お花畑しかいない。
リース王国の次期女王、アナスタシアは深いため息を吐いた。
ここは王の私庭にある東屋。一人になりたい時に訪れる私だけの秘密の隠れ家。王の私庭だから誰も入ってくることはない。だって、私庭だから。
「なのに、なんで父上がここにいらっしゃいますの。」
「それは、私の庭だからだよアナスタシア。」
眉を下げ、困った顔をしながらアナスタシアの目の前に座っているのは現国王であり、アナスタシアの父でもあるロベルトだ。今は精悍ながらも色気ある顔立ちだが、若い頃はそれはもう可愛くて女の子のようだったと王太后であるお祖母様が仰っていた。末の王女であるリリアーナとそっくりだったと。
今は見る影もないから、お祖母様は父上に会えば嘆き悲しみいつも八つ当たりをしている。あの頃のロベルトを返せと。文句を言ったっておじさんが若返ることはないのに。
「それより、どうしたんだい?ため息なんて吐いて。」
若葉を思わせるような薄いグリーンの瞳が優しげにこちらを見つめている。公の場では王として威厳ある態度で接しているが、プライベートでは一人の父としていつも優しく接してくれる。
「少し、感傷に浸りたかったのです。」
頬に手を当て、またため息を吐くと途端にロベルトが険しい顔つきになった。
「ラインハルトか?ラインハルトが何かしたのか?」
テーブルを挟んでずいとこちらとの距離を詰めてくるロベルトの暑苦しさに思わず背中を反らしてしまう。しかし、なぜラインハルトの名前が出てきたのかアナスタシアには分からなかった。
「ラインハルトはせっせと結婚式に向けて働いておりますよ。父上が一年後に挙式すると宣言してしまいましたから。」
目線を鋭くするとロベルトは言葉を詰まらせて大人しく座り直した。アナスタシアには文句を言う権利がある。一年後と急遽決めたことで、アナスタシアとラインハルトは互いに忙しくなったからである。早く結婚できることは正直嬉しい。が、こうも会えない日々が続くとやはり寂しいものなのだ。
「感傷に浸っているのは、ラインハルトとの時間が少ないからかい?」
「いいえ。」
きっぱりと答えるとロベルトの右肩が下がった。
「じゃあ、なぜ感傷に?」
ロベルトの言葉に唇を固く閉じ、俯いてしまう。こんなことを言ってはいけないと思う。次期女王なのだから、本当は凛としていなきゃいけないのも分かっている。だけど。
「悪役令嬢が現れてもよいとは思いませんか?」
「ん?」
意を決して、ロベルトにそう伝えたのに目が点になっているその姿に腹が立ってくる。
「恋愛にはスパイスが必要とは思いませんか?そこで、悪役令嬢の登場なのです。あ、悪役令嬢はご存知ですか?巷で人気の小説に登場するヒロインと敵対するご令嬢のことです。ヒロインに意地悪したりヒーローに色仕掛けをしたり、ヒーローとヒロインの仲を拗らせたり、愛を深め合わせたりするんです。侍女のオフィーリアに借りたのですが、これが面白くて。今は『ブルーバードを捕まえて』という悪役令嬢がヒロインである王女を国外追放する話が面白くてですね。」
「アナスタシア。」
「なんですか、父上?」
いけない。興奮しすぎてはしたなく喋りすぎてしまった。ロベルトの表情が王のソレに変わってきている。
「たかだかご令嬢が王女を追放出来ないよ。」
「分かっておりますわ。創作物ですもの。」
「じゃあ、悪役令嬢なんかが現れることがないのは分かるね。」
何度目か分からないため息を吐いてしまった。
「分かっておりますよ。私の周りのご令嬢方は立場を弁えてラインハルトに不用意に近づく方はいらっしゃらないし、ラインハルトも私以外には節度ある態度を取っているわ。」
そう言うと、今度はロベルトが盛大なため息を吐いた。
「だったら、どうして悪役令嬢なんて現れて欲しいんだい。」
呆れるのはごもっとも。だから、口に出したのは今日が初めて。こんなこと言ったら侍女長はひっくり返って、オフィーリアは泣いて、リリアーナは怒るからね。
「こう、ラインハルトにですね。」
頬が熱くなるのが分かる。なんでも話せる父上と言えどやはり、乙女心を理解していただくのは難しいのかもしれない。
「『何があっても俺がアナスタシアから離れることはない!』と言ってもらいたいのです!」
言った。言ってしまったわ!アナスタシアをいじめる悪役令嬢の前に颯爽と現れてラインハルトはアナスタシアを抱きしめるの。そして悪役令嬢にそう告げるの。アナスタシアはラインハルトの香りに包まれてうっとりするのだ。
素敵!素敵すぎるわ!
でも現実は悪役令嬢を頼もうとした友人にはどうなるか考えて動けと馬鹿を見る目で見下ろされてしまった。他のご令嬢に頼もうとしたらリリアーナに怒られてしまった。やはり、アナスタシアに足りないのは、こう儚げでいじめがいのある容姿なのだろうか。
うんうんと唸りながら考え込んでいたらロベルトは苦笑しながら立ち上がった。
「まあ、アナスタシアがきちんと現実をみてくれていて安心はしたよ。」
アナスタシアは当たり前だと言わんばかりに胸を張りにこりと笑った。
「現実を見つめなければ女王など、なれませんから。」
「ラインハルトに会えるように調整しておくよ。」
ロベルトはどこか、そうなんだか哀れんだ笑みを浮かべながら、じゃあねと庭を後にした。アナスタシアはロベルトの表情と態度に首を傾げるばかりだった。
◾️
そんなやりとりをアナスタシアとロベルトがした数日後。アナスタシアは胸に抱えるほどの大きな箱をご機嫌な様子で運んでいた。
ここは王家や王家に認められた者しか立ち入ることの出来ないごく私的な居室がある廊下。だからアナスタシアは次期女王らしく振る舞う必要もなければスキップだって出来ちゃう。
足取り軽く自分の書斎に入れば箱をローテーブルに置き、アナスタシアはソファに座った。気持ちを落ち着かせるために何度も深呼吸をしてから意を決して、上箱を開けた。中には男性ものの白いシャツが綺麗に折り畳まれて収まっていた。
アナスタシアはそれを見て頬を染め、口元を両手で隠すと足をバタバタとさせた。肌触りのよいそれを手に持ち、掲げると陽の光で白さがさらに際立った。うっとりとそれを眺めているとはっと何かを思い出したのか、丁寧にシャツをローテーブルに置くといそいそとデスクへと移動する。
引き出しから四角く重みのある小瓶を取り出すと再びうっとりとそれを見つめながらソファに戻り、シャツの襟首あたりに小瓶の中の液体を一滴垂らした。
するとふわりとアナスタシアの大好きな香りが広がり、蕩けた顔をする。そして、香り付きのシャツを大事そうに持ち上げて顔を埋めた。
「あぁ、ラインハルト。」
「呼んだか?」
その声が聞こえた方向を見るとニヤニヤしたラインハルトが扉の前に立っていた。アナスタシアは顔を真っ赤にして口をぱくぱくと動かすが声が中々出てこない。喉がわずかに震えた。
「ノ、ノックをしないなんてマナーのなってないっ!」
「何度もしたぞ?」
ぐっと言葉に詰まるとラインハルトは長い脚を動かしてすぐさまアナスタシアの隣に腰掛け、これまた長い腕で肩を抱いた。
「で、俺のと同じ型のワイシャツに同じ香水を振りかけて何してたわけ?」
楽しげな笑みを浮かべてアナスタシアの顔を覗き込んでくる。この、詐欺師顔はこのことを弱みとして生涯強請ってくるに違いない。なんとか良い言い訳を考えようと顔を逸らすものの混乱しているせいか良いものが浮かばない。
「まさか王女様が俺恋しさに擬似的に俺に抱きしめられたいからって、うちの使用人に着用している俺のシャツと香水の銘柄を聞き出したわけ、ないよな?」
奴は全て知っている。だからここに来たのだ。アナスタシアはぎゅっとシャツを握りしめると今にも涙が溢れそうな瞳でラインハルトを睨みつけた。
「悪い?あなたが忙しいから、代わりを用意したのよ。」
そう告げるとラインハルトは手で目元を覆い天を仰いだ。そしてしばらく動かない。え?何?と不審に思いながら身を乗り出してラインハルトに近づくと力一杯抱きしめられた。
「あー、アナスタシアは本当に可愛いな。」
今までのどこに可愛いなんて要素があるのだろうか。あるのは強請られるネタだけだ。ラインハルトに向けた顔は眉間が寄っていたが、それさえも良いのか満面の笑みを浮かべていた。
『何があっても俺がアナスタシアから離れることはない。』
その言葉に顔から火が出そうになる。羞恥心でいっぱいで涙が溢れ出した。ラインハルトはアナスタシアの目から零れ落ちた雫を指で拭ってやると、笑った。アナスタシアの大好きな意地悪な顔で。
「いつだって、甘い台詞を言ってやるし寂しかったら強く抱きしめてやるよ。」
敵わない。この人には一生、絶対に勝てない。でもいいの。この人が側にいたら私のどんな恥ずかしい行動でさえ、受け入れてくれるから。




