36 レシピと日記
馬車の中を気まずい空気が漂う。
手の中のカップをミイナが見つめる。シータが菓子を齧る音が響く。レイは髪に付着した血を濡らした布で拭い、ボスは無言で前を見つめていた。
お茶を一口啜ったガインが口を開く。
「……聖なる欠片が手に入ったともっと早く言ってくれれば、これほど血塗れにはならなかったのだが」
その言葉を皮切りとして、レイとシータも不満を口にした。
「僕も余分に吐血して貧血気味だよ」
「おいら、ずっと転がってたのにぃ」
ミイナは顔を上げて上目遣いで皆を見つめ、媚びた笑いを顔に浮かべた。
「えへへ。みんなの凄い形相に圧倒されて言い損なっちゃって」
雷直撃の草原で欠片を見つけたミイナとボスは、必死に魔物と戦う仲間達に声を掛けそこなった。その結果、ミイナとボス以外の勇者の子孫とボスの組織の構成員は、瀕死になりながらも魔物の群れが全滅するまで戦いを続けたのだ。
ガインがボスに視線を向ける。
「ボスも、何故言ってくれなかった?」
「…………」
「謝らないんだねぇ」
無言を貫くボスに、シータが呆れる。ミイナがそんなボスの袖を小さく引っ張って囁いた。
「ボス、ここは場をおさめる為に一つ謝罪を」
ピクリ、と身体が動き、ボスが前を見つめたまま謝罪した。
「悪かった」
「ほら、ボスが反省して謝ってるから許してあげて、ね?」
「まるでオレだけが悪いみたいだな」
「あの雲っぽい魔物が聖なる欠片持ってるって言ったのボスじゃない」
「……それより次の目的地は何処だ」
ボスが視線をレイに向けた。
「強制終了だぁ」
シータが最後の一口を口の中に放り込み、レイが魔王攻略日記を荷物の中から引っ張り出す。
「えーと、『炎獄の池』に欠片はあると書いてあった」
ガインが地図を広げ、レイが現在地に人差し指を置く。
「ここから南へ。世界の南端のこの辺りに、おそらく炎獄の池がある。近くに国があるから寄ってから行こう」
地図の上で指を滑らしながらレイが説明する。
皆が頷く。行き先が決定した。レイが日記と地図を片付ける。立ち上がろうとしたガインをボスが制した。
「ガインは身体を休めておけ」
立ち上がったボスを、シータが茶化す。
「ちゃんと悪いと思ってたんだぁ」
一瞬鋭い視線をシータに向け、ボスは御者席に移動した。
緩やかに馬車は走り出す。
さすがに疲れたのか、ガインが床に敷いた布の上で丸くなりそのまま眠る。散々菓子を食べたシータは満足したのかズショから無断拝借した本を開き、暇になったミイナはまだ髪を拭いているレイに話しかけた。
「ねえ、『炎獄』ってなに?」
ん? とレイは優しい瞳をミイナに向けた。
「凄まじい炎、ってことだろうね」
「池に炎があるの?」
「見てみないと分からないけど、そうかな」
「またきっと危ない目に遭うんだろうな」
うんざりとした表情で溜息を吐くミイナ。と、その時、
「うーんんんんぅ」
とシータが妙な呻き声を上げた。
「どうしたの?」
首を傾げるミイナに、シータが本を見せる。
「このレシピ本に載ってる材料、見たことがないものばかりなんだよぅ」
「へー、どれどれ……あれ? 絵ばっかり」
本には字が書かれておらず、稚拙な絵のみが描かれていた。
「うん、材料も作り方も全部絵で説明してあるんだよぅ」
シータがパラパラとページを捲るが、そのすべてのページで字は見当たらなかった。
「子供用の絵本とか?」
「でもぉ、結構本格的なレシピだから子供には作れないと思うよぉ」
それより、とシータは眉を寄せた。
「ここに書かれている材料は、何処にあるんだろうぅ。美味しそうだなぁ、特にこの長細くてトロっとしたやつぅ。軽く焼いてこっちの果実で作ったソースをかけるんだってぇ」
「ふーん、こんな絵だけの説明で、よく分かるね」
このレシピ本の作者は、もしかして字が書けなかったのだろうか?
顎に指を当ててミイナが本を見つめていると、後ろから声がした。
「古い本だね」
振り向くと、真剣な表情でレイが本を見つめていた。
「レイ?」
「字が無いのは、自分用のレシピメモだったからかもしれない。それにしても――」
レイは手を伸ばし、指先で本に触れる。
「――材質といい形といい、攻略日記とそっくりだ」
レイの言葉に、ミイナが目を瞬かせる。
「そっくり? 攻略日記と?」
ミイナはレイの荷物の中から攻略日記を取り出して比べてみた。そして、
「……これ、そっくり?」
首を傾げる。ミイナの目には似ているようには見えない。
「ボロボロだから今まで気づかなかったけど、こうしてよーく見れば分かるよ。攻略日記とレシピ本が同じ頃に書かれたものだというのは確かだと思う」
「ふーん、そうなの……?」
自分には分からない、と肩を竦め、ミイナは攻略日記を荷物の上にポンと投げた。
「じゃあさ、このレシピ本も勇者が書いたものって可能性もある?」
「え?」
予想外のことを言われて一瞬驚き、そしてレイは顎に手を当てて考え込んだ。
そんなレイの様子を見てミイナが笑う。
「あはは、冗談だって。まさか勇者がレシピ本なんて書く訳がないよ。レシピ本が魔王退治の役に立つとも思えないしね」
「……うん」
頷きながらも本を見つめるレイの袖を、シータがちょいちょいと引く。
「んー、じゃあさぁ」
「なんだい? シータ」
「ここに書かれている材料もぉ、昔のなのぉ?」
「そうだね。見たことがない材料が多いのは、現代ではすでに存在してないからという可能性もあ――う! 本を見ていたら気持ち悪……」
掌で口を押えて膝を付いたレイ。シータが慌ててレシピ本をレイから遠ざけ、ミイナが回復魔法を掛ける。
「存在しないって、そんなぁ……」
肩を落とすシータに、レイは微かに笑顔を見せた。
「でも、まだ存在している可能性もあるから、旅の途中で探そう。ね、ミイナも」
「え? 私も手伝うの? まあいいけど」
「探してくれるのぉ? ありがとうぅ、ミイナぁ、レイぃ」
床に倒れ込みそうなレイの襟首をシータが掴む。と、その時、
「きゃあ!」
「うげえ!」
「ぎゃあぁー」
馬車が乱暴に止まった。
「ちょっとボス! なんて止まり方してんのよ!」
ミイナが文句を言ったのと、御者席からパンパンという音が聞こえてきたのは同時だった。
「小娘、魔物だ」
「ええ? もう?」
眉を寄せ、ミイナがレイを杖で突く。
「レイ、攻撃魔法……って、白目を剥いてる。カンチ!」
「ガイン、魔物だよぉ」
目を覚ましたガインが馬車を飛び出し、魔物に向かって走って行く。
「頑張れぇ」
「あ、やばいかも。レイ、攻撃魔法! 早く!」
勇者の子孫達は、魔物を倒しながら南へと進んだ。