クマさんを殺すな!(その5)
鋭い爪のついた熊の太い腕が、魔王の背に全体重をかけて勢いよく振り下ろされる。
熊の剛力は、民家の柱程度なら一撃でへし折るほどの物だ。
そんな力で無防備な背中を襲われたら、人間ならずとも無事では済まないだろう。
脳筋種族なオークやミノタウロスですら、場合によっては大けがを負う。
だが魔王は、
「おっとっと」
と、前につんのめる程度で痛がる素振りは見えなかった。
人間なら確実に背骨がへし折れて、即死している事だろう。
背骨どころか胴体が真っ二つに引き裂かれていてもおかしくはない。
「なんだぁ、お前……」
ダメージは無くとも、殴られた自覚はあるのだろう。
魔王がいら立ち混じりに背中をさすると、
「!? ほぎゃああああああ!?!?」
マントが破かれた事に気付いて絶叫した。
「マ、マントが! この俺の、魔王様の、ステイタスシンボルなマントがぁぁぁぁ!?!?」
あわてて脱いで、マントを脱いで広げ、日にかざしてみる。
魔王ご自慢のステイタスシンボルらしいマントは、熊の爪により無惨にもざっくりと切り裂かれていた。
向こう側の景色が、マントの切り裂かれた部分からまるっと見えた。
「お……俺のお気にの、黒竜の皮をふんだんに使った、ブランド物の超高級マントが……」
広げたマントを握る魔王の両腕が、怒りと驚きにわなわなと震える。
「魔王様。本当に黒竜の皮で作られたマントでしたら、そんな程度で破けるわけないじゃないですか」
「知るかぁぁぁ! 実際破けてんだろがい!」
「はい。なので偽ブランド品かと」
トコトコと寄ってきた参謀が、日にかざされた魔王のマントを見て縫い目を指さす。
「ほら、こことか思いっきり縫い目ありますし。野良犬の皮でもツギハギして作られてたんじゃないですかコレ。前々から安っぽい作りをしてるなとは思っていたんですよね」
確かに黒竜の皮で作られたらしい魔王のマントは、ところどころ別の皮を縫い合わせたような痕跡があった。
とてもドラゴンの一枚皮を使用して作られた物には見えない。
プルプルと震える魔王の背中には、熊が何度も腕を振り下ろしていた。
だが、魔王は一向に意に介さない。
というかマントが破られた怒りと、偽ブランド品を掴まされた疑惑でそれどころではなかった。
「そ、そんな事ないもん。これ、ちゃんと黒竜の皮で作られたマントだもん。城に売りに来た行商のホンビットが、そう言ってたもん」
「魔王様。黒竜の皮なんて、良く研いだ鋼の剣で切り付けてすら傷一つつかず、逆に剣を刃こぼれさせるほどに頑丈なシロモノですよ。現実を見ましょう。激安偽ブランド品を掴まされたんですよ魔王様は」
げし、と熊が魔王の後頭部を思いっきりはたく。
人間なら首に頭がめり込むか、頭蓋骨を粉砕されて脳漿をまき散らしているだろう。
だが魔王は特に痛がる様子もなく、マントを拳に巻き付けるとゆっくりと熊へと向き直った。
「おうコラ熊ぁ。てめぇ、この魔王様のお気にのマントを破った上に、よくも恥まで搔かせてくれたなぁ。どう落とし前つけてくれんだ。あぁ?」
歯をむき出しにして、怒りをあらわに拳を握りしめ凄む魔王に、腕を振るっていた熊が一瞬動きを止めた。
言葉は通じなくとも、相手がこちらを一切恐れておらず敵意をむき出しにしている事は伝わったらしい。
「魔王様、流石にそれは完全に八つ当たりかと。というか野生動物相手に言葉なんて通じませんし」
「うっせ、お前は黙ってろ!」
参謀からのツッコミに振り向いた魔王を見て、好機とばかりに熊が大きく口を開けて、うなり声を上げて襲い掛かる。
いくら殴りつけても騒ぐだけで傷ついた様子の無い魔王を見て、ならば噛みついてやろうと考えたようだ。
「てめえもだ!」
と、魔王が振り向きざま、熊の顎にゴッツい拳をすくい上げるように叩き込む。
大口を開けて今にも噛みつこうとしていた熊が、叩き込まれた魔王の拳によって強制的に閉じられた。
頑丈な熊の顎は魔王の拳により上下とも砕かれ、ズラリと並ぶ鋭い牙は奥歯まで全てヘシ折られ、のこぎりですら容易に切れないほど丈夫なはずの頚椎もろとも粉砕される。
恐るべき膂力で殴りつけられた熊は、半トンほどもある巨体を水車か風車の如くクルクルと縦に回転させながらドングリの山へと突っ込んだ。
動物愛護団体の皆様が置いていったドングリの山には、4匹ほどの熊が群がっていた。
いきなり熊の体が飛んできて食事を中断させられ、ドングリを食べていた熊達が拳を振り上げている魔王を見て威嚇の唸り声を上げる。
「あぁ? なんだコラ。言葉もロクに話せねー獣の分際で、何見てんだテメーら。おお? 今俺様は、死ぬほど不機嫌なんだがよ」
低いうなり声を上げて威嚇をする熊の群れに、魔王が拳をゴキゴキと鳴らし仁王立ちをする。
元来ヒグマは、獲物に対する執着心が非常に強い生き物だ。
獲物を横取りされたり奪われたりすると、熊という生き物は怒りをあらわにし取り返そうと執念深く追って来る。
故に目の前でドングリの山を吹っ飛ばし、食事の邪魔をした魔王の事は、熊からすると絶対に許せない怨敵だった。
見た目に見合わぬ俊敏さで、熊達が一斉に距離を詰める。
「おいおいおい、やる気かよテメー等。デケーだけの毛玉の分際で、この魔王様とやり合おうってか? ロクに腹も割れてねぇクソデブ風情が、随分とまぁ調子くれてんじゃねえか」
地を這い足に噛みつこうと駆け寄って来た一匹の熊が、逆に魔王の丸太のような足に蹴り飛ばされてゴブリンの民家に頭から突っ込み倒壊させた。
腕を振り上げ肩口から袈裟懸けに引き裂こうとした熊は、逆に魔王に手を潰され低い悲鳴を上げた。が、それも途中で止められる。
魔王が空いているもう片方の手で喉を握りつぶしたからだ。
更にそのまま腕一本で熊の巨体を持ち上げると、魔王は力任せに後方へとぶん投げた。
背後に回り込み、魔王に襲い掛かるスキをうかがっていた熊が、投げ飛ばされた熊の体に押しつぶされて下敷きになる。
即座に魔王が足を踏み下ろす。
二匹の熊は背骨をまとめて踏み砕かれ、更に地面が放射状にひび割れを作った。
口から血を吐いた二匹の熊が、舌をダラリと垂らして絶命する。
瞬時に3匹の熊がぶちのめされ、怖気づいた熊が逃げようと背を向ける。
が、その足を魔王が素早くつかみ上げた。
後ろ足を掴まれた熊が、どうにか踏ん張ろうと地面に爪を突き立て抵抗する。
だが、巨人と力比べして投げ飛ばすほどの、化け物じみた怪力を持つ魔王の前にはヒグマと言えどさすがに分が悪い。
「自分から喧嘩売って来といてイモ引くたぁ、どういう了見だオイ。一応はここら一帯の畜生共をシメてたんだろテメー等は。ちったぁ頂点捕食者としての気概って奴を見せろや。これからくたばるまで、そう大した時間かかりゃあしねーんだからよ」
地面に爪の跡を残しながら、残された熊が抵抗空しくズルズルと魔王に引きずられる。
魔王は熊の両足を二本の腕で掴むと、その場でグルグルと回り始めた。
ヒグマの巨体が魔王の怪力と遠心力で宙に浮く。
「あ、魔王様。ちょっとそれはやめて頂けると……」
参謀が、魔王のやろうとしている事を察知して、静止の声を上げる。
「どおおおりゃあああああああ!!!!」
が、やはりというか当然というか、魔王は聴く耳を持たなかった。
魔王は熊の両足を掴んだまま、グルグルと凄まじい速度で回り始めた。
そしてそのまま、縦横無尽にゴブリン区画の中を暴れ回る。
街を徘徊している他の熊達や、倒れているゴブリン、テントや民家や集会場、果ては火を放たれ燃え盛る武器庫まで。
竜巻さながら振り回される熊の体に巻き込まれて、ゴブリン区画は見る見るうちに叩き壊されていった。
「そいやあああああ!」
仕上げとばかりに魔王が思い切り熊の体をぶん回し投げ捨てる。
人間が見上げるようなヒグマの巨体が、城攻めで使われる大砲の弾のように宙を飛ぶ。
そして、城下町の城門に轟音を立てて激突し、城下町の中へとすっ飛んでいった。
「なんだこりゃ!? なんでこんな所に熊が!?」
「うお、門壊れてんじゃねーか! どうしたんだコレ!」
城下町にいたオークやホブゴブリン達が何事かとわらわらやってきて、突如飛び込んできた熊を囲む。
「どうすっかこれ」
倒れる熊を覗き見る、一匹のホブゴブリンが隣に立つオークに問いかける。
「とりあえず、バラして皮剥いで肉削ぐか。欲しい奴は手ぇかせや。見てるだけの奴にゃやらんぞ」
腰に差していたゴツいナタを手にオークが答えた。
それもそうだな、とうなずき、ホブゴブリンもナイフを取り出す。
熊の肉や皮が欲しい他の者達もそれに続いた。
その場にいる者達で、即座に熊の解体ショーが始まる。
流石は魔王国の住民たちであった。
壊れた城門の向こう側、つまりゴブリン街では熊を蹴散らした魔王が腰に手を当てて、得意満面バカ笑いをしていた。
「がーっはっはっは! アイアム・デッドサイクロン! 見たか熊カス共が! お前らとは体の鍛え方が違うのだ!」
マントを破られたうっぷんを晴らせて上機嫌な魔王に、参謀が声をかける。
「あの、魔王様。これ、素直に熊に襲われるがままにしておいた方が遥かに被害が少ないと思うのですが……」
ふと見渡すと、周囲がやけに見晴らしが良くなっていた。
魔王の視界に入る全ての建物は竜巻に襲われたが如く粉々に粉砕され、がれきと木材が散らばるだけの更地になっていた。
ゴブリン街を襲いに来た、熊達の姿は無い。
自然災害のような魔王の暴れっぷりに、怖気付いて逃げたのだろう。
残っている熊は全て倒れ伏していて、死ぬか気を失っていた。
ぐるりと周囲を見渡し、完全に廃墟と化した街並みを見て考え込んでいた魔王がポン、と手を打つ。
「お、おのれ熊め! ゴブリン共の街をこんなに荒らすとは!」
「いや、それでごまかすのは無理がありますからね」
街を壊した責任を熊になすりつけようとした魔王だったが、参謀から冷めた声で突っ込まれる。
そこへ、背後よりゴブリンから声が掛けられた。
「ま、魔王様、お怪我はありませんか?」
「あー? あんなザコカス共相手に、この魔王様が怪我なんざ負うわけねーだ、ろ……」
言いながら振り向き、息を呑む。
魔王の身を気遣ったゴブリンは、片足が無かった。
熊にやられたのだろう。
その辺に落ちていただろう折れた木材を杖代わりにして、どうにか立っている。
頬には爪痕があり、腹には食いちぎられた傷跡があった。
「お、お前の方こそ、その……大丈夫か?」
息も絶え絶えなゴブリンを見て、流石の魔王も思わず気遣う言葉が漏れた。
「わ、私の事はお気になさらず。魔王様がご無事、でしたら……」
そこまで言うと、ゴブリンはゴボリと血を吐いた。
「わ、私達は、魔王様の、い、言う通り、弱い。頭も、悪い。だ、だから、誰かにおつかえしてすがる事でしか、い、生きられないのです」
失った足や齧られた脇腹からは、多量の血が流れ地面を汚していた。
もう目の焦点も合っていない。
「お、おつかえする方さえ、無事でしたら、わ、我々は、ほ、滅びない。私の、い、命など……」
そこまで言うとゴブリンは力尽き、地面に倒れた。
「……参謀」
かたわらの参謀を呼びつける。
「はい、何でしょう」
「手当てしてやれ」
魔王が手短に告げる。
「かしこまりました。丁度、キメラを作る為の細胞増殖薬の被験体が欲しかった所です。他のゴブリン達も使わせてもらっていいですか?」
「任せる。救えるだけ救え」
「では、そのように」
一礼して、参謀が懐から取り出した注射器を、倒れ伏すゴブリンの首筋に注射する。
「それと、一つやって貰いたい事がある」
手当てをする参謀に、魔王が声をかけた。
クマさんを殺すな!(その5)……END




