統派なのだ。余計な必要性を作るのではないわ、暇人めが。

 彼女は心の中でそうリリスを罵って、最近使っていない愛銃をホルスター越しにそっと撫でた。


 相手は千数百年の間時代時代に姿を変えて殺人を楽しんできた真性のサディスト。マリアカリアはどうやってこの妨害を跳ね除けて恋愛ゲームのミッションを完遂するのであろうか?

 大体予想がつくので少しだけ興味が沸く。



 グリム童話「ガチョウ番の娘」は過去において高名な心理学者たちのいくつもの解釈がつけられたお話しだそうです。

 曰く、母親から娘が自立していく過程を象徴したもの、あるいは女性の性的成熟の過程を象徴した物語だとか。

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