クマさんを殺すな!(その8)
「バ、バカじゃないの!? 城下町に熊を入れるなんて!」
ダークエルフの女が、甲高い声を上げる。
熊の首を片手で掴み上げていた魔王が、空いた手で不快そうに耳を掻く。
首を握り締め掴み上げられ、全力でもがく熊が鋭い爪で魔王の腕をひっかくも、ミミズ腫れ一つ作れていない。
猫が人間にジャレついた時でさえ、もう少し傷を与えられているだろう。
「あー? バカたぁなんだ、バカたぁ。どうしてテメーらの言う事聞いてやったのに、俺様がバカ扱いされなきゃならねーんだ。ええ?」
無造作に熊を南門目掛けて投げ捨てた魔王が、ダークエルフの女を不機嫌そうに一瞥する。
「大体よー。城下町に熊を入れるなって、じゃあテメーの貧相な胸元に書かれてるそこの文字は何なんだよ」
ペッと唾を地面に吐き捨てて、魔王がダークエルフの着ているTシャツを指さした。
ダークエルフの着ているTシャツの胸元には『熊さんを受け入れろ』というメッセージがデカデカと書き込まれている。
胸元を隠すように、ダークエルフの女が両腕を組んだ。
魔王が指摘した通り、確かに魔王のやった事は動物愛護団体が日頃から掲げているメッセージと同じ事だ。
流石にパッとは上手い言い訳が思いつかないのか、ダークエルフの女が言葉に詰まる。
「こ、これはあくまで目指すべき理想で、物の……」
「物のたとえ、ですか?」
動物愛護団体の面々と同じく『くまさんと和解せよ』というメッセージのプリントされたTシャツを着た参謀が、ダークエルフの言葉の先を奪う。
「その言い分は通らないでしょう。あなた方はゴブリン達に熊達を受け入れるよう、現実的な手段で強要して来たわけですから」
相変わらず、感情の一切感じさせない口調で参謀が告げる。
「だ、だからってそ……んぐっ!?」
どうにか言い返そうと口を開きかけたダークエルフの喉を、魔王が片手で掴み遮る。
「はーうるせぇ。骨格標本みてーなザコい体の鶏ガラ女が、キーキーわめいてんじゃねえよ。夕暮れ時でテンション上がってはしゃいでるコウモリかテメーは」
気管はもちろん両頸動脈ごと片手で握られ、見る見るうちにダークエルフの整った顔がうっ血して赤黒く染まっていく。
「魔王様、好みの女性じゃないと容赦ないですね」
「そりゃそーだろ。女共だって金も力も地位も無いザコオスにゃ、塩対応がデフォだろが」
「そうなると、金も力も地位も全て持っているにもかかわらず、サキュバスにすら相手にされず、ほぼ全ての国民から塩対応喰らってる魔王様は一体何なのでしょうね?」
「んだとコラ……!?」
参謀に言い返してやろうと牙を剥く魔王の姿が、突如業火に包まれた。
喉を握られもがいていたダークエルフの女が放った、火炎魔法の仕業だった。
呼吸が満足にできない中で、手のひらを魔王へと向けている。
差し向けられた手の先には、緋色に輝く魔法陣が浮かび上がっていた。
魔王の体を一瞬にして包んだ炎は、勢い止まらず魔王の後ろにあった見上げるほどのどんぐりの山もまとめて飲み込み、空をも焦がす火柱を作る。
上級魔族の身分はダテではない。
力が全ての魔界において、人間並みの体力しか持たないダークエルフ達が、何故上級魔族等という身分でいられるか。
それも全て、この魔力の強さがあるからこそだった。
彼女たちダークエルフは、特に戦闘や魔法に秀でた者でなくてさえ、その気になれば一人で数軒まとめて家を焼き払えるほどの魔力を持っている。
人間の弓兵が数十人がかりで一斉に火矢を放つ程度の火力を、ダークエルフは特に鍛錬を積んだ者でなくとも一個人で有しているのだ。
だからこそ非力でも恐れられるし、弱肉強食が貴ばれる魔界の中でも高い種族的地位を保てているのだ。
炎に炙られたどんぐりの爆ぜる音が、通りに響く。
ダークエルフの女が酸欠に苦しみ脂汗を流しながらも、炎に包まれ燃え盛る魔王の体を見てニヤリと笑った。
そして驚愕に目を見開く。
ごうごうと音を立てて魔王を包んでいた業火が、風で吹き散らされたように消えたのだ。
「力も弱けりゃ魔法もショボいとか、お前マジで生きてる価値あんのか? ドヤ顔キメてるところ申し訳ねーんだけどよ。俺からすると、お前も、お前がバカにし腐ってたゴブリン共も、大して変わんねーザコさ加減なんだわ」
紅蓮の炎の中からは、ヒゲの一本もコゲた様子の無い無傷の魔王の巨体が現れた。
着ていたTシャツはただの綿で作られた物だったため、燃えて消し炭になってしまっていたが。
ちなみにパンツは無事である。
超高級なモスラカイコの糸とやらで作られているらしい、魔界のボディービルダー達憧れのブランドパンツは、流石の耐久性だった。
魔王は、別段なにか魔法を使って業火を防いだわけでは無い。
ボクサーが腹筋に力を入れて相手の拳を跳ね返すのと同じ要領で、魔力を体に漲らせたにすぎなかった。
ただそれだけでダークエルフの女が放った業火を消し去ったのは、流石の脳筋ぶりである。
上級魔族のダークエルフが手加減無しで放った火炎魔法を受けても平然としている魔王の姿に、動物愛護団体の面々が絶句する。
「ホレ。お前も城下町に戻って、新しくご近所さんになる熊達と親睦深めてこい」
パンイチ姿の魔王が、これまでの熊達同様にダークエルフを南門へと続く大通りに投げ捨てた。
悲鳴を上げて宙を舞う女の体が、頭から地面に激突して重い音を立てる。
気絶したダークエルフの女はピクピクと小刻みに四肢を痙攣させながら、他の熊達と同様に参謀の魔法によって南門の中へと地面を滑るように運ばれて行った。
ちなみにこの参謀の魔法は、指定した範囲内の物を、動く床にでも載せたかのように運ぶというものだ。
感覚的には動く床のようなもので、何の気構えも無くいきなりこの魔法の効果範囲に入った者は、大抵が足をすくわれ転ぶだろう。
運べる重さや大きさは術者の魔力次第。
腐っても上級魔族な参謀程の魔力があれば、ご覧の通りエルフはもちろん熊やオークであろうとダース単位で運ぶ事など造作も無い。
「魔王様、替えの上着です」
参謀が、服を燃やされパンツ1丁となったしまった魔王に新しいTシャツを手渡した。
「おう、サンキュー!」
胸元に『クマと和解せよ』と描かれた綿のTシャツを受け取ると、魔王はいそいそと着はじめる。
魔王の巨躯に対してTシャツのサイズは小さめであり、水着のように肌にピッチリと張り付いた。
服を着た後も、筋骨隆々とした無駄に逞しい体の輪郭が布越しにくっきりと映り、見た目の印象はあまり裸と変わらない。
「参謀、次からはもうちょいデカいサイズ用意しとけよな」
少し胸に力を籠めたら破けそうなピチ込み具合の服を見て、魔王がぼやく。
「申し訳ございません。何分急ごしらえな上、常日頃からパンツ一丁マント一枚の変態ルックで日がな一日過ごされ公務もそのままこなされる、服を着るという習慣や文化の無い、ついでに言うなら恥の概念も無い魔王様におかれましては、衣服を用意しようにも寸法データすら無い有様でして」
「こんの腐れ性悪腹黒執事が。一々嫌味込めなきゃ『ごめんなさい』の一言も言えねーのか」
ヒクヒクと頬を痙攣させながら、魔王が参謀の胸倉をつかみ上げる。
ドラゴンをくびり殺せるほどのフィジカルお化けな魔王に凄まれるも、参謀はおびえた様子一つ見えない。
眼球の無い眼窩には、いつものように青白い炎が揺らめいているだけだ。
魔王の丸太のような腕で掴まれ、宙釣りにされたままの参謀が肩をすくめた。
「そこはまぁ。謝罪の言葉を述べつつも、謝罪する気の無い事を伝えるためには仕方のない所でして」
魔王がその気になれば即座に首の骨をへし折られるだろう状況下で、いけしゃあしゃあと参謀が減らず口を叩く。
魔界最大の覇権国家である魔王国で参謀を務めるだけあって、流石の胆力と性格の悪さだった。
こりゃ死んでも治らんな、と呆れた魔王が掴み上げた胸倉から手を離す。
地面へと足をつけた参謀が、乱れた服を手早く直してネクタイを締め直した。
何事も無かったかのように平然とたたずむ参謀を見下ろし、魔王が愚痴をこぼす。
「お前らよー。もうちょい俺に敬意ってもんを持ってもバチあたんねーんじゃねえか? 一応俺ってば魔王様よ? 魔族の中でいっちゃんエラいアルファオス様なんよ?」
「でしたらまず、彼らゴブリンのように敬意を払う者達をザコだバカだと冷遇せずに、報いてあげる所から始めてみてはいかがでしょうか?」
参謀が魔王に拡声器を差し出す。
「あー、はいはい。わかったわかった」
魔力を籠めさえすれば、バカでも子供でも魔王でも使えるラッパ型の拡声器をぶっとい手で魔王が握る。
尚も燃えているどんぐりの山の脇を通り抜け、熊達が運ばれて行った大通りにひょいと跳躍して飛び乗る。
「んじゃ、ちょいと仕上げに行ってくるわ」
足を開き、サーフィンでもするかのような姿勢を取った魔王が、滑る床に運ばれて南門を抜け、城下町へと入っていった。
クマさんを殺すな!(その8)……END




