多分知らない乙女ゲームの世界に転生して多分悪役令嬢だったかもしれないお嬢様が婚約者と平穏無事に学園生活を過ごすまで
※プロフィール欄参照推奨。何でも許せる方向けです。
※世界観や設定はゆる甘ですのでご注意ください。
※素人がスマホでぽちぽちと執筆した拙い文章ですのでご注意ください。
※何でも許せる方向けです。
「お嬢様!エヴァレットお嬢様!」
目を開けると、お付きの侍女が心配そうに膝をつき、私の身体を支えていた。肩のあたりで切り揃えられたダークブラウンの癖毛と同じ色の大きな瞳はウルウルとして、今にも泣き出しそうである。
「大丈夫ですか!?どこかお怪我は……!?」
「……メアリー?ここは……」
一瞬、記憶が混濁するが、すぐに思い出す。自分が尻餅をついて頭を打った理由は、この目の前にある大きな木から足を滑らせたからだということを。そしてこの木に登っていた原因は、無事に自分の腕の中にある。
「お嬢様、やはり頭を打っておられるのですね!?はやく医者を……!」
「ま、待って!大丈夫よこのくらい、ちょっと足が滑っただけ。それよりこの――」
「あぁあ!やはりもっと強くお止めするべきでした!旦那様になんとご報告すれば良いか……っ、もし時間を巻き戻せるのならわたくしめの首を差し出しますのに!」
崩れ落ちるようにして両手で顔を覆う。このちょっと鬱陶し……もとい、少々過激なことを言う女性はメアリー。私の侍女だが、私にとっては友人のような姉のような、数少ない気を許せる大切な存在である。
「……首はダメよ。そんなことしたら私、悲しくて泣いてしまうから」
「申し訳ございませんお嬢様。謹んで撤回いたします。……首ではなく眼にいたします」
相変わらず物騒な。
「そ、それより。なんとか助けられてよかったわ」
「さすがですお嬢様!ですがもう二度とこのような危険な真似はおやめ下さいね。わたくし寿命が26年縮まりました」
彼女の言うことにいちいち反応していたら日が暮れてしまうので聞こえないふりをして、私は手に入れたモノを掲げた。
「あなたどこから入ってきたの?飼い主はいるの?」
ニャー、とか細い声で鳴く。真っ黒い毛並みに金色の目をした子猫はまだ小さく、木に登って降りられなくなっていたようだった。たまたま見つけられてよかった。
「痩せてるようには見えませんし毛並みも綺麗ですから、どこかの飼い猫が逃げ出したのかもしれませんね」
「たしかに……。なら飼い主が見つかるまで保護できないかしら?この子の絵を描いて領地に触れを出せば」
「かしこまりました」
私の権限で即決できるものではないと思うのだが、メアリーは私から子猫を預かるとすぐにお屋敷の中へ戻った。父にお伺いを立ててくれるのだろう。決定権は領主である私の父――カール伯爵にあるのだ。
と、ここで青ざめた。とあるお方の存在を完全に忘れて子猫救出劇に夢中になっていた。慌てて立ち上がり、捲し上げたドレスの裾を下ろし、皺を伸ばして泥を叩き、体裁を整えようとする。あまりにも遅いが。
「も……申し訳ありません、メデイア様。はしたないところを」
「……キミはいつもこんなことを?」
「い、いえ、今日はたまたま、」
「すまないが今日のところはこれで失礼させてもらおう」
唖然とこちらを見ているだけだった男性は顔を青ざめ、私の有様にドン引きして去っていった。まあ当然か。仮にも伯爵家の令嬢が男性とのティータイムをほっぽりだし、ドレスにも構わず木に登り始めるとは思わなかったのだろう。
「……またやってしまったわ」
貴重な婚約者候補を一人減らした。父に怒られるか、そろそろ呆れられるか。
エヴァレット・カールはどこにでもいる平凡な女の子――ではなく、領地を治めるカール伯爵家の長女だった。もうすぐ16歳になる妙齢の貴族令嬢だ。自分で言うのもアレだが、腰まで伸びた白金の髪はゆるやかに波打ち、白い肌、華奢な肩、細い腰、エメラルドの瞳、微笑みの似合う整った顔つきと、男性からは守りたくなると言われるような、わりと恵まれた容姿をしているように思う。あえて欠点をあげるなら豊満とは言い難い胸部くらいか。こんなに細いんだから仕方ないでしょと叫びたいが、なぜかこの世界の貴族令嬢は細くてナイスバディが当たり前。神になぜ自分だけが例外だったのかと問い詰めたい。
「お嬢様、どうされましたか?そんなに鏡を見つめて」
「メアリー、私って可愛いかしら」
「当然お可愛らしいです!この世の女神かと思うほどです!」
聞く相手を間違えた。
「子猫の件ですが、旦那様から許可をいただきました。飼い主が見つかるまでは屋敷で保護してもよいとのことです」
「そう!ありがとう」
「ついでにメデイア子爵子息様が逃亡されたこともお伝えいたしました。お嬢様に至急執務室へ来るようにとのことです」
「そう……ありがとう」
頰を引き攣らせ、足取り重く自室を後にする。至急ならもっと早く伝えてほしいと思う。メアリーの優先順位はいつも私の要望が勝つ。だからこそ信用もできるのだが。
「お父様、エヴァレットです」
「入りなさい」
執務室の扉を開けると、父が書斎を背に机に両肘をついて、眉間に皺を寄せている。私と同じ白金の髪と白い肌をもつ美丈夫なのに、今は吹けば散ってしまいそうな儚さだ。予想通りの展開である。
「エヴァレット、またやらかしてくれたらしいな」
「子猫のためだったのです」
「言い訳だけは一人前だな。いいか、お前ももう次の春には王立ジーニア学園へ入学することになるのだ。カール伯爵家の長女として婚約者不在のまま入学させるわけにはいかないんだぞ。何度説明すればわかる!」
耳にタコができるほど聞いたセリフだ。言いたいことはわかっているし、私も貴族の娘としての務めを放棄する気はない。だから大人しく親の決めた婚約者候補とお見合いをしているのではないか。
「せめて見合いの間だけでも大人しくできないのか……?木に登った挙句猫を救出しただと?」
「はい、申し訳ありません」
「なぜ自ら木に…ッ、いや、せめて子息が帰ってから登るとか、ドレスを脱いでから登るとかだな」
だいぶ譲歩してくれている。小言は多いが、娘思いの優しい父なのだ。罪悪感はある。
「申し訳ありません。身体が勝手に動いてしまいました」
「おかしい……。貴族の子女としての教育しか受けていないお前が何をどうして木によじ登ったり頭より先に身体が動いてしまうようになるのか……」
それは仕方ないだろう。だって私、
前世の記憶があるんですもの。
この世界には当たり前にある貴族階級や王政。これらは前世にはなかったものだ。前世の私は「佐藤愛理」。どこにでもいる平凡な日本の女子大生だった。享年21歳。専攻は法学部。人より正義感が強く、昔の夢は警察官だったが、あいにく身体能力に恵まれず、頭脳の方に才覚があったので、法律の道を志した。ゆくゆくは弁護士という、法律に基づいた事務を行う職業につきたかったのだが、無念の死を遂げてこうしてまったく別の世界の貴族令嬢に生まれ変わってしまった。
けれど今、こうして生まれ変わったエヴァレット令嬢は、まだ子供の身体だからか身軽で動きやすく、私のやりたいこと、してみたいと思ったことがほぼ何でも叶う。まさに夢のような現実だ。
とはいえ、「佐藤愛理」と「エヴァレット・カール」は別人だ。今世を生きるのに前世の記憶は必要ない。だって世界観も常識も、それこそ法律だって違うのだから。
「聞いてるのか、エヴァレット」
「はい、もちろん」
「いいか、次が最後のチャンスだ。入学までもう時間がない。なんとしても次で婚約を成立させるのだ!この際学園にいる間だけでもいい!卒業したら捨てられても構わないから!もうお前はうちで一生面倒みるから!」
あまりにも酷い扱いである。
「あの、お父様。なぜそんなに学園への入学にこだわるのですか?わたくし、領地を離れたことがありませんし、あまり気乗りしないのですけど。今までずっと家庭教師だったのに、急に義務教育ですの?」
「む。言ってなかったか。今年の春は特別なのだ。なんといっても我が国の王太子がご入学される年だからな。貴族で同年の子息子女は必ず入学するようにと言われている」
「まあ、なんてご迷惑な」
つい口が滑った私の声を掻き消すように、父が大きく咳払いを繰り返した。だって本当のことだ。
「それにその、ジーニア学園?……に入学するまでに、なぜわたくしが婚約者を用意しなければならないのですか?まさかそれも決まりですの?」
「それは違うぞ、エヴァレット。いいか、王太子がわざわざ王立ジーニア学園にご入学されるのだ。そして同学年の貴族令息、令嬢に必ず入学するようにとお達しがあった。まあ今年は特例で一部平民の入学も認められるらしいが……。と、それは置いておくとしてだ。すなわち、このことから今後どういった事態が考えられる?」
「ご令嬢方が躍起になって王太子妃の座を狙うのでしょうね」
「その通りだ。しかしエヴァレット、お前はその争いに参加する必要はない。なぜなら」
一呼吸おいて、天を仰ぐ。
「向いてないからだ!裸足でドレスのままその辺の木によじ登るような野生児に殿下のお相手が務まるわけがない!しかし、独り身のまま入学してしまえば、いずれそういった争いに巻き込まれんとも限らん。だから必要なのだよ、婚約者という盾が」
「なるほど、腑に落ちました。要するにお父様はわたくしを守ろうとしてくださっているのですね」
ピクリ、と眉を動かした。否定はしてこないあたり、嘘ではなく、娘の身を案じてくれているのだ。同じくらい王太子の身も案じているだろうけれども。
「ありがとうございます、お父様。そういうことでしたら、次の婚約者候補の方とは必ず婚約を成立させてみせます。要するに引かれなければいいのですから、今度は室内でお茶を交わしますわ」
「それだけでは不安だ」
「極力喋らず、両手は前で揃えて、口角は上げておきます。お相手の方のお話に相槌を打つだけにいたします」
「そ、そうか。くれぐれも頼んだぞ」
黙っていれば年頃の美少女なはずなので、これで問題なく婚約成立するだろう。相手はこの際誰でも良かった。もともと拒否権もない。いずれ破棄されようが、そのまま結婚しようが、父が決めた相手なのだから悪いようにはなるまい。
そう思っていたのに。
「も、申し訳ございません!」
向かいに座る男性は、この度めでたく婚約者となるはずだったダリ・クラウド男爵だ。短めにセットされていた黒髪は、今や頭からお茶をかぶり、濡れてお茶を滴らせることでペタリと頭に張り付いている。挨拶を交わした時はかなりの長身だと思ったが、座ると威圧感はなく、単に脚の長いお方だったのだとわかった。テーブルを挟んで向かい合わせに腰を下ろし、挨拶以外の会話をさあ始めようかというところで、どこからともなく飛び出してきた黒猫がテーブルの上にダイブしたのだ。そして咄嗟に捕まえようと伸びた私の手から熱々のお茶の入ったカップが投げ出され、見事彼の頭上に命中した、というところである。
「ずいぶんなご挨拶ですね、令嬢」
「た、たいへん!早くこっちへ!」
手を引いて立ち上がる。ヒールの靴は邪魔なので脱ぎ捨てて、ドレスの裾を捲し上げてすぐ近くの厨房へ駆け込んだ。彼の後頭部を引き寄せ、広いシンクの中へ差し出すと、勢いよく冷水を浴びせた。
「ッ、つ、!!」
「喋らないで!水を飲んでしまうわ!」
蛇口をこれでもかと捻る。バケツの水を返したような流水が彼の頭をびしょ濡れにしていくが、構わず続けた。まだ一口も飲んでいなかったのでカップのお茶の温度はわからないが、火傷の処置は1分1秒を争う。
「ぶ…ッ、も、もういいですから!」
押さえつけていた私の手を払いのけ、彼が頭を上げた。頭を振り、飛沫を飛ばす。まるで滝行でもした後のようにずぶ濡れにしてしまった彼の身体を支えて、顔色を窺った。
「ど、どこか痛いところはある?ヒリヒリするとか、感覚がないとか」
「冷たすぎて感覚はないかもね。もともと茶はそんなに――」
「どうしましょう!?医者を呼ぶ!?やっぱりもう少し冷やしてた方がいいんじゃ――」
「お、落ち着けって。アンタ、そんなに近づいたらキレイなドレスが汚れちまいますよ」
「それより貴方の方が一大事よ!」
こんな非常時に訳のわからないことを言う男の顔を見上げた。至近距離で目が合う。切れ長の金の目だ。
ダリ・クラウド男爵。硬質そうな黒髪は水に濡れても目が隠れないほど短めにカットされているが、襟足は無造作に伸びており、首の後ろで一つに縛っている。貴族というよりは騎士のようだと感じた。髪色が前世でよく見かけた日本人の特徴だからか、どこか親しみも覚える。もしくはあえてそういう空気を纏っているのか。金色の目を見開いた彼は、さっきの黒猫にそっくりで、しばらくの間凝視してしまった。戸惑う彼は、引きつった笑顔のまま後ろへよろめく。
「えーっと、カール伯爵令嬢?」
「エヴァレットでかまいません。クラウド男爵」
「エヴァレット、様。オレ、いや私は大丈夫なんで。あまりその格好で近づかれるのは……」
「でも近くに寄らないと貴方の火傷の具合がわからないし」
「火傷なんてしてませんよ、エヴァレット様の処置が早かったんで」
半ば強引に私を引き剥がしたクラウド男爵は、濡れた髪を掻き上げてそっぽを向いてしまった。
「つーか着替えてきたらどうですか?そんな格好じゃ風邪ひきますよ」
「それは貴方もね。火傷は大丈夫――なの?それなら良かったわ。けど早く着替えてもらわないと。――メアリー」
「はい、お呼びですかお嬢様」
どこからともなく現れた侍女を見て彼はギョッとしていた。私はもう慣れてしまったので、そのまま彼女に指示を出す。
「クラウド男爵を客室に。湯殿と着替えを用意して。温かい飲み物も」
「かしこまりました」
「男爵、とりあえず服を脱いでいただけます?部屋へ案内しますので」
「いや、別にいらな――」
「行きますわよ、男爵」
濡れた者同士、今更なので腕を組んで連行する。火傷の危険を負わせた挙句、風邪までひかせるわけにはいかない。こちらの不手際が招いた事故なのだ。そして、これから挽回できるかわからないが、なんとしても彼を婚約者にする必要がある。このまま帰すわけにはいかなかった。
部屋へ着くと、私は男爵の服を剥ぎ取った。男爵も初めは抵抗していたが、やがて私の気迫に負けたのか、大人しくされるがままになっていた。
「――深窓のご令嬢と伺ってたんですがねぇ」
「間違いではないわ。この領地から出たことはないし」
「茶を投げつけてドレスのまま走り回って火傷の応急処置をして男の服を剥いでくる令嬢が?」
「も、申し訳なかったわ……決して故意ではなかったの。その……過失ではあるけど」
湯船に浸かっている男爵に対して深々と頭を下げた。もちろんカーテンの仕切り越しに。本当に彼には申し訳ないことをした。
「クラウド男爵」
「ダリでいいっすよ、エヴァレット様」
「ダリ様、こんな状況で話すことでないのはわかっているのですが」
「開けますよー」
シャッとカーテンが開く。後ろを向く暇もなく、下半身にタオルを巻いただけの上半身裸状態の男爵と目が合ってしまった。頰が熱くなる。服越しだと細く見えたが、意外といい身体つきをしている。
「し、失礼しました!その……ダリ様にわたくしの、婚約者になっていただきたいのです」
「ホントにこんな状況でする話じゃなくてびっくりしましたよ……。とりあえずエヴァレット様も服着替えてから話しません?」
そういえば濡れたドレスのままだったが、私は彼ほどまともに水を浴びたわけじゃない。なのでこのままで問題ないと判断する。
「わたくしはかまいませんわ。ダリ様はとりあえず服を着てください。わたくしはあちらを向いていますので」
「だーかーら、アンタも着替えるの!おーい、そこらへんにいるメイドさんよー。このお嬢様をお連れしてくれよー」
彼が適当に声を上げた方向から、メアリーがひらりと現れた。私たちを見て顔を青ざめさせている。確かに誤解を生じる場面であろう。
「っ、お嬢様!なんてお姿で!早くこちらでお着替えを」
「あ、ちょっと、」
メアリーに引きずられ、私は客室を後にした。
そんなこんなで、私たちは改めて見合いの席を設けた。しかし先ほどのような形式ばった場はなくなり、友人同士の茶会のような雰囲気で、意図せず気安い間柄のように話をすることができた。
「要するにお嬢様は、学園在学中だけでも婚約者がほしいってことですよね?どうして男爵位の私なんかに白羽の矢が立ったんです?由緒ある伯爵家ならお相手なんてより取りミドリでしょ」
「あら、ダリ様だって立派ですわ。一代にして富を築いた大商人。その功績を讃えられ陛下より爵位を賜ったと聞きました」
「私はただの成り上がりですよ。しょせんは元平民なんで」
へりくだるような言い方だが、自分を卑下しているわけではなさそうだ。商談の場の処世術のようなものか。まさか貴方が最後の砦なんですとは言えず、しかし非常に稀有で尊敬すべき商才を持っていることは事実なのでその通りに話した。
「しかしホントに私でいいんですかね。男爵になったのが最近なもんで、学園にはこの4月からの編入になるんですが」
「あら、同い年でしたか?」
「いえ、今17なんで、お嬢様の2つ上ですね。ただ編入したら学年はお嬢様と同じになるらしいです」
いけない。事前に見合い相手の資料を読み込んでいないことがバレてしまった。
「まあ私としても伯爵家と繋がりができるのは願ったり叶ったりなんで、お嬢様さえよければ婚約者やらせて頂きますよ」
「ほ、本当ですか!?ありがとうございます。これからよろしくお願いしますわ」
まさかあの大失態から大逆転できるとは。よくやった私!!表面はできるだけ淑やかな笑みを浮かべながら、心の中で万歳をする。失態を取り返すためにと洗いざらい話してしまったので、彼とは在学中のみの縁となるかもしれないが、それでも構わない。元平民の彼なら政略結婚よりも想い人と心を通じ合わせたいだろう。私は身軽のまま領地へ帰ってこれる。まさにウィンウィンだ。
男爵は立ち上がってうやうやしく礼をし、目を細めて笑顔を見せた。その表情は楽しげで、しかしどこか気まぐれな猫のようだ。
「協力しますよ?お嬢様」
切れ長の目がさらに細められ、瞳が夜の月のように妖しく光っていた。
・・・
こうして無事に婚約者を手に入れた私は、王立ジーニア学園の入学式を穏やかな気持ちで迎えることができた。これまで貴族の子どもが気まぐれに通うだけだった学園は、王太子の入学によって戦場のように殺伐とした空気を纏う狩場へと変わり果てている。令嬢たちの中でどれだけの人が王太子へお近づきになりたいと焦がれているのだろう。令息だって、仲良くなるべしという指示がお家から出ている者も多いはずだ。みんな入学の挨拶などそっちのけで、まるで集中線のように視線が王太子へと集まっていた。おかげで誰が王太子なのか丸わかりなのでありがたいが。
(近づかないよう気をつけないと)
王太子はなるほど、とんでもなく美青年である。鮮やかな金髪に、目鼻立ちの整ったキリリとした顔つき。瞳の色は青だろうか、遠いのではっきりとはわからない。
この学園にいる令嬢たちの中から、彼と恋仲になり、王太子妃に選ばれる女性が現れるのだろう。殿下の入学に合わせて貴族令嬢を募ったということは、この学園生活がまるごと王太子の妃選びに利用されるということだ。
(真面目に勉学に励みたい学生からすればいい迷惑よね)
前世でも学校というところに複数通ったことがあるが、将来の伴侶探しのために通う学生は少なかったはずだ。それがこちらの世界では当たり前のように逆なのだろう。
(けれど私のようにすでに婚約者のいる令嬢だっているはず)
雑念の多い入学式を終えて私が向かうのは彼のクラスだった。昼休みなので会えるはずだ。
「ダリ様」
「お、エヴァレット様」
婚約者同士、名を呼び合う。このまま彼と仲睦まじく過ごし、王太子を巡る争いには一切関与せず、大きなトラブルなく学園生活を過ごして卒業し領地に帰る。当面の目標である。
「お昼をご一緒しませんか?」
「いいですけど、今から学食ですか?席空いてますかね」
「いえ、今日はお弁当を作ってきました」
手に持ってきた2人分のお弁当箱を胸の前まで持ち上げると、男爵はなぜか大きく目を見開いてそれを凝視してきた。……何か不都合があっただろうか。
「あ、もしかして、もうお食べになったとか?」
「え、いや、そうじゃないんですけど……。え、それお嬢様が作ったんですか?伯爵令嬢が?自分で?弁当を??」
「はい。料理のできる貴族くらいいますわ。それに今日は婚約者と過ごす学園生活初日ですもの。私たち仲良しです」
アピールです、とこっそり耳打ちする。王太子を巡る争いには参加しない。そのために婚約者とは円満ラブラブアピールをする、と入学前に取り決めていた。クラスの違う2人が学校でできるラブラブアピールなんて昼休みのお弁当タイムくらいしかないのだから、これくらいはさせてもらう。
「は、はは……ではありがたく頂きます。それならせっかくなんで、中庭っぽい場所にでも行きますか」
「中庭っぽい場所ですか、いいですね。人がたくさんいそうで」
アピール場所としては最適だ。
中庭っぽい場所は学年を問わず大勢の生徒で賑わっていた。さすが貴族ばかり通う学校なだけあり、施設設備も充実している他、授業と授業の合間にある休み時間も長く設定されているので、学校特有の忙しない空気がここにはない。皆ゆったりと思い思いに過ごしていた。
私と男爵は大きな桜の木陰に直接腰を下ろし、お弁当を広げていた。桜は前世でも見たことがある。この世界でも見られるなんて嬉しい。
「いいんですか、スカートが汚れちゃいますよ」
「かまいませんわ、地熱が心地いい季節だし。ダリ様はドレスのことといい衣服の汚れを気にされる性質なんですね」
「ハハハ…もうそういうことでいいですけどね」
頑張って作ったお弁当を、口の中いっぱいに頬張りながら、美味しそうに食べてくれる。それだけで作り甲斐があるというものだ。
「あー食った食った!美味かったです!」
「お粗末さまでした。こんなに喜んでくれるならまた作ってこようかしら」
「ぜひぜひ!」
大きく伸びをして、そのまま男爵は木陰に寝そべった。隣にいた私もなんとなく真似をしてみる。空に桜色のカーテンがかかったみたいで、こんなにも居心地がいいのかとため息が漏れた。
「いい季節ね……嫌なこと全部忘れられそう」
「……アンタ、ほんとに貴族サマ?弁当つくってきたり地べたに寝転がったり。実は平民が成り代わってるとかないですよね」
「ふふ、私、普通の貴族令嬢じゃないから」
「みたいだね。……アンタみたいなのもいるんだな」
最後は独り言みたいに、風に溶けて消えるような声だった。どういう意味なのかなんとなく聞き返そうとした、その時。
「身の程をわきまえてはいかが?」
突然聞こえた物騒な声を耳にし、聞こえてきた方向に顔を向ける。男爵も同じようにしていたので、彼にも聞こえていたようだ。
「ここは貴女みたいな下賎の者が過ごす学園ではなくてよ」
「空気が汚れますわ」
「汚らわしい」
聞こえる女生徒の声は三名ほど。一方的に責め立てられているのは、どうやら一人の女生徒だ。
「平民風情がわたくしたちと共に学ぼうなど、厚かましいのではなくて?」
「王太子殿下がいらっしゃるからご入学なさったのかしら?だとしたら迷惑ですこと」
「自分が選ばれるはずもないのに、勘違いも甚だしいですわ」
「あーららー。今年入学したっていう平民の女子ですかね。貴族相手になんかやらかしたか、王太子サマ狙いの貴族たちの怒りを買ったか……。お嬢様はああいった手合いを避けたくて私のような婚約者が欲しかったというわけですね。……ん?お嬢様?」
返事はもうなかった。
「お待ちなさい」
まっすぐに近づき、できるだけ冷静に、しかし大きな声を出す。令嬢方が振り返ると、その背後にいる女生徒が少しホッとしたような顔を見せた。
「なんですの、貴女」
「皆さんよく通るお声ですのね」
「なっ」
貴族流に「声が大きくて下品ね」と指摘し、顔には穏やかな笑みを貼り付けた。こちらに意識を向けさせることができれば、あとは皮肉を並べれば十分だ。
「この学園生活では集団行動を学ばれるのでしょうか。まさか王太子殿下に見初められたいのなら、これだけの証人がいる前で殿下やその側近の方々から嫌悪されるような愚かな行動は慎むものでしょうし」
令嬢が一人、悔しそうに視線を逸らす。なるほど、彼女がこの三人衆のリーダー格なのだろう。王太子と似たような濃い金髪の髪を大きく巻いて、サイドに流している。釣り上げられた目は鋭く、可哀想に見えるほど性格が悪そうだ。これは完全に見た目の問題なので申し訳ないけれど。
「……皆聞こえていないのではなく、目を逸らしているのですわ。貴女方はそういう認識をされていますのよ。顔を覚えられて殿下のお耳に入る前に立ち去った方が身の為では?」
「ッ、もう行きますわよ!」
「りっ、リリアーナ様!」
「お待ちください、リリアーナ様!」
リリアーナ様……知らない。そもそも私は貴族の名前に詳しくない。社交界に出るのも父の意向から意図的に避けられていたので、私は世間知らずの伯爵令嬢なのだ。
「っ、ま、待ってください!」
彼女たちが立ち去ったので、私も踵を返したところ、鈴の鳴るような愛らしい声に呼び止められた。再び振り返ると、詰られていた女生徒が手を組み瞳をキラキラとさせてこちらを見つめている。
「助けてくれてありがとうございました!わたし、シャーリー・ファロンと言います!あなたは……?」
肩より下までのびた桜色の髪が風に靡いた。この空と同じでブルーの瞳をしている。彼女は、この春の景色に似合う可愛らしく純朴そうな顔立ちをしていた。
「エヴァレットといいます。それでは」
「待て」
軽く礼をして立ち去ろうとしたのに、今度は男の声に呼び止められた。平民の彼女だけならこのまま立ち去っても不敬には問われないだろうに、男性貴族の声を無視したとなれば家門の評価にも関わる。ましてや私は相手の家格もわからない。渋々立ち止まり、お相手を確認すると、
!!!??
「話は全て聞こえていた。君、名は何という」
唯一わかる家格のお方がそこにいた。側近と思われる男性を1人つれて。
「……エヴァレット・カールと申します。殿下におかれましては、本日もご機嫌麗しいことと存じます」
「かしこまらずとも良い。私はここを身分の貴賤を問わない、皆に平等に開かれた学園にしたいのだ。まだまだこれからのようだがな」
平民であるシャーリー嬢を見やり、殿下は細く息を吐いた。
「私が止めに入る前に君が鮮やかに追い払ってくれたな。私からも礼を言おう」
「……恐れ多いことでございます」
「君はあの者たちがどの家門の者たちか知っているのか」
「……社交に疎く、失礼ながら存じあげません」
「そうか」
殿下はチラリと側近に目線をやった。それだけで意図が伝わったらしい、メガネをかけた真面目そうな側近の男は、コクリと頷いた。よく見れば彼もなかなか綺麗な顔をしている。深緑の髪に切れ長の瞳。イケメン殿下の側に置く者にはやはりアイドルにでもなれるような顔面が求められるのだろうか。殿下が正統派イケメンなら、それとは違った種類の美人系イケメンだ。
と、こんな風に別のことを考えていないと貼り付けた笑みが引き攣りそうになるくらい、私の頭はフル回転していた。絶対に近づくまいとしていた王太子が目の前にいて私に向かって何かしゃべっている。家庭教師に習った作法と言葉づかいの授業を必死に思い出し、これ以上ボロが出ないうちに早く立ち去ってくれと願った。ここで私から去るのはやはり不敬なのだろうか。
「詳しく話を聞きたいところだが、そろそろ目立ってきたようだ。エヴァレット嬢、よければまた後日――」
「エヴァレット!」
殿下がこちらに手を伸ばしてきたところで、聞き覚えのある声が響いた。いつの間にか囲まれていた人混みの中から、その姿が現れる。助かった!と心からの安堵で思わず笑みをこぼしながら、彼の名を呼んだ。
「ダリ様!」
男爵はすぐに駆け寄ってきてくれ、自然と私の肩を抱き寄せた。演技と思うが、まるで慈しむような優しい目で見つめられ、一瞬知らない人みたいでドキリとする。
「探しましたよ、こんなところにいたんですね。勝手にどこかへ行っては心配します」
というかまるで別人だ。心なしか背景がキラキラしている。なんだかくすぐったい。
「君は?」
「これは失礼いたしました。ダリ・クラウド男爵でございます。この度は婚約者を見つけて居ても立っても居られず……ご挨拶が遅れましたこと、ご容赦ください」
腕を私の肩から腰へ移動させるので、身体がますます密着する。こうすると私の頭は彼の肩くらいまでしかない。全身を預け、自然と寄り添うような体勢になる。
「えっ……もしかして、ダリ?あのダリなの?」
そんな中で、シャーリーが驚いたように声を発した。思わず彼を見上げる。二人は知り合い……?
「それでは私たちはこれで失礼いたします。行こうか、エヴァレット」
「は、はい」
しかしダリはまるで何も聞こえなかったかのように、くるりと殿下たちに背中を向けた。足早にここを去ろうとする彼に促され、自然と足が回転する。まるで競歩だ。
「あ、ありがとう、ダリ」
「おーじょーおーさーまー。何やってんですかアンタは。息が止まるかと思いましたよ」
十分に彼らと距離をとってから、足は止めずに小声で言葉を交わした。ダリの顔は怒り半分、呆れ半分といった感じだ。この顔はよく知っている。だから何を言われるかはわかっていたが、それでも反論せずにはいられなかった。
「身体が勝手に動いて」
「動く前に考えてくださいよ、理性ある人間でしょ」
「あのシャーリーっていう女の子から感謝されたわ」
「ついでにあの王太子からもね。しっかりしてくださいよ、学園生活を平穏に過ごすんでしょ?あんなのに目ぇつけられたら終わりですよ」
この国の将来のトップに散々な言いようをする彼に、ついに我慢がきかず吹き出してしまった。口元をおさえながら、声を出して笑う。
「ふふふっ、ははっ、あなた、そんなに口が悪かったのね」
「お嬢様みたいにお上品な世界で育ってないんでね」
「いいと思うわ、すごく。そっちの方がダリには似合うと思う。話しやすいし」
「……」
「というかそれが素なのに、さっきの演技は素晴らしかったわ。さすが仕事のできる男爵様ね」
「……ダリでいいよ」
彼はハアと大きなため息を吐くと、ずっと支えていた腰から手を離した。足も止まり、ようやく二人の間に距離ができる。なぜかそれが少し物悲しいような、もったいないような、不思議な感覚がした。見上げると、彼はニカッと歯を見せて笑った。そして――
「変なヤツだな、アンタ」
楽しそうに声を弾ませると、彼の右手がぽん、と私の頭に乗った。触れられたところから熱が発生し、顔まで熱くなる。――このままだと、困る。
「――アンタじゃなくて、エヴァレットよ。ダリ、これから三年間よろしくね」
乗せられた手を退けようと頭の上に両手を伸ばした。その両手が、さらに彼の左手で掴まれてしまう。そんな片手だけで覆ってしまえるほど、私の手は小さかっただろうか。何をされるのかと身構えるが、一向に動く気配がないので、彼の顔を下から覗き込んだ。
「だ、ダリ……?」
「あー……そっか。三年間、ね」
両手を離すと、彼はそのまま私の両頬を挟んだ。急に両側から感じる手のひらのぺたんとした感触に驚いて何も言えずにいると、真剣な彼の顔が、金の瞳が、徐々に、近づいて……くるような……?
「エヴァレット」
「は、い?」
「見られてる」
「え?」
顔は動かさず、視線だけで彼が後方を示した。私の顔が動かないよう固定していただけだったみたいだ。それはそうよね。
「せっかくいいとこだったのに」
「エヴァレットさまー!」
ダリの小さな呟きは、鈴の鳴るような明るい少女の声にかき消された。先ほどの桃色髪の女生徒――シャーリー・ファロンが、私たちの姿を見つけて駆け寄ってくる。
「エヴァレットさま、さっきは本当にありがとうございました!わたし、咄嗟に動けなくて」
わざわざ走って追いかけてきた彼女は息を切らしていた。
「お気になさらないで。ああいうとき、身体が勝手に動いてしまうのです。性分なので」
「そ、それでも!嬉しかったです」
頰を紅潮させ、ふわりと花が咲くように笑う。裏表のなさそうな子だ。こんな貴族社会の戦場のような場からは一刻も早く離れた方が良さそうである。
「あ、あの、お邪魔してごめんなさい!……あの、やっぱりダリだよね?わたしのこと覚えてる?」
「あー……、昔近所に住んでたっけ」
「そうだよ!シャーリー・ファロン。よく遊んでたのに忘れちゃったの?」
「昔の話だろ。さ、もういいから早く行けって」
「あ、そうだね!わたし、もう行きます!次の授業が始まってしまうので」
ひらひらと手を振り、また走り去っていく。別れの挨拶もまともにできないほど慌しい。次の授業、と聞いてハッとした。授業があるのは彼女だけじゃない。
「私たちももう行かなきゃね。ダリ、また明日」
「え、また明日?明日まで会わないつもりなんですか!?ちょっ」
無駄に広い学園なのだ。早めに行動して自分の教室へ向かわなければ。
……別に、ダリとシャーリーがどんな間柄でも関係ない。気になるわけでもないから。
•••
午後になると、これからの学業の進め方を先生方に教わるという授業――いわゆるオリエンテーションが始まった。
毎日の時間割のほか、私たちには選択授業というものがあるらしい。言語、数学、社会、芸術、運動、マナー、美学。これらの中で特に力を入れたいものを自分で一週間ごとに選ぶ。というものだ。
そして放課後は部活動に入ることもできる。もちらん入らないけど。
(貴族の学校とはいえ、意外と普通なところもあるのね)
憂鬱なだけだった学園生活だが、学ぶものによっては楽しい時間を過ごせるだろうか。とくに言語や数学など、知識を増やすことができそうな学問には興味をそそられた。
「それでは最後に、クラスの代表を決めたいと思います。家格や家柄にとらわれず、立候補または推薦をお願いします」
それにしてもこの学園、教師まで美形とはどういう原理なのだろう。担任のテオドア・ルックス先生は、穏やかな笑顔と物腰の柔らかさ、そして何よりお顔が良すぎて、一部女生徒のハートを完全に射抜いている。後ろで一つにまとまった銀髪のストレートヘアが、黒板に向かうたびにサラサラと銀糸のように揺れていた。
「はい!エヴァレットさまがいいと思います!」
そしてさらに予想外だったことは、あのシャーリーという平民の少女が同じクラスだったということだ。おかげで教室に入るなり手をブンブンと振ってきて、不本意にも目立ってしまった。
「エヴァレットさまはわたしが平民にも関わらず、身分で差別することなく、それどころか困っているところを助けてくれました。とても優しくて素敵な方です。以上が推薦理由です!」
「なるほど。では、他に立候補や推薦はありませんか」
ん?ちょっと待って、今何が起きようとしてるの?
「いないようですね。では、エヴァレット・カールさん」
「え、はい」
「クラス代表を頼めますか。雑用のようなことも頼んでしまうかもしれませんが…」
「え、はい」
「良かった。それでは放課後、職員室まで来て頂けますか」
「え」
この時、すでに予感していた。平穏が音を立てて崩れていく。そんな予感が。
「ご、ごめんなさいッッ!わたし、まさかクラス代表が雑用係だなんて知らなくて!」
放課後、職員室へ向かう私を追いかけてきたシャーリー・ファロン嬢が勢いよく頭をさげた。周囲の視線が痛い。
「……いえ、私も話をちゃんと聞いていなかったから」
「エヴァレットさまになんてご迷惑を…!わたし、今からでも先生に言って替えてもらってきます!わたしが代表やります!」
「……いえ、クラスで決まったことを勝手に覆してはいけないわ」
「そ、そんなぁ…っ」
今にも泣き出しそうな彼女をこれ以上責めるわけにもいかず、結局は自分の不注意で決まったので諦めるしかない。彼女に気付かれないよう小さく息を吐いた。
「あ!それならわたし、なんでも手伝います!手伝わせてください!」
「ありがとうございます。気持ちだけ頂きますわ」
「そんな、遠慮しないでください。一人でやるより二人でやった方が雑用も早く終わりますよ!きっと!」
それはそうだろうが、単純にこれ以上目立ちたくないのだ。平穏無事に学園生活を送りたいだけなのに。……それに、
「シャーリー様は殿下とお知り合いなのでしょう?」
「え?全然ですよ!さっきのことですよね?わたしも急に話しかけられたのでびっくりして……王太子さまってあんな気さくな方なんですね。年も同じだしなんだか親近感が…って、それは失礼ですよね!もうお会いすることもないでしょうし!遠い世界の人なんだから」
コロコロと表情がよく変わる少女だ。それに思ったことをすぐに口にするタイプ。可愛らしいが、これでは悪意に塗れた貴族社会では格好の的だろう。お節介だとわかっているが、つい助言のようなことを言いたくなってしまう。
「シャーリー様、これはただの親切心なのですが」
「あ、シャーリーでいいですよ!エヴァレットさま!」
「……シャーリー。また今日のように平民だからという理由で、他の生徒たちから不必要な言いがかりをつけられるかもしれませんわ。だからできるだけ快適に過ごすためにも、少しでいいので処世術を身につけた方がいいと思いますの」
彼女はキョトンとして目をぱちぱちさせる。素直でまっすぐな性格は個人的には好きだが、貴族社会には向かない。
「すぐには難しいでしょうが、たとえば笑顔です。相手にこちらが思っていることを悟られることは負けと同義ですわ。内心どう思っていても常に笑顔を崩さないようにするのです。それだけでグンとレベルアップしますわ」
「は、はい!頑張ります!」
「それと、口は災いのもとです。自分から話すことはなるべく避けて、言われたことに対してどう返答するかをじっくり考えるのです。発言は武器にもなりますが、同時に弱点にもなり得ます」
「はい!」
「相手の発言を引き出せたらそれを隅から隅までチェックするのです。おうむ返しで聞き返しても構いません。相手に不利な状況であることを認識させることも、その後の弁論を有利に運ぶ――」
ここでハッと我に帰る。シャーリーはわかったようなわからないような、不思議な顔をしていた。けれど頑張ります!という意気込みは固く握られた拳からも伝わってくる。
「と、とにかくそういうことですので。ではまた」
「あ、ありがとうございます!あの!エヴァレットさま!」
まだ何かあるのか?そろそろ職員室へ向かわなければならないが。
「よ、よければわたしと、と、と、……友達に!なってくださいませんか!?」
•••
「なるほど、お帰りが遅くなった理由がわかりました」
メアリーに事の経緯を説明し、私はようやく夕食を口にできた。初日から濃い一日だった。
ジーニア学園に通うにあたり、領地にある実家には帰れないので、私は今日から王都に所有する別荘で暮らすことになった。私一人のためにメアリーを含め何人もの侍女や使用人がついてきてくれているのが、なんだか申し訳ない。
「そのシャーリー様とはご友人になられたのですか?」
「あの場面でお断りできる強者がいるなら紹介して頂きたいわ」
「まあ!よかったですわね。お嬢様は社交界に出ていないので今までご友人と呼べるような方はいらっしゃいませんでしたもの!」
遠慮のない侍女である。やはりメアリーにだけは申し訳なさを感じる必要はないかもしれない。
「ダリも友人よ」
「ダリ様はお嬢様の婚約者でいらっしゃいますよ。そういえば先ほど――」
「あ、そうだわ。メアリー、明日からも私、お弁当を作りたいの。だから朝から厨房を借りてもいいかしら」
彼女の話を遮ってしまったが、大事なことを忘れてはいけないので確認をとる。メアリーは驚いたように少し目を見開き、やがて嬉しそうな笑みを浮かべた。
「もちろんです、お嬢様」
食事を終え、部屋へ向かうことにした。自習でもできたら良かったが、やはり疲れたので、今日は早めに寝ようと思う。
(思わぬ形で王太子殿下と接触してしまったけど……婚約者もいるし、なんとかなるわよね)
湯浴みを済ませ、ようやくベッドへ腰を下ろした。時刻はそろそろ日付を跨ごうとしている。そろそろ寝なければ。明日も早い。
「あ、やっと寝るとこですか?」
ベッドに潜り込もうとしたところで身体が跳ねた。転げ落ちるようにして床へ尻餅をつく。今信じられない幻覚を見ている。私のベッドの上で胡座をかき、肘をついた婚約者の姿が。
「ちょ、大丈夫ですか?」
「だっ、どっ、こ…っ」
「『ダリ、どうしてここに』ですか?お嬢様に話したいことがあるって言ったらメアリー殿にここで待つよう言われたんですがね」
「あ、あの非常識メイド!いったい何を考えて…ッ、というか、どうしてこの家に!?」
「あ、やっぱ聞いてなかったんだ。お義父上がなんでか一緒に住めるよう取り計らってくれたんですよ。私も王都に別荘くらいあるって言ったんですが」
「そ、そんなこと…ッ」
聞いてない。いくらやっとの思いで婚約した男を逃したくないからって、普通ここまでするか。実の娘の婚約をなんだと思っているのか。
「一緒に寝ます?……なーんて、ハハ、冗談ですよ。面白い顔しないでください。話が終わったら部屋に戻りますって」
「は、はなし……?ま、待って。聞くから、あまりこちらを、見ないで、もらえる……かしら」
尻餅をついて立ち上がれないまま、胸元をギュッと抱きしめる。風呂上がりなので部屋着だった。顔が信じられないほど熱い。女性としての魅力のない身体をなぜか今急激に恥ずかしく感じた。
「み、見ませんて!そんなんこっちが無理ですんで」
「む、無理とは失礼ね!私だって好きでこんな身体に成長したわけじゃ――」
途中で息を呑む。ダリがベッドから降りてこちらに近づいてきたのだ。目前まで来たところで何かに気づいたように、くるりと後ろを向いてそのまま腰を下ろした。こちらを見ないでという願いを聞き入れてくれるらしい。
「あのさ、エヴァレット」
「な、なに?」
「オレは婚約者だよ」
「わかってるわ」
「色々わかってないんだよなぁ……まあそっちは追々わかってもらうか。今日オレが言いたかったのは」
一呼吸おいて、真剣な口調に変わった。
「これから先どんなことがあっても、オレはアンタの味方だってこと」
いつの間にか一人称が変わっていることに気付いた。こちらの方が素の彼なんだろう。
「そしてアンタもオレの味方――つまり、オレらは運命共同体なわけ」
「え、ええ。……?」
彼が何を言わんとしているのかわからない。表情が見えないので余計に。
「だからアンタはこれからも好きにしていいよ。やりたいことやって、言いたいこと言っていい。アンタのそういうとこ、オレ結構気に入っちゃったからね」
「えっ?」
目を丸くする。まさかそんな事を言われるとは思わなかった。
「――そんなこと、初めて言われたわ。お父様にはいつも怒られてたし、私も、……私は、変わってると思うもの」
「へー、どのへんが?」
「昔から、許せないことが目の前にあると身体が勝手に動くの。そのくせ口ばかりうるさくて可愛げがない。淑女教育も受けたけど、常に一歩引いて男性をたてるなんて無理だし、刺繍とかお裁縫も苦手」
話していて落ち込んでくる。やはり貴族令嬢としては自分はどこか欠陥品なのだろう。
「わかってるの、それが私なんだって言い聞かせても、結局は全部自分で決めたことなの。なのに、エヴァレットには母親がいないからまともに育たなかったんだって言われるのも悔しくて……なによりお父様に、申し訳なくて」
「……お義父上は全部わかってると思うよ。そういうのがエヴァレットなんだってこともね」
いつのまにか俯いていた顔を上げると、振り向いたダリと目が合った。薄暗くてハッキリとは見えないが、瞳は真剣な色を帯びている。
「思うままにやればいいよ。オレがずっと隣にいて守るからさ」
約束、と。ぽんと頭に手がのる。その手は温かくて、優しくて……本当に、いいのだろうか。
「となり、に……いてくれるの?ずっと」
「途中でやめられないよ。もう決まったことだから」
決まったこと――それは、貴族同士で決めた婚約者だということだ。途端に、胸にずっしりと重い何かを感じた。まるで鉛を飲み込んだように言葉がすぐに出てこない。先ほどまでと別の意味で心臓が早鐘を打った。
「……本当は婚約を解消したい?シャーリーがいたから」
「いや、そういう意味で言ったんじゃ、――って、なんでここであの女の名前がでてくるんです」
「し、親しそうだったから。昔馴染みなのでしょう?もしかしたら、想いを寄せていた方なのかと」
「まさか。違いますよ。ただの昔の知り合いです。食うに困るくらい貧しかった頃の。あの頃の自分はあんま思い出したくないんで、向こうにもいっそ忘れてて欲しかったんですが」
「そう、なの?」
「そ。だからアンタはなんも気にしないで」
いつのまにかダリは体ごとこちらを向いている。至近距離で見つめ合い、顔と顔の近さに驚いていると、後頭部に手を添えられた。胸につかえていた鉛はいつのまにかなくなっている。
「あぁ、それと」
「っ、」
「卒業しても解消してやんないから。覚悟しといてくださいよ」
ふわりと彼の香りが鼻腔をくすぐった。抱き寄せられている。言われた意味を理解する前に、彼は顔を離してスッと立ち上がった。部屋の扉の前に立ち、最後に振り返ってヒラヒラと手を振る。いつもの飄々とした表情だ。
「じゃ、また明日、お嬢様。良い夢を」
「あ、おやすみなさい…」
パタン、と扉が閉まった。しばらく放心し、動けない。さっきの彼の発言がずっと頭の中をぐるぐるしている。
解消してやんないってつまり、婚約を?卒業してもってことはつまり、このままけっ……
ぶわっと顔が熱くなる。そんな自分がまた信じられなくて、両手で頰を押さえた。こんなはずでは。こんなはずでは。
婚約した以上、当然先のことまで覚悟しているつもりだった。しかし当初に洗いざらい事情を話してしまったことで、なんとなく婚約は卒業までの三年間だけとタカを括ってしまっていた。その先があることを考えもしなかった。どちらに転んでもいいと思っていたはずが、今やそうではなくなっているということに、たった今気づいた。――私も彼と、一緒にいたい。かもしれない。
「どうしよう……」
なんとなく、彼には気付かれてはいけない気がする。せっかく気安い間柄になれたのに、ふりだしにもどるような。元平民で頭の切れる大商人。それだけの情報でも、彼がきっと処世術に長けた強かな人物なのだとわかる。普段の軽口はそれらを巧妙に隠しているのだ。掴もうとすればヒラリと逃げられてしまいそうな、まるで猫みたいな人。私のことを面白がって婚約してくれているようにも見えたし、いや、伯爵家と繋がりができるからとも言っていた気がする。
(……やっぱり気付かれてはいけないわね)
お家同士の結婚とはそういうものだ。途端に冷静になり、とぼとぼとベッドへ潜り込んだ。立場が逆だったなら、なんのしがらみもなくこの思いを伝えられたのだろうか。
(彼にとって私は有力な伯爵家の娘。それだけなんだから)
非常に疲れているのに、なかなか寝付けないまま、長い夜を過ごすことになった。
•••
シャーリー・ファロン。懐かしい顔を見た。
飢えた少年のころはあまり思い出したくない。少年だったダリは食べていくためならなんでもした。盗みもその手段の一つだった。たまたま盗みに入った家が彼女の家で、それがきっかけで話すようになった。ただの泥棒相手に話しかけてくるような少し変わった少女で、綺麗事と正論が服着て歩いてるような、どちらかと言うと苦手なタイプだったが、食料を恵んでくれたので我慢して付き合っていた覚えがある。
そもそもダリ・クラウドは疑り深い男だった。自身が人を騙すことに躊躇いがないように、騙されることもたびたびあることを理解していた。よって他人に心を許したことはない。けれど身内はとうにこの世にいない。昔から金以外で信じられるのは己のみだった。
しかし、客商売は信用が第一である。信用を得るには自身も相手を信用することだ。ダリはちょっとやそっとのことでは壊れない分厚い仮面を作り上げた。人当たりの良い笑顔。ユニークな作り話。どこか隙のある人柄。信用に足る人物。
昼夜必死になって金を稼いだ。もう二度と飢えないように。苦しまないように。そうこうしているうちに、いつの間にか国王も看過できないほど一介の平民が持つには莫大な財産を所有していたらしい。ありがた迷惑なことに男爵位を賜り、ますます貧しい生活からは遠ざかっていった。
飢えで苦しむことはなくなったが、爵位を得たことで煩わしい交流が増えた。元平民のダリを対等に扱おうとする貴族などいない。しかし貴族の義務は果たさなければならない。社交の場は憂鬱だったが、太い新規顧客が増えるのだと思えば割り切ることができた。
しかし、平民が一代で爵位を得るということは、一代で失う可能性もあるということだ。爵位なんて商売の道具でしかないが、一度得たものを失うのは体裁が悪い。よって今の地位を盤石なものにするには、同じく貴族との婚姻関係を結ぶのが一番手っ取り早い方法だった。幸い金はあるので、どこかの没落寸前の貴族令嬢とでも縁を結ぶのがいいだろう。
そんな時に婚約の話を持ちかけてきたのが、カール伯爵家である。男爵なんかに婚約を申し込むくらいだから、落ちぶれた家なんだろうと思った。しかし、招かれたお屋敷は手入れが行き届き、大勢いる使用人の身なりは整っていて、お会いしたお嬢様は美しかった。貴族令嬢の見本のような少女だ。自分のような平民上がりには全くもって不釣り合いであり、ますますこの婚約の申し出が怪しいものに思えた。
後ほどお茶を、ということで一旦退場したお嬢様を思わず目で追いかけながら、カール伯爵と二人になる。伯爵からはどこか鬼気迫ったものを感じ、こちらが一瞬怯むほどだった。
「娘はこれまで社交界に出たことがなく、無知で世間知らずなのです。よく言えば深窓の令嬢というか、その、とにかく箱入り娘で、少々ぶっ飛ん――いや、変わったところがあるかもしれませんが、どうか寛大なお心で接して頂ければと……!気立ては良い方と言えるかもしれないかもしれませんし、何より見た目はあの通り、亡くなった妻に似て美しく、だからこそ甘やかしてしまったというかなんというか」
格下の男爵家に対しても高慢ではなく、乱暴でもない伯爵は、人柄も優れた人物だった。うっかり毒気を抜かれるほどには。そんな彼がなぜ実の娘に対しては歯切れが悪いのか、そこも会えばすぐにわかった。
裸足で廊下を駆け、高価そうなドレスを気にせず汚し、男の服を容赦なく剥ぎ取り、争いの渦中に一人飛び込んで、怯えもなく毅然とした態度で立ち向かう。生粋の貴族令嬢のはずなのに話しやすく、ダリの口調も咎めない。微笑めば暖かい春の妖精のような可憐さなのに、やることなすことは薄氷を走るような危ういことばかり。
つまり、見た目からは想像もつかないとんだお転婆令嬢だったというわけだ。
(見た目はこんなに愛らしいのに)
見下ろすと、やはり外見は息を呑むほど完璧な貴族令嬢だった。ゆるく巻いた薄い金髪が腰まで伸び、伏せがちな瞼から覗くエメラルド色の瞳はまるで宝石のようだ。どこもかしこも華奢で、真っ白な肌は透明感があり、制服姿ですら気品を感じられる。これで頰に薄紅を差して淡い水色のドレスでも身に纏えば、彼女はもうどこかの国のお姫様のようになってしまうだろう。ダリは背後から覗き見ようとする数多の不届者な男たちの視線を自分の身体で遮った。
「ダリ、今日もお弁当を作ってきたんだけど……食べてもらえるかしら」
「もちろん」
自然に手を取り、手の甲に唇を落とす。慣れていないのだろう、あからさまに身体が硬直しているのが面白い。
「行きましょうか、エヴァレット」
こくりと頷いたのを確認して、彼女が持っていた2人分の弁当箱を逆の手で受け取り、隣に並んだ。しばらくは静かに歩いていく。今日の彼女はなんだか上の空だ。……ちょっとだけつついてみようか。
「思ったより普通ですね」
「なんのことです?」
「昨日の夜、人がせっかく勇気振り絞って告白したのに」
引いていた手に急に体重が加わった。エヴァレットが足をもつれさせたらしい。
「はは!何してんですか。危ないなあお嬢様は」
「ひっ、こ、告白!?」
あれ、なんだこの反応。
「もしかして、気付いてなかったんですか?」
「だっ、だめよダリ!そんな言い方したら、女性を勘違いさせてしまいます!」
「勘違い?」
顔を近づける。瞬時に顔が赤くなった。面白い。……かわいい。
「その、ダリが望むのならもちろん婚約は継続します。正式な婚約ですもの。約束を反故にはいたしませんわ」
「はあ、それはどうも」
「伯爵家と繋がりができるのは貴方にとっても悪い条件じゃないものね。最初からそういうお話でしたし。ですがそれをこ、こっ、告白というにはいささか語弊があるのではないですか?」
「うーん、やっぱりちゃんと伝わってなかったみたいですね。すみません、オレもこういうのは不慣れで。どうにも嘘臭くなるんですよ。けどちゃんと正確に言うことにします。オレはアンタを妻にしたい」
「つっ、つま!?」
「はい。エヴァレットのことが好「カール伯爵令嬢」
慌てふためいている婚約者が可愛くて、完全に周囲への警戒を怠っていた。声のした方に向き直り、流れるような仕草で礼の形をとる。エヴァレットも同時にそのように動いていた。この賢く有能なところも彼女の魅力だと思う。
「少しいいだろうか」
「殿下におかれましては――」
「挨拶は結構。昨日の話の続きがしたい」
傲岸不遜な野郎だ。人の会話を遮っておいて、自分の都合がいつだって優先されることが当たり前のような態度をしている。やはり昨日のうちにすべて終わらせておくべきだったか。と、あくまで表情はにこやかに考える。
「それは――かしこまりました。ですが、あいにくと昼食がまだでして」
「む。なら一緒に食べよう。そちらのクラウド男爵も同席して構わない」
「は、はい…」
「殿下、恐れながら。エヴァレットは私のために手作り弁当を持参してくださいましたので、愛しい婚約者と二人きりで昼食を楽しみたいのですが」
シン、と場の空気が凍った。エヴァレットがこの世の終わりのような顔をしてダリを見上げてくる。――らしくないことをしたのはわかっている。が、後悔はしていない。
「き、貴様。殿下に向かってその口の聞き方は――」
「よせ、ライアン」
初めて口を開いた側近の言葉を、王太子が遮った。人の言葉に被せるのが大好きなようだ。
「私が邪魔をしたのだ。悪かったな。それでは放課後にしよう。生徒会室の場所はわかるだろうか」
「は、はい、もちろん、です」
「では後ほど」
言いたいことだけ言って去っていく。彼らの後ろ姿に向かってべーっと舌を出した。
「ダリ、貴方なにを――!」
「すみません、我慢できなくて」
青ざめた彼女に晴れやかな笑顔を返す。これくらいの意趣返しは許されるはずだ。
•••
生徒会室へ向かうと先客がいた。
「エヴァレットさま!」
シャーリー・ファロン。エヴァレットの友人第一号だ。彼女は私の姿を見ると、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「よ、よかったです……!わたしだけだったらどうしようかと」
「貴女も殿下に呼ばれたの?」
「は、はい。お話が聞きたいからって」
なんとも迂闊な殿下である。昨日の場面を見ていたのなら、加害生徒たちが自分をどういう目で見ていて、どのような言葉でシャーリーを詰ったのか、わからないわけではあるまい。中身がどうであれ、今頃教室では平民の娘が殿下に呼び出された、というどうしようもない事実だけが一人歩きしていることだろう。
「シャーリー、今日は送っていくわ」
「え、もしかして一緒に帰れるんですか!? 嬉しい……!わたし、一度でいいからお友達と下校してみたかったんです」
夢が叶いました!とはしゃぐ彼女には申し訳ないが、ただの抑止力だ。
しばらくすると、生徒会室の扉が開いた。遅れて入ってきたのは、殿下とその側近の男性だった。たしか殿下はライアンとお呼びしていたような。
「呼び出してすまなかった」
「い、いえ!大丈夫です」
「早速だが昨日のことについて問いたい。シャーリー、君に突っかかってきた女生徒たちのことだ。名前を知っていたら教えてほしい」
「す、すみません、初めてお会いした方たちばかりだったので……」
チラリと助けを求めるように私の方に視線を投げた。シャーリーを名前呼びしていることが若干気になったが、指摘することでもないので、彼女の後を引き継ぐようにして補足していく。
「お一人はリリアーナ様と呼ばれておりましたが、本名かもわかりませんし、他のお二人も存じ上げません。昨日申しましたとおり、わたくしは社交に疎いですので…」
「どうやらそうらしいな、カール伯爵令嬢。君は今まで一度も社交界など公式の場に出てきていないと聞く。それなのに昨日はずいぶんと大立ち回りをしたものだな」
おや、この流れは……?
「彼女たち――特にリリアーナと呼ばれていた女性は、かなり有力な貴族だ。人脈も広く、下手に対立すると君の家門にも影響を及ぼしかねない。それをわかっての行動だったのか、――あるいはすべて仕組まれたことだったのか」
「なんのことかわかりませんが、申し訳ございません。わたくしが出過ぎた真似をしてしまいました」
「そ、そんな!エヴァレットさまはわたしを助けてくれたんです!レオバルト殿下、わたしの友達を悪く言わないでください!」
「わ、悪く言ったつもりはない。私は王族として全ての可能性を考慮しなくてはならないから――、というかシャーリー、私のことはレオと呼ぶようにと言ったはずだ。学園内では身分による差別を撤廃したいのだ」
「ええ?でも、レオバルト殿下」
「レオだ」
んん??
「……殿下、わたくしはもう下がっても?これ以上お話しできることはございませんし、昨日ご覧になった光景がすべてですので。お相手のこともわたくしのこともよくお調べいただいたようですし、嘘偽りはないものとご理解頂けるかと存じます」
「ふ、ふむ。そうだな……」
目の前でリアルシンデレラストーリーが繰り広げられようとしている状況に耐えきれず、早々に思考を放棄した。早く帰らせてほしい。国家機密レベルの展開は私には荷が重い。
「いいえ殿下。彼女にもまだ残って頂くべきです。双方に認識の相違があってはいけませんので」
初めて喋ったと思ったら、おそらく側近の彼も察しているのだろう。眼鏡越しの目力がすごい。ものすごい目で睨まれている。この状況を放置して自分だけ出ていこうなんて許さないぞという心の叫びが今にも聞こえてきそうだ。
「いいえ、わたくしにできることはもう何も」
「えっ、エヴァレットさま、もう帰るんですか?それならわたしも一緒に帰ります!」
しまった、自分で自分の首を絞めるとはこのことだ。今度は殿下からの鋭い視線が突き刺さる。
「婚約者を待たせておりますので、それでは」
「あっ、待ってくださいー!」
後ろからシャーリーもついてくることを確認し、私は悟った。これから先、平穏な学園生活を送ることは不可能なのだと。たった一人友人を作っただけで。
(なんかこの配役、前世のそういうゲームみたい)
平民出身の女の子であるシャーリーがヒロインで、王太子がメインヒーロー。それ以外にもイケメンな攻略対象が複数いたりして。例えば殿下の側近や、担任の教師、幼なじみの男の子とか――。
ふと、ダリの顔が浮かんだ。仮にもし、彼が攻略対象者だとしたら、さしずめ私の立ち位置は恋のライバル――いや、障害物。いわゆる悪役令嬢なる存在ではないか。
頭がクラクラした。考えれば考えるほどそういうゲームにしか思えなくなってくる。まさかそんなはず、と切り捨てるには、ここにきて私に前世の記憶があるという事実が邪魔をした。
普通ここまで舞台が揃っているなら、前世の自分が知っている乙女ゲームの世界だったりして、行動の指針をあらかじめ決められるようになっているものではないのか。なんでまったく知らない世界に放り込まれてるんだ。
だったらやっぱり、ここは前世とは別の世界というだけで、乙女ゲームとは無関係なのかもしれない。というかそうであってほしいと思う。攻略も知らずに悪役令嬢の不幸な運命を変えるなんて不可能なのだから。
「ダリ、おまたせしました」
「もー待ちましたよ、王太子の言うことなんか律儀に聞かなくても――……」
待ち合わせていた校門に向かうと、ダリが頭をかいていた手を止めて、私の後ろに視線を向けた。真顔になるのがちょっと怖い。
「あ、ダリ、こんにちは。……あの、わたしもご一緒しても良い? エヴァレットさまと一緒に帰りたくて」
「駄目」
「ご、ごめんなさいっ、やっぱりお邪魔だった……よね」
「そんなことないですわ。家までお送りします」
肩をすくめて申し訳なさそうにするシャーリーに思わず声をかけていた。そもそも私が誘ったのだ。
「そんな、途中までご一緒できれば十分です!エヴァレットさま、ありがとうございます」
なぜか私を挟んで三人横並びで歩き出す。シャーリーは嬉しそうにニコニコしているが、ダリは反対に感情を無くしたように静かだ。あからさまに邪険にしている。二人は幼なじみのはずなのにどうしてだろう。ダリの思い出したくない過去と何か関係があるのだろうか。そんなことを考えながらひっそりとダリを盗み見ていると、彼が不意に私に向かって口を開いた。
「エヴァレット、王太子に何聞かれて何言われました?なんかあったでしょ」
え、
「な、何もないですわ」
「わたしたちは昨日会った女生徒たちを知ってるか聞かれて、わからないと答えただけよ? レオバルト殿下もあんなに何度も確認しなくていいのにね。エヴァレットさまに酷いことも言うし」
「あんたに聞いてないけど。で酷いことって何」
「あ、あとで話すから」
なんだこの空気。胃が痛い。
シャーリーは憤ってくれているが、別に王太子殿下に言われたことなんてどうでも良い、というか何を言われたのかほぼ忘れた。私の思考を占めているのは、先ほどの殿下とシャーリーの近すぎる距離だ。しかもけっこう殿下側から。シャーリーにその気があるのかは不明だが、今後王太子が望めば――いや、今は考えないようにしよう。
「エヴァレットさまはお優しいです!わたしはもっと怒ってもいいと思います!いくらなんでも、あんな言い方酷いです」
「へぇ……?」
「や、やめて!?本当に大したことなかったわ!殿下もお仕事なんですから、王族として平等な視点をお持ちなのはむしろ良いことですわ」
どうやら現在、シャーリーからの好感度はマイナスのようである。哀れ殿下。
他愛もない話が三人で弾むわけでもなく、ほぼ私とシャーリーの会話だけで平民の居住区まで近づくと、ここまでで十分、とシャーリーは手を振った。笑顔で彼女を見送り、ダリと二人になると、途端に肩を抱きよせられる。
「さ。オレたちも帰りましょっか、お嬢様」
「だ、ダリ?目が怖いですわ」
「別に怒ってませんよ、お嬢様との二人きりの時間を邪魔されたからって」
それでずっと不機嫌だったのだろうか。笑顔がこんなにも恐ろしいなんて知らなかった。実は少し気まずいと思っていたが、まずは彼のご機嫌をとることが大事かもしれない。
「これには理由があって――」
目を逸らし、シャーリーが帰っていった居住区の方を眺めた。平民が住む区画は広い。貴族より平民の方が圧倒的に人数も多く、王都に居を構えられるくらいだから彼らは平民の中でも裕福でもある。十分に立派な家々が建っていた。ふと、考える。
「ダリは昔、このあたりに住んでいたの?」
「まさか。もっとただの田舎町でしたよ。王都のこんな立派な家に住んでたら商売成功してませんね。必死さが足りなくて」
「そっか……」
「アイツも学園に通うために引っ越してきたんじゃないですか。興味ないですけど。それより理由ってなんですか?」
興味が無さすぎる。
歩きながら話すことにして、家路についた。同じ家に帰るのだからこれからは一緒に帰ろうと言い出したのはダリだ。とりあえず今日は王太子とシャーリーのことを相談できるので、余計なことを考えずにすんでよかった。
「へぇ、それはまた……じゃあオレらが今送り届けたのはこの国の将来の王妃――」
「しっ!迂闊なことを口にしないで。まだ決まってないから」
「まあ、実現したら大変そうですしね。たぶん」
まるで他人事だ。もうちょっとこう、自国のことに関心がないものか。それに彼女はダリの幼なじみで、もしかするとこれから仲良くなっていくかもしれないのに――。
「……ダリは、シャーリーが王太子殿下と……って聞いても、何も思わない?」
「まったくなんにも思いませんね」
けっこう勇気を出して聞いたのに、清々しいほど明るい声で即答だ。少しホッとしてしまう。
「彼女、昔の知り合いだって言いましたけど、ぶっちゃけるとちょっと苦手だったんですよ。けど仲良く振る舞ってたら食いモン分けてくれたんで、利用しないわけにはいかなくて」
「――そうだったのね」
「幻滅しましたか?」
歩みを止めて、顔を覗き込まれる。笑顔だが、目が合うと瞳が不安そうに揺れているように感じた。首を横に振る。
「いいえ。昔から世渡り上手だったのね」
「それ褒めてる?」
「ええ、もちろん。苦手な人とも上手く付き合っていくのって難しいし。けど、それができたダリは子どものころから商人の卵だったんだわ」
幼い彼のことが少しだけわかったような気がした。過去のことを忘れたがっている理由も、シャーリーを苦手だと感じていた理由も、なんとなく。
「きっとすごく大人びていて、子どもらしくなくて、可愛くなくて、誰にも甘えられなかった。悪いことだと知っていてもそうしないと生きていけないような環境で、正しさを武器に殴られたこともあったはず。――私も、昔のダリに会いたかったな。そしたらせめて、殴られる前に優しくしてあげられたのに――」
驚いたように目を丸くするダリを見て、ハッと我に返り、自分の発言の傲慢さに気付いた。みるみるうちに顔が熱くなる。もう遅いが、口を塞いで下を向いた。
やだ、何言ったの、私。完全に言いすぎた。こんなの、バレる。直接伝えなくたってわかる。むしろ伝えるよりもずっと、わかりやすく彼に伝わってしまう――
「……ありがと、エヴァレット。オレも好きだよ」
「すっ、好きなんて一言も言ってませんわ!」
「うんうん、嫉妬してくれたのも嬉しかった」
案の定バレた。しかもシャーリーに嫉妬していたことまで。
頰に手を添えられ、顔を上げさせられる。真っ赤になった私を見て、本当に嬉しそうな顔で笑うから、ますます何も言えなくなる。
「……あのー手どけてくれませんかね?キスしづらいんですけど」
「キっ、し、しなくていいですわ!!こんなところで!」
「家に帰ってからしたいんですか?大胆だなあ、オレのお嬢様は」
口元を手で覆うのが精一杯で、うまく言い返すことができない。しかしこれ以上話しても墓穴を掘るだけのような気もするので、家に着くまでやり過ごしながら、大人しく風に当たって顔の熱を覚ますことにした。
・・・
「その言葉に嘘偽りはないだろうな、リリアーナ・エスフォート公爵令嬢」
令嬢は目に涙を浮かべ、ゆっくりと頷いた。
「はい、殿下……すべて彼女の――エヴァレット・カール伯爵令嬢の指示通りだったのです」
隠した口元に、僅かな笑みを浮かべながら。
•••
「クラス祭ですか?」
入学早々、クラス代表に任命されてしまった私は、放課後の職員室で担任のテオドア・ルックス先生と対面していた。
「はい。我が校では生徒たちが新しいクラスで親睦を深めるため、毎年4月にクラス祭が開かれるのです。種目は自由ですので、皆で一つの絵を描いたり、なにか出し物をしたり、演奏とダンスをしたりなど色々あります」
「文化祭みたいなものですのね」
「そうですね、文化祭は秋に行いますが、それの縮小版のようなものです。学内のみのイベントで、父兄の来場はありません」
4月からいきなりイベントか、と気が重くなる。ますます学園モノ乙女ゲームみたいじゃない?
「その準備をわたくしが取り仕切るのですね……」
「はい、よろしくお願いします」
ニッコリと言い切られてしまえば選択の余地はない。渋々承諾して職員室をあとにした。穏やかだが有無を言わせないところのある食えない教師だ。攻略対象者疑惑もあるので今後できるだけ関わりたくない。
「あ、エヴァレットさま!先生のご用事はなんでしたか?」
教室へ帰ると、帰り支度をしながら待っていたシャーリーが声を弾ませた。何でも手伝うと言ってくれた言葉に早速甘えよう。むしろヒロイン疑惑のあるシャーリーこそが本来のクラス代表なのでは?
「クラス祭……ですか。決めることが多そうですね」
「ええ、クラスメイトの名前すらまだ覚えられていないのに」
「そうなんですか?だったらわたしに任せてください!お役に立てるよう頑張ります!」
拳を握ってアピールする彼女が今だけは頼もしく見えた。そういえばシャーリーは頭がいいのだろうか。平民として入学できるくらいだから、なにか秀でたところがあるのだと思う。クラス祭までに聞けるだろうか。
(……忙しくなるわね)
明日からしばらくは放課後クラス祭の準備に追われるのだろう。もちろんダリのクラスも。これでは一緒に帰れない。つまらない。
「あ、ところでエヴァレットさま、次のお休みの日なんですけど」
シャーリーが突然、神妙な顔つきになる。何事かと顔を合わせると、彼女は一転して照れたように下を向いてしまった。そのまま上目遣いになる。あざといが自然な仕草がなんとも可愛らしい。
「何もご予定がなければ、その、一緒にショッピングへ行きませんか?」
「え?」
「あ、もちろんご迷惑じゃなければ……。ただエヴァレットさまと一緒に遊びたくて」
こんなふうにデートに誘われて断れる男がこの世にいるだろうか。エヴァレットは女だが断れない。
「……かまいませんわ」
「ほっ、本当!?ありがとうございます!楽しみにしてますね!」
まあ、いいか。シャーリーの嬉しそうな笑顔につられ、こちらも笑みが溢れた。エヴァレットにとっても友人第一号の頼みは無碍にできなかった。
「シャーリー、今日も一緒に帰りますか?」
「はい!……あ、でもやっぱり今日はやめておこうかな……。毎日だとダリが怒りそう」
さすがの彼女もダリの不遜な態度に気付いてくれていたらしい。
「ダリは本当にエヴァレットさまのことが大好きですもんね!昨日一日だけでも、まるで飼い主をとられそうになって威嚇してくるペットの猫ちゃんみたいで――あ!こんなこと言ってるの、絶対秘密にしてくださいね!怒られちゃう!」
妙な例えに思わず吹き出してしまうと、彼女が慌てて口に人差し指を立てた。この子、思ったよりいい性格なのでは。それか天然なのか。
「3日……ううん、2日に一度はご一緒したいです!」
「わかったわ。そうしましょ」
その日はそう約束して、ダリが待っているからと先に教室を出た。階段を降りて廊下を曲がり、下駄箱で靴を履き替える。
「エヴァレットさまー!校門まではご一緒に――」
帰り支度を終え、走って追いかけてきたシャーリーだったが、そこでエヴァレットの姿を見つけることはなかった。
(間に合わなかったみたい)
少し残念に思いながらも、靴を履き替えて、校門へ向かった。明日は一緒に帰りたいなあ、今週末は楽しみだなあ、と一人心を躍らせていると、校門で見知った顔が待ちぼうけになっているのが見える。
あれ?
「ダリ?どうしてまだここにいるの?」
「はい?」
「エヴァレットさまはわたしより早く教室を出たんだよ?あなたが校門で待ってくれてるからって急いで、あっ、待ってダリ!!」
言い終わる前に彼は校舎に向かって走り出していた。シャーリーも後を追う。
「どこで別れた」
息を切らしながら下駄箱まで戻ってくる。ダリはこちらを見ることもなく尋ねた。
「きょ、教室。階段へ曲がったところまでは、見てたの」
ガンッ、と大きな音が響き、肩をすくめた。ゆっくり目を開けると、ダリが固く握った拳で、靴箱を殴りつけていた。事の重大さを認識して、全身の血の気が引く。
「ご、ごめんなさい……わたし、一緒だったのに」
「あんたのせいじゃないでしょ。まあ大方見当つくわ。靴は……履き替えた後か。まだマシだ」
ぶつぶつと独り言を言ってダリは再び外へ向かって走っていった。呼び止めるが、シャーリーの声はもう聞こえていないようだった。
「ど、どうしよう……どうしたら」
頭の中が真っ白になる。――いや、落ち着いて。ちゃんと考えるのだ。自分のような平民がいなくなるのとはワケが違う。彼女はたしか伯爵家のご令嬢だと聞いた。万が一誘拐などであれば――。でも、レオバルト殿下の側近以外、使用人すら出入りが制限されているこの学園の中で、そんな重大な犯罪が起きるだろうか。ただでさえ身分の高い貴族ばかりが通う学園で、外部からの侵入に備えた警備は一層厳しいはず。だとしたら、犯人は学園の中の人物であり、同じ生徒、もしくは教師。そもそも、彼女を攫う動機やメリットがあるのは――?
「――もしかして」
シャーリーはダリとは逆方向、校内へ戻った。向かう先は――生徒会室である。
「申し訳ございません、カール伯爵令嬢。こんなところまで来ていただいて」
「いいえ、かまいませんわ」
誰だっけ、この人。
名前を知らないことを指摘されないかと内心ヒヤヒヤしながら、笑顔を貼り付けた。
クラスメイトだろうか。入学して2日や3日そこらで覚えられる人数じゃないと思うのだが、もしかすると私が普通じゃないのかもしれない。下駄箱で声をかけてきた美しい令嬢は、濃い金色の巻き髪をサイドに流した美しい女性だった。確かに見たことはあるような気がする。エヴァレットは自分が他人の顔と名前を覚えるのが苦手なタイプだったことを初めて知った。やはり社交界にも出ずずっと領地に引きこもっていたのがまずかったらしい。
「人目のあるところでは少し。例の件について、ですので」
「はい…?」
例の件?もしかしてクラス祭のこと?やっぱりクラスメイト?
「わたくし、すべてカール伯爵令嬢のおっしゃるとおりにいたしましたわ。ですが、もう、やめていただきたいのです。シャーリー嬢がお可哀想ですわ」
両手を組み、瞳にうるうると涙を滲ませながら、わざとらしく声を上擦らせている。いよいよわけがわからず、思わず笑顔の仮面が剥がれた。そこをすかさず令嬢がしゃがみ込んで、頭を庇うような仕草をする。
「あぁっ、手を上げるのだけはおやめください!」
「えっと、先ほどから何を――」
「そこまでだ。カール伯爵令嬢」
聞き覚えのある声で呼ばれ、ようやく私は彼女のことを思い出した。このつい先日と似たような状況で、あの場にいた三人の女性のうち、リリアーナ様と呼ばれていた目の前の女性のことを。そして気付いてしまった。今まさに、私は嵌められようとしているのだ。
「殿下…っ」
「下がっているように」
令嬢の涙ながらの迫真の演技に騙され、王太子がお出ましである。取り繕うのも忘れて思わず口をポカンと開けてしまう。
「なぜここにいるのかと言いたげな顔だな。シャーリーに言いがかりをつける令嬢を皆の前でわざと糾弾し、シャーリーと私から信頼を得ようとしたのだろう」
「はい?おっしゃっている意味が――」
「言い訳は結構。ここにいるリリアーナ・エスフォート公爵令嬢からすべて聞いた」
先ほどから何一つしゃべらせてもらえないどころか、話を聞く余地もないという。いっそこのままありもしない罪を認めてしまおうか。相手は格上の公爵令嬢、別に私は殿下からどう思われても良いし、これから細々と学園生活を送るだけならその方が楽なのかも――
(――良くない)
前世の常識が邪魔をする。冤罪は許されない、戦えと。さらに背中を押してくれたのは、ダリの言葉だった。
(「やりたいことやって、言いたいこと言っていい」)
すぅ、と息を吸った。
「お言葉ですが殿下ともあろうお方が一方の主張のみをなんの物的証拠もなく信じ弾劾しようとなさるとは、非常に残念ですわ。このままありもしない罪を着せるとおっしゃるなら名誉毀損罪、公爵令嬢の虚偽申告罪も併せて、父である伯爵家を通じて国に正式に抗議いたします」
「なっ、不敬であるぞ!」
「不敬かどうかは殿下ではなく陛下がご判断されること」
冷たく言い放つと、王太子は一瞬怯んだように口をつぐんだ。公爵令嬢もわかりやすく肩を跳ねる。二人ともあまり事を大きくしたくはないらしい。それなら――
「殿下は『言い訳は結構』とおっしゃいました。ならこれ以上ここでお話ししても時間の無駄ですわ。帰って国王陛下に対して正式な抗議の手続きをして参りたいと思います。そしてわたくしは学園を退学します」
「ま、待て!王太子の名において命じる!勝手なことは許さない」
「殿下は以前『学園内では身分による差別を撤廃したい』とおっしゃっていましたが、ご命令……ですか」
確認のためゆっくりと繰り返す。殿下は口を開いたり閉じたりして、一歩後ずさった。反対に私は一歩前へ踏み出す。
「しかし、お二方の見立てによれば、わたくしは暴力暴言などの傷害行為や恐喝行為をするような罪人ですのに、反省すれば不問とするような学園は学びの場として不適切であると言わざるを得ません。よってすみやかな退学を要求します。こちらも後ほど正式な手続きを国王陛下へ伺うことにします」
「こ……ここで罪を認めれば、傷は浅くすむだろう」
「あら、殿下。すでに無実の罪を着せられた私の心は深く傷ついておりますわ。これ以上の侮辱は不要です。せめてこの国の未来を憂う一介の貴族として、学園の外から抗議させていただきます。この先、この学園で同様の冤罪事件が起きませんように。それではごきげんよう、王太子殿下」
言いたい事をぶちまけ、だいぶスッキリした。かなり晴れやかな気持ちなのでにこやかに踵を返して帰ろうとする。そこを王太子が慌てたように呼び止めるが、それを無視すると、今度は肩を無遠慮に掴まれた。そのまま後ろへ引っ張られようとして――
「触んな」
すぐに引き剥がされ、正面に倒れ込んだ。抱き止められている。高い体温に、速い鼓動に。
「遅くなってごめんね、エヴァレット」
一瞬、これから人を殺すかのような鋭い目をしていたように見えたが、私を見下ろす彼はいつもの優しくて飄々とした笑みを浮かべていた。
「ダリ」
「すぐ終わるから、待っててくれる?」
終わるとは。もうすでに色々終わってしまった。ここまですれば冤罪は晴れるかもしれないが、王太子への不敬罪は免れないのに。
ダリには関係ない。カール伯爵令嬢一人の罪だ。
「待って…!」
エヴァレットの呼びかけには応じず、ダリはさっさと王太子の方へ向かっていった。どう動いても悪手になるので身動きできずにいると、なにやら小声でボソボソと話しているのがわかる。王太子の顔色が青くなっていく。時間にして数秒だろうか、すぐに踵を返したダリが帰ってきて、私の肩を抱いた。
「さ、帰りましょっか。お嬢様」
「うん。とはならないでしょ、さすがに」
「いいのいいの。終わったから。さ、早く帰ろ」
有無を言わさず歩き始める。自分で決めたこととはいえ、これから父にかかる迷惑を考えると憂鬱になった。いざとなれば家を出るしかない。そのときは、きっとダリとは、もう――。
「エヴァレットさま!」
そこで、正面から駆けてくる複数の人影が見えた。一番前で声を張り上げているのはシャーリーだった。
「ご無事だったんですね!よかった……!」
「あ、ええと、無事というか大怪我というか」
「わたし、連れてきたので!ここで待っててください!先に帰らないでくださいね!」
背後を覗き込むと、確かに連れてきている。王太子の側近であるライアンという人と、どこかバツの悪そうにしている二人の令嬢を。彼女たちは、もしかして……?
「レオバルト殿下!彼女たちを連れてきました!――わたしに言いがかりをつけてきた人たちです」
シャーリーからとんでもない紹介をされると、令嬢たちは泣き崩れるようにして頭を下げた。
「も、申し訳ありませんでした、殿下…っ」
「申し訳ありません…っ、すべて、言われてやったことなんです」
「「リリアーナ様から指示を受けていました」」
声を揃えて告発したあと、二人は本格的に泣き始めてしまい、収拾がつかなくなってしまった。さすがの王太子も言葉を失い、背後でリリアーナは腰が抜けたようにぺたんと座り込んでいた。
•••
「お嬢様!エヴァレットお嬢様!」
瞼の裏に感じる朝日が眩しい。無意識に掛け布団を頭まで被り直した。
「いい加減に起きてくださいませ!遅刻しますわ!」
「ねむい……」
「男爵をお呼びしましょうか」
パチリと目を開けた。なんて悪趣味な目覚ましだ。
「おはようございます、お嬢様。朝食の準備ができました」
「メアリー……もう少し普通に起こしてくれてもいいんじゃない?」
「もう何度お呼びしたとお思いですか?毎朝男爵に起こしてもらうようお願いしてもよいのですよ。快くお引き受け頂けると思います」
「勘弁してよ……」
一度それをされて大変な目に遭った。主に彼が。まるで変質者が現れたように思い切り叫んで右ストレートを彼の腹に叩き込んでしまったのだ。
「今日からまた学園へ通うのですから、生活リズムを取り戻さなければ」
「……通わなきゃダメ?」
「残念ながら。あれからもう二週間ですわ。お嬢様は何も悪いことなどなさっていませんので堂々と!ご登園くださいませ」
そうだろうか。今思えばやりすぎたと思う。王太子相手にコテンパンに言い負かしてしまった。父から言い渡された自宅謹慎二週間は短すぎるくらいだ。
謹慎中、ダリに教えてもらった情報によると、シャーリーが私に代わってクラスの代表代理を務めているらしい。そのまま代理は外してくれて構わない。今日がちょうどクラス祭当日のはずだ。一度も準備に参加していない代表など誰がお呼びだろうか。
「そういえば、ダリはもう行ったの?」
「はい。本日はクラス祭の準備をしなければならないから、と」
彼は思ったより真面目なのだった。今日くらい一緒に行きたかったのに。着いて早々、王太子に無礼を働いた非常識女として罵詈雑言を浴びたらどうしよう。
「行きたくない……」
「行かねばならないのですわ。ささ、本日はお祭りなので制服ではないのでしょう?瞳のお色と合わせて淡いエメラルドグリーンのお召し物にいたしましょう!髪は結い上げますか?久々なので腕がなりますわ!きっと男爵様もお喜びになります!」
消極的に朝の準備を済ませると、いってらっしゃいませ、と笑顔で外に追い出された。ため息を吐いて歩き始める。このままバックレたい。
案の定、学園が近づくにつれ、登校中の他の生徒たちからの視線を感じるような気がする。気にしていないように堂々とするしかない。しかし、想像していたような冷たく鋭い視線ではなく、どこか羨望や畏怖の混ざった熱い視線のような――?
校門まで来ると、なぜか人だかりができていた。朝からクラス祭の準備でもしているのだろうか。
「「あ」」
お互いに声をあげてしまった。すると集まっていた人だかりが蜘蛛の子を散らすように離れていく。そして中心にいた人物が近づいてきた。
「カール伯爵令嬢」
「殿下……」
「この度のことは、大変申し訳なかった」
90度に頭を下げられてしまう。心臓が飛び出るかと思った。こんな公衆の面前でこの王太子は何をしているのか。
「か、顔を上げてくださいませ、殿下」
「しかし……」
「このような場で謝罪を受けたくありません」
「やはり正式に、ということか」
「そうではなく!……ちょっとこちらへ」
仕方ないので、彼に見えるように手を差し伸べて、無理やり顔を上げさせた。なぜか握手するように手を取られたが、かえって好都合かとそのまま両手を添えて学園の方へ引っ張っていく。
「さ、早く行きますわよ、殿下。――あんな大勢の前で殿下に謝られたら許さないといけなくなるじゃないですか」
「そ、そう、だな。すまない……」
冗談めかしてみたが、殿下はしょんぼりと肩を落としたままだ。よほど反省はしているらしい。が、簡単に許してしまえるほど小さな出来事ではなかったし、なんだか複雑な気分だ。――それなら、いっそのこと。
「そうだわ、殿下。私たちまずはお友達になりましょう」
友人になってしまえばいい。
「お友達との喧嘩なら、いつか仲直りできますわ」
殿下は驚いたように目をぱちくりさせている。やがて下手くそな笑みを浮かべると、ぜひ、と握手を交わした。今日のところはここまでだ。
「エヴァレットさまー!」
校内から呼び声と共に走ってくる少女がいる。手を上げて待っていると、勢い余って抱きついてきた。
「おはようございます!」
「おはようございます、シャーリー。色々とありがとう」
あの時、冷静に証人たちを連れてきて自白を促してくれた彼女がいなければ、私は今頃ここにいなかっただろう。本当に感謝しているのに、シャーリーは気にするそぶりも見せず、満面の笑みで首を傾げている。
「クラス代表代理のことですか?そんなこといいんですよ!さ、教室へ行きましょ!」
「ふふっ、そうね」
腕を組んで歩き始める。王太子の方へはちらりとも見ないが、二人のフラグはポッキリと折れてしまったのだろうか。リアルシンデレラ爆誕ならず。……まあ、王太子にこの子はちょっと勿体無かったかもしれないので、これでよかったのだと思うことにする。
「殿下」
シャーリーにちゃっかりと付いてきていた側近のライアンが、王太子に何か話しかけているみたいだ。遠くまで離されているので、もうここまで聞こえないけれど。
「謝罪は受け入れてもらえたのですか?」
「いや。だが新しい関係を築くことになった」
さっきまで握手を交わしていた手を見つめる。難しい試みだが、やるしかない。彼女と友人になり、「仲直り」するのだ。
あの時、彼女の婚約者に言われたセリフが頭から離れない。
『勝手に一人で権力者ごっこやってろ。次にあの子に関わったら王太子だろうが関係ない』
王太子に向ける言葉とは思えないセリフだ。しかしあれを、愛と言わずに何と言うだろう。ぎゅっと拳を握った。これ以上エヴァレット・カールに関わることを許さないと言う婚約者と、友人になれと言うエヴァレット本人。思わず冷や汗が出るが、一度過ちを犯した自分が、優先すべきことを間違えてはならない。この国の王になる人間なのだから。
校内へ入ると、どのクラスもお祭り感が満載でガヤガヤと賑わっていた。私のクラスも――
「――なんだか静かじゃない?」
「ふふっ、そうですか?入ってみてください」
シャーリーに促されるまま、そっと扉をあけると――、
わあっ、と黄色い歓声が溢れた。なぜか拍手で迎えられている。教室を間違えたか?と思わず振り返ってクラス表記を確認しようとするが、笑顔のシャーリーが目の前に立ちはだかった。
「どうしたんですか?本日の主役の席はあちらです」
示された教壇前へ向かうと、たくさんの生徒たちが集まってきた。……主に女性の。
「おかえりなさいませ、カール伯爵令嬢」
「お待ちしてましたわ!」
「ずっとお話ししたいと思っておりましたの」
圧倒されていると、横からシャーリーがこっそりと注釈を入れてくれる。
「みなさん、どこかでリリアーナ嬢にイジワルされた方ばかりだそうです」
エヴァレットさまが懲らしめてくれてスッキリしたみたいですよ、と。苦笑いしか出なかった。リリアーナは救いようのない悪役令嬢だったみたいだ。
これもダリから得た情報だが、学園は結局、リリアーナ・エスフォート公爵令嬢の処遇を決められなかった。学園運営にあたり、エスフォート公爵から多額の資金援助を受けていることが理由だ。だが今回の件を受け、そもそもその構造に問題があるだろうと指摘が入ったらしい。いずれにせよ、取り巻きからは裏切りのような形で告発され、殿下からの信用は地に落ち、後ろ指をさされることに耐えきれなくなった彼女は、学園にいづらくなり、しばらく姿を見せていないという。
「カール伯爵令嬢、窓から見えておりましたわ。外で殿下と手を繋いで何をしてらしたの?」
キラキラと期待に満ちた目で見つめられ、頰が引き攣った。レオバルト王太子に関しては、お人好しゆえにリリアーナ令嬢に騙された可哀想なお方として学園内では認知されていると、ダリが無感情に話してくれたことを思い出した。
「ねえシャーリー嬢、お近くで見てらしたわよね?お二人はどのような雰囲気でしたか?」
他の令嬢も気になったのだろう、よりによってシャーリーに尋ねた。恐る恐る横目で見ると――
「えっそんな方いましたか?わたし最近目が悪くて」
笑顔で存在を無かったことにされている。王太子の恋はどうやら実らないらしい。
「それに、エヴァレットさまには婚約者がいるんですよ。お二人はラブラブなんですから」
「まあ、そうだったのですか!?」
「その方はどなたですの?」
さっきから質問攻めで一言もしゃべれていなかったのに、ここにきて私の返事を待つように周囲の声が止んだ。答えようとしてダリの顔を思い浮かべるが、こんな親しげな雰囲気のなか、恋バナのような話題で彼の名前を出すことを躊躇してしまい、……というより、恥ずかしくなって、顔を赤くして俯いてしまう。
「素敵ですわ〜!」
それだけで令嬢方の好奇心は満たされたらしい。キャーキャーと楽しそうである。たいして友人のいないエヴァレットにとってこんな経験は初めてのことで、もはや固まるしかなかった。
「と、ところでシャーリー。うちのクラスの出し物はどうなってますの?こんな風に遊んでいてはダメなのでは?」
無理やり話題を変えるため、咳を一つして尋ねてみる。
「安心してください、うちのクラスは絵です!」
「絵?」
皆が一斉に黒板を見るので、もしやと思い振り返る。まさか、これのことか。
『おかえり!エヴァレット・カール様!』というあまりにも恥ずかしい文言を中心に、寄せ書きのように色んな絵やメッセージが隙間なくチョークで描かれている。こんなんでいいのか、我がクラスよ。
「あ、そろそろダリのところへ行ってきますか?今頃待ち侘びているかも」
「あら、その方がもしかして婚約者ですの?」
「わたくしたちもお会いしてみたいですわ!」
「……そ、それでは行ってまいりますわ」
このクラス以上に居づらい場所はないだろう。お言葉に甘えてシャーリーの手を借りながら、私は自分の教室を後にした。
ダリのクラスではどうやら一対一の武闘イベントを行うらしい。やはり騎士の家系の貴族も多いのだろう。窓からこっそり覗き込もうとしていると、かえって危ないからと中に入れられてしまった。ここには連日ダリの婚約者として顔を出していたから、珍しい目で見られることはない。一部女生徒からはやはりキラキラした目で見られたが、気付かないフリをしてダリの姿を探した。
「……あの」
「はっ、はい!」
見当たらないので近くにいた男子生徒に声をかけると、あからさまにビビられてしまった。私はもうこの学園で普通の生活を送ることすらできないのか。
「すみません、ダリ・クラウド男爵はどちらに――」
「こっちだよ、エヴァレット」
背後からポンと肩に手が置かれ、振り返る。そこには、少し疲れたような顔で笑いながら、木刀を手に持つダリがいた。見慣れない姿に一瞬ドキリとする。だって、今朝は会えなかったから。
「ダリ。……貴方も戦うの?」
「ははは、オレぜんぜん期待されてないんだ」
「それは、だって、将来騎士になる男性も多いのだし。それに貴方は商人でしょ?」
むしろ怪我なんてしてほしくないので、商人で良かったとすら思っている。なのにダリは木刀を手放すことなく、額の汗をぬぐって前に出た。唇を舌で湿らせ、目を細める。
「知ってました?オレ、ケンカはわりと強いんですよ」
宣言どおり彼は強かった。お祭りイベントとはいえ、一対一の真剣勝負にも関わらず、剣の型も流派もめちゃくちゃな彼が、自分よりも体格の良い相手を素早さで補いながら次々と木刀を弾いていく。そしてとうとう最後の一人になった。優勝である。
(か、かっこいい……)
あんなのズルい。彼と同じクラスの令嬢たちも、普段の態度からは想像もつかない彼の勇姿に、うっとりと目を奪われているようだった。
「どうです、惚れ直しましたか?」
そんな彼が周囲には目もくれず、私の元へ駆け寄ってくる。ついつい頰がゆるんだ。
「もとから惚れているわ」
すると、ダリはいたずらっぽい笑みで固まったまま、ガクンと膝から崩れ落ちるようにしてしゃがみ込んだ。慌てて私も膝を曲げる。
「だ、ダリ!? 大丈夫!?」
「す、すいません……思ったより破壊力あったもんで」
ダリは真っ赤にした自分の顔を腕で隠しながら、視線を逸らしている。私まで恥ずかしくなりそうだ。そういえば、今まで真っ直ぐに気持ちを口にしたことは無かったかもしれない。
けど、せっかくの機会なので。
「ダリ、貴方が好きよ。何があっても私の味方でいてくれて、守ってくれてありがとう」
「そ、そんなん、今言うのズリぃだろ……」
「今言いたかったんだもの」
らしくなく照れていたってかっこよく見えるのだから、私も相当重症である。なんだか楽しくなってきて、声を出して笑った。すると面白くなさそうにしたダリに顔を近づけられ――
「ちょっ――、ここ教室!」
「えー」
慌ててダリの口を両手で塞いだ。ダリは不満そうにするが、公衆の面前でイチャイチャと捉えられかねない振る舞いをしていたことが急に恥ずかしくなり、すっくと立ち上がった。そのまま教室を出ようとして――足を止める。
「――行きますわよ、ダリ」
気恥ずかしいので、今は顔を見れない。
「どこまでも、ご一緒しますよ。お嬢様」
背中越しに聞こえる彼の声は、今までで一番甘く、優しい響きを伴っていた。
〜Fin〜
5/30追記
たくさんの方に読んで頂き少しビビってますがありがとうございます。続編はありませんので、名前のあるキャラで書ききれなかった設定を供養します。
エヴァレット…破天荒娘。負けず嫌い
ダリ…基本ドライで嫌いな相手には容赦ない
シャーリー…良くも悪くも素直。懐き進化するワンコ系
レオバルト…思い込みが激しい。今後の成長に期待
リリアーナ…良くも悪くも貴族体質。性格に難あり
メアリー…お嬢様最推し。同担歓迎
カール伯爵…娘の性格上トラブルを起こさないのは不可能と確信しているのでストッパーとして婚約者を準備。有能
ライアン…冷徹と言われる側近。お人好しで面倒見がいい
テオドア…穏やかで優しいと言われる教師。腹黒
メデイア子爵令息…モブ
5/31追記
たくさんの感想ありがとうございました。力不足のため杜撰な部分も多々あり申し訳ありませんでしたが書けて楽しかったです。