3.懐かしい世界。
夢のような時間はあっという間に終わり、今度は幻のひとときがやって来た。
そう、1万人の中からたった10人しか選ばれない幻の交流券を使う時が来たのだ。
私はLOVEのメンバーの中からもちろん透くんを選び、透くんと個室でテーブル越しにお話をしていた。
交流時間はなんと5分もある為、テーブル上には飲み物やお菓子まで用意されており、椅子まである。
立ちっぱなしにならないようにとの、運営からの配慮なのだろう。
素晴らしい運営だ。
「透くん、今日もかっこよかった!ダンスまた上手くなったよね?あのステップのところとか、圧巻だったよ!」
透くんに手を握られたまま、とにかく熱くライブの感想を述べる。
私の言葉を聞くたびに、透くんは照れくさそうに笑ったり、嬉しそうにはにかんだりしていた。
「…ねねさんのおかげだよ。ライブ配信も、地方のイベントも、握手会も、ここ1ヶ月なんでも来てくれて、ずっと背中押してくれて。感謝してもしきれないよ」
キラキラとした眼差しで私を見つめる透くんに、ズキューン!と心臓が撃ち抜かれる。
まさに、沼である。
一度ハマったらもう戻れない。
やはり、透くんは素晴らしい存在だ。
「私、これからも透くんを推すよ!私の一番星は透くんだから!」
私はそう言って、笑顔で透くんの手を握り返した。
*****
次の交流は、romanceのメンバーの誰かとだ。
もちろん私はromanceの中から、昔の推しである翡翠を選び、彼のいる個室の前へと移動していた。
この扉の先に、翡翠がいる。
透くんがいた個室と同じような扉を前に、しみじみとそう思う。
4ヶ月前は、お金と時間が許す限り、何度も何度も翡翠に会いに行った。
ライブにも、握手会にも、イベントにも。
その全てが今は透くんだ。
そんなことを考えていると、スタッフの方が私の電子チケットを改めて確認し、「どうぞ。時間は5分です」と丁寧に告げて、個室の扉を開けた。
すると扉の先には、透くんと同じようにテーブルの奥の椅子に腰掛けている翡翠がいた。
栗色のまっすぐな髪に、蛍光灯の光が当たり、天使の輪ができている。
キラキラと輝くそこから覗く顔は相変わらず端正で、日本中全ての人が「かっこいい」と騒ぐ理由も頷けた。
長い手足に、小さな顔。骨格まで完璧とは、さすが今をときめく翡翠である。
翡翠は私の存在に気づくと、ふっと表情を緩ませ、席から立った。
「いらっしゃい。ここ、座って?」
テーブルの向こうから、翡翠が優しく私に席を指し示す。
目を合わせ、存在を認知してもらう。
ほんの4ヶ月前なら、よく握手会であった出来事だ。
なんと懐かしい感覚なのだろう。
私は個室へと入り、翡翠の元まで移動すると、促されるまま、その椅子へと座った。
「久しぶりだね、ねねさん」
「え…!私のこと覚えてくれてるの?」
「もちろん」
テーブルを挟んで向こう側で、翡翠が甘く微笑む。
翡翠のまさかの言葉に、私は嬉しい気持ちでいっぱいになった。
翡翠にはたくさんのファンがいて、私はそのうちの1人に過ぎない。
それでもたった1人のファンを覚えているだなんて、さすが翡翠だ。
「ライブ、疲れたよね?俺も疲れたし、一緒に飲もっか」
翡翠はそう言うと、紙コップを私に渡してくれた。
コップの中には、暖かそうなコーヒーが入っており、白い湯気が立っている。
「ありがとう」と翡翠からそれを受け取ると、私はそれに口をつけた。
ほろ苦いコーヒーが、じんわりと私を温める。
翡翠も飲む高いコーヒーだからか、普段飲むコーヒーと味もどこか違う感じがする。
何が違うのか、はっきりとはわからないが。
初めて味わうコーヒーの味を楽しんでいると、同じくコーヒーを口にしていた翡翠が私の前にお菓子の入ったかごを置いた。
「お菓子もあるよ、よかったら食べてね」
「う、うん…!」
微笑む翡翠に、思わず4ヶ月前のように破顔する。
こうして、ファンなら誰もが夢見る、幻の5分間が幕を開けたのだった。
*****
そこから私は、たくさん、たくさん、翡翠への愛を伝えた。
翡翠の大きくてしっかりとした暖かい手に両手を包まれて、夢心地になりながら話を続ける。
「今日のライブ、本当によかったよ!私ね、実はデビュー前から翡翠のファンだったの!サバ番の時からずっと好きだったの!」
「…うん、ありがとう」
私の言葉に、翡翠が穏やかに頷く。
「私の目に狂いはなかった!翡翠なら絶対にみんなの一番星になれるって思ってたから!デビュー前から翡翠を推せたこと、本当に嬉しい…!」
脳裏に翡翠を見てきた、約2年間が鮮明に浮かぶ。
サバ番で、周りの実力者たちに揉まれながら努力を重ねた、翡翠。
デビュー前、最後に行われた握手会で初めて会った、翡翠。
見事デビューを勝ち取り、初めてした、お披露目ライブでの、翡翠。
地上波ではにかむ、翡翠。
雑誌の表紙を飾る、翡翠。
そして、誰もが知る、星になった、翡翠。
全部、私の中での大切な思い出だ。
「これからも陰ながら応援してるよ、翡翠」
私は確かに目の前に翡翠に、笑顔でエールを送った。
そんな私に、翡翠はふわりと笑った。
「…ありがとう、ねねさん。ねねさんは今でも俺が好き?」
「もちろん!」
「一番?」
「…え、あ、う、うん!」
翡翠の問いかけに、一瞬言葉を詰まらせる。
私の一番は今は透くんだ。
だが、それを昔の推しに直接伝えるのは違うだろう。
翡翠にはたくさんのファンがいるけれど、それでも「アナタが一番だ」と誰からも言われたいはずだ。
ましてや、ファンだったと名乗る者が、「今は違います」と言うなんて、あまりいい気分ではないだろう。
私は誤魔化すように硬く笑うと、つい翡翠から視線を下へと落とした。
「好き〝だった〟。ファン〝だった〟。ぜーんぶ、過去形。ねねさんにとって、俺はもうねねさんの一番星じゃないんでしょ?」
「…え」
聞こえてきた翡翠の声音があまりにも低く、私は思わず目を見開く。
約2年半も翡翠を見てきたが、こんな声、聞いたことがない。
驚いて視線をあげると、そこには変わらず私に甘く微笑む翡翠がいた。
…が、その瞳は何故か、曇っていた。
まるでこれから雨が降る、どんよりとした雲のように。
翡翠のわずかな変化に、私の中で警告音が鳴る。
何故なのかはわからない。
「い、一番星だよ。本当に。私は翡翠を応援していて…」
「嘘つき」
慌てて嘘をついた私に、翡翠は笑顔のまま、冷たく言い放った。
「表情が、目が、違うんだよね。前はちゃんとそこに大好き、て書いてあったのに」
責めるような翡翠の言葉に、心拍数が上がっていく。
このままではダメだと、本能的に思う。
翡翠はわかっていたのだ。
私がもう、翡翠を推していないことを。
それなのに、あんなにも簡単に嘘をついてしまったから。
それで怒っているのだ。
なんて、ことを。
どうにか、しないと。
打開策を考えようとすればするほど、思考が上手く巡らない。
かんがえない、と。
頭がまるで霞がかったように、ぼんやりとする。
「俺をもう一度、一番星だと心から言えるように頑張ろうね、天音さん」
微笑む翡翠が視界いっぱいに、広がる。
な、なんで、私の名前を…。
意識を保てない。
限界だ。
そこで私は意識を手放した。
「おやすみ、天音さん」




