クマさんを殺すな!(その2)
「てめ! この、参謀! 誰が熊如きにビビってるだこらぁ!」
転移魔法陣から飛び出した魔王が、傍らにいた参謀の胸倉を片手でつかみ上げて、開口一番怒鳴りつける。
ゴブリン区画の広場に、大地を震わせるような魔王の怒声が轟いた。
「ま、魔王様!?」
「どうしてここに!?」
突然の魔王の出現に広場にいたゴブリンたちが息を呑みこんだ。
怯えた視線を一斉に魔王と参謀へと注ぐ。
広場……とは名ばかりの場所で、集会や祭りの場としてはあまりに貧相だった。
広さは、わずかなゴブリンたちが肩を寄せ合う程度で、祭りの喧騒など想像もつかない。
敷石はヒビ割れ穴が無数に空き、下の土が黒く覗いていた。
手入れの痕跡は見られない。
割れ目から雑草が力なく伸び、風に揺れて埃を舞い上げる。
空は灰色の雲に覆われており、連山から下る秋の涼やかな風が、広場を吹き抜けていった。
「あーん?」
魔王が参謀の胸倉を放し、広場のゴブリンたちを睥睨する。
ゴブリン達の身長は1メートルから1.2メートルほど。
緑がかった灰色の肌に、禿げ上がった頭部。額からは短い二本の角が突き出している。細い手足と骨張った胴体は、慢性的な飢えを物語っていた。
最低限の栄養は保てているようで、腹部は膨張していない。
ただ痩せ細った体が、風に耐えるように縮こまっていた。
ゴブリンたちは作業の手を止め、固唾を飲んで魔王を凝視する。
ボロボロの井戸から泥混じりの水を汲む者や、食べられそうな雑草や枯れ葉を拾い集める者。
麻袋にバッタやイモムシを詰め込む者に、地べたに座り弓矢の弦を張り直す親子。
様々なゴブリンたちが粗末な毛皮やボロ布を腰に巻いただけの姿で、日常を営む姿がそこにはあった。
よく見ると、ところどころケガを負っている者が少なからずいる。
怪我を負う者達の傷跡は、あまり衛生的とは言えない汚れた布切れで無造作に巻かれていた。
手足を失った者が棒を杖に、痛々しく這うように動いている。
ゴブリン達の瞳は、自身の倍はある魔王の巨躯に怯えを映していた。
基本、買う物も無ければ売る物も無いゴブリン達の街に、身分の高い者が訪れる用は無い。
店もあるにはあるが、それはゴブリン達の中で細々と売買を行うためのものだ。
他の城下町の住民や行商人、旅人といった者達に向けての物ではない。
ヒュドラ沼の毒草にしても、城下町内にいるホブゴブリンやダークエルフ達の依頼で納品するのが大半だ。
ゴブリン達は城下町内の様々な店へ下働きに出る事も多々ある。
しかし自分達の住んでいる壁外のこの場所で店を開き、取って来た毒草を並べるという事は、無い。
というのも、ヒュドラ沼の毒草については販売権を城下町の商人たちに握られているからだ。
そのため、ヒュドラ沼で得た品々を城下町の商人ギルドに許可無く売ったら売上金を全て奪われたり殴る蹴るの暴行を受けたりなど、あらゆる仕打ちを街の魔族達から受ける。
基本、身体が弱く知能も低い、強い者に従順なだけが取り柄な低級魔族のゴブリン達は、魔王国内において差別されるのが当たり前な存在だった。
そんなゴブリン達の街に、一体何の用があって魔族を束ねる王がやって来たのか、不安に思うのは当たり前と言えた。
「なあ参謀。ゴブリン共の街……ってか集落ってさ。熊に襲われて荒れてるってのはわかるけど、これ、そういう荒れ方とは違くね?」
魔王が、周囲を見渡して首をかしげる。
視線は、崩れた小屋の壁や、地面に散らばる瓦礫に投げかけられていた。
「はい。ここ最近、城下町では動物愛護活動が活発化しておりまして。熊を追い払おうとするゴブリン達が気に食わず、街を壊す、汚すといった抗議活動を繰り返した結果、このような惨状になっております」
そう。
魔王の疑問の通り、ゴブリンの集落は、ただ荒れ果てているだけではなかった。
元々、ゴブリン達の住居は城下町から出るゴミや廃材を集めて作った、粗末な物が多い。
古い木材を使った貧相な小屋に、ところどころ穴の開いた布のテントといった、おおよそ建物と呼べないシロモノばかりで元から荒れ放題ではあった。
だが今は、赤や黒、青に黄色と様々な毒々しい色のペンキが無秩序にぶちまけられ、『熊さんを殺すな!』『彼らは住む場所を追われている!』『熊はお前らより強く、賢く、そして可愛い!』と、扇情的なスローガンが壁や屋根、地面に大書されていた。
風が吹けば乾いたペンキの臭いが鼻を突く。
「……ふーん。まあそれはそれとしてさ。なんで熊がゴブリン200匹食い散らかすほど大量に、ここに現れるようになったんだよ。よくわからん連中がゴブリン共の熊駆除妨害してて、食い放題フェスティバル状態だっつったって流石に限度あんだろ。急に増え過ぎじゃね?」
魔王の疑問に、参謀が遠くのタカウォ連山を指さした。
のんびりと空をドラゴンが飛んでいた。
足にはこれから巣に持ち帰り食べるつもりの獲物なのか、牛ほどのサイズの何か大きなものを掴んでいる。
まだ捕まえたばかりなのか、獲物からは血のような液体がこぼれ、タカウォ連山にしたたり落ちている。
「はい。大きな要因として考えられるのはどんぐりの不作ですね。彼らは見た目に反して肉食性ではなく雑食性で、基本はどんぐり等の木の実を食べて暮らしています。で、このどんぐりなんですが、豊作と不作が一定の周期で訪れる物でして。今年はそれが不作だったのでしょう。大体、熊の出没数は、どんぐりの出来不出来と相関しています」
「それで食い詰めて腹空かせた熊共が、山から下りてゴブリン共を襲ってんのか」
参謀の指し示す山々に、魔王が目を凝らす。
視線の先には、山が崩れて赤茶けた斜面がむき出しになった痛々しいタカウォ連山の姿がある。
土砂崩れにしては、随分と綺麗な崩れ方だ。
なぎ倒されていったであろう木や石は、脇に避けられるか除かれるかしており、目を凝らしてよく見ると何かキラキラした板のような物が斜面に並べられている。
遠くを見る魔王の様子を、集落のゴブリン達が固唾を飲んで見守る。
魔王城内や城下街の飲み屋通りならいざ知らず、下級魔族で被差別階級であるゴブリン達の集落に魔王が来るなど、普通あり得ない。
ゴブリン達からすると、気分一つで城を半壊させ、事あるごとに魔界の貴族たちとモメて地形が変わるほどの力でぶん殴り合う魔王など、火山の噴火や台風、竜巻等の天災と同じレベルの物騒さだ。
ともあれ。
そんな歩く天変地異が、比喩抜きで吹けば飛ぶようなボロ物件ばかりのゴブリンの集落に現れたのだ。
権力者からは虐げられてばかりのゴブリン達が、不安を覚えるのはむしろ自然な事だ。
冷や汗を流しながら見守るゴブリンとは対照的に、魔王は熊が下りてくる遠くの山々をしばらく眺め、飽きて大きなあくびを一つする。
「まあ、どうでもいいや。とりあえず見とけよ参謀。サクっと2,3匹熊を目の前でブチのめして、俺様の強さを見せつけてやっから。今日のメシ熊鍋な。この俺様が熊如きより弱いとか、ビビってるとか、二度と舐めた口利くんじゃねーぞ」
「魔王様、やる気を出されている所大変恐縮ですが。先ほども説明しました通り、そもそも熊に危害を加えるのを許さず駆除活動を妨害する者達がいるんですよ」
「あー、なんか言ってたな。動物大好きっ子が暴れてるとか何とか」
「動物愛護団体の皆様ですね。このゴブリンの集落の汚されようも、彼らの手によるものです。実に嘆かわしい。心が痛みます」
「はぁ? 悪い物でも食ったか参謀」
ゴブリン達を気遣うような、あまりにもらしくない参謀の発言に、魔王が怪訝な顔をする。
参謀の表情は変わらず無機質だが、燕尾服の袖がわずかに揺れる。
気付いた参謀が、手をパタパタと振った。
「いや魔王様。ここは魔王国領内で、被害受けてるゴブリン達も我が国の大事な臣民。それに何より、貴重な安い労働力ですからね」
「大事な臣民ったってなぁ、ゴブリンだろ? ワンちゃん相手に大苦戦する魔族の面汚しじゃん。ああいう弱い連中がいると、人間共が魔族をナメてかかるようになるから困るんだよな」
「そうは言いますが魔王様。彼らは強い者には実に従順です。ご覧ください」
「ま、魔王様! こんな場所までご足労頂き、恐縮です! この度は、どのようなご用向きでしょうか?」
魔王の足元にかしずき、震え声でゴブリンが話す。額は汗に濡れ、細いからだは小刻みに震えていた。
ドラゴンや巨人が相手だろうと素手でくびり殺す、脳筋の極みのような魔王を前に、死を覚悟で声をかけたのだろう。
広場にいたゴブリン達も、問いかけたゴブリン同様、皆一様に魔王に向かってひざまずき首を垂れていた。
「うお、なんだお前ら」
ギョっとして魔王が後ずさる。
この魔王、本当に敬意を払われ慣れていない。
ステージに立つ司会者が役者を紹介する時のように、参謀が居並ぶゴブリン達を手で差し示した。
「ゴブリン達は、強い者には徹底服従し、逆らわずに共生関係を築くという生態をしています。魔王様のように、誰からも敬われず舌打ちばかりされている方には、実にありがたい存在でしょう。今まで、こんなに敬意を払われたことがありましたか?」
「あのなぁ参謀。お前なんか勘違いしてっけど俺、魔王様だからな? みんなから敬われ、畏れられ、頭下げて礼を尽くされるのは当たり前なんだよ。だってのに、何なんだお前らときたら」
苛立ちながら不満を漏らす魔王を前に、参謀がうなずく。
「確かに。ダークエルフ達は『先代魔王の遺産に縋りつく子供部屋おじさん』と罵り、オークやホブゴブリン達は『怠けてばかりのヒキニート』とバカにし、サキュバスは『あんな非モテと寝るならチンパンジーの方がマシ』とまで蔑んでくる。皆、どうしようもない無礼者ばかりですね。そんな中にあって、このゴブリン達の従順っぷりは有難い限りでしょう?」
「そーかもしれんが、無礼者筆頭なお前が言うな」
おもわず魔王がツッコんだ。
実際、参謀の魔王に対する態度は慇懃無礼か、もしくは単に無礼であることが多い。
だが、参謀自身はどこ吹く風だ。
「何を言いますか。こんな忠義に厚く礼節を尽くす臣下を捕まえて」
「参謀。お前、口を開けば嫌味や皮肉しか言わねぇクセに、よくもまぁ真顔でンな言葉吐けるよな。ツラの皮の厚さ何メートルだオイ」
魔王が腰をかがめて参謀の顔をのぞき込む。
真顔も何も、牛の頭蓋骨さながらの、白骨じみた外骨格の頭部をした参謀は、基本的に無表情で感情を読み取ることなどできないわけだが。
「とにかくです、魔王様。下級魔族だろうと何だろうと、我が国の従順かつ忠義に厚い臣民が困っているのです。ここは一つ、民の忠義に報いるべく彼らの問題を解決してあげるのが王のあるべき姿勢なのではないでしょうか?」
のぞき込む魔王のむっさい顔面を参謀は両手で持ってグイっと横に向け、ひれ伏すゴブリン達の姿を見せつける。
「ああー?」
何の用かと問いかけてきたゴブリンを、魔王がギロリと一瞥する。
魔王ににらまれ、ゴブリンが恐怖に背筋を震わせた。
「んだぁ、お前ら。この魔王様に頼み事でもあるってのかぁ?」
参謀の手を振り払い、魔王が手を自身の首に回しゴキリと鳴らす。
「い、いえそんな滅相も……」
口ごもるゴブリンのそばに、ドスドスと重そうな足音を立てて魔王が歩み寄った。
「だったら俺は、お前ら下級魔族ゴブリン共に無駄足食わされたって事か? おお? いきさつはどうあれ、ゴブリン風情がこの魔王様を呼びつけて『やっぱ特に用はありませんでした』ってか? 随分と偉くなったもんだなぁ、最近のゴブリン様はよぉ。感心するわ。敬語で話した方がよろしいでしょうか?」
凄む魔王に、ゴブリンは体中から汗を滝のように流しながらしどろもどろに答えた。
「い、いえその、あの、決してそのような事は……」
顔面蒼白になり、口をパクパクさせてロクに話せずにいるゴブリンを見かねて、参謀が助け舟を出す。
「魔王様、オヤジ相手にイビり散らす街のチンピラみたいな真似はお止め下さい。そもそもいきさつはどうあれ、ここのゴブリン区画へと来たのは我々の方からですからね。彼らゴブリン達は、それこそただの通りすがりです」
「うっせーな、わかってるよ。面倒臭せぇからちょっとビビらして、あわよくばコイツら追っ払って、全部うやむやにしてフケようとしただけじゃねえか」
「スキあらばサボろうとしますね魔王様。とにかく、民と領土を守るのは王の務め。ゴブリン区画の治安維持は、警察や衛兵の職務の範囲外です。よって、行政的にはここは魔王様の直轄地で、守るのはある意味魔王様の責務なんですよ」
参謀の説明に目を覆い、魔王が嘆いた。
「うーわ何そのクソ区分。超面倒臭せぇ」
「さあさ、魔王様の直属の臣民の悩みに、是非とも耳を傾けてあげてください」
上目遣いにゴブリンが魔王を見上げる。
眼前のゴブリンだけでなく、広場で頭を下げひれ伏していたゴブリン達も不安と期待の入り混じったまなざしを魔王へと向けていた。
「……はぁ、わかったよ。んじゃ早く要件言え。適当に答えて片付けてやっから」
「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」
地面に何度も頭をこすりつけ、ゴブリンがとつとつと話し出した。
「ま、魔王様! 今、山から熊が下りてきて、我々ゴブリンの住む街を襲っておりまして……」
「うん知ってる。それで?」
「そ、それで、どうにかして頂きたいと……」
「なんで? 自分たちでどうにかしろよ」
ゴブリン達の嘆願に、しかし魔王の返事はそっけない。
食い下がるように、ゴブリンが告げる。
「い、いやしかし、我々は魔王様もご存じの通り力も弱くとても熊には……」
「敵わないってんなら死ぬしかないんじゃね? 弱いのが悪いんだし」
「そ、そんな!」
「そんなって。だってお前、ここら一帯の野生動物たちもそんな中で生きてんだろが。ここ、魔界だぞ? 食い殺されるのが嫌ってんなら、メシ食って筋トレして体鍛えろよ」
「で、で、でも! 我々が熊を追い払うのを、壁の中に住む城下町の方々が妨害してきて……」
どうにか魔王に事情をわかってもらおうと、口下手なりにゴブリン達は一生懸命話をしていた。
だが、彼らの話を遮って魔王が怒鳴りつけた。
「だーかーらー! どこのどいつがお前らの邪魔し腐ってんのかしんねーけどよ! そいつら目障りだってんなら、力づくでもワナにハメるでも何でもして、叩き返せよな! 魔族だろーがテメー! ああ!?」
「そ、そ、そうは言っても魔王様! 城下町から妨害に来られる方々は、我々ゴブリンと違い中級魔族や上級魔族の皆様です! われわれ下級魔族では恐れ多くて叩き返すなんて出来ません」
「はぁ!? 魔界の掟は弱肉強食だぞ!? 相手が中級魔族だろうが上級魔族だろうが勇者だろうが魔王の俺様だろうが、ブチのめしてねじ伏せちまえば関係ねえよ! テメー、自分の低い身分を言い訳に使ってんじゃねーぞ! ここは魔界だ! 強えぇ奴は身分関係なく強えぇし偉れぇんだよ!」
魔王が、ビシィと眼前のゴブリンを指さして説教を続ける。
「このクソザコ共が! 身分が低いとか力が弱いとか、そんなんじゃねぇ! テメーらは性根がクソザコなんだ! 邪魔な相手に立ち向かう事もせず、ただ言いなりになってやりたい放題されながら、それでも頭を下げ続けるってんならよ! クマカス共相手にも、食い殺されるまでそうしてろってんだ!」
苛烈な魔王の物言いに、哀れ眼前のゴブリンは何も言えなくなった。
確かにこの「強い奴、勝った奴が正しい」という魔王の暴論は一理ある。
現にオークの実力者である豚鬼王トントゥーロ等は中級魔族の身でありながら、その力と統率力で国を作り上げ、上級魔族のバンパイアやダークエルフ、果てはドラゴンまで自身の国に住まわせ従わせている。
魔界では生まれついての身分より、強さが優先される。
どれだけ高貴な身分だろうと、力が弱く頭も鈍く人望も無いならば、誰も敬ってはくれない。
とはいえ、魔王の自論はかなり雑で乱暴だ。
多少知恵の回る者なら、反論しようと思えばいくらでもできる。
しかし元々大して賢くも無いゴブリン達は、自身の置かれている立場や心境を上手く伝える事が出来なかった。
「魔王様。生まれつき力も弱ければ知性も素朴なゴブリン達に、無茶を言わないでくださいよ。大体、魔王様だって常日頃から魔王国民に対して『どいつもこいつも、この魔王様をいつもいつもいつもいっつもバカにし腐りやがって! 弱っちいクセによ! 強者たるアルファオスの俺様への敬意ってもんがまるで見えやしねぇ! 身の程って言葉知らねーのか、あのバカ共は!』なんてキレまくってるじゃないですか。彼らこそ身の程をわきまえ、強者たる魔王様を敬う者達なのですよ」
参謀が、ゴブリン達の肩を持つようにフォローを入れた。
「えー、でもゴブリンだろ? こいつらブサいじゃん。ネコちゃんやワンちゃんとかと違って、まったく可愛くないしよ。弱いしバカだし可愛く無いしって、もう死ぬか滅ぶか殺されるかしか道無いんじゃね?」
どこまでもそっけない魔王の言葉に、参謀が嫌味を返す。
「ブサキモウザさが一線超えてて、公園のベンチでゴロ寝してただけなのに、世のお母さん達から衛兵に通報されてた魔王様とお揃いで良いじゃないですか。同類相哀れんでくださいよ」
「お前って奴は、どこまで魔王様をコケにし腐るんだ!」
「棺桶に入るまでですかねぇ」
参謀の減らず口に、魔王が拳をゴキゴキと鳴らしながらにじり寄る。腕から肩にかけての筋肉が盛り上がり、幾筋もの血管が浮かび上がった。
「よく言った。じゃあ今すぐこの場でブチ込んでやるよ。おう、そこのゴブリン共。なんか死体入れる箱か袋を持ってこい」
突然の指示を受けたゴブリンは、しかしゆっくりと首を振った。
「も、申し訳ありません魔王様。死体を入れる箱や袋は、既に全て使い切ってしまっていて。私の兄の遺体も野ざらしで、うぅぅ」
「あ? ああ。そっかぁ……」
急に重い話を聞かされ、魔王が怒りと口調をトーンダウンさせる。
参謀が、ひざまずき涙をこぼすゴブリンの肩にそっと手を乗せ、嘆願するように魔王を見上げた。
「魔王様、確かに魔界の掟は弱肉強食。かくあるべしという魔族の美学もわかります。ですが、今回ばかりはそこを曲げて、彼らに手を差し伸べても良いのではないでしょうか? 彼らは都市外で農奴として働くだけでなく、都市内でもあらゆる店の下働きとして、清掃員として、建築業の手伝いとして、極めて安い賃金で多業種に従事しており都市機能の土台を担っています。この城下町の発展も、我が魔王国の繁栄も、彼らの血と汗と涙、そして何より命によって成り立っているのです。それに強い者への絶対的な隷属。弱くとも、賢くなくとも、彼らを守るのに十分な理由となり得るはずです」
「あー。まあ、そう言われっとなぁ。でも、アレだろ? 熊ブチ殺して追い払えば良いってだけの話じゃないんだろ?」
「はい、そうです。そもそも彼らは犠牲こそ出ますが、毒矢を用いて自力で熊を追い払う事は可能です」
「そうそう。なんかそんな感じの事言ってたよな? 熊ぶっ殺すの邪魔する奴がいるとか何とか。どこに居んだよそんなマヌケ」
「あ、魔王様。いつもですと大体今くらいの時間に……」
バァン、と勢いよく城下町の南門が開く。
中から浅黒い肌のダークエルフや太鼓腹のオーク、ネクタイを締めスーツを着たホブゴブリンといった城下町の住民がゾロゾロとやってきた。
数にして、50名ほどだろうか。
手には『行き場のない熊さんを虐めるな!』『熊さんを殺す者に死を!』等といったメッセージの書かれたプラカードが握られていた。
荷車を引いてやって来る者もいた。
荷台には金属製の缶が数多く乗っており、中には様々な塗料が入っている。
城下町に住む、動物愛護団体の者達だった。
『熊さん大好き!』と文字の書かれたピチピチのTシャツを着た一匹のオークが、魔力で声を増幅させるラッパ型の拡声器を手に、割れんばかりの声で叫ぶ。
「ゴブリン共よ! 今すぐ熊さんに危害を加えるのをやめろ!」
クマさんを殺すな!(その2)……END




