クマさんを殺すな!(その3)
「熊は強い! 熊は賢い! ゴブリン共よ! 強く賢い熊を、弱く愚かなお前たちが殺すな! 自然の摂理を受け入れろ!」
そうだそうだ、身の程を知れ、と口々に動物愛護団体の魔族たちが叫ぶ。
その声は、ゴブリン区画の荒涼とした空気を震わせた。
浅黒い肌のダークエルフがプラカードを掲げ、太鼓腹のオークが拡声器を握りがなり声をあげる。
ゴブリンたちは一斉に体を縮こまらせていた。
緑がかった灰色の肌が蒼白く変わり、短い角が怯えに震える。
「おいそこのゴブリン! お前、熊さんは好きか?」
一匹のオークが、ゴブリンに棍棒を突きつける。
太鼓腹が揺れ、『熊さん大好き!』と書かれたTシャツが肌に張りついている。
棍棒の木目が、ゴブリンの細い首筋に冷たく触れた。
上背も横幅も自分より遥かにある恵まれた体躯のオークを前に、ゴブリンは膝を折り降参の意を込めて震える手を挙げた。
「は、はい!」
恐怖に喉をつっかえながら返事をするゴブリンは、右手が無かった。
まだ傷が治っていないのか、手首に巻き付けられたボロ布は血で汚れ、微かな鉄さびの臭いを放つ。
ゴブリンの欠けた手をオークが一瞥する。
「その手はどうした?」
「く、熊に、かじられました」
「で? 手をかじられて、お前はどうした?」
「必死に逃げて、どうにか生きのびました」
次の瞬間、オークが棍棒でゴブリンを殴りつけた。
風切り音が空気を裂き、ゴブリンの細い体が衝撃で折れ曲がる。
肋骨が内側から軋む音がかすかに響き、血の霧が土に散る。
オークがフシューと鼻から息を吐き、太鼓腹がぶるりと震えた。
「逃げるなバカ者が!」
胴体に棍棒の一撃を叩きつけられたゴブリンが、横っ飛びに地面を転がり倒れ伏す。
オークは全力ではなかっただろう。
だがそれでもゴブリンの骨は幾本か折れているだろう。
転がったゴブリンの体は、痩せ細った手足が不自然に曲がっていた。
「熊さん、お腹空いてたんだぞ!? なんで腹いっぱいになるまで食わしてやらなかった! 魔族の掟は弱肉強食! 強く賢い熊さんがお腹が減ってたら、自ら体を差し出すのがお前らゴブリンの取るべき行動だろうが!」
地面に転がり痛みに呻いているゴブリンの頭を、オークが踏みつける。
ゆっくりと足に力を入れるオークに、ゴブリンが苦悶の声を上げた。
「熊さんに謝れクソゴブリン!『あなたのご飯にならず、逃げてしまってすいません』と心を込めて謝罪しろ!」
「あ、あ、あ、ぐあ、あ、ああ!」
頭蓋骨をミシミシと軋ませ、ゴブリンが口から血を吐き痛みに叫ぶ。
小さな牙の間から零れた血と涎が土に染み込み、赤黒い染みが広がった。
周囲のゴブリンたちが息を潜め、怯えた瞳でこの惨状を見つめる。
「聞こえねえぞ虫けら! こんなヤワい、マトモに謝れもしねえ言葉足らずの能無しが、熊さんの食事の邪魔をするたぁおこがましいにも程があるんだよ! カッチリお役目果たして食われて死ね! 頭から口に飛び込め! 自然の摂理を、魔界の掟を守れ!」
「す、すいませんでしたぁぁぁ! 熊さんのご飯にならず、逃げてごめんなさい!」
「はーい、良く言えました! 次はしっかり熊さんのエサになるんだぞ!」
そう言うとオークは踏んずけていた足をどけて、ゴブリンの頭をボールのように蹴り飛ばす。
哀れオークの怪力で蹴り飛ばされたゴブリンは、体をバウンドさせながらゴロゴロと転がっていった。
土埃が舞い上がり、転がる軌跡に血の線が引かれる。
転がった先で、ゴブリンは藁葺き小屋の壁にぶつかり、ぐったりと倒れ込む。
暴行を加えていたオークと同じ柄のTシャツを着たダークエルフの女性が、別のゴブリンを指さす。
銀髪を後ろで束ね、浅黒い肌が汗に光り、鋭い耳が怒りにピクピクと動く。
「そこのアナタ! そんな弓矢で何をするつもり!? もしかして、熊さんを射るの!?」
痩せた体躯からは想像もできない気迫だった。
ダークエルフの突然の金切り声に、座り込んで弦を貼り直していたゴブリンの背がビクリと震える。
自分の脇に置いていた矢筒がパタリと倒れ、中から幾本かの矢が姿を覗かせた。
「え? あ、は、はい!?」
相手が『熊さん大好き!』と胸に書かれたTシャツを着ているのを見て、ゴブリンの頬が痙攣する。
今までこの服装をした者達からどれほど危害を加えられてきたのかが、うかがい知れる反応だった。
ダークエルフの女性が、目を吊り上げながらズカズカと歩み寄り、落ちていた矢筒を拾い上げ、矢を引き抜く。
そして、金属製の矢じりに形のいい鼻を寄せて、臭いを確認した。
「……やっぱり、毒が塗ってある。なんて惨い!」
「あなたねえ! これ、猛毒のヒドラガエルの毒でしょ!? こんなもので熊さんが刺されたらどうなるか、考えたことないの!?」
「どうなるって……」
「こうなるのよ!」
言うが早いか、ダークエルフの女性が手にした矢を座り込んでいるゴブリンの太ももに突き刺す。
「あ、ぎゃあああああ!?」
太ももに毒の矢を突き刺され、ゴブリンが悲鳴を上げてのたうち回る。
猛毒のヒュドラ沼にすむヒドラガエルが体表面に分泌している毒は、たったの一滴で象をも殺すほどの強い毒を持つ。
刺された箇所を中心に、見る見るうちに太ももが黒く変色していき、肉が溶け血液が泡立ち骨が露出していく。
目の前で自分の足が溶け崩れていく様と、それに伴い脳を焼く激痛にゴブリンが身をよじる。
変色は足全体に広がり、さらに下腹部まで侵食していった。
「こんな目に熊さんを遭わせようとしてたなんて、あなたは熊さんの事が可哀そうだとは思わないの!? あんなに無垢で、懸命に生きている熊さんを」
口の端から泡をこぼし、毒が体を溶かす痛みに気絶したゴブリンを見下ろして、ダークエルフの女は尚も怒鳴りつけていた。
その眼には涙が浮かんでいる。
心の底から熊の身を案じているのだろう。
「ああ、これは丁度良い。現在開発中の解毒剤を使わせてもらいましょう。癌細胞を材料に使った実験中の再生剤も配合してますので、理論上は溶けた肉も元通りになるはずです」
参謀はそう言うと、毒が全身に回りつつあるゴブリン前でかがみ込み、深々と注射器を突き刺した。
シリンダーに入っていたドス黒い液体をゴブリンの体に注入し、手当てを終えた参謀が振り向く。
「魔王様、止めないんですか? 一応コレ、暴動の類いかと思うんですが」
参謀が暴れ回る魔族のTシャツ集団を手で指し示す。
ゴブリンを蹴り倒す者、住居に火を放つもの、壁や地面にペンキでメッセージを書く者など、様々な迷惑行為に興じていた。
そんな暴れ回る連中を、魔王が面倒くさそうに眺める。
「まあ確かに多少は胸が痛むけどよ。強えぇモンが弱えぇモンをシバくのなんざ、魔界じゃ当たり前だしなぁ。大体コイツらゴブリン共、熊を追っ払えるか仕留められるレベルのヤベー毒矢が使えるんだろ? 数だって多いしよ。文句あんならその武器持ってアイツらにきちんと歯向かえっての。仲間や家族を目の前でボコられてもロクに抵抗もせず無抵抗にされるがままとか、止める気も起こりゃしねーわ。そのまま死ぬまでヘーコラしとけや、なっさけねぇ。仮にも魔族の端くれだろ、アイツら。そうは思わねーのかよ参謀」
目の前でゴブリン達がいたぶられる姿を見て尚、魔王の言葉はそっけない物だった。
「むしろ私はゴブリン達の、強い者には徹底的にへりくだる卑屈さを買っているんですよねぇ。安くてコンビニエンスに使い潰せる命は、私、大好きなんです」
「まあ確かに、身の程知らずに突っかかってくるバカ共よりかはマシかもしんねーけどな」
んー、と興味なさげに伸びをする魔王を、活動家のオークが見咎める。
「あ、魔王だ! こんな所に魔王がいるぞ!」
「あーん? なんだよ豚ぁ。どんな所に居ようが俺の勝手だろが。何か文句あんのかよ」
『熊さん大好き』と描かれたTシャツを着たオークが、太い腹を揺らしながら魔王の下にやってくる。
汗の臭いが漂い、棍棒を肩に担いだオークが魔王を見上げる。
身長180センチ以上はあるだろう大柄な体格をしたオークだったが、しかしそれでも魔王と比べると、胸元ほどまでの背丈しかない。
後ろでプラカードを持った仲間たちが一瞬、動きを止めて魔王を凝視する。
オークの視線が、魔王の大きなギョロ目とぶつかった。
「魔王様。こんな薄汚いゴブリン街なんかに、何しに来たんですかい? ここはあなたのような方が来る場所じゃないでしょう」
「視察だよ視察。『熊を殺すな』なんて、どっかのバカがイカレた寝言を薬もキメずにシラフでホザいて害獣駆除を妨害して回ってるって報告受けたから、嫌々来たんだよ。テメーらか? そのイカレ共ってのは」
実際は参謀の挑発に乗せられてノコノコやって来たわけだが、流石に体裁が悪いのか言いつくろう。
オークが魔王から見えないように舌打ちをしてぼやいた。
「何も知らずに随分と好き放題言ってくれるなぁ。これだから脳筋魔王は」
「はぁ? 好き放題だぁ? その通りだろうがよ。カスみてーなゴブリン共も、腐れかけのこの集落も、それでも一応俺様の下僕共で俺様の治める街なんだがよ。テメーらその辺わかっててこんな真似し腐ってんのか? 魔王ナメてんのか? 口の利き方間違ってっと、テメーら全員熊ごとバラして鍋で煮込むぞ」
オークのぼやきを聞きとがめた魔王が、眉間にしわを寄せて凄む。
売り言葉に買い言葉で、動物保護にもゴブリンにもほとんど興味のなかった魔王が活動家につっかかっていった。
「いやね、勘違いしないで下さいよ魔王様。こっちにもこういう抗議をするに至る理由って奴があるんです」
「ほーお? 何だ、言ってみろよ豚ぁ。養豚場で出されるエサのマズさにムカついたか? それとも自分が垂れた糞の掃除のされ方でも気に食わなかったかぁ?」
魔王に凄まれるオークだったが、しかし流石は魔界の住人だった。
ゴブリンのようにビクつく事無く、堂々と答える。
「魔王様。こいつらゴブリンは、強い者への服従を誓っているんですよ。そして熊は強い。俺たちオークや牛野郎のミノタウロス共だって、真正面からやり合うとなったら、結構なケガを覚悟します。まあ、それでも仕留められますがね。でも、ゴブリン共よりは強いでしょう」
「ふーん。だから?」
「だから、熊にゴブリン達は服従を誓って従うべきなんです!」
「なんでだよ。バカじゃねえの? じゃあお前ら象とタイマン張って負けたら、象に服従誓ってエサやったり、尻拭いて垂れたクソの始末したりすんのかよ」
「それは、その……」
オークの太い首がわずかに傾き、額の汗が一筋、頰を伝う。
広場のゴブリンたちは息を潜めてこのやり取りを眺め、怯えた瞳にわずかな期待が混じった。
劣勢のオークに代わって、ダークエルフの女性が割って入った。
銀髪を翻し、浅黒い肌が陽光に輝き、鋭い耳はピンと立っていた。
目鼻顔立ちは整っているが、ともすれば痩せすぎにも思えるスレンダーな体をした女性だった。
彼女の細い体が魔王の巨躯の前に立ちはだかり、Tシャツの裾を握りしめて息を整える。
「ええ、そうです魔王様。虎でも象でもライオンでも、彼らより弱く劣るなら従うべきです」
きっぱりと言い切るダークエルフの女を、魔王が下から上まで眺める。
美女であることには間違いないが、相手のアバラが浮いていそうなほどにスリムな体形と、生意気そうな物言いがお気に召さなかったのか、魔王はペッと道端に唾を吐き捨てる。
「あー? なんでだよ。あいつら魔族じゃねーだろが。邪魔な奴ぶっ殺して何がワリーんだっての。返り討ちに遭うのは自己責任だろうけどもよ」
「いいえ。彼らは私たちと同じ魔族であり魔王国の国民です。だからこそ、その権利も我々と同じく保護されるべきです」
「はぁ? 畜生共が魔族と同じで魔王国民だぁ? 頭湧いてんのかクソアマ。そのアンテナみてーにとがった耳でなんか変な電波でも受信してるってんなら、引っこ抜いてゴブリン共に食わせてやんぞ」
周囲で聞いていたゴブリン達が、魔王の言葉に一斉に首を横に振る。
基本、彼らゴブリンの食性は草食の傾向が強い雑食性であり、肉を食べるにしてもニワトリや犬といった小型の動物が精々だ。
同じ魔族であるダークエルフの肉を食べるなど、ゴブリン達の食文化的にも御免こうむりたい所だった。
第一、上級魔族の肉を食らうなど、バレたらどれほどの報復と迫害を後で受けるか分かった物じゃない。
歯をむき出しにしてメンチを切る魔王に、しかしダークエルフの女も怯まない。
彼女の浅黒い肌が怒りにわずかに紅潮し、鋭い耳が警戒にピクつく。
不快そうに眼を細め、魔王に向かって言い返した。
「魔王様はご存じないのかもしれませんが、魔族とは魔界で生まれた者全般を指すんです。だからこそ、吸血鬼やサキュバス達の飼っている人間でさえ、魔界で生まれ育った者には下級魔族としての身分が与えられ、その権利も保護されているわけですね。これは、中級魔族以上の身分であれば誰でも受けられる義務教育で習う範疇ですけども」
「知るか。そういう教科書開くか辞書引きゃわかる事は、下々の者にやらせるのが帝王ってもんなんだよ」
「とにかく、あの人間達で相手さえそのような対応をしているのです。だったら、同じ魔界に生まれた動物たちにだって適応させないのはおかしな話ではないですか」
ダークエルフの追及に、今度は魔王が言葉を詰まらす。
後ろで先ほど魔王に言い負かされたオークが、良い気味だと言わんばかりにニタリと嗤った。
「うぬぅ。なんだこのアマ、アバラむき出しの貧相な体してやがるくせに、言う事だけは一丁前だな」
悔し気に呻く魔王に、エルフの女が意地悪そうに嫌味を言う。
「別に体は関係ないでしょう? 魔王様も体格が恵まれていらっしゃる割には頭の出来は今一つですね。アンテナでも脳に刺して魔界教育チャンネルの電波を受信されたらいかがです?」
「んんんん! こ、こ、この、ブース! バーカ! 口答えしやがって、生意気なんだよ! そこになおれ! 男女平等パンチであの山までぶっ飛ばしてやる!」
言い負かされ、かんしゃくを起こした魔王が顔を真っ赤にして腕を振り上げる。
あまりの見苦しさに見かねた参謀が、パチリと指を鳴らす。
「おわっとっと!?」
みっともなく顔を赤くして、ダークエルフの女へと殴りかかろうとした魔王だったが、突然足を滑らせる。
尻もちついて倒れるまではいかなかったが、体勢を崩して参謀の後ろへと回った。
見ると、先ほどまで魔王が立っていた地面に魔法陣が浮かんでいた。
陣の中には魔王が足を滑らせた方向に矢印が描かれている。
足を踏み入れた物の床を、強制的に動かす魔法陣だ。
直接の戦闘が苦手な参謀が、それでも脳筋魔族達と対等に私会えるのは、こういう小技を多く使えるという点も大きいのだろう。
「魔王様。ただでさえ低空飛行の支持率を、墜落するまで高度落とすような真似はお控えください」
「だって参謀! こいつ、こいつ、俺様をバカにしやがって!」
「はいはい、わかりましたから。真実は時として人を傷つけますもんね」
子供が親に、自分の気に食わない奴を言いつけるような真似をする魔王に代わり、参謀がエルフの女に向き直った。
時刻は日も徐々に傾きつつある夕暮れ前。
まだ日は沈まないものの、地平線はほんのり朱が差していた。
壁の向こうの城下町は、この時間から既に夕餉の準備を始めている所も多い。
街から山へと流れる風には、小麦や肉の焼ける良い匂いが漂っていた。
「さて、そこのダークエルフの方。お話に加わらせてもらいたいのですがよろしいですか?」
執事服に身を包む参謀が、背筋を正して伺う。
瞳の無い眼窩では、青白い炎が眼球に代わって揺らめいていた。
「これはこれは参謀さん。魔王国の中枢を担う方と、私たち動物愛護団体『熊さんズ・ラブ』が意見を交わす機会を頂けるなんて光栄ですね。どうぞよろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします。では早速聞きたいのですが、まずあなた方の主張は『魔界で生まれた者はすべて魔族である。よって、動物たちであろうが何だろうが魔族と同じ権利を有しており、強い動物に弱い魔族は隷属しなければならない』という物ですよね?」
「おおむねそうですね。魔族の敵である人間にすら、魔界で生まれ育った者は魔王連合国内では下級魔族の身分と権利が与えられているのです。ならば、我々と種族的に敵対関係にあるわけでもない野生動物も同じように扱うのが適切でしょう」
「それはあくまで倫理的な解釈ですね。法的には魔王国国籍法第2条により記載されている『出生、届出、帰化による国籍登録を終えた者』が魔王連合国の国籍を有する国民なっております。つまり、届け出のされていない者は我が国の民でも無ければ魔族でも無いんですよ」
まず、基本となる法的な定義の確認から参謀は始めた。
すかさずエルフの女が言い返す。
「それはゴブリン達も同じでしょう? 彼らが魔界の役所にきちんと届け出をしているとは到底思えないのですけど」
「いいえ。届け出はなされていますよ。まず、ゴブリンのような知能が低く行政手続きを自力で行えない魔族は、その雇用主が労働基準法第107条に基づき、法廷帳簿の従業員名簿を役所に提出しているわけですが。その行政登録をもって彼らは国籍登録がなされています。申請代理人は雇用主ですね。この辺りは、種族的に彼らを従え、雇う事の多いホブゴブリンの皆様はよくご存じかと思いますが」
「では法的な手続きが実質的に不可能な野生動物も、雇うという形式に沿って従業員名簿に名前を載せれば魔族として認められるという事ですね? 我々の運営する動物愛護団体『熊さんズ・ラブ』に魔界の全動物たちを登録すれば、問題なく魔族としての権利を持てると」
意地悪そうに口の端をゆがめ、エルフの女が反論する。
確かに参謀の言を借りるなら、書類を作成する知能の無いゴブリン同様、動物であっても提出書類上は魔族とする事は可能だ。
だがエルフの女の指摘からの指摘が入っても、参謀は特に困ったそぶりを見せる事は無かった。
「ええ。その認識で大丈夫です。従業員名簿の国籍登録への代用手続き費用を出して、従業員への賃金支払い記録を取っており、行政が定期及び臨時で行っている査察を受けて問題が無ければですが。罰則は査察で不備が見つかる度に金貨1枚。事業主の雇用負担税は大体給料の10%前後となっております。野生動物への賃金の支払いと労務及び帳簿管理、そして税の支払い、中々大変かと思いますが頑張ってくださいね。我々としては、あなた方がどこの野良犬を雇い入れようが熊に重役のイスを与えようが、税金が入るのでしたら大歓迎ですので」
自身の指摘をまるで意に介さない参謀の様子に、エルフの女は眉をしかめた。
「そう。まあ法的な話なんて、こちらはそもそもしていないのだけれど。あなたの言っている事って結局の所、現行法に沿った対応の仕方に過ぎないでしょう?」
「ええ、そうですね」
「私たちが言っているのは、もっと概念的な物。法的な登録が無いから魔王国民ではない、魔族ではないと行った所で、そしたら人間界や人間領に住む魔族達はどうなるの? 魔界でも、魔王連合国加盟外の、発展途上国に生まれたドラゴンやヴァンパイアは? あなたは彼らもそこいらの野良犬と同じだと言うわけ?」
「魔王連合国の法律に照らし合わせた対応としてはそうなりますかねぇ。まあ、その国の法律次第なので何とも言えませんが」
「だから私たちは、そういう法手続きについての細かーい話をしているわけじゃないの。わかる? 公務員さん」
法的な区分についての議論では分が悪いと見たのか、エルフの女は別角度からの熊擁護論を展開し始めた。
「はぁ。ではどういう話なのかお聞かせ願えますか?」
「私たち魔界に生まれた者は、何者であれもっと手を取り合うべきだと言っているの」
参謀が、動物愛護団体に叩きのめされ地に伏しているゴブリンをチラリと眺める。
とても手を取り合う姿には見えなかった。
「ほおほお」
「魔族と動物の明確な区分が、生物学的についているわけでは無いでしょう?」
「まあ、それはそうですね。一応魔力の多寡を判断の基準とはしていますけども」
「それにしたって絶対的な物では無いでしょう? 魔力の多寡のみで判断するならハイエルフ共だって魔族になるし、逆にコボルトやこいつ等ゴブリンのような魔力のほぼ皆無な連中は、魔族でなくなってしまう」
「そうですね」
「なら何をもって魔族と見なすか。これは『魔界に生まれ育ち、今現在魔界に住居を構える全ての動物たち』とするのが一番取りこぼしが無いでしょう」
「そりゃまぁ、広く幅を取っとけば取りこぼしは少なくなるでしょうからね。条件を『この世界に生きとし生ける者』とでもしておけば、全生命体を魔族と区分することもできます。もっとも、そんな区分に何の意味があるかよくわかりませんが」
暖簾に腕を押すような参謀の返答に、エルフの女が声を荒げた。
「屁理屈ですね。観念的な魔族の定義に、彼らをあえて入れない理由が見当たらないといっているの!」
徐々に甲高くなるエルフの女の声に、参謀が肩をすくめた。
「別に法を犯さなければ、あなたが熊を魔族だと思おうがナメクジを魔族だとみなそうが、こちらとしてはどうでも良い事です。私たちが問題にしているのは、あなた方自身が魔王領であるこのゴブリン区画で行っている器物損壊、ゴブリンに対する自衛権行使の妨害についてだけです。主観的に何を魔族と判断するかなんて観念論は、何をどうした所で答えなんて出ないでしょう。時間の無駄ですよ」
「そういう血の通ってない考えが、自然との調和を乱すの! ごらんなさい、あの禿げ山を! 彼らは住まいを失って、仕方なく街に降りてきてるのよ! どうして助けてあげようと思わないの!?」
義憤に燃えるダークエルフの女が、目に涙を浮かべて参謀を非難する。
本心から、熊の身を案じているのだろう。
ゴブリン達からすると、その思いやりの100分の1でも良いから、自分たちに向けてほしい所だろうが。
「彼ら動物たちは税金納めていなければ、労働力として我が国に奉仕しているわけでもないですからねぇ」
そっけなく返答する参謀に、なおもダークエルフの女が食って掛かる。
「私たちがあの山を壊して住まいを奪ったのよ!? 少しは責任感を感じないの!?」
横でダークエルフと参謀のやり取りを聞き流していた魔王だったが、突然の指摘に思わず口を挟んだ。
「はぁ? あの山を壊してって、なんだそりゃ。ありゃあ雨降りすぎたかなんかして、土砂崩れでああなったってだけで俺たちゃ何もしてないぞ? 何言ってんだお前」
「違う! あれはそんな自然災害なんかじゃない! 人工地震魔法を使って意図的に雪崩を起こしたに違いないわ! あなた達は、真実を隠蔽している!」
いきなり陰謀論を突きつけて、ダークエルフの女が魔王たちを糾弾し始める。
その目は真剣そのもので、とても冗談を言っている雰囲気では無い。
魔王が、呆れたように口をポカンと開けた。
「とんだ電波女だな。お前、頭イカれてるから逆十字病院で脳みそ見てもらった方が良いぞ。ほかの連中も同じ考えなのか?」
他の動物愛護団体の面々へと魔王が目を向ける。
ダークエルフの女と同じように怒りの形相を皆しており、オークやミノタウロス、ホブゴブリンといった者たちが声を上げていた。
「そうだそうだ! あの山が禿げてんのは、上空からドラゴンが毒ガスを撒いて木を枯らしたからだ!」
「魔力を集めて災害を引き起こす、新型気象兵器の実験でああなったんだとも言われてるぞ!」
矢継ぎ早に繰り出される根拠の見えない陰謀論に、流石の魔王も顔をひきつらせた。
「……お、おーい、お前ら、大丈夫かぁ。いや、ダメだからそんなアホな事言ってんだろうけども。俺が言うのもアレだけど、もうちょっと勉強ちゃんとしといた方が良いぞ。パパとかママが泣くだろうし」
魔王が頭痛をこらえるかのように額を押さえた。
ムッサい髭がため息に揺れ、黒竜のマントの裾が土埃を払う。
参謀の眼窩で青白い炎が静かに燃え、牛頭の無表情がわずかに傾く。
「これは、義務教育の教育課程を見直す必要があるかもですねぇ」
突然、街中でゴブリン達の悲鳴が聞こえた。
「く、熊だぁぁぁ! 熊が来たぞォォォ!」
魔王と参謀、そして動物愛護団体の面々。
広場に居並ぶものが一斉に声の方向へと首を向ける。
視界には、ゴブリン達に襲い掛かり、えさを求めて住居を破壊して回る、熊達の姿があった。
クマさんを殺すな!(その3)……END




