クマさんを殺すな!(その1)
「魔王様。山から熊が下りてきて、城下街を荒らしまくっています」
「熊だぁ? 俺たちゃ魔族だぞ。叩き返せよンなもん」
魔王城大広間にて。
玉座に座る魔王が、牛の頭蓋骨のような頭部を持つ配下をチラリと一瞥する。
執事服に身を包んだ魔族が、感情を見せない声で魔王に告げた。
「いやそれが。住民の中で『熊を殺すな』と反対運動をする者たちがいるようでして」
「そいつらバカなの? わざわざお前が報告に来るってことは、街にそこそこ被害出てんだろ?」
「はい。ゴブリン区画が思いっきり被害を受けていて、住居も食料貯蔵庫も軒並み食い荒らされています。というか住民のゴブリンそのものが食い殺されまくっていますね。死傷者はざっくり200名ほどでしょうか」
「城下町で住民200名かじり殺されるとか、普通に大惨事じゃねえか。食われてんのが命の安さに定評のあるゴブリン共とは言えよ」
玉座に座る魔王が腕を頭の後ろで組み、天井を仰ぎ見る。
「んー。言うてゴブリン区画かぁ」
ぼやく魔王からは、早くもやる気が失せた様子が見て取れた。
ゴブリン区画とは、一応城下町の範疇に区分されてはいるが、実に微妙な立ち位置にあった。
魔王城の城下町は外敵に備え、外周を高い壁でぐるりと囲み全体として円形をしている。
街の周囲には、東に向かえば『落ちたら巨人も助からない』とまで言われ魔界の一大観光地となっている猛毒のヒュドラ沼があった。
伝説の毒大蛇ヒュドラを先代魔王が叩き殺した際、死骸を沼に捨てた所、水は猛毒化し、毒ガスの立ち込める現在の姿になったらしい。
並の動物は水に触れるだけで肉が腐れ落ち、植物なら枯れ落ちる。
そんな状況なので生命の存在しない不毛の地なのかと思えば、意外とそうでもない。
このヒュドラ沼は、毒虫、毒草、毒樹木、毒鳥、毒獣と、様々な有毒生物達の楽園となっている。
よく知られている生物は、吹き矢に塗る毒として使われる事もあるヒドラガエルや、一噛みで牛も殺すサソリハリアリ、あとはこの毒の沼のヌシとも言える、皮膚から内臓から血液まで全てに沼の水と同じほどの強力な毒を持つカバ、コブラヒポポタマス等がいる。
西を見れば標高1000m程度のなだらかな山々が連なった緑豊かなタカウォ連山がある。
大規模な土砂崩れの影響で、タカウォ連山の山肌は今、赤茶けた地面を痛々しくむき出しにしていた。
ドラゴンの背にでも乗って魔王城城下町を上空から見下ろしたならば、ヘルサレム神殿を中心に、幾重にも壁を張り巡らせた円形の街並みが見える事だろう。
全体としての印象は、縦糸と横糸で編まれた蜘蛛の巣にも思えるかの知れない。
ゴブリン区画はそんな城下町にあって、ほぼ唯一強固な外壁の恩恵を受けていない区画なのだ。
理由は簡単。
壁の外にあるからだ。
ゴブリン達の大多数は、上位種族であるホブゴブリンの管理と庇護の下、プランテーションで農奴として使役されている。
だが、過酷な農作業に耐えかねて逃げ出すゴブリン達も少なからず存在する。
そういったゴブリン達が逃げ延び、城下町の外壁南門周辺に集まり作られた集落が、ゴブリン区画なのだ。
行政側は、ここを一応城下町の一部として認可はしている。
人口増加に合わせて不定期に行われる都市拡張計画で、この場所もいずれは新たに壁を作り街に組み入れるつもりだからだ。
だが、時期は未定であり、魔王国側もわざわざゴブリン達の為だけに高い金をかけて外壁を作ってやる予算を出すつもりは無い。
結果、ゴブリン達は外敵から身を守る壁の一切無い平地に、粗末な木の柵で申し訳程度に集落を囲う無防備な状態で住み続け、現在に至る。
「ここは弱肉強食の魔界なわけだし、魔族だろうが野生動物だろうが弱けりゃ食われんのは仕方ないけどな。つーかそもそも、ゴブリン共って熊に勝てんのか? あいつら下手すっと野良犬にタイマン張って負けるレベルで弱いだろ」
「流石にチワワやポメラニアンには勝てると思いますが……柴犬相手で相当厳しい勝負を強いられ、シベリアンハスキーやブルドック辺りになると勝つのはほぼ不可能でしょうね」
「クソザコじゃん。城下街の外には野犬どころか狼、熊、虎、ハイエナ、有名どころの肉食獣は大体いるだろこの辺。川にゃ牛を引きずり込むワニ共もいるしよ。柴犬相手に死闘を繰り広げるレベルの軟弱さで、今までどうやって外壁の外で生き延びてんだよ。食べ放題レストラン状態じゃねえか」
「その点はまぁ。魔王様みたいに何も考えず、大声で叫びながら真正面から敵目掛けて突進し、武器も持たずに殴りかかるなんて、脳を使用した痕跡が1ミリたりと存在しない戦い方は、知能の低さで知られるゴブリン達ですらやらないわけで」
「あ? どーゆー意味だコラ」
憤る魔王を無視して、参謀が言葉をつづける。
「ゴブリン達は毒矢を用いて外敵を撃退します。彼らの主な収入源の一つが猛毒のヒュドラ沼での毒草採集という事もあり、獣を仕留める毒の入手には事欠きません」
「ふーん。弱えぇ奴は弱えぇ奴なりに、悪あがきするもんなんだな」
「はい。とはいえ、ゴブリン達は別段毒に耐性を持っているわけでも無いので、採集の最中に命を落とす者も珍しくないようですが」
「あー、所詮ゴブリンだしなぁ。そりゃ死ぬわな。確か前に着地ミスって落っこちたドラゴンも死んでたろあそこ」
魔王が顎を掻きながら呟く。
昔を思い出しながら語る。
ちなみに、ドラゴンやグリフォンといった空を飛ぶ強力な魔族達は、割とこのヒュドラ沼には立ち寄る。
理由は、このヒュドラ沼から発生する毒ガスで体についたノミやダニといった皮膚寄生虫を殺す為だ。
人間など一呼吸で即死するような、活火山の高濃度硫化ガス噴気孔でも似たような事をする。
要はスズメの砂浴びやカラスの蟻浴と似たようなものだが、流石は魔族。スケールが違う。
ヒュドラ沼の原液に浸かるのは、汚れるし命を落とす可能性もあるので流石にやらないが。
あと当然の話だが、ゴブリンはガスの立ち込め具合によっては普通に死ぬ。
なのでゴブリン達は風通しの良い日を見て、ヒュドラ沼には出掛けていた。
「俺も昔、ヒュドラ沼は魔界小学校の遠足で行った時にコケて落ちたけど、あん時なんか変な湿疹が体中に出て超痒くて大変だったし」
「体の作りが雑の極みな魔王様は、医療保険とか考えなくて良いからラクそうですね。しわ寄せ全部頭に来てそうですが」
「頭からヒュドラ沼にブチ込むぞお前」
「それは困りますねぇ。一応、あそこの沼地や毒草、有毒生物群に対応した解毒剤を開発しているところではありますが。現状はまだ試作段階で、毒に暴露された直後でも無ければ治せないんですよね」
「なんかこう、脅しても張り合い無いよなお前」
「ここは魔王城ですよ? どこぞの魔王様がいら立ち紛れに暴れて城を半壊させたり、会談で来た他国の来賓とその場でモメて大喧嘩して、最上階から一階まで床が全部叩き割られて吹き抜けになったりする、使用人の死亡率が並の戦場より高いブラック職場なんですよ。そんな所に、しかも元凶の魔王様の傍らで業務をこなす者が、生き死にの恫喝を受けた程度でビクつくわけないでしょう。高い役職と吸い放題の甘い汁。そして公金の使い込みとの引き換えに、命を捨てる覚悟はとうに出来ております」
「覚悟の仕方が明後日の方向に極まってやがるなコイツ。まあいいけどよ。こちとら仕事押し付けられて食っちゃ寝出来れば何でもいいんだ」
「魔王様のそういう身も蓋もない所、私どもとしてもやり易くて大変有難いです。今後とも、獅子身中の虫として獅子奮迅の働きを致しますので、どうぞよろしくお願い致します」
「お? なんかよくわからんけど、熊カス共をぶっ殺すでも追っ払うでも、気張ってやってくれや。んじゃ俺は漫画の続き読むから。あとは任せた」
そう言うと、魔王は玉座の脇に置いていた、異世界から取り寄せた漫画『ゴールデンカムライ』を手に、読み始めた。
「魔王様は熊を追い払いには行かれないので?」
「行くわけねーだろ面倒臭ぇ。なんで俺がそんな番犬みてーな真似しなきゃならねーんだ。しかも、ゴブリン如きの為によ」
「魔王様。平時であれば確かにそうなんですが、一応は我が国の臣民が数百名ほど成す術なく貪り食われ、この魔王国の領土を荒らされているわけでして。ここは一つ国の威信にかけても熊共を追っ払って頂けるとありがたいのですが」
「いや。たかだか野生動物追っ払うかぶっ殺すだけの害獣駆除に、わけわかんねー寝言ホザいて暴れ回るイカれ団体の相手なんざ、お巡りさんか衛兵共の役目だろ? どうして国のトップの俺様が、ンな底辺仕事やらなきゃなんねーんだ。ふざけんな」
働きたくない、という断固たる意志を魔王が表明する。
確かに魔王の意見は、この件に関してだけは珍しく正論だった。
国のトップがいちいち庶民の仕事にかまけていては、本分の国家運営の仕事に支障をきたす。
まあ魔王は本分の国家運営の仕事も、まるでやっていないわけだが。
参謀は少しの間腕組みをして、ポン、と手を打った。
「あ、もしかして魔王様。怖いんですか? 熊が」
「はぁ!?」
参謀の挑発に、魔王が読んでいた漫画を床に叩きつけた。
「わかりますわかります。野生動物の中でも熊はトップクラスに力が強く、獰猛です。魔王様が恐れてゴブリン同様尻込みしてしまう気持ちもよーくわかります」
「おいコラ参謀、おめーこの魔王様をナメてんのか? 熊如きに俺様がビビるわけねーだろ!」
玉座から立ち上がり、仁王立ちになって参謀を見下ろし凄む。
だが、参謀はそんな魔王の威圧などまるで気にした様子もなく言葉をつづけた。
「威勢のいい言葉で虚勢を張り、立場が下の者に威張ることは出来ても実際に熊とは戦わない。そういう臆病……いや慎重さも時には大切ですもんね。わかってますって」
「違うっつってんだろ! なんでこの魔王様が野生動物なんぞにビビり散らかさにゃなんねーんだよ! クマカス如き、百匹こようが百億匹群れようが目じゃねーし!」
額に幾筋もの血管をピキらせながら、魔王が啖呵を切る。
「はいはい。わかりましたから。私は現地に行きますが、魔王様はご無理をされなくても良いですよ。熊は怖いですもんね」
そんな魔王を、参謀はまるで相手にしない。
小馬鹿にしたように肩をすくめ、指を鳴らして転移魔法陣を足元に浮かべる。
幾何学模様の中に様々な魔導式の書かれた魔法陣に、参謀の姿が沈み込むように消える。
「あ、待てやコラ!」
参謀の挑発に、完全に頭に血が上っている魔王が、後を追うように魔法陣の中へと飛び込んだ。
クマさんを殺すな!(その1)……END




